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第三章:十七話 骨と少女

       ◇         ◇          ◇


「……洞窟では人の頭に嘔吐物を撒いて、今度は人の頭を踏み台にしてくれるとは実にいい度胸です。後で生きたまま背骨を引きずり出して、脳髄をぐちゃぐちゃにかき回してあげましょう」

《骨体の硬度と強度、形状を操作すると問題なく行えるかと》

『発想が文明人じゃなくて拷問官とかの方向ですよねー』


 物騒な拷問もとい報復方法を考えながら、宗兵衛は腰を低くしている。常盤平たちへの援護のための突入姿勢、だが決して動こうとしない。青く揺らめく視線は教会に向けられているものの、その実、宗兵衛の警戒は背後にこそ向けられている。教会に向けて森の中を走っている最中からずっとだ。


 ――――……やっぱりソウベエはいいです。


 後ろから姿を見せたのは細い杖を持つ盲目の少女、アーニャである。驚いたことに、木々をわけて現れた彼女は、足音も木を掻き分ける音も立てていない。宗兵衛はゆっくりと振り向く。


「やあ、アーニャさん。森の中を歩いてお腹が空いたのではありませんか。簡単なものでよければお作りしますが」

「……ソウベエのご飯は美味しいと評判ですから食べてみたいです」

「ちょうどエストさんが火を用意してくれていますから、すぐにできると思います」

「……食材も調理器具も全部灰になってしまいそうな熱ですよ」


 クスリ、小さく笑うアーニャ。可憐な笑顔は、教会襲撃という状況下にあっては異常性を際立たせる。笑いながらも佇まいには欠片の隙も見当たらず、宗兵衛は迂闊に動くこともできない。


「……集落の長はあのゴブリンということですが、やっぱりわたくしとしてはソウベエのほうが面白そうです。ゴブリンはわたくしが後方に迫っていることにも気付いていませんでしたから」


 宗兵衛が教会に向けて飛び出したり、無策で自分に仕掛けてきたりすれば、即座に真っ二つにするつもりだったと話すアーニャ。


 宗兵衛はアーニャの言葉の半分は本当だと判断し、もう半分は嘘だと判断した。彼女は決定的な隙をついてこなかったからだ。常盤平が宗兵衛の頭を踏みつけたとき。アーニャにその気があるのなら、あの瞬間、宗兵衛も常盤平も斬り倒されている。そうしなかった理由は


「……わたくし、男の人に手を握られたのは初めてです」


 一騎とクレアのデート(?)でエストが怒っていたときのことだ。常盤平の血の雨が降ると危惧した宗兵衛がアーニャを連れて場を離れる際、確かに宗兵衛はアーニャの手を取っていた。


 握られた側の手をそっと撫でるアーニャの顔には、関心と困惑が三対一の割合で混入されている。彼女自身にも戸惑いがあるようだ。


『これ、骨の手ですよー?』

「……それがなんであれ、です」

「個人的にはこれとかそれとか呼ばわりはやめていただきたいのですが」


 アンデッドといえば教会にとって清め祓うべき対象だ。正しい命の道から外れた忌むべき存在であり、アンデッドも自身の滅びを避けるために聖職者を避ける傾向がある。そのアンデッドが仮にも真正聖教会の人間の手をとったのだから、アーニャとしては驚くほかなかった。


「……元々、聖職者に軽々に触れることは褒められた行動ではなく、一般的には避けられる行動ですので。ましてソウベエはアンデッド。ビックリしたのは本当です。それにソウベエは武術を修めてもいるようですし、色々と興味も湧きましたから不意打ちで殺すような真似はやめておこうかと」


 アーニャの穏やかな笑みが炎に照らし出される。


「それは助かります。当方といたしましても、人間と決定的に破局を迎えたいとは思っておりません。可能な限り人間とは友好的かつ良好な関係を築きたいと願っています。このような不幸な行き違いはすぐにでも是正して、未来志向の関係構築を目指すべく話し合いの場を設けたいと考えているのですが」

「……耳障りのいい言葉を並べているのに、警戒を少しも解かないのはいいことです。わたくしから仕掛けようとは思いませんが、ケンカを売ってると判断したら買ってくれていいですよ?」

「僕は売られたケンカは横流しする主義でして」


 横流しの先は主に常盤平の予定である。最初から買い取り拒否しろ、とでも常盤平なら騒ぐに違いない。


「……やっぱりソウベエは面白い。それでは、改めて自己紹介を。真正聖教会『剣鬼』、アーニャ・アウグストです」

「『《!?》』」


 宗兵衛だけでなくラビニアとリディアにも驚愕が衝撃を与える。驚きの対象こそ違ってはいるが。宗兵衛の驚きは『剣鬼』の部分に対してだけだ。真正聖教会の抱える最高戦力、単独で戦場の趨勢すら決めるとされる『五剣』の一角であるという事実にのみ驚く。ラビニアとリディルは加えて彼女の名に驚いたのだ。


《アウグスト……代々、真正聖教会教皇を輩出する家柄の人間がなぜこんな場所に》

『確かに、当代の教皇ルージュ・アウグストには双子の妹がいるという話でしたが、一切、表舞台に出てこないからガセだと思ってたんですけどー』

「……信じてもらえないのは残念です」


 別に残念に思っていない口調のアーニャは、静かに開眼した。アーニャの左目はなにも映してはいないが、右目は金色に輝き、波紋のような紋様が浮かび上がっている。


「驚きました。すごく綺麗な目ですね。それが身の証になるものですか?」

「……綺麗、ですか。そんな風に褒められたのも初めてです。真正聖教会の人間なら畏れ敬い、そうでないなら気味悪がるのが普通なのに。ですが、ええ、これが神眼もしくは真眼と呼ばれ、一般的に教皇の証とされるものです」

《厳密にはアウグスト家の人間に発現する特徴です。全員に発現するわけではなく、一族全体のごく少数のみ、過去の例では世代に一人か、一つの時代に一人程度のみが開眼し、開眼した場合は例外なく他と隔絶した強大な魔力を持ちます。故にこそ開眼者が教皇を務めるのですが》


 歴代教皇は片目だけが開眼しているケースがほとんどで、初代教皇以外では現教皇のルージュ・アウグストだけが両目に開眼している。


 世代に一人しか出現しないと言われる開眼者は、現在になって例外が多い。教皇ルージュの実兄、『剣神』グラーフも左目に開眼しているのだ。一つの時代に開眼者が二人いることは真正聖教会の歴史上でも初めてのことであり、「今こそ真正聖教会の正義で遍く地上を満たすときだ」と聖職者や信者の鼻息は荒い。


「加えてここにアーニャさんがいるのですね。これで一つの時代に三人の開眼者がいることになるわけですが、果たして奇蹟なのか異常事態なのか」

「……落ち着いてますね。そんな反応も初めてです。まあ、開眼しているだけで見えないことには変わりないですし、開けていると目立ちますので普段は閉じているのですが」


 閉眼するアーニャ。


「それで、その開眼者がこんな辺鄙なところに来た理由をお聞かせ願いますか? 正直、満足にもてなすこともできなくて心苦しいのですが」

「……気にしないでいいですよ。それなりに楽しかったので。刀を作ってくれなかったことには落胆しましたけど。なんなら今からでも、あのゴブリンで試し斬りをしてきますよ?」

「あんな雑魚を斬るなんて『剣鬼』の名が泣きますよ。どうせならニンジンとかの食材を切るのを手伝ってくれるほうが助かります」


 世に名高い『五剣』の一角になにを切らせようとしているのか。ラビニアは少しだけ目を丸くし、アーニャは小さな肩をプルプル震わせて噴き出すのをこらえていた。


 権威において各国の王家をも凌ぐアウグスト家のアーニャは、生まれる前から真正聖教会の組織内にいると言ってよい。開眼者という事実もあって、本来なら実兄のグラーフ同様に重要な地位を占めていただろう。だがアーニャは生来、体が弱く、人生の大半を療養に費やしていた。


 数年以上のときを経て療養を終えた彼女は、療養中に体力向上のために始めた剣術にすっかり夢中になってしまい、聖職者としての修業はほとんどなにもしていないのだ。


「……ですのでわたくしの組織内での地位はかなり低いのです。双子なので顔立ちはルージュに似ていますが、わたくしがアウグスト家の人間であることを知る人間は少ないですし、『五剣』のことも秘密にしていますから、下っ端としてあちこちに出されるんです」


 アーニャの口調も纏う空気も穏やかなままだ。


「なるほど。まさかそんな秘密を打ち明けてくれるとは、僕としても嬉しい限りですよ。互いにしか知らない秘密の共有というのは、近しい間柄の証拠みたいなものでしょうし」


 対する宗兵衛の声と態度からは、隠しきれないヒビがあった。


「……なにか、悪いお友達のような気がします。関係を持ち続けてもいいのでしょうか」

「特定の関係の中だけに居続けると、視野が狭くなってしまいますよ」

「……わたくしは見えないので関係ありません」

「なんでも見えないせいにするのはよくないと思いますが?」

「……悪癖、でして」


 場に落ちているのは緊張感ではない。一触即発、即時開戦といった緊張の糸は存在せず、事情を知らないものからすると、互いに軽口の応酬をしているようにしか見えないだろう。敵意を向け合うことをせず、和気すら感じ取れる。だが少なくともアーニャは、和やかで睦まじい雰囲気のまま、容易く相手の首を落とすことのできる実力者だ。


「では僕も一つ秘密を打ち明けましょう」

「……なんですか?」

「僕は悪癖というものが大好きでして」


 一拍を置いて、小さくとも澄んだ笑い声が宗兵衛に届く。アーニャが口元に手を当てて笑っているのだ。


「……うん、やっぱりソウベエはいい」


 笑ったせいか、少しだけ紅潮した顔を誤魔化すように咳払いをして、アーニャは細い杖の先端で地面を突く。会話は終わり、だと告げたことを宗兵衛も悟った。宗兵衛は骨体の循環魔力を僅かばかりも操作せず、自然体を意識したままだ。宗兵衛の頭の上で、ラビニアが静かに戦意を高めていく。


「……一方的に殺せるならともかく、ここで戦うつもりはありません。わたくしも本来の武器とは違いますし、役目は勇者様のお守ですので。では、ソウベエ、機会があればまた」


 と同時、アーニャは宗兵衛のすぐ隣を通って歩き去り、宗兵衛はアーニャの動きを捉えることができなかった。


「……ああ、それと」

「はい?」

「近くをトロウルが数匹、うろついていましたが、そちらは斬っておきましたよ」


 トロウルの活動が活発とは聞いていた。しかし集落の周辺にまで出没する事態になっているとは。教会勢力との衝突だけでも頭が痛いのに、トロウルへの対策も同時進行しなければならないと思うと、宗兵衛は痛覚もないのに頭痛を覚えた。


「とりあえず、アーニャさんは勇者を回収するようですから一安心ですかね」


 それにしても、と宗兵衛は思う。ラビニアにしろエストにしろアーニャにしろ、女の人のほうが強すぎではないか。強い疲労感に襲われる宗兵衛だった。


       ◇         ◇          ◇

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