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幕間:その十 魔王候補

「っっぐぁっ!?」


 スプルーアンスは衝撃と共に消失した左肩から先に、目と口を大きく開く。全身を襲う愕然を、残された右腕を振って追い散らし、そのまま右掌に生み出した魔力球を背後に向けて放つ。


 轟音を響かせて地面に着弾した魔力球だが、スプルーアンスの左腕を奪った巨大な地竜には届かなかった。地竜は氷点下の殺意に満ちた目で、六魔王の一角を占めるスプルーアンスを見下ろしている。


「なんてぇ速度だ。まさか反応すらできねえとは……っ」


 ネストルから封印の欠片を受け取り、魔王として強大な力を手に入れて以来、ここまでの衝撃を覚えたことは数少ない。直近では、同じ六魔王のペリアルドが倒されたときだ。魔王種として見いだされながら、簡単に敗れ去ったペリアルドを蔑んでいたものの、まさか今度は自分が死の感覚を味わおうとは。


 最近になって強力な魔物が次々に出現したと聞いていた。軍王派が勇者召喚を行ったとの情報を手に入れてからは、連中の動向は注意深く見てきたつもりだ。各地に出現しては甚大な被害をもたらしている。中には奇妙な活動をしている輩もいるようだが、多くは魔物らしい魔物だ。


 使えそうなら我ら魔王の配下に組み込む。ネストルが「適性あり」と判断するのなら、空席となったペリアルドの椅子を埋めるのに使ってやっても良い。


 魔族の勇者といっても生まれたてでは大したことはないだろう、と余裕をもって動いていたら、ペリアルドが倒されるという予想外の事態が起きた。


 ペリアルドが死んだ件については必ず報復をするとして、まずは他の勇者たちを詳しく調べることが必要になる。魔王スプルーアンスがネストルから頼まれた役割が、勇者の中でもとりわけ好戦的な地竜の調査だった。恐らく魔王種としての適性もあるだろうとのことで、生かして連れてこいとのことだ。


 ペリアルドが殺されたことで、油断するな、と注意を促されてはいたが、スプルーアンスは懸念を一笑に付した。ペリアルドのような弱輩と一緒にされるのは迷惑だった。


 姿を隠すつもりがないのか、そこまで頭が回らないのか、地竜はすぐに見つかる。この世界の上位者として、スプルーアンスは地竜に手を差し伸べた。


「ありがたく思え。ネストルが貴様に魔王種としての可能性を見出した。大人しく俺についてこい。あるいは封印の欠片に適性があるかもしれん。そうすれば、元人間の貴様如きでも、俺たちの末席に座ることができるかもしれんぞ」


 瞬間だった。


 地竜はスプルーアンス目掛けて襲いかかってきたのだ。十分な距離があったため、回避に成功したスプルーアンスだが、心身には怒りが渦巻いていた。


 魔王が直々に出向いてきてやったのに、勇者とはいえ元人間如きが攻撃してきたのである。差し伸べてやった手に見向きもせず。増長には罰が必要だ。思い上がった新参者を躾けるのも先達の役目だ。ネストルの言葉があるから殺すわけにはいかないにしても、叩きのめすぐらいはしたほうがいい。スプルーアンスはそう考え、地竜との戦いに突入したのである。


 結果がこれだ。左腕を奪われた。油断はしていなかったはずだ。仮にも魔族の勇者、ペリアルドを殺した奴と同じなのだから、警戒レベルはかなり高くしていた。にもかかわらず、反応しきれずに片腕を奪われたのだ。


 スプルーアンスは巨人族の魔王種である。地竜の巨大な体躯からしても、スプルーアンスの左腕一本は相当な大きさだ。その筋骨たくましい腕を、地竜は数回の咀嚼をするだけで飲み込む。


 舌打ちと共に、スプルーアンスの左腕が再生した。地竜がベロリと舌なめずりをする。餌の量が回復したことが嬉しかったのかもしれない。


「ち、食欲だけの下等生、っっ!?」


 地竜が大口を開けて突進してきた。狙いはスプルーアンスの頭部だ。戦いに勝ってから食うのではなく、戦いの最中に食うことを考えている。


 魔王は赤黒い巨大な口腔の上顎を右腕で、下顎を左腕で押さえる。地竜の咬筋力は強い。巨人として膂力には自信のあるスプルーアンスも、瞬時に力の差を悟った。このままでは閉じられる顎に潰される。そう判断したスプルーアンスは両手を離して飛び退るが、追撃してきた地竜に弾き飛ばされた。衝撃で魔王種の骨が軋む。


 地竜の速度と力はスプルーアンスの予想を上回っている。体勢を立て直そうとした矢先、地竜の尾が跳ね上がり、スプルーアンスの胸部を強かに打つ。


「ごっはぁっ」


 優越感も自尊心も土塗れになるくらい、派手に地面を転がったスプルーアンスだが、追撃に備えるためにも素早く立ち上がる。体当たりか、噛みつきか、尾の薙ぎ払いか、どんな攻撃にも対処できるよう五感を研ぎ澄まし、


「――――っ!」


 地竜は離れた位置からブレスを放った。火球のブレスに毒の瘴気がまとわりついている。直接的なダメージと、火球を回避しても撒き散らせる毒で徐々に衰弱を強いられる攻撃だ。スプルーアンスは裂帛の気合と共に風の障壁を作り出した。火球を遮断し、毒を吹き飛ばす。


 衝撃の向こう側、地竜の周囲には無数の、それでいて凶悪なフォルムの石の槍が大量に出現していた。地竜の殺意に濁った瞳が自分を見据えたと感じた瞬間、石の槍は一斉に発射される。直線軌道、弧を描く軌道、蛇行軌道、速度も軌道もバラバラの、だがすべてがスプルーアンスの命を奪わんと襲いかかってきた。


「魔王を舐めるなあああぁぁぁああっ!」


 咆哮が終わるより先にスプルーアンスの周囲に無数の光球が浮かび、次々と迎撃のために発射される。石槍と光球の数はほぼ同数。爆発がある分、光球は確実に石槍を撃ち落とした、と口角を吊り上げたスプルーアンスは、足元の光景に目を奪われた。


 地竜の尾が地面を叩くと、地面から大量の石柱と石槍が生えてきたのだ。同時に、二発目の火と毒のブレスが放たれた。回避する間も迎撃する間もなく、石柱と石槍に捕らわれ、ブレスの直撃を受ける。赤と黒の競演が晴れると、そこには障壁を展開したスプルーアンスが息を切らせながらも健在な姿を見せていた。両目は血走り、呼吸は荒く、敵意に満ちた歯を剥き出しにし、ダメージをゼロにすることはできずに体のいたるところから出血が見られる。


「ぜっ、はぁっ、ふぅっ……っぅ!」


 障壁にいくつもの亀裂が走り、砕け散った。ガラスの破片のように粉々になって宙を舞う障壁の欠片の一枚が、スプルーアンスと地竜の間に入り、


「!?」


 スプルーアンスの視界から地竜が消え失せた。あれだけの巨躯が一瞬で掻き消えるなどあり得ない。足元に巨大な影が生まれ、スプルーアンスは上空を取られたのだと知った。


 ダメージを負っているとはいえ魔王が知覚できない速度で、地竜の大きさで地面を小動こゆるぎもさせずに跳躍する。規格外の身体能力に驚愕しつつ、スプルーアンスは右手に魔力で編み上げた剣を生み出し、斬り上げた。落下してくる地竜の尾と衝突する。金属どうしの衝突に似た音が生じ、続けて金属を焼き切るような音が聴覚を搔き乱す。


 競り負けたのは魔王だった。魔力の剣は刀身が半分ほどで叩き折られ、本人も尾の一撃で地面に叩きつけられ、めり込んだ。


 飛行能力のない地竜も落下してくるが、着地する前に追い打ちの一撃が放たれる。尾やブレスではなく、大量に吸い込んだ空気を不可視の砲弾として撃ち出す。轟音と砂塵が巻き起こり、直撃を受けた地盤が捲れ上がる。地響きを立てて着地した地竜は、太く長い首を振り回して砂煙を吹き飛ばし、鋭い視線を離れた場所に叩きつけた。


「くそ! 感知能力も相当高いなっ!」


 転移術で地中から抜け出すことに成功していたスプルーアンスが片膝をついている。ダメージに加えて、転移用のアイテムではなく、自己で術を使用しての転移には莫大な魔力を要するからだ。


 完全に予想を凌ぐ地竜の戦闘力である。仮にも魔族の勇者なのだから、戦闘に優れてはいるだろうと考えてはいた。まさか魔王であるこの身をここまで圧倒するほどとは。これで封印の欠片を手に入れれば、六魔王でも上位に入る力を得ること疑いない。有望な新人と歓迎するべきか、危険な存在としてなんとしてでも始末しておくべきか。


 スプルーアンスの選んだのは後者だった。これだけの力を有している以上、魔王として迎え入れるのは構わない。ただしそれは「連れて行く」ことが絶対だ。「ネストルのもとに案内する」などでは断じてあり得ない。


「元人間如きが……」


 毒づくスプルーアンスだが、具体的になにか行動を移そうとはしない。完全に攻めあぐねている。ここまでの戦闘で優位を取れたことはない。ひたすら押され続けている。このまま力で正面から戦っていても、勝機は薄いだろう。ならば、とスプルーアンスは掌を地面につける。呪文を唱え、広範囲に亘って魔王の魔力が浸み込んでいく。


「出てこい!」


 地面から現れたのはゴーレムの群れだ。一般的な、鈍重のイメージのあるゴーレムとは違い、一体一体が騎士の如く洗練された造形をしている。武具も当然、石製なのだがなまじの金属よりも頑強であることは明らかだ。


 数百体に及ぶゴーレムナイトは、それこそ騎士団のように隊列を組み、地竜に向けて石剣や石槍を突き付ける。命を持たず、疲れを知らず、いくらでも補充の効く、小さな都市ならわけなく滅ぼしうる戦力を前に、地竜は駆け引きなど面倒くさいとばかりに突撃してきた。


 鋼よりも硬いゴーレムも地竜の突進には耐えられず、成す術なく砕け散り――同時に大爆発を起こす。周囲の他のゴーレムも誘爆を巻き起こし、空気を大きく振るわせる振動が地竜を飲み込んだ。


 スプルーアンスの、勝利とまではさすがに望み過ぎであるとしても、ある程度のダメージを与えたとの確信は、三秒も保たずに砕けた。爆炎を食い破った地竜の顎が顎迫ってきたのだ。地竜の牙が掠っただけで、スプルーアンスの腹の大部分がこそぎ取られる。


「がはっ」


 大量の血と空気、同時にスプルーアンスの中にある常識をも吐き出す。こんなことがあっていいのか。魔王種として見出されてより、常に他者を踏みつけてきた。襲い、焼き、奪い、殺してきたのだ。世に六魔王と恐れられる自分が奪われる側に回るなど、予想の遥か外だった。獲物の恐怖を心地良しとしてきたのに、今や感じ取れるのは己の死だけだ。


 地竜が鎌首をもたげる。両目に宿る爛々とした殺意の輝きに、スプルーアンスはかつての、封印の欠片を手に入れる前の自分を思い出す。生きるためになら何でもしてきた、卑怯卑劣下種外道虚勢虚偽らを駆使していた頃を。


「ま、待て! 力だ! 力を与えてやる! 封印の欠片を使えばもっと強くなれるぞ! 俺もそれで強くなったんだ。本当だ、ウソじゃない。欠片を持ってる奴がいるんだ。案内させてくれ、頼む」


 遂にスプルーアンスは命乞いを始めた。肉体的な苦痛と、それ以上の精神的な苦痛で顔は歪んでいるが、すべては生き延びてこそ意味がある。あらん限りの空気を吐き出す魔王の醜態に地竜は、肉食獣がそうするように喉を鳴らして笑った。


「お前ならもっと強くなれる。俺は一つしか欠片を持っていないが、お前ならもしかすると複数持ちになれるかもしれない。どうだ? 力は欲しいだろ? 俺を助けてくれたら」

「てめえが欠片を持ってるっつーんならよ、食って奪っても強くなれるってことだよな」


 地竜はおもむろに口を開ける。スプルーアンスも目と口を大きく開けるが、地竜の口は更に大きい。


「くそ! くそ! くそくそくそ! くそおおおおぉぉぉおおっ!」


 スプルーアンスの発した叫びごと、地竜は目の前の餌を頭から飲み込んだ。スプルーアンスの上半身が消え、ジタバタと騒ぐ足が消え、地竜の喉が嚥下を示す運動を見せ、戦いという名の食事が終了した。




 満足気に舌なめずりをする地竜を、遠くから観察する人影がある。


 六魔王の筆頭を自称するネストルは、手の中にある封印の欠片と、地竜を交互に見比べ、邪悪と表現するに足る笑みを浮かべた。六魔王に立て続けに二つの空席ができたことは由々しき事態だ。早急に対応をする必要がある。


 しかし、あの地竜の有用性に比べれば、優先順位は一つ下だ。


 遠目にもわかることがある。


 勝利した地竜が苦しみだしたのだ。


 周囲を薙ぎ払うような叫び声を上げ、あの巨体でのたうち回っている。封印の欠片の作用だと、ネストルは経験から知っていた。


 ネストルの体が宙に浮き、ゆっくりと戦いがあった場所に向かう。暴れる地竜の体躯を受けて地面が揺れる。胃液の混じった空気が周囲に撒かれ、地竜は倒れた衝撃で自身の歯を折った。


 見下した皮肉気な笑みを浮かべたまま、ネストルは少しずつ地竜に近付いていく。ネストルが地竜のもとに辿り着いたとき、既に地竜は暴れるだけの体力を失い、もがくことすらできずに痙攣するだけだ。開け放たれた口からは大量の涎が流れ、目には苦痛の涙が流れていた。


「封印の欠片への適応率は低いようだな。無様な姿ではあるが、まあいい。新しい六魔王にしてやるとしようか。どれだけ悪くともペリアルドやスプルーアンス程度にはなるだろう。上手くいけば、あの目障りな軍王どもを始末できるかもしれんな」


 悪意を込めて、ネストルは冷笑を浮かべた。

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