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第三章:十六話 逃げた先

「急げ急げ急げ急げ!」

「自分の足で走っていない分際で指図をするとはいい度胸ですね」

「苦情は後だ! 今はとにかく急いでくれ!」


 宗兵衛に背負ってもらい、一騎は森の中を急ぐ。筋力で動くゴブリンの足よりも、魔力操作で動く宗兵衛のほうが速度は上だとわかっていても、自力で進めないことが一騎に焦燥を生じさせている。


「っ、なんで、藤山が……っ」


 腹部を抑える一騎の掌の隙間からは、じんわりと血が広がっている。出血そのものは止まっており、傷も塞がりつつある。


 一騎が受ける苦痛は精神的なものだ。交流は図れていたと感じていた。良好な関係だと思い、手応えもあったと感じていたのである。藤山や教会を通じて人間たちとの交流を少しずつ広げていき、このままいけばもしかすると人間に戻ることも、元の世界に戻ることもできるかもしれないと、期待を抱いていたのだ。


 まさかこんな、どぎつい裏切りに遭うとは。


「僕も教会の断罪者とやらに襲われましたよ。状況を鑑みると、協力だとか助けるだとかは真っ赤な嘘だったのでしょうね」

「違う!」


 一騎は声を張り上げて否定した。耳元で大声を出された宗兵衛は不愉快気だ。


「違う違う違う! 絶対に違う! なにかの間違いだ!」


 宗兵衛の背中の上で頭を何度も振る一騎。ちゃんと話せば、きちんと向き合えば、などと繰り返している。まゆの裏切り、もしくは本心に向き合おうとしていないのは誰なのか、そのことにも気付いていない。


『まだ言ってるんですかー』

「バカですか君は」

「な、んだと!?」

「MMOの中でも、人間だったときにも、都合よく利用されて騙された経験はいくらでもあるでしょう。今回も騙されたのだと、さっさと認めなさい」

「ちが」


 否定しようとして一騎の声帯は動きを止める。考えを改めたのではなく、遠く、集落の方向に上がる火の手を確認したからだ。


「料理の火の不始末でしょうかね」

「! おい、宗兵衛!」

「火の不始末でないとするなら、誰かが付け火をしたということなのでしょうが……その場合、犯人は誰なのか、僕には皆目見当もつきませんね」

「っ」

「まあ、相手を信じるかどうかは君の勝手ですし、信じたければ信じ続けるのもいいでしょう。その腹の傷を見て、あの火の手を見て、まだ相手を信じるというのなら、その愚鈍さも才能の一つでしょうから。ところで、君に付いていたゴブ吉さんはどうしたのですか?」

「あい、つ、は……っ」


 一騎は言葉が続かない。続けられるはずがない。ゴブ吉は肩を深々と斬られていた。一騎が転落する直前に見た限りでは、地面に倒れ伏すゴブ吉の瞳からは生者の力強さは失せていた。


「君が人間を信じるのは勝手です。元は人間なのですから、敵対したくないという気持ちもわかります。ましてや似たような境遇の相手ともなれば尚更でしょう」


 ですが、と森に宗兵衛の無機質な声が小さく響く。内政無双を希望したのは果たして誰だったのか。集落を大きくすることを主張した声は常盤平一騎のものだったはずだ。


「相手から求められた事実があるにせよ、君は自らの考えのためにゴブリンたちを受け入れたのでしょう。ゴブリンたちの、集落の長となった以上、果たすべき役割も責任もあります。目を閉じようと、顔ごと背けようと、事実も現実も優しくありませんし、甘くもありませんよ」

「っ、お前だって」

「もちろん僕にも責任はあります。平伏すゴブリンたちを追い払うことも有効だったかもしれませんし、受け入れようとする君をもっと強く諫めるべきでした。スケルトンを集落周辺に配置しておけば奇襲を防ぐことができたかもしれません。宗派が違うというだけで殺し合う連中が、魔物相手に好意的に接していることにもっと疑問を持たなければなりませんでした」


 ギリ、と音がする。宗兵衛が奥歯を噛んだ音だと一騎にもわかった。


 要は、自分が生き延びるために逃げ続けていたときの感覚が抜けていなかったのだ。自分と相方さえ無事ならなんとかなっていたときの感覚に縛られ、やらなければならないこと――守らなければならない対象が増えていたことを自覚できていなかったのである。


 守らなければならない相手を、よりにもよって自分たちで増やしていることの自覚が、決定的に不足していたのだ。


 一騎は唇を噛みしめる。一騎の小さな体躯の前には、選択肢が巨大な扉として存在していた。それも著しく不公平で不公正な。


 魔物の側を採れば、教会と敵対し、引いては人間社会との亀裂は深く大きくなる。ただし一騎自身が始めたことへの責任は取ることができる。あるいは責任を取ることに繋がる選択だ。


 一方、人間の側を採ればどうなるか。行く手には破滅しか待っていないだろうことは容易に想像がつく。元人間であっても魔族側の勇者だ。自分に従うと言ってくれたゴブリンたちを捨て、人間側に寝返ったところで、藤山まゆやアスランの言行を考えると、身の安全を図ることは困難だ。藤山まゆが攻撃してきたのだから、他の勇者からも攻撃される可能性は高い。教会関係者は言うに及ばず、だ。


 魔物を裏切り、人間から追われる立場となれば、この世界のどこにも安住の地はなくなる。


「俺は……でも、なにかきっと」


 一騎の口が吐き出すのは無意味な言葉の、羅列にすらなっていないものだけ。


「エストさんはどうするのですか?」

「っ!?」


 人型の精霊となった少女の笑顔を思い出す一騎。自分に向けてくれる、全幅の信頼と親愛に満ちた笑顔を。親兄弟ですら遂に向けてくれることのなかった笑顔を。学力も運動も低空飛行の、取柄らしきものなど何一つとして持っていない自分を慕ってくれる彼女も、このままでは失ってしまう。


「常盤平。僕は集落に着き次第、襲撃者を殺します」

「! 宗兵衛……」

「さっきも自爆ではありましたが、襲ってきた連中を死なせたことには変わりありませんからね」


 人死にに関わっていることを告げる宗兵衛に、一騎は言葉を失う。自分が知らないだけで、事態は様々な場面で動いているのだと。


「せっかく修繕した教会は今後の活動に必要です。僕自身のためにも失うわけにはいきません。相手が同級生だろうと人間だろうと、情けや容赦を加える理由にはなりません。到着し次第、僕は、藤山まゆを殺します」


 大した声量でないのに、宗兵衛の声は一騎の耳の奥にまで響いた。決別の言葉に一騎の心臓が縮む。大事なのはどちらか。両方を掴み取るなどと甘い選択肢は用意されておらず、自分で新たな選択肢を作り出すだけの余裕もない。


「魔物か……人か……っ」

「このままのペースなら数分で教会に到着します。君が決められないならそれでも結構。僕だけでやるだけですから」


 現在で大事なことを選び取る。


 大事なことだとは分かっていても、一騎には易々と決断できることではない。魔物になったからといって、否、だからこそ人間への未練は色濃く残っている。同級生と接触したことで、未練はより強くなった。叶うなら両方を選ぶ。どちらか一方だなんて、片方しか選べないなんて、こんな短時間で、こんな急に選べだなどと、あまりにも残酷だ。


「本当に、君は雑魚ですね」

「な、なんだと!?」

「洞窟では古木たちから逃げて、森では村人たちから逃げて、今度は現実からも逃げるのですか?」

「っぅ、ぐ」

「君が人間と敵対したくないと願っていようと、向こうが積極的に攻撃を仕掛けているのが現実です。人間と対立したくないからと、君に従っている魔物たちを見殺しにするのですか。内政無双だか領地拡大だか知りませんが、君が自分で傘下に引き入れた魔物たちを切り捨てるのですか。逃げた現実に追いつかれて踏み潰されるまで、叶うはずのない願望にしがみついて、夢を唱え続けるのですか」


 宗兵衛の言葉に一騎は反論が咄嗟に出てこない。なにをどう口にすればいいのか。「暴力では解決しない、辛抱強く和平と友好を唱え続けるべきだ」と体裁を整えただけの羅列でもいいのか。叩きつけられる現実を前に、価値はあるかもしれないが無力な理想を掲げ続けるのか。


 一騎の逡巡は凄まじい衝撃音と熱量に吹き飛ばされた。一騎たちの視線の先に、真っ赤に輝く灼熱の柱が吹き上がっている。初めて見る現象だ。


《エストの魔力を感知しました》

「エスト!? おい、急げ宗兵衛!」

「僕たちの出番はないかもしれませんね」

『とばっちりで死ぬんじゃないですかー?』


 一騎は「急げ急げ」と宗兵衛の頭を叩き、宗兵衛は一騎への報復を示唆してから加速する。勇者たちが連れてきているであろう断罪者たちが行く手を遮ることもない。人手が足りないのか、雑魚魔物へは振り向けなかったのか、エストと向き合って動けないのか。


 一騎の内側が少しずつ変容していく。現実逃避を指摘されたぐちゃぐちゃな意識が、教会に近付く毎に整えられていく。乱れきった頭の中で危機を告げる鐘がうるさく鳴り響いている。


 魔物の視力が赤光の輝きを捉えた。状況自体を完全に把握できたわけではない。だが最低でも一つわかっていれば十分だ。エストが光の中に捕まっている。自分を慕ってくれている女の子が。


 エストの近くには藤山まゆと、まゆの仲間と思しき連中が立っている。一騎の思考がたった一つのことへと収束されていく。人間との良好な関係構築といった立派なお題目は消え、やらなければならないこと、助けなければならない相手のことがようやく見えた。


「宗兵衛!」

「今度はなぶっ!」


 加速中の宗兵衛の頭を踏み台に、一騎は大きく跳躍する。骨刀を抜き放つ。視界に入るのは敵と認識した藤山まゆだ。


「どぉぉぉおおりゃあぁぁっ!」


 掛け声を出す奇襲にどんな意味があるのかはともかく、一騎の大音声が教会周辺に響く。エストの魔力放出で吹き飛ばされた藤山まゆの顔も上に向いた。同級生であり、赤木たちのように人間性を失った魔物でもない相手に、刹那、一騎の内に迷いが生まれ、迷い諸共、両断する気構えで骨刀を振り下ろす。


 藤山まゆの顔に細く赤い筋が刻み付けられた。


「っぁあああぁぁああっ!?」


 絶叫が迸る。勇者の繊細そうな手が自らの顔を隠すように覆い、指の隙間から止めどなく赤い液体が零れ落ちてくる。


「エスト、無ふぁあっ!」

「イッキぃぃっ!」


 一騎が着地するよりも早く、エストに抱き着かれる。強い炎の攻性魔力を帯びるエストとの接触で一騎が火傷を負ったのは秘密だ。


「て」


 藤山まゆの手が自身の顔を撫でる。ドロリ、と真っ赤な液体が掌を覆う。戸惑いと怒りが勇者に湧きおこり、戸惑いは一瞬で怒りに飲み込まれた。


「てめぇええぇっ! よくも! よくもよくもよくも私に傷をぉっ! 下種な魔物の分際で、よくもっ! 許さない、絶っっっ対に許さない!」

「ゆ、勇者様!?」

「なにをしてる断罪者共! さっさとそこの薄汚い魔物を殺せ! 教義の、教皇猊下の敵を生かしておくんじゃない!」

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