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第三章:二十二話 『進化』

       ◇         ◇          ◇


「リディル、全力解析を!」

《了承》


 常盤平の小さな体躯からは、言葉にならない感情と行き場を求めた感情と魔力が激流となって溢れ出し、焼け焦げた村を瞬く間に飲み込む。魔物たちも、総数で魔物側を上回る兵士たちも、市川たち勇者の面々も、眼前の事実に度肝を抜かれ、単語を吐き出すことさえできないでいる。


「っ、洞窟以来、の」

『これが『進化』ですかー』


 例外は宗兵衛たちだけだ。


《主、この『進化』は成功します》


 自覚に乏しいが、複数の戦闘を経て常盤平一騎の保有する魔力量はかなり増えている。自分が雑魚であるとの認識、訓練で宗兵衛に勝てないこと、自身の戦闘センスが必ずしも高くないことなどから、増えた魔力を感じ取ったり効率的に運用したりといったことがほとんどできていないだけだ。あるいは『進化』に回すため、無意識化で魔力運用をしていないのかもしれないが。


 吹き荒れる魔力の中、軽い金属的な音が響く。宗兵衛が腰に下げている矢筒の中では、魔力を蓄積した白い棒の一本が既に砕け、二本目にもヒビが入っていた。非常時の魔力供給用として用意しておいたものだ。骨刀を通じて繋がっている以上、ストックがなければ宗兵衛の骨体が砕けていたかもしれない。保存している魔力が保つかどうか。生じた疑念は、無音の衝撃が炸裂して消し飛んだ。


 宗兵衛は両手を合わせた。土中から真っ白い骨が無数に現れ、壁となって宗兵衛と魔物たちを守る。


 守る術のない兵士たちは悲惨だった。グリーンゴブリンから放たれた魔力が波状となって襲いかかり、膨大な魔力に悲鳴すらかき消されて肉体も命も飛散する。兵士の一人は意識だけで泣き喚いた。勇者と共に作戦行動に参加した名誉と光栄を、家族宛の手紙にしたためて出したばかりだったのに。妻に土産話をいくつも持って帰るつもりだったのに。一瞬にも満たぬ間に、兵士の意識も飛散して、跡形も残らなかった。


 常盤平一騎の全身が白い輝きとなり、輝きは急速に膨張する。


「全員、目を閉じて伏せなさい!」


 宗兵衛の命令が飛ぶ。ほとんど時間差を置かずに魔物たちも地に伏せた。次の瞬間には周辺一切が白熱する。宗兵衛が生身なら、あまりの輝きの強さに網膜が焼け爛れていただろう。異常なエネルギーが空間を強かに叩く。圧力の強さは呼吸すら押し留めさせるほど。


 光と空気が弾け飛んだあと、そこにグリーンゴブリンの姿などあるはずもなかった。真っ先に気付いたラビニアが上空を見るよう宗兵衛を促し、宗兵衛の視線が上に向くと、果たしてそこには、一体の竜が暴威の威風をまとっていた。


 東洋の長大な体を持つ竜ではなく、西洋のドラゴンに近い成り形。全高で三メートルを超え、広げられた巨大な翼は宙に浮かぶ天蓋のようだ。人のように二足歩行を行う形状の、竜人ないしは人竜ともいうべき威容を見せつける。


 ファンタジー世界における最強の代名詞。


 この世界でのドラゴンはヒエラルキーの頂点に君臨する、間違いなく最強種である。魔法力、生命力、闘争能力のいずれも最上位に位置し、強靭な四肢、鋭い爪牙、巨大な翼、堅牢無比な鱗に覆われている。竜種固有の魔法を持つとされるが、最大の武器はブレスで、過去に竜種と軍が戦った際には、ブレスの一撃で巨大な防御結界ごと要塞を吹き飛ばした。


 他を圧倒する強大な力から、これを打倒することができたものは例外なく英雄として歴史に名を残し、過去においては二人の人間が竜殺しとして教会から認定されている。


 雲の隙間から差し込む陽光を受けて輝く鱗は不可侵の防御を否応なく想起させ、太く鋭い爪牙は間違いなくこの世界に来てからの最大の暴力。赫怒に塗れた両目、氾濫する魔力には視認できそうなほどに強い怒りと憎しみが込められている。


「こ、れは」


 あまりの変貌に宗兵衛も驚愕する他ない。百聞は一見にしかず、とはよく言ったものだ。確かに洞窟で初めて進化を目の当たりにした際、『導き手』からは《十分な魔力があれば竜種にもなれる》可能性を指摘されてはいたが、見ると聞くとでは衝撃の大きさがまるで違う。


 衝撃の大きさはそのまま疑問の大きさへ形を変える。進化と銘打ってはいるが、あれを進化とは言わないだろう。洞窟での鬼への変化はまだ進化の枠内に収まっているように考えられても、ゴブリンから竜への変化は進化なんて言葉で片付けられるものではない。


「リディル、解析の結果は出ましたか?」

《まだ不十分ですが、これまでの情報と併せて、ある仮説があります》


 混沌の海。


 あらゆる存在の起源、原初の混沌や大洋。神話によっては創造神を生み出した原初の丘のことを指すそれこそが、リディルの出した答えであり、常盤平一騎の『進化』とは、この混沌の海にアクセスして自らを作る能力だという。


『それは『進化』とは違いますねー。混沌から生まれた生き物が進化していくというのならまだわかりますけどー』

《進化の系統樹をどこまでも遡っていった最初の出発点が混沌の海にまで届くというのなら、進化の枠内に落とし込むことも可能かと》

「進化とか創造とか系統樹とか格好いい言葉を並べる必要はありません。混沌の海の水を掬っているというのなら、盗水行為と言い表すべきです!」

『《と》』


 ラビニアとリディルは絶句する。ヒエラルキーで最下層のゴブリンを、生態系の頂点に君臨する竜種にすらさせる規格外の能力を、よもや執行猶予の固い犯罪と同列扱いにするとは。


『グオオオオォォォオオオッ!』


 竜の咆哮が空気をうねらせ、波濤となって驚愕も戸惑いも押し流す。魔物たちも兵士たちも、宗兵衛すらも言葉を失う中、




「ははははははっ!」


 哄笑を上げる唯一人の人物がいた。市川瑛士だ。市川の『炎の剣』は猛々しく炎を噴き、この状況にあっても旺盛な戦意を示す。力なく槍の宝装を持ったままの金山が呆然と問いかける。


「い、市川……? どうし」

「どうしたもこうしたもあるか! ドラゴンだぞ! ファンタジーの定番だ。英雄になるための格好の道具が、自分からのこのこ目の前に現れたんだ!」


 市川の声が高揚しているのは、これまでの鬱屈した気持ちの反動だ。常盤平天馬と比較され劣っているとされたことも不愉快だった。戦闘に参加しても、弱い魔物や背教者連中をどれだけ殺しても大きな評価にはならない。


 小さな評価をコツコツと積み上げていくというのならともかく、勇者として、この世界で唯一無二の英雄となることが――それも短時間に且つ容易く、を目論む――当然だと考える市川にとっては、これまでのことは本意からは程遠いものだった。


 天馬たちは既に、魔物討伐でもいくつか目立った功績を上げている。このままでは自分が得るはずの英雄としての名声を奪われてしまうではないか。一発逆転の、己の力を満天下に知らしめる明らかな手柄が必要だ。


「ドラゴンを殺せば! このおれが竜殺しの称号を得るんだ! 常盤平天馬もまだ持っていない、英雄であることを示す称号を!」


 高々と『炎の剣』を掲げる。市川は別にエリートというわけではないが、それはあくまでも日本にいたときのことだ。この世界に来て以降は、勇者として、多くの称賛を受ける立場になった。高名な騎士を上回る魔力を有し、強力な武器である宝装までも手にしたことは、間違いなく彼を勝ち組と呼ばれる場所へと押し上げたのだ。


 他から与えられた力によって、なんらの努力をすることなく高い地位を得たことで、市川は「自分はそれだけの価値がある人間だ」と思い込んでいた。己は選ばれし勇者だとの強烈な自負、否、思い上がりこそが今の市川瑛士という人間を形作る最大の要素なのである。


「おれは勇者だ! 大神に選ばれた、教皇猊下も嘱望される勇者だ! 常盤平なんかじゃない。おれが、おれこそが真の勇者! あのドラゴンを打ち倒し、市川瑛士の名をこの世界に燦然たる英雄として刻み付ける!」


 市川の声は高揚し、全身は喜びに打ち震えている。戦意の漲る両目には既に、竜殺しの栄光しか見えていない。


「いいのか市川? あいつはたしか、元は俺たちと同じ」


 戦斧を肩に背負った渋谷が控えめに声をかける。対する市川の返答は自信に溢れていた。


「その通りだ、渋谷。だからこそやり遂げねばならない。元同級生だからと、ここでおれたちが引いてしまったら、あのドラゴンは人々に大きな被害を与えるだろう。それはそのまま教会や国にダメージを与える。日々を過ごす善良な市民や教会信者が被害を受けると、人々は不安の只中に突き落とされ、世界は荒れに荒れる。正義のためにもやらなければならない」


 同じ世界の、同級生を殺すことを躊躇ってはダメだ、と市川は言い切る。地位や名誉、金や女への欲望も強い市川は、視野の狭い正義感も有していた。


 功名心から出た言葉であることは確かだが、同時に勇者としての正義の信念も混じっている。真正聖教会の教育により練り上げられた正義だが。教会関係者にせよ王国官僚にせよ、市川のような狭い正義感の持ち主を操るのは容易いことだろう。


「来い、ドラゴン! このおれが! すぐに殺してやるっ!」


 半分以上が妄想に浸っている市川の自分勝手な言葉など、荒れ狂う魔力の渦にかき消されて届くわけがないが、それでも上空のドラゴンの眼光はギラリと輝く。宗兵衛なら「背骨に氷の杭を打たれたような」と評するだろうところ、勇者たち、特に市川にとっては宝石のような輝きにしか見えなかった。


「見てろ、常盤平っ。おれが英雄だ! お前なんかじゃない、おれこそがこの世界の英雄なんだ!」


 成功を前提とした、成功することしか考えつかない、失敗など想像することもできない人間の言葉。頭の中で自分に都合のいい未来を作り上げ、現実もその通りになると信じて疑わない。努力によらず地位と名誉と称賛と成功を手にしたが故の、真っ直ぐに腐りきった考えだ。


 急降下してくるドラゴン。迎え撃つ市川の『炎の剣』は一層、大きく炎を吹き上げる。


 市川は教会を通じて多くのことを学び、学んだだけで終わっていた。多くの勇者が召喚された歴史を知ってはいても、竜殺しの英雄が二人しかいないことに考え至らない。自分だけは特別だという他人からの言葉を鵜呑みにし、妄想すらが糖尿病に罹っている。


 己が行いのすべては正義であり、正義の一切は教会の権威によって裏付けされ、すなわち、これまでの蛮行もこれからの愚行も、本人だけは崇高な使命を成す偉業であると、悉くが唯一無二の正義であると確信していた。


「おれのすべては正しい! 魔物を殺しまくろうが、人間を焼き殺そうが、おれは絶対に正義だ! 正義は勝つ! 勝ったものだけが歴史を作る! だから死ね! おれのために死ね! 元人間んんんっっっ!」


 裂帛の気合と共に斬り上げられた炎の斬撃。咆哮と共に突き落とされた竜の拳。両者は激突し、刹那すら拮抗することなく炎の斬撃は砕け散った。


 市川が見たのはなんだったのか。濃密な死の気配を纏う巨大な拳だったのか、英雄としてのバラ色の未来だったのか。どちらにしろ、『炎の剣』は砕け、市川自身も拳に潰されて跡形も残らなかった。


 竜の拳の一撃で地面は大きく鳴動し、振動で動けなくなったのか、人間たちは固まったままだ。


 そして――――一方的な虐殺が始まり、一瞬で終わる。


 勇者たちの持つ宝装は持ち主の命を守ることもなく、竜の攻撃を受けて断末魔の悲鳴と共に砕けて消えた。兵士たちも紙切れのように吹き飛び、無残な屍を大地に晒す。


『オオオォォォオオォッ!』


 竜の咆哮が生きるものたちの全身を叩き、巨大な翼を広げる。竜は一気に上昇し、空気の壁をぶち破って飛び去った。




 驚いたのは宗兵衛だ。宗兵衛の予想とは違う事態になっている。洞窟で人狼の古木を倒した場面を目撃していた宗兵衛は、あのときと同じになるだろうと考えていた。古木を倒してから時間を経ずにゴブリンに戻ったように、今回も勇者たちとの戦闘が終わり次第、ゴブリンに戻ると予想していたのだ。ゴブリンに戻り、意識を失っている常盤平を背負うことまで考えていたのに、甘い予想は竜となった常盤平の羽ばたき一つで跡形もない。


「あのバカはどこに向かったのかわかりますか、リディル?」

《砦に向かったものと思われます》

「砦!?」


 これは宗兵衛の予想外と予想内が混じり合った行動である。決定した報復の範囲についてだが、あくまでも主目的は教会だ。ただし各村に点在する小さな教会やその出先機関を叩いても報復にはなりにくい。勇者にしろ断罪者にしろ、ある程度以上の規模がなければ管理などできないだろう。


 当然、集落を襲った相手への報復である以上、対象は勇者らを管理する能力を持っている機関、今回の場合では、地域の教会勢力をまとめている砦内の教会になる。


 この意味では常盤平の行動は予想内で、予想外なのは採った行動だ。現有戦力を考えると、砦を攻めるのは遠回しな自殺と同じでしかない。夜陰に乗じて、戦闘力の高い一部のものだけで奇襲を仕掛ける、くらいしかできないだろうと考えていたのである。まさか正面から砦を攻めることになるとは。


『これって困った事態ですよねー』


 宗兵衛の頭の上でラビニアが指摘する。


「なにが困るのですか?」

『砦にはアーニャがいるんじゃないですかー?』


 単独で戦場の趨勢をも決めてしまう『五剣』の一人だ。いかに教会最高戦力の『五剣』といえど竜種よりも強いとは考えにくい宗兵衛だが、ラビニアの返答は無情だった。十分な経験を持つ成竜ならともかく、精霊契約もしていない竜が勝てる相手ではないというのだ。


 精霊契約とは竜が成竜へとなる際の儀式のようなもので、火の精霊と契約すれば火竜に、水の精霊と契約すれば水竜になるらしい。闇の精霊と契約すれば暗黒竜であり、中二病がようやく寛解状態にある常盤平なら飛びつく可能性は高そうだった。


「常盤平の場合はエストさんと契約できそうなものですけど」

《火と土の大精霊であるエストと契約した場合、常盤平の戦闘力は稀に見る水準となりますが》

『今は別に契約していませんからねー』


 そもそも竜になれるなど予想もしていなかっただろうから、精霊契約なんて言葉も知らないに違いない。


「なんであれ見捨てるわけにもいきません。すぐに追います……がその前に」


 宗兵衛は骨杖を作り出し、地面に突き立てた。同じ行動をもう四回繰り返す。上から見ると、骨杖が五角形のそれぞれの頂点にあることがわかる。リディルのサポートを得た宗兵衛が術を発動させると、発生した薄い白色の霧が村全体を瞬く間に覆いつくした。徐々に徐々に霧は濃さを増していく


『ギギ、これは?』『ソウベエ様?』『なにかの魔法?』


 ざわめく魔物たちには「この村を守るように」との命令を出す宗兵衛。人間の村、それも死に絶えた村を守れとの命令に魔物たちは戸惑いながらも従う。上下関係の絶対さが魔物のいいところだと思いつつ、ゴブリンたちだけでは不安もあるので、二十体のスケルトンを作り出しておく。


「ではリディル」

《了承。骨体の形状変化を行います》


 噴き出した魔力に大気が弾ける。異音を発して宗兵衛の骨体の形状が変化を始め、目の当たりにした魔物たちは言葉を失った。目を輝かせているのはラビニアだ。変化を成した宗兵衛は、白い霧に骨体を紛れさせながら身を低くする。


「ここは任せますよ。この霧の中ではスケルトンの能力も向上しますから、多少の敵が来ても大丈夫でしょう」


 言い残して、宗兵衛は飛び去った竜を追って駆け出した。


       ◇         ◇          ◇

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