第三章:二十話 正義の火
本年もよろしくお願いいたします。
追い出される形になった市川の口元には、相変わらずの笑顔が張り付いたままだ。別に当人には積極的に他者を馬鹿にしようとの意識はない。考えや感情がなんのフィルターもかけずにダダ漏れになっているだけである。
学校にいるときなら、周囲からの視線や反応を過剰に気にして、どんな場面でも取り繕っただけの笑顔や態度を採ることができていた。勇者としての力を手に入れて以降も、常盤平天馬のような相手に対しては、無意識に愛想笑いを浮かべたり、卑屈な態度になったりしていたものだ。相手が女子ともなると、不必要な緊張に襲われてもいる。
それがどうしてこれほどに落ち着いたあるいは堂々としたまたは勘違いした例えばバカ丸出しな言行に終始できるのか。
単純極まりない理由によって、市川瑛士の精神が異常に高揚していたからだ。訓練ではない。市川瑛士は勇者の力を振るい、他の命を奪うという現実を手に入れていたのである。訓練などでは、魔物などでは得ることのない確かな実感を。
与えられた宝装の力を存分に振るう機会に恵まれ、機会を見事に生かすことに成功したことで、市川瑛士は生涯でもっとも充実した時間と達成感を得たのだ。思い出す度、反芻する度、脳内麻薬が過剰に分泌され、市川の全身を得も言われぬ多幸感が覆いつくす。
その村は小さな村だった。近隣でももっとも小さく、交通網からも外れており、これといった産業もない。市川の知識だと、そのうち過疎化とやらで廃村になるのが確定しているような村だ。
本来なら訪れることもなければうわさを聞くこともない小村に、市川を含む五人もの勇者が足を踏み入れたのには、しなければならない役割を与えられたからだった。このあたりの地方の治安を任されている砦の主ボルドワンからの要請である。厳密には、藤山まゆの届けた報告に基づいてボルドワンが要請を出したのだ。
内容は、少なくとも日本にいたときの市川たちなら絶対に引き受けることのない、苛烈なもの。
「村人ども! 集まれぇえいっ!」
市川らに率いられた軍から、一人の騎兵が進み出て声を張り上げる。小さな村には似つかわしくない兵士らの出現で、村人たちの多くが既に屋外に出ていたが、兵士の声によって屋内に引っ込んでいた村人たちも足取り重く出てくる。
「砦の兵士様たちがこのような村になんの用でしょうか」
出てきた村人たちを代表するように、青年が歩み出る。この青年が村長であることを市川らは知らず、また興味もなかった。
「そこから先はおれが話そうか」
堂々、に見えなくもない歩き方で市川たち五人も歩み出る。五人の手にはそれぞれの宝装が握られ、周囲の兵たちが冷や汗を流すほどの魔力を立ち昇らせている。この五人は市川自身が提唱して作った、勇者五剣を自称するパーティだ。宝装は槍を扱う金山健司、戦斧の渋谷純大、手甲の松尾一彦、長剣の林哲平からなり、市川が常盤平天馬への対抗意識から結成し、だが女子がいないことに内心で落胆したチームだ。
市川が宝装の炎の切っ先を村人たちに向ける。
「この村は魔によって汚染されている。よって、今からおれたち勇者の手で浄化する!」
一方的な宣誓に集められた村人たち全員から疑問がざわめきとなって湧き出る。魔による汚染とはなんのことだ。浄化とはどういうことだ。勇者とはどういうことだ。
「隠しても誤魔化しても無駄だ。この村に住むクレアとかいう女が魔の森の中で魔族たちと交流を持ったことはわかっている。そして、そんな女を受け入れた以上、この村そのものが穢れている!」
ざわめきだけだったものが、衝撃へと姿を変える。神への、教会への背信。市川の決めつけに打たれた青年の四肢は、急速に力を失い、その場にへたり込んでしまう。
「お、お待ち下さい、勇者様! 確かにクレアは先日魔の森から帰っては来ましたが、それだけでございます。決して魔族と通じているなど……っ! な、なにかの間違いではございませんでしょうか!?」
「間違い、だと?」
「さようでございます。クレアが戻ってきたときにはアスラン様も同行されておりました。アスラン様に事情を」
市川の目が細まる。細められた目の奥には、我が意を得たり、とばかりの輝きがあった。
「ふざけるな! この情報はおれと同じ勇者がもたらしたものであり、報告をしてきたのがそのアスラン助祭だ。勇者の言葉を否定するつもりか。ひいては勇者を選定した教会の言葉を否定するつもりか。否定は侮辱。勇者である我らへの侮辱は、偉大なる教皇猊下と神を侮辱するのと同じこと! この、大逆の罪人どもめが!」
「ひぃっ」
「こちらの証言によるとクレアとはまだ幼い少女なのだろう。そんな少女が魔の森に入って無事でいられるなど、納得できる理由があるんだろうな」
あるわけがない、と市川にはわかり切っている。正しくは「意味がない」とわかり切っている。無関係であることを証明すること自体が難しい上に、仮に、魔族とは無関係であることを証明できたとしても、こちら側に取り上げるつもりがないからだ。加えて、
「魔族とかかわりがあるのは、そのクレアだけじゃねえだろ。薄汚い魔族にとって教会は強すぎる光だ。末端に過ぎないとはいえ信者であるお前らを魔族が見過ごすはずがない。つまり! クレアという女が魔の森に入って無事だったのは、貴様らが村ぐるみで魔族と取引をしているからだろうが!」
青年のみならず村人たちの顔から一斉に血の気が引いていく。小さな村だからこそ教会の影響力は強い。年中のささやかな祭りや行事ごとも、教義や伝承に則っている。
「そそ、そんなことはありません!」
「魔族と取引などとっ」
「なにかの誤解です!」
村人たちは必死だった。掛けられた疑いを振り払おうと、手と口を最大限に駆使している。その必死さがまた哀れに見えて、市川は笑いをこらえるのに多大な努力を強いられた。
「黙れ! 神への信仰を捨て退転したからこそ、お前たちはこんな辺鄙な場所でも生きてられんだろうが。こんな場所でも生きていられることこそが、貴様らが神を裏切った証拠に他ならない!」
市川の『炎の剣』から魔力が溢れ、灼熱の炎が踊りだす。
「しかし神は慈悲深い。偉大なる神と、我らが教会はお前たちを許そう。お前たちがその命でもって神への裏切りを謝罪するのなら、お前らの罪も許される!」
市川は嗜虐的な笑みを浮かべて、『炎の剣』を右から左へと振るった。市川が生んだ炎は瞬く間に巨大なうねりとなって村を飲み込む。
村人たちに生まれた疑問が声帯を通じて出てくるより早く、疑問に答えが返されるよりももちろん早く、逃げ惑う男を、頭を地面にこすりつけて命乞いする女も、赤ん坊を抱いたままの母親も、農具を持ったままの父親も、足が弱ってへたり込んでいる老人も、泣き叫ぶばかりの子供も、誰一人分け隔てなく平等に。
「――――……っああぁ」
存分に力を振るい、浄化を成したことによる達成感は心地よい高揚感を生み出し、高揚はある種の万能感へと変質する。正に勇者に相応しい力であり、勇者の力によって地上に正義がもたらされたのだと信じている。
「機嫌がいいな、市川」
「金山か。そりゃ機嫌もよくなるってもんだ。これだけの力を手に入れて、力を生かせる場まである。まるでおれのためにあるような世界じゃないか。見てろよ、金山。おれは必ずこの世界の英雄になる。英雄になって女も金も手に入れて、いずれはおれがこの世界の王になってやる」
市川の傲慢なセリフに、金山は宝装の槍を軽く振り回して答えた。
「お前の力なら十分になれるだろうけど、そうなったときは俺のことを忘れないでくれよ」
「わかっているさ。今回にしたって、お前の意見があったからこそだ。手柄を独り占めする気はねえよ」
本音では、市川は王都を離れるつもりはなかった。王都、正確には王女たちから離れてしまうと、その隙に常盤平天馬が王女たちと親密になってしまうのではないかとの危機感があったためだ。目先の欲望に従順な市川に、手柄の重要性を説いたのがこの金山だった。
勇者五剣という恥ずかしい名前のチームで副長を務めることになった金山は、「むしろ最前線で手柄を立てるほうが女たちからの評判が上がるんじゃないか」と話を持ち込んだのである。
王都の城の中に籠っているよりも、勇者として結果を出し続けることは教会からの覚えもよくなるとも言った。召喚以降、教会の権威権力が各国を凌ぐことを知り、また勇者としての力を思う存分奮いたいとも考えていた市川は、金山の提案に乗って、この地に来たのであった。
「俺自身は英雄になることはもう諦めた。全力でフォローするから、頼むぜ?」
「ああ、任せておけ。絶対に損はさせねえよ」
今の市川瑛士は、少なくとも自分が想像する範囲での理想通りの勇者であり、逃げ帰ってきた藤山まゆなど評価するにも値しない相手でしかなかった。まゆに向ける憐れみと同情から、王女たち同様に自分がこれから作るハーレムに入れてやろうかと考え、顔に傷のある女などは御免だと考え直す。
勇者エイジはこれから先もこの世界で手柄を上げ続け、比類なき英雄へとなるのだ。その自分の寵愛を受けることのできる女も厳しく選抜されてしかるべきだ、と本気で考えていた。
「いよいよだ。いよいよおれの時代が来る。待ちわびた時代……ぷ、く、くく、もうすぐ……もうすぐだ!」
「勇者様!」
甘美な妄想を邪魔され、市川の表情は露骨に不機嫌なものになる。声をかけてきた相手が砦に詰める騎士団の副長でなければ、声も態度も不機嫌なものになっていたに違いない。
「これは副長さん。どうしたんだ?」
加えてこの副長は身内に爵位持ちの貴族がいるらしいので、市川としても態度や言葉遣いに不機嫌さを滲ませるわけにもいかない。ただしあくまでも勇者である自分のほうが立場は上であると強く自覚しているので、相手が年長者だろうとなんだろうと敬語になったりはしない。
「斥候からの報告です。どうやら魔の森に不穏な空気が漂っているようで」
「ほう?」
報告を聞いたとき、市川の脳裏に悪魔めいた閃きが生じた。
金山は市川瑛士ほどには楽天的になれない。勇者として遇されようと、不安は尽きぬ泉の水のように湧いてくる。元々、過剰に心配する気があった金山は、この世界に来て以降、気質に拍車がかかっていた。
不安を払しょくするために教会に帰依したが、不安は消えず、むしろ日増しに不安が大きくなってくる。市川の提唱する勇者五剣に参加したのも、誰かと一緒に行動したほうが不安を和らげるのではないかと思ったからだ。
自信に溢れる市川を見て、金山は視線を落とす。金山の左掌には、奇妙な模様が描かれていた。アスラン助祭やアーニャがいたなら、その模様が危険リストの上位にあるペリアルドという魔物のものだと看破しただろうが、残念なことにこの場には教会関係者はいない。
金山は確かな救いがあると信じて左手を握り込み、握った左手を救いを求めるように額に押し付けた。今となっては、掌の模様は金山を支える力だ。勇者として力を付けようと、教会の教えを信じようと、一向に心の晴れなかった金山は王都から逃げ出すことも考えていた。逃げ出してもどこにも行く当てがないので実行しなかっただけである。
当てがあったとしても、生活水準で王都よりも下がる場所には行けなかったに違いない。少なくとも王都にいれば、王族や貴族しか口にできないような美食に与ることができ、高級ホテルのような部屋で生活を送ることができ、女にも不自由することがない。欲望を十分に満たしてくれる環境から離れるだけの勇気を、金山は持ち合わせてはいなかった。
それでいて不安を嘆くことを許される楽な身分の勇者の前に、新たな出会いがあった。魔王を名乗るペリアルドを最初こそ警戒した金山だったが、元々この世界の人間ではないのだから魔王の脅威への認識は薄い。加えて魔王ペリアルドから「異世界から呼び出された被害者と争うつもりはない」「協力してくれたら元の世界に戻せる」と囁かれ、手を組むことを決めたのだ。
今回、この村に来たのもペリアルドからの指示である。村そのものに用があるのではなく、村の近くに広がる魔の森のことを探るように頼まれたのだ。金山たちと時を同じくしてこの世界に召喚された、「魔族の勇者」の情報を求めて。
魔物に作り変えられていると聞き、同級生の身に降りかかった不幸に多少ばかり心を傷めながら、状況が許せば、その同級生を捕まえてペリアルドに引き渡す話を引き受けた。
村の近くに広がる魔の森は暗く、金山でなくとも不安を掻き立てられる。一刻も早く元の世界に戻りたい。宝装を握る勇者の頭の中にあるのは、帰還のことばかりだった。




