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第三章:三十一話 枢機卿の野望

「おお、勇者よ、死んでしまうとは情けない!」


 教会組織内での序列は二位、教皇ルージュの片腕と目されるカリオス枢機卿のわざとらしく、大仰な声と振る舞いに応え、静謐に包まれていた石造りの空間にマッチの火のような灯が無数に出現する。数百に及ぶ火はいくつかが重なり合ってより大きな火となり、枢機卿が指を鳴らした音に合わせて弾け、弾けた後にはいくつもの人影が冷たい石の床に転がっていた。


 人影の正体の一部は藤山まゆにならわかる。市川瑛士、出口教諭といった、死んだはずの勇者たちだ。今代に召喚された勇者たちだけでなく、過去に召喚された勇者たちもいて、総数は三十人近くになる。無造作に、ガラクタのように転がっている勇者たちの姿に、カリオス枢機卿は満足の笑みを浮かべる。


「起きろ」


 カリオス枢機卿の静かだが有無を言わせぬ口調に、勇者たちは操り人形が強引に引き上げられたかのような不自然な動きで立ち上がった。


「成功ですな、枢機卿様」


 傍らに控えていた部下に、カリオス枢機卿は鷹揚に頷いてみせる。自信に満ちたカリオス枢機卿の右手には、ガラスの小箱に納められた真眼があった。


 真眼はアウグスト家の一部にのみ現れる特徴であり、歴代教皇の証でもある。教皇崩御に際して真眼は摘出され、教会の神品として丁重且つ厳重に保管される。


 保管庫の鍵は教皇と、教皇に万が一のことがあったときのために限られた枢機卿が持ち、その鍵を持つ枢機卿とはカリオスのことだった。カリオス枢機卿は鍵を用いて真眼を持ちだしたのだ。もちろん無断で。


「さすがはアーロノブ様の真眼。まさか、かつての奇跡をこの目にする機会に恵まれましょうとは、わたくしめも望外の喜びでございます」


 直属の神官は揉み手までしている。アーロノブは七代前の教皇で、数々の改革を成し遂げ、また歴代三位の在位期間を誇ることでも有名な人物だ。左目に真眼を宿し、死者の魂を自在に扱うことができたと言われ、直属の側近らは自らの力の支配下に置いた死者で固めていたとされている。同時に、重大な秘密を抱えたまま冥府に逃げるといった手法の無効化に成功、各国や富裕層のスパイ行為や不正蓄財などの悉くが教会の知るところになったという。


 アーロノブが教皇の座にいる間、各国の首脳部は自らや側近の死後に情報が暴かれることを恐れて、教会の権威はこれ以上ないほどに高まったのだった。カリオス枢機卿が歴代教皇の真眼からアーロノブの真眼を選んだのは、このあたりの事情も関係している。


「しかし、枢機卿様、このままでは」

「わかっている。そう急くでない」


 蘇った勇者たちは、蘇っただけでしかない。いずれの肌にも生気はなく、目は虚ろで口は半開き、魔力を感じ取ることもできず、肉体もあちこちが欠けたりヒビが入ったりしていて、とてもではないが十全の活動などできないだろう。部下の神官の指摘にも、だがカリオス枢機卿の自信は安定陸塊のように揺らぐことはない。


 カリオス枢機卿はアーロノブの真眼を高く掲げながら、小声で何事かの呪文を唱える。と、アーロノブの真眼がうっすらと輝き、輝きは細い帯となって勇者たちの体内にスルスルと入っていく。


「おお!」


 神官が感嘆の声を上げる。生気のなかった勇者たちの体からは魔力が蒸気のように立ち昇り、欠けていた肉体も急激に修復されていく。今すぐに戦闘に出しても、カリオス枢機卿を満足させるだけの戦果を挙げてくることだろう。


「す、素晴らしい……っ!」

「ふっふっふ。死者を、それも勇者すらも自在に使役することができる。これが枢機卿たる我の力よ」


 カリオス枢機卿の口調にも眼光にも声にも態度にも自信が溢れている。自分は禁域とされる真眼を保管する場所にも立ち入ることができる特権を持ち、勇者復活というかつての教会実力者の誰もができなかったことを成し遂げた。


 なによりも、歴代教皇だけが有する真眼を己の手で使ったことが、教会の長い、いや、この長大な歴史の大河の中で特別な地位を確固たるものにしたとの自負があった。真眼保管庫に自由に入ることのできる自分は、歴代教皇の力を手にしたのと同然だと。


「魔族討滅の役目も果たせなかった期待外れの勇者たちも、これからは私が有効に適切に使ってやるとしよう。騒いでいるレメディオス王国などに時間を取られるのは、不愉快の極みでもあるしな」


 王国の砦が魔物に落とされたとの情報は入っている。一般市民らは不安と同時に、魔物への報復を唱えているだけだが、複数の勇者の死も確認されたことで王国上層部はパニックに陥っているらしい。一部の王国高官の中には、教会に接触してくる輩もいる。


「ふん。我ら教会に黙って勇者召喚を行うような連中だ。どのような目に遭おうと知ったことではないが、こいつらを戦力として披露させるのも悪くはないか」


 勇者たちはほとんどが生前と比較してなんら遜色のない水準にまで再生を果たしているが、唯一、決定的に違うのが目だ。光の宿っていない空虚な目は、自我や理性を失っていることを如実に物語っていた。


「枢機卿様、せっかくの勇者ですが、彼らは宝装を持っておりません。これでは戦力として」

「案ずるな」


 カリオス枢機卿が再び指を鳴らす。入ってきたのは、勇者たち同様に空虚な目をした――アーロノブの真眼によって蘇らせた――神官だ。この神官は勇者と違って、高い魔力や優れた戦闘力を持っているわけではなく、実験体としてカリオス枢機卿が用いただけの死者である。蘇生させ、死者の動きや命令の効率的な入れ方などを確かめるために、こうして駒として用いているのだった。屍人神官は豪奢な布に巻かれた箱を持っており、カリオス枢機卿の前で恭しく跪いて差し出す。


「ま、まさかそれは」

「そう、宝装だ」


 宝装は勇者が大神アルクエーデンより授けられるものであるが、勇者が死んだ後も世界に残される。残された宝装は真眼同様に保管され――教皇の裁可によるが――必要に応じて使用されることがあるのだ。出口教諭のように、宝装の回収を前提とされるケースもある。カリオス枢機卿はこれらの宝装を、復活させた勇者たちの新たな武器とするつもりだった。


「教皇猊下は世と人々を照らす正しき光。その教皇猊下を俗世の下らぬ揉め事で煩わせるなど、信仰の道にもとること。我らの手によって俗事の一切は片付けねばなるまいて」


 年齢的なこともあってか、現教皇ルージュは政にはほとんど口を出さない。両目に宿る真眼は悉くを見通しているかのようであっても、教会を実質的に運営しているのは枢機卿である自分だとカリオスは考えており、カリオスの認識は概ね正しいものだ。さすがに教皇代理やら教皇代行などと呼ばれることはないにせよ、実権は己が手の中にあると考えている。叶うならば、実権だけでなく名実共に、教会の最高位に着きたいとも。


 教皇ルージュに配偶者はいない。アウグスト家の人間は教皇を輩出するという唯一無二の家であり、家格は各国の王家よりも上位に位置付けられる。その配偶者も血による支配を目的に、王族から選ばれることが慣例だ。ただし、ここ四代は外から血を入れることが続いたため、今代のルージュの夫は、教会内部の高位聖職者から選ぶことが有力となっていた。


 既に幾人もの候補が上がっているが、カリオス枢機卿はだれにも教皇ルージュの夫の座を渡すつもりはない。教皇ルージュの夫になるのは自分以外にはありえないと定めていた。


 不安材料はある。教会内での地位はもはや盤石のものだが、カリオス枢機卿の権勢に抗うものはまだ残っている。このままでもルージュの夫となれる可能性は高いが、誰にも文句を言わせぬほどの実績があれば尚好ましい。将来的に教皇の座を手中にするためにも、有効となりうるだけの、それこそ、歴史を動かすような圧倒的な実績が。


 故にこそカリオス枢機卿は真眼を持ち出し、勇者たちを甦らせ、宝装を渡した。


「魔族を殲滅する」


 カリオス枢機卿の口が大きく弧を描く。何人もの勇者、歴代の教皇の誰もが成し遂げることのできなかった大偉業。魔族を世界から一掃すると共に、カリオス枢機卿の名は史上に冠絶するものとなり、当然のこと、至尊の座も己のものとなる。


 幼いルージュの夫の立場を利用して教会の内外に威光を示し、あわよくば教皇の地位の禅譲も視野に入れている。アウグスト家以外の人間が教皇になった場合、歴史上初のことだ。両目に真眼を宿す初代教皇や現教皇のルージュのように、カリオス枢機卿の名は永遠に歴史に刻まれるだろう。


 加えて、教皇ルージュはあれだけの美少女だ。見るものすべてを引き付ける、新雪のような清冽さ。汚れを知らない少女を自分の手で、絶対不可侵の教皇をこの手で、と考えると脳内麻薬が過剰に分泌されて得も言われぬ幸福感に浸れる。想像だけでこうなのだ。実際に教皇ルージュを手中にしたなら、一体、どうなってしまうのか。


 聖職者に相応しくない下卑た笑み。口角はだらしなく緩んで涎を垂らし、両目には使命感よりも色欲が煌々と閃いている。カリオス枢機卿は、手に持つ真眼が正しく未来を、照らし導くものだと確信していた。

今話で第三章は終わりになります。

お付き合いくださりありがとうございました。


次回投稿は二月第三週。

その間に、中々減らない誤字脱字の修正予定です。


第四章もよろしくお願いします。

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