第三章:二十七話 雑魚魔物 対 魔王
《常盤平一騎の意識と接続完了。常盤平一騎の意識を確保、引き上げを開始します。三分二十秒後に引き上げ終了を予定》
「三分……カップラーメン級のお手軽さですね」
《『「??」』》
ラビニアにもリディルにもアーニャにも通用しなかった比喩には触れず、宗兵衛の骨体が異音を上げて変形を始めた。
対竜戦を想定して作った骨杖は砕け、人馬型を採る骨の足は人でも偶蹄目のものでもなくなり、槍のような杭のような鋭利な刃物と化す。接地による加速を捨て、地面に突き刺すことで強引な加速と停止に対応する。弓矢を使うために生やしたばかりの骨腕は崩れ落ち、元からある左腕には白い盾を、同じく右腕は白くらせん状の突撃槍を備えた。
宗兵衛の行動はフェアプレーからは程遠い。ペリアルドが両手を広げ、闘志と魔力を全身に張り巡らせている最中に、杭状の四肢を地面に突き刺し、渾身の反動でもって跳躍、数十メートルの距離を一瞬で詰めた。
突撃槍の刺突を繰り出そうとした宗兵衛は、ペリアルドが腕を交叉して防御の姿勢をとるや否や、右腕の動きを急停止、代わって左腕の骨盾を力任せに振り回す。
生物にはあり得ない動きだ。この速度での急制動となると、生身では負荷に耐えきれず筋や神経は断裂、骨は砕ける。骨体の強度と硬度を操作できる宗兵衛ならではの動きに、ペリアルドは回避も防御も驚愕することもできなかった。
骨盾の一撃がペリアルドの側頭部を強かに叩く。空中でバランスを失ったペリアルドは落ちていくが、半分ほどの距離を落ちたところで背に翼を生やし、羽ばたかせ停止することに成功――――
――――追うように落下してきた宗兵衛は、ペリアルドの片翼を突撃槍で貫いた。
「空中戦には慣れていませんので、恐縮ですが地上に降りてもらえますか」
「っっっ! 図に乗るな! 下種なアンデッド風情がああぁぁっ!」
激昂と共にペリアルドの掌に作られた魔力球が宗兵衛の胸部に炸裂、人馬型のスケルトンは空中に放り出された。
宙を舞った宗兵衛は着地する前に砕けた胸部を再生し、盾を捨てて左手に巨大な弓を作り出した。番えるのはらせん状の突撃槍だ。相当な重量になる突撃槍を、強化した骨体で完全に構えている。
引き絞られた突撃槍が放たれた。その威力は貫く、というより、抉り取る、だ。放たれた突撃槍は魔王種ペリアルドの下半身を根こそぎ吹き飛ばしていた。
『惜しい。もう少し上に当たっていたら跡形も残らなかったのに。魔王討滅者の称号を手に入れ損なっちゃいましたねー?』
「よかった、外れてくれて。僕なんかよりも常盤平こそに相応しい称号ですからね。その常盤平の引き上げ具合はどうですか?」
《現在九十三%》
「鬱陶しいですね」
どちらが鬱陶しいのか。両方だろうとラビニアには想像がついた。上空ではペリアルドが怨嗟の呻きを上げていたから。
「ぐ、ぎぃぃぃいいっ! こ、このっ、な、なんだあのアンデッドは!? この俺を! 魔王であるこの俺をおおぉぉおっ!?」
あまりの事態に動揺を通り越した混乱を見せるペリアルド。彼にとってこれはあり得ないことだった。如何に死者の魔法使いといえど、魔王の体をこれほど簡単に砕けるはずがない。それ以前に、魔王と勝負が成立するはずがないのだ。
あり得ない。こんなことはあり得ない。アンデッド如きが魔王である自分と戦えるなどあっていいはずがない。
ペリアルドには勘違いしている点がある。ペリアルドはあくまでも魔王種であって、魔王ではない。封印の欠片への適性があり、封印の欠片により強大な力を手に入れただけで、魔王ではないのだ。この世で魔王を名乗るのは、大魔王ミューロンのみなのだから。
「っっかああああぁぁぁぁっ!」
上半身だけだったペリアルドの眼光が周囲を威圧する。封印の欠片、つまりは借り物に過ぎない力だが、強大な力であることには違いない。ペリアルドの威圧に抵抗できるものなどそうはいない筈なのに、骨も、骨の頭上にいる妖精も、地上で杖を持つ盲目の女も、平然として受け流す。
「こ、っの雑魚共が!」
ペリアルドの右胸部が一際強く輝くと、吹き飛んだペリアルドの下半身が一瞬で再生を果たす。どう控えめに評価しても、再生された肉体の内側では、怒りが煮えたぎっている。
ペリアルドが振り上げた右腕に燐光を帯びた魔力が集中し、怒りと共に振り下ろす。振り切られた腕から魔力を帯びた斬撃が放たれ、不遜なアンデッドは避けることができずに左右に斬り分けられた。
「アンデッド程度が図に乗りおって」
ペリアルドの両目に勝利の色が浮かぶ、が、
「九十%を超えたのなら、ショック療法でもう少し早く引き摺り出せるでしょう」
「!?」
ペリアルドの予想外の方向から声が聞こえてきた。慌てて視線を動かすと、アンデッドは地面に付したままのドラゴンのすぐ傍に立っている。では自分がたった今斬り裂いたのなんだったのか。軽い音を立てて、ガラクタのような骨組みが砕ける。ペリアルドが砕いたのは、変わり身に使われたスケルトンだった。
「き、きき貴様ぁっ!」
アンデッドを睨む視線には騙された怒りも叩きつけている。と、アンデッドは突撃槍を失った右手に盾を作り出していた。最初に作った盾よりも巨大で分厚く、どうみても防御よりも鈍器としての役割を期待している趣である。アンデッドは死者の魔法使いには似つかわしくない鈍器を振り上げ、竜の頭部目掛けて思い切り叩き落した。
極めて非人道的な音がして、起き上がろうと足掻いていた竜は、微かに痙攣して動きを止める。途端、竜から光が溢れた。竜本体も光に包まれ、光が溢れだす毎に体躯がどんどん小さくなっていく。
光が薄まったそこにはもはや竜の姿はなく、最弱の魔物として知られる一体のグリーンゴブリンがゆっくりと目を開けた。
目を開けて、最初に見たものは再び落下してきた白く巨大な物体だ。
「っつぉぉおおっりゃっしゃああぁぁっ!」
一騎は必死の横っ飛びで攻撃を回避した。一秒前まで一騎の頭部があった場所には、分厚く重い骨盾が二十センチはめり込んでいる。
「よかった、目が覚めたのですね、常盤平。心の底から心配しましたよ」
「嘘つけぇぇぇええっ! 明らかに殺そうとしてたじゃねえか。知ってるねんで!?」
「妙な方言はともかく、目が覚めたのならさっさと仕事をしてきなさい。あそこで腰を抜かしているのが勇者で、浮いているのが自称魔王です」
「わかってる!」
リディルとの接続中、引き揚げ作業と並行して、外界の情報供給も行われていたのだ。事情はよくわかっている。
一騎は新たに作り出してもらった骨刀を構えた。近くではアーニャが右手を抑えていたが、あれはきっと一騎を斬って骨刀を奪おうとの欲望に抗っていたのだろう。
上空から多分に殺気の混じった魔力が風となって地上を叩く。ペリアルドの表情にも所作にも優雅さや余裕は感じられず、逆に表に出ているものはわざわざ口にするまでもないものだ。宗兵衛がペリアルドに視線を向けた。その視線にはこれといった敵意や攻撃性がなく、一騎は相棒の意図を一瞬で把握する。
「このゴブリンが僕たちのボスでしてね。竜に変化することも可能な魔族の勇者です。僕と決着を付けたいというのなら、一対一でこのゴブリンの屍を超えてみせなさい」
「予想通りだよちくしょうがっ!」
やっぱり押し付けにきたか、と思いつつ、一騎にも不満はない。勇者には話がある。クレアのこと、村を焼いたこと、教会との関係、他の勇者たちの情報もそうだ。魔王と勇者の取引には興味はないが、取引相手を渡す気がないというのなら、竜でも鬼でもなく、常盤平一騎の手で斬るべき相手だと認識している。
だが問題は、一騎の残魔力には余裕がないことだ。
「短期決戦しかねえな……リディルさんにちょっと聞きたいことがあるんですけど」
《伺います》
「ラビニアさん、常盤平をお願いできますか」
『いいですよー』
ラビニアの風の魔法が一騎を持ち上げる。浮遊か飛翔の術かと思いきや、一騎は砲弾のように打ち出された。顔面が歪むほどの急加速のGの中、骨刀の切っ先がペリアルドに向いたままになっていたのは、程度は高くないがある種の奇跡だ。
最下層の魔物がこれほどの速度で突撃してくるのは予想の遥か外側だったのだろう、ペリアルドの反応は遅れた。突き出された骨刀がペリアルドの右肩と右翼をまとめて貫く。バランスを崩したペリアルドと、風の魔法の恩恵が切れた一騎はもつれあうようにして地面に落ちた。大地の精霊から苦情が来そうな衝撃と轟音と砂塵。
「ゴブリン如きがぁっ!」
次に動いた影は魔王だ。濛々と立ち昇る砂ぼこりの中、魔力の燐光を纏う右腕が高々と持ち上げられ、明確な狙いもつけずに振り下ろされる。視界が悪い中で火花が散った。砂塵が薄くなったそこには、魔王の右腕と真っ白い骨刀が鍔迫り合いをしている様がある。
勝利を確信していたペリアルドを、一騎は体を回転させていなす。ペリアルドの背後を取り、無防備になった背中目掛けて刺突を放つ。妖精ペットを始めとしていくつもの魔物を斬ってきた骨刀の一撃は、魔力で作られた薄い障壁に遮られて、ペリアルドの背骨には届かなかった。さすがというべきか、魔王の防御力が骨刀を上回ったのだ。
見下した笑みを浮かべながら、連続して行われるペリアルドの反撃によって一騎は守勢に回らざるを得ない。一歩二歩と後退を強いられる。
そもそも今の一騎はゴブリンだ。並のゴブリンよりも高い魔力を持っていようと、魔王の攻撃に耐えているだけでも驚きである。魔族の勇者だろうと、ゴブリンはゴブリン。単純に考えて、雑魚魔物が魔王に勝てるはずがない。
しかし一騎には勝算、具体的には手の中に勝算が握られていた。
一騎が握るのは宗兵衛から受け取った骨刀。竜からゴブリンに戻った時点で大半の魔力は失われたが、大半であってすべてを失ったわけではない。エストをブラウニーから精霊に進化させたように、一騎の『進化』は他者に対しても用いることができる。そして一騎がもつ骨刀は純粋な武器ではなく、宗兵衛の骨体から作り上げた、いわば宗兵衛の一部ともいうべきものだ。
だったら、骨刀に『進化』を適用させることもできるのではないか。自身に『進化』を用いるよりも魔力消費を抑える形で。
もちろん魔法も使えない上に、魔量操作の訓練もしていない一騎だけでできることではない。その程度のことがわかるくらいには、一騎も自分自身のことを知っている。
だからこそリディルに頼んだのだ。
一騎の魔力がリディルのサポートを得て骨刀に流れ込み、骨刀は輝きだす。一騎が鬼に、あるいは竜に進化したときのように。
「いくぞ、魔王っ!」
鞘から引き抜くように、光の中から骨刀を引き抜く。一騎の竜体にも匹敵する、刀剣としては規格外のサイズを持つ、硝子めいて輝く蛇腹剣だ。いや、巨大さから竜腹剣と言い表すべきかもしれない。
「こ、の雑魚の分際で!」
「ああ。どうしようもない雑魚だよ、俺は。言われなくても、身に染みてわかってらぁっ!」
ゴブリンと魔王の視線が衝突した。
ペリアルドが両腕を掲げる。魔力が集中し、帯電でもしたかのように青白い火花が弾けている両腕が振り下ろされた。天を掴み落としたのでは、と錯覚させるほどの一撃。一騎は咄嗟に足に力を入れ後ろに飛ぶ。
津波のような衝撃をガラスの巨大蛇腹剣を盾にして防ぐ。透明で巨大な刀身の向こうに凶悪な殺意を漲らせた魔力球が迫っている。
一騎は刀身を盾にする防御も、刀身が砕けることを危惧しての回避も選ばず、蛇腹剣を振るう。蛇腹剣の切っ先はペリアルドの魔力球を避け、驚くペリアルドの左肩から先を吹き飛ばした。ほぼ同時、一騎も魔力球の着弾を許す。
双方が吹き飛ばされ、しかし双方共に動きを止めない。
ペリアルドは消えた左腕など構わぬと、一騎は地面に刀身の一部を突き刺し慣性に抗い、両者は再び交叉した。
ペリアルドの引き絞られた拳が突き出される。一騎は体をずらして避ける。風圧だけで一騎の胸部が削がれた。体を半回転させた一騎は遠心力を乗せて巨大な蛇腹剣を横薙ぎに振るう。蛇腹剣がペリアルドに食い込んだ瞬間、魔王の全身から槍のような突起物が生じて弾き飛ばされる。
踏み止まった一騎は強引に踏み込む。残魔力が少なく、戦いにおける経験値でも劣る以上、長期戦はいずれジリ貧になる。ダメージと引きかえに、こちら以上のダメージを相手に与えることを一騎は選ぶ。
一騎の腹部に灼熱が生まれた。ペリアルドの右手に作られた魔力球が一騎の腹を貫いたのだ。一騎は混み上がってくる血液の塊を口腔内で押し留めて飲み下す。ペリアルドの追い討ちの光弾は蛇腹剣の一振りで弾け、再度、両者の殺意が交わった。
立て続けに重なる必殺必死の攻防。透明な蛇腹剣と魔力を帯びた魔王の腕の衝突は、一合毎に苛烈な火花と暴風を巻き起こす。ペリアルドの腕の振り下ろしと、一騎の斬り上げが激突する。一際激しい轟音。互いに体勢を崩されまいと力の限り膠着し、鍔ぜりが空間を軋ませ、交錯する眼光は烈火の熱を持つ。
「下等生物如きが!」
ペリアルドの腹からずぶり、と無数の突起が、背中から一本の腕が生え一騎を襲う。背から生えた腕は伸びて一騎の頭上を取り、強く握り込まれる。腹から生えた突起の先端すべてには魔力球が生じて一騎を狙う。
「こ、れは」
絶対に間に合わない。悟るしかない状況下で、カシャ、という音が聞こえた。瞬間、真っ白な骨の樹が大量に生い茂る。一騎の視界の端で、宗兵衛が骨の両手を合わせていた。
最初に竜を吹き飛ばしたとき、巨大な矢は砕け、その欠片は砦内に散らばって落ちたが、宗兵衛の合掌を合図としてばら撒かれた骨片が一斉に発芽、骨の樹となってペリアルドを襲ったのだ。骨樹の強度と硬度は鉄の鎧を易々と貫ける。同時に蔓のように対象に巻き付いて動きを奪う。
「死んだ骨なのに発芽というのもおかしな表現ですけどね」
『イメージにはぴったり合いますよー?』
骨樹がペリアルドの四肢を縫い留め、締め上げる。
「貴様! こ、の、骨がああぁぁっ!」
「すみませんね、魔王さん。さっきは一対一と言いましたが、あれは嘘です」
手を合わせたままの宗兵衛が事もなげに言い放つ。一騎は思わず「嘘をつくなよ!?」とツッコんでしまう衝動を抑え込むのに多大な努力を強いられた。
柄を握る一騎の手を通じて蛇腹剣に魔力が流され、蛇腹剣の切っ先がそれこそ本物の蛇のように動いて、上空に伸びたペリアルドの右足を食い千切る。魔王は苦悶と怒りが一対三の割合で配合された叫びを吐くと同時、竜のブレスさながら、口から炎の魔法を放つ。範囲の広い炎の魔法の直撃は、本来ならゴブリンのような雑魚は骨すら残さずに燃え消える。
しかし一騎は、グリーンゴブリンなんて雑魚に転生させられた一騎は、もちろんそこに立っていた。蛇腹剣の透明な刀身を盾に魔王の魔法を防ぎきる。
蛇腹剣を大上段に構える一騎。あまりにも巨大な蛇腹剣の刀身は、半分が一騎の腕の動きに従い、残りの半分は蛇が横たわるようにしてペリアルドの退路を断つ。透明な蛇腹剣は大きくうねり、光と戦意を受けて鮮烈に輝いた。
「っっ、この、この雑魚がぁぁぁぁあああっ!」
ペリアルドは悲鳴のような叫びを上げて魔力球を打ち出す。遠目に見るものがいたら腹を貫かれたと錯覚するほど紙一重。ペリアルドの魔力球は一騎の腹を削り、しかし貫くことはできていなかった。
一騎は決死の踏み込みと共に、次撃はないと巨大な蛇腹剣を振り下ろし、振り抜いた。その一撃は魔王の防御を易々と斬り裂く。
もはや一騎の手にはなにもない。魔力を使い切って、蛇腹剣は元の骨刀に戻り、骨刀は一騎の手から抜け落ち、間違いなく刀を振るったことを示す徒手の握りがあるだけだ。
正に渾身の一撃。斬り裂かれたペリアルドは敗北が信じられないといった顔で崩れ落ち、一騎もまた自分を支えることができなかった。




