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第三章:十八話 戦いへ

 アーニャの行動は極めて迅速だった。顔を傷つけられて我を失っているまゆのみぞおちに軽い一撃を入れて意識を刈り取り、転送石を用いてさっさと撤退する。転送石の起動を確認した断罪者らも即座に動き、一分もしないうちに連中は集落から姿を消したのであった。


 惨状が一騎の視界を埋め尽くす。


 村のほとんどすべてが焼け落ちていて、今も尚、黒い煙を吐き出している。地面も戦いの余波で粉々になっている。下手なりに整地をして、少しずつだが形になり始めていた村は、跡形もない。


 村の名物にしようと立ち上げたロースト屋も、土産物屋も無残に壊されている。村のあちこちと村へと続く森の中には、地面に倒れたまま動かなくなっている部下たちが何体も確認できる。争った跡ではなく、殺されただけというのがよくわかる。断罪者はわざわざこんな森の奥にまで送り込まれてきた連中だ。ゴブリンたちのような雑魚魔物の敵うような相手ではないというのに、無謀にも立ち向かった結果だ。


 出ていた避難合図を無視した行動、と責めることはできない。危険を知らせる合図が発令した時点で、人間たちが一騎に何らかの危害を加えたことは確定なのだ。ストラスやグールとの戦いを経てようやくたどり着いた住処を守るためと、主と定めた一騎に害意を向けた以上、戦いに意識が傾くことも止むを得ない。


 命令には絶対に従うようにと徹底しておかなかった一騎の責任でもある。


 一騎自身も学校の避難訓練などで、荷物を置いておくようになどと教師から言われても、イベントを楽しむ気分で周囲とふざけ合いながら荷物を背負って校庭に集まっていたような生徒だ。内政無双計画書なんてものを書き出して、書き出しただけである種の達成感や高揚感を得ていたのだ。


 いざの際、危急に直面しての行動計画を立案するまでは思い浮かべても、徹底させることまでは思いもつかなかった。思いついたとしてもどうすれば徹底させることができるかなど想像もつかない。結果がこの様だ。


 一騎は力なく両膝から崩れ落ちた。


 意図せず総動員された表情筋が一騎の顔を歪める。緩慢な動きで変わり果てた村を見回し、首と胴がわかたれた死体を見つけた。


 幹部に抜擢し、剣士隊の隊長を任命したゴブ助だ。高台の上から見たときには元気に剣を振って訓練に勤しんでいたゴブ助も、今となっては止めどなく流れる自分の血の池に身を浮かべるだけだった。


 同時にゴブ吉のことも思い出す。肩からバッサリと斬られていた。生死を確認したわけではないが、あのダメージで生きているとはとても思えない。


 真正聖教会は信用できないとのエストの主張にもっと耳を傾けるべきだったか、似たことを指摘していた宗兵衛の言葉にも。後悔の念が一騎の心を押し潰し、問答無用で視界に飛び込んでくる景色が一騎の心を燃え上がらせる。


『ギギ、イッキ様!』


 長老ゴブリン、ブリングの声が森の奥から届く。続いて何体ものゴブリンが出てきた。こちらは命令に従い速やかな避難を優先したようで、ケガ人はいても重症者はいない。全滅ではないことに一騎は心から安堵した。


「無事だったのか、お前ら」

『ギ、イッキ様のご命令がありましたから、避難できるものはなにをさしおいても、と。それに彼らにも助けていただきまして』

「彼ら?」


 ブリングに促されて、森の闇に隠れていた集団が姿を現す。二足歩行の、人の形に似た植物の魔物、マンドラゴラの集団だ。一騎の知識の中では引き抜いたときに絶叫を放って相手を殺す、魔法や錬金術の触媒として価値が高い、といったファンタジー定番の植物である。この世界では魔物の一種として動くこともできる上に、人語を解し、土系統の魔法まで使えるらしい。


 ゴブリンを助けたマンドラゴラの総数は三十体ばかり。ただしほぼ全員になんらかの負傷が見られる。事情がさっぱり呑み込めず動きを止めてしまった一騎に代わって、宗兵衛が前に出た。


「初めまして。僕はこの集落の代表の一人で宗兵衛といいます。皆さんはマンドラゴラということですが、うちの村のものたちを助けていただき、ありがとうございます」


 マンドラゴラの代表と思しき女性型の個体が宗兵衛に向けて頭を下げる。


『いや、一方的に助けたわけではない。こちらも数日前にあの人間たちに攻撃を受けたのだ。ただでさえ弱っていた群れは更に傷つき、森の中を彷徨っていたところだった』


 本来なら弱った魔物など、この魔の森の中では格好の獲物でしかない。群れ単位で弱っているのなら、大規模な戦果を手に入れる絶好機だ。あの場面で戦いになっていれば、相手がゴブリンであっても無事では済まなかったろう。戦いを避けることができたのは、こちらの頭が不用意な戦闘を戒めていたからだ、とマンドラゴラの代表は返す。


「そうなのか。あの人間たちは他にも」


 討伐命令や依頼では、倒した魔物の一部を証拠として持ち帰る。だが断罪者たちはそうはしなかった。殺しの技術や勘を錆びさせないための調整といった感じで、連中は森の魔物たちを殺して回っていたのである。


「常盤平、まずは犠牲者を弔うところからでしょう」

「ああ、ハーピーとゴブリンたちは森の中を頼む。ケガをしたものたちは教会で治療を。マンドラゴラたちにも治療は提供してやるように。エスト、構わないか?」

「もちろんよ、イッキ」

『感謝する』


 再び頭を下げるマンドラゴラの群れのもとに、教会の中から走り出てきた小さな影が走り寄る。エストがブラウニー時代から保護していた子ウルフだ。小さな体躯同様に小さな尻尾を千切れんばかりに振り回し、全身で喜びを表現しながら、わざわざ一騎の足を丁寧に踏んでからマンドラゴラたちにまとわりついている。


「いでぇ! こ、こいつっ、おい宗兵衛、もしかしてこれは」

「新しい仲間、扱いしているわけではなさそうですね」

「どういうことだ?」

『このウルフの子供……恐らくは』


 マンドラゴラの代表によると、マンドラゴラたちはギルマンが管理することになった泉の近くに生息していたようで、最近、ウルフとの接触があったとのことだ。子ウルフはその匂いに興奮しているのだろうか。子ウルフの喜びっぷりは振り回される尻尾にも攻撃力が発生しそうなほどで、その小さな尻尾の一撃は少なくとも、重苦しい集落の空気の一部を弾き飛ばすことはできていた。


 子ウルフの喜びようは貴重な癒しになったが、癒しがすべての傷と過ちを覆い隠してくれるわけではない。村の広場には十体以上に及ぶゴブリンの死体が並べられた。森の中から探し出されたゴブ吉の死体もだ。特にゴブ吉は道案内をしてくれたり、積極的に忠誠を誓ったりと、一騎としても頼りにしていた面があり、自分のミスで失ったことは痛恨事となって一騎を苛む。


「……っ」


 並べられた死体を前に、謝ることもできず拳を握りしめる一騎。胸中に渦巻くのは隠しようもない怒りだ。その感情は他の魔物たちも同じであり、ゴブリンもハーピーも、周囲の魔物たちは怒りの言葉を吐き出す。


『ギ、あいつら、よくも仲間たちを』『許さねえぞ、人間めっ』『一番許せないのはあの女だ!』『イッキ様たちにあれだけよくしてもらっておきながら裏切りやがって』『絶対に後悔させてやる』


 ゴブリンやギルマン、ハーピーたちの口から出てくるのは、仲間を殺されたことと、一騎を裏切ったことに対する怒りである。このことに一騎は驚く。仲間を殺されたことへの怒りはともかく、自分を裏切った程度のことがそこまで怒りを強める理由になるとは思わなかったのだ。


 一騎は転生者とはいえ元人間だ。仲間たちを殺した藤山まゆと同じ人間である。立場にしても最近になって長になったばかりの、関係性は浅く細いものだとばかり思っていた。ゴブリンたちの思惑は、転生者の傘下に入ることで自分たちの身の安全を図ることが主目的だと捉えていた。それがまさか、ここまで怒りを露わにするとは。


『そのへん、魔物は純粋ではありますからねー』


 戸惑う一騎に言葉を投げかけたのは、相変わらず宗兵衛の頭の上にいるラビニアだ。単独で活動する魔物はともかくとして、群れを作るタイプの魔物は、一度リーダーを決めると余程のことがない限り裏切ることはないのだという。特にゴブリンのような雑魚は、力が弱い分、リーダーと仰いだ相手に強い信頼を寄せるのだ。


 魔物たちが動かなくなった同胞を目の当たりにして冷静さをすっかり失っている中、一騎はヨロヨロとゴブ吉の遺体に近付き、力を失った右手を握る。もう動くことのない、体温も感じられないゴブ吉の手を一騎は強く握りしめた。


「俺の……せいだ。俺が油断、したからっ、相手が、知ってる奴だ……からってだけで油断しったから……、お前らをっ、失ってしまった」


 一騎の声はかすれ、強い後悔が滲んでいる。震える一騎の背に話しかけたのは長老ブリングだ。


『ギ、イッキ様、ご自分を責めるのはおやめ下さい』

「ブリング……」

『我々はイッキ様について行くと決めたのです。決めたそのときから我らの命はイッキ様のものでございます。ゴブ吉も考えは同様、故にこそイッキ様のために戦い死んだ倅めには謝るのではなく褒めてやっていただきたく存じます』


 褒めろというのか。一騎の心は乱れる。僅かの反応も返さなくなったゴブ吉に、自分の油断のせいで落命した仲間たちに、後悔よりも謝罪よりも、報いるためにこそ褒めろというのか。


『ギギ! イッキ様! ソウベエ様! あれを!』


 見張りゴブリンが急に森の奥に指を向ける。節くれだったゴブリンの指先、ハーピーの姿が確認できた。翼は折れ、飛ぶこともできず、傷つき、出血が目立ち、まるで溺れているかのように必死で村に向かってきている。


「すぐに保護しなさい!」

『はい!』


 宗兵衛の命令に従って数体のハーピーが傷ついたハーピーを迎える。深刻なダメージを負っていて、複数の裂傷を負い、腹には矢が刺さり、右の翼は千切れ、左の翼は折れている。よくこれでここまで歩いてこられたものだと思うほどの重傷だ。このハーピーはクレアの護衛にとつけた個体で、どれだけ鈍くとも事態を察することはできた。


『……づ、イッ、キ様……申し、わ、ぁりません。教会のっ、待ち、伏せでっす。クレ、アはわかりませ……んがっ、護衛に、いていたっ、他のゴ……リンは、殺され、私……っだけが』


 そこまで言ってハーピーも息絶えた。群れのハーピーたちは仲間の死を悲しみ、人間たちへの怒りを露わにするものの、やはり一騎を責めようとはしない。


「……」


 沈黙する一騎の前には、依然として二つの選択肢が門となってそびえている。人として、あるいは魔物として。不公平な選択だ。どちらを選んでも取り返しはつかず、しかも制限時間はすぐそこに迫っていて熟考することもできない。都合よく第三の選択などが浮かび上がってくることもない。


「常盤平」

「わかっている。俺はっ!」


 一騎は骨刀を高々と掲げる。ゴブリンも、ハーピーも、ギルマンも、魔物たちの視線と意識のすべてが一騎に集中した。


 時間にして一瞬の半分ばかり、一騎は目を閉じる。


 脳内のイメージで骨刀を振り下ろす。叩っ斬ったのは二つあった扉の内の片方、人間の扉だ。イメージの中で人間の扉が音を立てて崩れ落ち、後に残るのは魔物の側の扉のみ。


「全員に伝える! 武器を取れ!」


 断固とした決意の感じ取れる一騎に、魔物たちも気勢を上げて応じた。これは一騎の責任でもある。内政無双や成り上がりを目論んだにしろ、ゴブリンたちを部下に持つと決めたものとしての。


「ちょっと待ちなさい、クソ馬鹿野郎」


 氷水を浴びせかけてきたのは宗兵衛だ。


「闇雲に反撃するつもりですか敵う? 報復の対象を明確にしておくべきです。まさかクレアさんやその家族まで攻撃するわけにはいかないでしょう」


 元の世界でもよくあった表現だ。戦争になっても非戦闘員への攻撃は禁じる、病院などは攻撃の対象から外す。攻撃対象とそうでないものを線引きすることは、近代に入ってから形になってきた考えだ。


 実際の適用範囲は解釈次第という曖昧なものだが、この場合は一騎にとっても重要な考えである。無差別に人間のすべてを攻撃するような事態を避け、攻撃対象を明確にすることは、自分たちの立ち位置を明確にすることと同義だ。


「つまり、報復の対象は襲撃を指示した教会とその協力者に絞るってことだな?」

「ええ。この世界の七割の人間が信仰しているようですから効果は乏しいでしょうけど、残りの三割の人間に対してのアピールに使える可能性はあります。間違っても襲撃には無関係の一般信者には手を出さないように」

『有効な一手になる可能性はありますよー。教会の強すぎる勢力を嫌がる権力者はそれなりにいますからねー』


 かつてのヨーロッパにも似た構図はあった。教会の権威と王権の対立だ。世界史に興味の薄い一騎でも、相当に血生臭いものであったことだけは記憶している。一騎は大きく息を吐き出した。吐き出した息を掻き混ぜるように頭も大きく振る。


「宗兵衛、お前って俺には厳しいこと言うくせに、自分は結構、色々と足掻くよな。人を採るか魔を採るかって選択じゃなかったのかよ。ギリギリで人間って選択も残そうとするとか」

「僕も人間と決定的に切れたいと望んでいるわけではありませんからね。切るのは容易ですけど、一旦、切ってしまうと再び結びなおすのは困難です。どれだけ細い糸だろうと、繋がっていることのほうが重要でしょう」

「了解だ。徹底させる」


 群れを作る魔物の習性なのだろう、一騎たちの示す、報復対象の範囲、について反対する魔物はいない。クレアが村で過ごした時間も関係しているに違いない。


 報復は行う。断固として行う。無抵抗平和主義は採らない。ただし報復の範囲は無差別ではない。一騎にとってこれが、ギリギリの決断であった。

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