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第三章:十二話 クレア、村に戻る

 浮かれる一騎、怒るエスト、ワクワクしているクレア、悪戯っぽく笑うまゆ。これらの感情が一変したのは一時間後のこと。


 急遽、クレアが村に戻ることになったのだ。村に残しておいた教会聖職者から、クレアの身を案じる連絡が届いたからであった。一部の教会関係者に支給されている伝心人形を通じてのやり取りでは、向こうもかなり心配しているらしい。


 クレアは嫌がる素振りを見せはしたものの、戻らなければならない事情はきちんと理解しているようで、かなり渋々ながらも首を縦に振るのだった。尚、宗兵衛、ラビニア、アーニャには大した変化は生じなかったことを追記しておく。 


 滞在時間は短いながら、クレアは村の中である程度の地位を築いていたらしく、魔物たちがお別れの挨拶に並んでいる。


 最初に接点のあったハーピーとの仲がもっともよいのは意外な点だ。襲われたのだから険悪になっても不思議はないのに、ハーピーが明確に謝罪したことと、クレア自身が根に持たない性格であることもあってか、随分と仲が深まっている。


「今度また、一緒に空の散歩をしてくれるかしら?」

『もちろんです。ただ、空も高くなると冷えてきますので、しっかりと着込んでおくようにして下さいね』

「わかったわ。約束よ」


 魔物との会話は、間にリディルが通訳として入って行われている。クレアは闇の魔女として、魔物の言語を習得したいと望んでいるがまだまだ先は長そうだ。


 ギルマンはというと、「く、その死んだ魚のような目、我が邪眼をもってしても心の内を見くことができないとは」などと魔女設定に巻き込まれていたため、苦手意識を持っているようだった。ただし嫌ってはいないようで、記念としてクレアと共にカッコいいポーズなんかを取ったりしている。


『ギルマンももっと見送りに来られればよかったんだが』

「気にしないでいいわ。水場から離れるとしんどくなるんでしょ。今度また村に来たときは、あたしのほうからお土産を持って水場に行くから」

『ありがとうございます。そのときは歓迎いたします』


 ゴブリンは接点がもっとも多いこともあって、村のほとんどのゴブリンが別れの挨拶に来ていた。クレアは闇の魔女設定の影響か、服のデザインにこだわりを持っており、魔物たちの衣類にも色々と口を出し、そのデザインが概ね好評を得ていることも理由の一つだろう。縫製技術が低すぎるため、デザイン止まりなのが残念なところだ。


 一騎としては「魔物の村が発信するオリジナルファッション」として売り出せたらと考えている。ゴブリンたちの中には、一騎マークの入った川魚の干物を土産にもってくるものもいた。味の良し悪しはともかく。


『ギギ、また是非お越しください』

「もちろんよ。今度はあなたたちにも闇の魔力の凄さを教えてあげるわ」

『楽しみにしております』

『ギ、それまでに人形の新作も用意しときますんで』

「そのときは、あたしとイッキが手を組んでいるものをお願いするわ。もしくはあたしとイッキのウェディングバージョンとか」

『ギギ、そ、それは』

「なにを勝手なこと言ってんの!」


 割り込んできたのはエストだ。


「エスト、あなた、怒って引っ込んでたんじゃなかったのかしら?」

「別れ際にまた下らないことをするんじゃないかと思って様子を見に来たのよ。どうやら当たっていたようね」


 エストとクレアの視線は交錯し、衝突し、火花を散らせる。周りの魔物たちも慣れたもので、それとなく二人から距離を取っていた。特にハーピーは上空にまで避難していて、もはや一騎は生きた心地がしないまである。


「覚えていなさい、エスト。あたしはすぐに戻ってきて、あなたとの決着をつけるわ」

「決着? そんなもの、今ここでつければいいことよ」

「それはいい考えね」

「いい考えなはずがないでしょうが」


 顔を青くして右往左往するばかりの一騎に代わって、仲裁に動いたのは宗兵衛だった。


「町づくりもまだまだ始まったばかりな上に、周囲にはリザードマンも含めて脅威が多く転がっているのですよ。常盤平には長としてこれらの問題への対処を最優先で、先頭に立って取り組んでもらわなければならないのですから、私的な争いは問題解決後にして下さい」


 宗兵衛の指摘に小さく呻いて黙り込むエストとクレア。どう介入したらいいのかさっぱりだった一騎にはありがたい限りである。あるのだが


(ちょっと待て、宗兵衛。お前、助け船にかこつけて俺に厄介事をすべて回そうとしてないか? いや、回すどころか押し付けようとしてるだろう?)

(ははは、止めて下さいよ、常盤平。僕がそんな外道なことをすると思いますか? 洞窟からこっち、共に艱難辛苦を乗り越えてきた仲間をもう少し信じるべきだと思いますよ)

(その物言いが心底信用ならない!)

(失敬な。では、人間との関係を良好なものにするために、人間の娘を嫁に迎える用意がこちらにはあると言ったほうがよいとでも?)

(やめてくれ!?)


「つまりこういうことね、ソウベエ」

「うん? どういうことですか、エストさん?」

「先頭に立って疲れ切ったイッキを、より癒すことができたほうが勝ち」

「落ち着くんだエスト!? 癒しに勝ち負けはないから!」

「心身を最大に癒すことができるものこそ、イッキの隣に立つというわけね。面白いじゃない。受けて立つわ」

「クレアも落ち着いて!? 宗兵衛、お前の言動が原因だぞ! なんとかしろ!」

「お二人とも、理解が早くて助かります」

「貴様ああぁぁぁああっ!」


 仲裁に見せかけて一騎を売り飛ばす宗兵衛だ。骨の顔に、もう説明するのがめんどくさい、と書いてあるように見えるのは一騎の気のせいではないだろう。


 実際問題として、これからの一騎は疲労が蓄積すること請け合いである。ハーピーとギルマンが加わったことで、勢力も集落自体も大きくなるのだから、必然的に長である一騎の負担は増える。ゲームの中で主人公になることはあっても、現実に誰かを率いるなんて立場になったことのない一騎にのしかかる疲労は、想像を絶するものになるだろう。美味しい食事だとかくつろぎの時間だとか、癒しは冗談抜きで重要になってくる。


「一ヶ月の残業時間は五百時間未満に抑えてあげますから」

「過労死ラインをぶっちぎっているじゃねえか!」


 一騎の中途半端な記憶によれば、一ヶ月の残業時間百時間が過労死ラインだったはずだ。八十時間だったかもしれない。


「あのね、そろそろ行きたいんだけど、いいかな?」


 呆れたような、いや本当に呆れて藤山まゆが話しかけてきた。彼女の後ろには細い杖を持って閉眼したままの少女アーニャと、額に大粒の汗を流しているアスラン助祭がいる。


 アスラン助祭の汗は、村まで帰る準備を大慌てでしたからだ。さすがにクレアだけで森を歩かせるわけにはいかないので、アスラン助祭が付き添うことになったのである。他に付き添うのはゴブリンが二体と、ハーピーが一体だ。魔物と同行することに難色を示したアスラン助祭も、魔の森の危険度を鑑みて、これまたかなり渋々だが引き受けたのだった。


「藤山は一緒に行かなくていいのか? 正式な依頼なんだろ、これ?」

「本来ならついて行く必要があるんだけど、勇者って立場からここに残ったほうがいいって言われたのよ。魔物の村ってだけでも見逃しちゃまずいのに、ゴブリン、ハーピー、ギルマンが集まってるってなに。こんな村がありましたよ、なんて報告だけした怒られるどころじゃすまないじゃない」

「そ、そういうものなのか」

「そういうものよ。あ、じゃあ、後で私だけを案内してくれる? 勇者との良好な関係も重要だと思うわよ」

「「!?」」


 藤山まゆの提案にエストとクレアの目付きが険しくなる。


「まさかマユもイッキを狙っているのかしら?」

「元は学友だというし、お互いを以前から知ってるようだし……だとしたら、あの女が一番……クレア、提案があるわ」

「ええ、エスト、受けてあげる。お互い、そのほうが都合いいものね」


 つい数秒前までの対立から一転、エストとクレアは固い握手を交わす。お互い口元には笑みを湛えているのに、目には断固とした決意が強い輝きを放っている。一騎の目には友情の握手ではなく、共通の目的を持ったが故の同盟に見えた。


「それではまゆ様、クレアさんを村までお送りしたらまた戻ってきます。なにもなければ二、三日で可能かと」

「別に急がなくてもいいわよ。それよりもきちんと送ることを考えて」


 握手が別れの挨拶を兼ね、クレアはアスランたちと共に森の中を歩いていく。元気よく振られたクレアの手が印象深かった。


 深い森の暗さは数分もせずにクレアたちの姿を飲み込み、声すらも聞こえなくなり、遂には残滓すら溶け消えていく。あとには、森の暗闇だけが不気味な顎を開けていた。

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