第三章:二十九話 届く距離
魔の森にある一風変わった集落では、ゴブリン、ハーピー、ギルマン、スケルトン、マンドラゴラが共同で生活をしている。
戦いで仲間を失ったことによる精神的なダメージはやはり大きく、彼らの動きは鈍い上に緩慢だ。スケルトンも制作者の消耗を反映してか、常のきびきびした動きからは程遠い。しかし徐々にだが復興は進んでいる。
先頭に立っているのは、一体のグリーンゴブリン。いうなればゴブリンチーフだろうか、その個体は胴長短足の体で集落内を走り回っていた。
「ぬおぉぉぉりゃぁぁぁああ! スキル発動! ゴブリン徒歩!」
だからそんなスキルはない。
宗兵衛がいたら間違いなくツッコまれるセリフを叫びながら、一騎は精力的に動いている。長なのだからデンと構えてくれればいいと言われたのだが、体を動かしていないと落ち着かないのだ。働いているというか、気を紛らわせているというか。
ゴブ吉たちを失ったことへの罪悪感は尚も色濃い。魔物たちは主の一騎を責めるような真似はせず、それどころか魔王種を落としたことでますます尊敬の念を強めているのだが、一騎にとっては大した慰めにはならない。自己満足と謗られようと、集落のために動くつもりだった。
ペリアルドを倒した点はまだいい。その後、クレアの復活に失敗した挙句、体力も気力も魔力も使い切った一騎は集落に運ばれる。二日を経て目覚めると、周囲の喜びようは正に爆発したかのようだった。
エストも、ゴブリンにギルマン、ハーピー、マンドラゴラも皆が一様に一騎の無事を心から喜び、一騎もまた、集落の魔物たちと会えたことに喜ぶ。集落復興の指揮を執っていた宗兵衛――アンデッドは魔力を失って尚、気絶することもできないので――も、頭蓋骨だけの状態で挨拶をよこしてくれる。
目覚めて、体力は回復し、魔力も回復しつつある一騎の、その心は微塵も晴れてはいなかった。クレアを助けることすらできなかった。クレアも、そして他の魔物たちも。
ゴブ吉たち集落の魔物を助けることはできなかった。魔物たちは長である一騎の判断に異を唱えるような真似はしない。ゴブ吉たちではなく、人間のクレアを復活させようとしたことも抵抗なく受け入れている。いや、もしかすると抵抗や拒否感もあるかもしれないが、それを言行に示すことはない。
救いはある。一騎が視線を向けた先には、真っ白い霧に覆われた森の一角があった。集落の中ではなく、しかし縄張りの範囲内にある場所に広がる霧は、宗兵衛の魔法によるもので、効果は「死した魂を成仏させない」こと。
霧の中に留め置かれている魂とは、ゴブ吉を始めとした、教会に殺された魔物たちの魂だ。ゴブリンゴーストとでも言い表すべきなのか、直径十数メートルの霧の範囲に、被害者の魂が漂っている。漂っているだけでなく、リディルの協力を得ることで意思の疎通すら図ることが可能。
彼らの魂を現世に留め置いている理由は簡単だ。『進化』による復活を、今度こそはと考えているからである。謝罪と約束のために霧の中に入った一騎に、ゴーストとなったゴブ吉たちは、
『ギギ、気にしないで下さい。主のために死ねて本望です』
と返してきたのだが、一騎は納得することができなかった。自分の甘さ未熟さが招いた結果を取り戻すために、全力を尽くすつもりだった。
『ふ、今日も来たのね、我が下僕よ。常にその気持ちと態度を持ち続けるのだ』
真っ白な霧の中、プカプカと宙に浮いている半透明の人間が一騎の頭上で、腰に手を当ててふんぞり返っている。
「相変わらず元気そうだな、クレアは。幽霊なのに」
むしろ幽霊になったことで、闇だとか深淵だとかの設定により説得力を得たようだ。一騎の顔には複雑な表情が浮かぶ。一騎の『進化』ではクレアを助けることができず、彼女は幽霊として現世に留まっているのである。
クレアを助けることができなった理由は簡単だ。一騎の『進化』は魔物に適用される能力であって、人間には効果を示さない。エストは邪妖精という、魔物に分類される性質であったために『進化』が効果を発揮したが、クレアは死んで魂だけとなったものの、悪霊化のような事態に至っていなかったために適用されなかったのだ。
役立たずの能力と、なにより自分自身を罵る一騎に、救いの手を差し出したのは宗兵衛だった。
封印の欠片。大魔王ミューロンの力を宿したそれは、魔物でも人でも用いることができる。魔物ならば魔王種としての力を与え、著しい強化を図ることも可能だ。アーニャによると、人間でも大きな魔力を得ることができるという。
クレアが封印の欠片への適性を持っているなら、幽霊であるという現状を踏まえ、アンデッド系統の力を得る公算が大きい。たとえ適性がなく、ただの幽霊のままであったとしても、大魔王ミューロンの力に近付くことで、魔の影響を受けることになる。いずれにせよ、一騎の『進化』の適用範囲内になることが予想される。
腹立たしい点を挙げるとすれば一つ。
宗兵衛の奴が最初から失敗をフォローする策を講じていたことだ。フォロー自体は大いにありがたい。感謝もしている。これでクレアを助けるチャンスが残ったのだから、喉が張り裂けるまで礼を言おう。
だがそれとこれとは話が別だ。どうしようもない無力感と絶望感に苛まれている自分に、
――――十分に考えられたことですからあまり気を落とさないように。
などとしれっと口にして、別の解決策まで提示する宗兵衛に、怒りを覚えるなというほうが不可能だろう。
――――唸れ! 黄金の右足!
――――ぐはぁっ!?
頭部だけとなった宗兵衛を思わず蹴り飛ばしたことを、どこの誰が責められようか。
『感じるわ。我が肉体を失った魂魄に、闇の魔力が満ちていくのを。ふ、これが真なる覚醒。我は魔女の階梯をまた一つ上がってしまったのだな』
魔の森に満ちる魔素に中てられているだけだ。これで悪霊化しないのだから、魂の力が強いのか、宗兵衛の作った霧の効果なのか、今一判断がつかない。
『ギ、クレアさん、土に触れているとゴーストの精神は安定するようです』
『くっくっく、すべての命は土に還るというわけね』
ゴブリンゴーストとの関係は死後も良好なようだ。
今でこそ落ち着いているが、魔の森に移動した直後のクレアの状態は酷いものだった。剥き出しの魂の状態であることに加えて、精神も不安定だったため、そのまま消滅しても不思議ではなかったくらいに。自分や村に降りかかった惨劇、それをもたらしたのが自分だと決めつけられ、更には幽霊化して残ったのが自分だけだったことで、クレアの精神と存在は激しく揺れ動いた。
『ギギ、霧の中に運ばれた荷物が崩れたようです!』
『我が闇による呪いの浸食か』
『ギ、そういうのいいですから手伝って!?』
『ゴーストじゃ触れないわよ!』
『ギ、そうでした!?』
それが今、こうして安定しているのは、周囲の積み重ねた苦労の結果だ。事あるごとにフラッシュバックからパニックを起こす、とまではいかなかったが、罪悪感は強くあったようでふさぎ込むことが多かった。一騎を始めとする集落の住人には見せまいと努力している様子が却って痛々しく映っていた。
特に彼女を気にしていたのがエストだ。片や一騎の『進化』に助けられ、片や助けの手が届かなかったことで、感じ入るところでもあったのか、クレアをよく支えていた。一度、気にした一騎が首を突っ込もうとしたところ、「女どうしのことがわかるの?」と実に冷ややかな目で追い返されたことがある。
クレアは思う。
自分にだって想いはある。このまま易々と負けるわけにはいかない。仮に想いがなくとも助けられた恩があるのだ。恩を返すためにも――どうやったら返しきることができるのかは見当もつかないが――いつまでも下を向いているわけにはいかない。
自分だけが残ったことは今でも苦痛を伴うことがある。けれどクレアはこうしてここにいる。だったら、母親や他の人の分まで前を向かなければ嘘だろう。
『それで我が下僕よ、我はいつ頃、精霊になるのだ?』
クレアはふわふわと飛んで、一騎の頭の上に着地した。ラビニアに倣っているのか、霧の中ではよく一騎の頭の上にいる。霧の外に出ることは宗兵衛から禁止されているため、一騎が霧を訪れたときには、まるでとり憑くように傍にいるのだ。周囲の大半はラビニアで慣れているが、心穏やかでないものも当然いた。
「イッキから離れなさいよ、クレア!」
『フ、イッキは我が下僕よ。離れる理由がないわ』
最近ではエストとクレアのケンカは日内行事みたいなものになっていた。ケンカはしても嫌ってはいないようで、一緒にいることも多い。どうしようもできない一騎は右往左往して中途半端な笑みを浮かべるばかりであり、そんな一騎に、エストとクレアは溜息をつくことも増えている。
ついでに重石の調節を二人ですることも増えているのだが、一騎には知る由もなかった。
一騎は白い霧の中で頭を振る。
十分な魔力が回復すれば、元が魔物であるゴブ吉たちなら『進化』の適用を受けて復活させることができる、というのがリディルの意見だ。あまり長時間、魂だけの状態で彷徨っていると、悪霊化することがあるとのことだが、元から魔物と悪霊は似たような性質があるため、少なくとも人間の魂よりも悪霊化への耐性はあるという。
ゴブ吉たちが悪霊化するまでに魔力を回復させ、『進化』を用いてゴブ吉たちを助ける。ただし一騎一人では『進化』を使いこなすことはできない。感情が爆発したときに自身に対して用いる――別に意識して用いているわけではない――ことならできても、他者に対して用いるには宗兵衛の協力が不可欠である。
その宗兵衛は教会にある自室に引っ込んだまま姿を見せない。自室というアイテムを手に入れてしまったものだから、とうとう引きこもりスキルでも発動したのだろうか。だとしたら羨まいや、けしからん限りだ。仮にも長である自分が働いているのだから、後で宗兵衛も引きずり出してこよう。
『ギ、どうされました、イッキ様』
ゴブリンの長老ブリングだ。足腰が弱くなりつつある彼は肉体労働には参加せず、全体を監督する立場に収まっている。一騎が労働をする際には、オロオロしながらも最後まで反対した。
「いや、なんでもない」
恐らくは世界でもっとも説得力に欠けるだろうセリフを口にする一騎。ブリングも追及はせず、『このものが話があるようでして』とマンドラゴラのリーダーに話を促した。
「ぉ、おう」
一騎が意識を取り戻してからとりあえず話は片付けている。部下のゴブリンたちを助けてもらった借りもあるので、マンドラゴラたちには傷が回復するまで集落に滞在しても構わないと言ったのだ。
これ以上、なんの話があるのだろうかと一騎は不安になる。不安を感じるのは一騎の容量がほぼ限界にあるからに他ならない。
藤山まゆたちによる集落襲撃、仲間の死、クレアの死、勇者や魔王との戦い、集落に戻ってからは復興作業と、一騎は既に一杯一杯である。宗兵衛やエストがいなければパンクしていたこと請け合いだ。元から大して処理能力は高くないと自覚しているのに、マンドラゴラの話の内容によっては、またも意識を手放してしまうかもしれない。と思いきや、
『イッキ様。我らを末席に加えて頂きますようお願い申し上げます』
跪いて首を垂れるマンドラゴラのリーダー。集落にいるマンドラゴラたちの傷はまだ完治していないことに加え、数も減らしている。不穏な空気の濃度が急激に増している森では、集落を出ると群れの存亡にかかわると考え、群れで相談した結果、一騎たちの傘下に入ることを選んだとのことだった。
一騎は僅かばかり逡巡する。
仲間が増え、戦力や労働力が増すことは喜ばしいことだ。反面、守る対象も増えることになる。果たして自分の手で抱えきることができるだろうか。こんなことなら内政無双など考えるんじゃなかった。責任ばかりが積み増されていく。
異世界転生では自分の思い通りになる、なんて軽い考えを欠片でも抱いた自分を殴りたくなる。
部下たちの前で実際に自傷行為に走るわけにもいかず、一騎は跪いたままのマンドラゴラに視線を落とす。マンドラゴラリーダーの体は小刻みに震えていた。ここで一騎に断られでもしたら、群れは滅ぶ。群れの存続のために、異種族の下につくと決断し、頭を下げているのだ。
体格でゴブリンよりも小さいマンドラゴラの精一杯の決意に、気圧されると同時に恥ずかしくもなる。パン、と両手で頬を叩く。
「わかった。頼りにさせてもらう」
初志貫徹。集落を大きくするのに人手は必要、マンドラゴラの加入は歓迎だ。断る理由はない。とだけ考えていたら、どういうわけか、マンドラゴラの頬が赤く染まった。アニメや漫画で、告白をする直前にもじもじしている少女のようだ。
「ど、どうした?」
『あ、いえ……ありがとうございます。あと、ソウベエ様から、傘下に入ったならイッキ様に名前を付けてもらうようにと言われたのですが、それと』
「それと?」
名付けを丸投げしてきやがった宗兵衛との戦いを予感しつつ、マンドラゴラの反応から、どうにも名付け以上の厄介があると感じ取る一騎。果たして一騎の感覚は正しかった。
『イッキ様と我々との間で行われる子作りについてなのですが」
「ちょっと待てええええぇぇぇぇぇええっっ!?」
思わず一騎は絶叫した。なぜなら、
「今の……どういう意味なのか聞かせてくれる、イッキ?」
『ほんと、人を怒らせるのが上手なんだから、イッキは』
肌を刺すような殺気が一騎の背後に膨らんだからだ。もちろんゴブリンゴーストたちは遥か遠くに、しかも慣れた動きで避難している。
「待ってくれ!? 違うんだ! これは宗兵衛の陰謀なんだ! 俺は真実、無関係だよ!?」
「まったく、次から次に女の子を見つけてくるんだから」
『厳しく躾けたほうがよさそうね』
「ひいいいぃぃぃいいっっ!?」
霧の中、一騎の叫びが響き渡った。




