第三章:十一話 舞い上がる雑魚魔物
翌日、人間たちの滞在二日目。四人のうちでもっとも馴染んでいるのがクレア、もっとも遠慮がないのがまゆ、もっとも変化がないのがアーニャ、もっとも混乱しているのがアスランである。特にアスラン助祭の慌てっぷりは見てて涙と笑いを誘うほどだ。
「ぶっふぉうっ! ここはユリス神の教会なのくわぁっ!?」
「バカな! 最下級のゴブリン共がどうしてこんなにテキパキ動いている!?」
「魔物どうしが協力ぅぅっ!? ありえん! ありえんだろ!」
「な、なんだこの食事は! 美味い! 美味いぞおおぉぉっ!?」
最後のは関係ないかもしれない。
他にも色々と驚いている。スケルトンが一糸乱れぬ動きで木材加工をしている様子に腰を抜かし、エストが人型の精霊であることに目を飛び出して驚き、魔物に転生した人数が数十人に及ぶことには顎を外し、一騎がリザードマンを倒した話には「バカな、ゴブリン如きが」と失礼な驚き方をしていた。
ユリス神信仰の教会を使っている点については、藤山まゆは受容的な立場を採り、アーニャの表情は特に変化せず、アスラン一人が騒いでいる。とはいうものの、現状で信仰しているわけではなく建物を使っているだけであることから、騒ぐ以上のことにはならなかった。
もちろん人と魔物が近い距離にいるのだから、問題もある。魔物たちは自分たちを討伐対象とする真正聖教会への警戒を隠さず、人間側も距離を測りかねている。衝突に発展していないのは、「人間とは仲良くすること」との命令が一騎から出されて魔物側が自制していること、人間側も勇者が「討伐に来たのではない」と明言していることが大きい。取り上げるべき問題点としては、
「イッキ、今日は森の中を案内する栄誉を与えてあげるわ」
「ちょっと! 二日続けてイッキを引っ張り回す気?」
エストとクレアの対立くらいだろうか。今日も今日とて、教会正面玄関では二人が鋭い視線を交えている。既にクレアは一騎の腕に抱き着いていて、このこともエストの機嫌を著しく損ねていた。挙句、両者の対立には藤山まゆも――明らかに面白がって――噛んでくることがあり、
「クレアを案内するんなら私もついて行くわよ」
まゆが同行を申し出る。エストとクレアが驚いた顔を向けた。
「どうして貴女がついてくるのかしら、マユ?」
「あのね、私の役目はあんたの保護なの。教会を通じて行われた正式な依頼なの。魔物の徘徊する森の中を単独で歩き回られたりしたら、私が怒られるんだから」
「とってつけたような理由ね。でも護衛なんて我が下僕がいれば事足りるわ。マユは大人しく留守番でもしていてちょうだい」
「えー? 常盤平は私の苦しい立場を無視したりはしないわよね?」
言いつつ、一騎との距離を詰めるまゆ。一騎の眼前ではたわわな膨らみが揺れている。魔物に思春期があるかは不明としても、人間時代は思春期ど真ん中だった一騎がこの誘惑に耐えられるはずもない。唾を飲み込みながら同行を受け入れてしまった一騎を、どこの誰が責められようか。
「イッキのバカ!」
「この下僕には色々としつけが必要ね」
エストとクレアの怒りを買うことだけは避けられそうにない。エストは怒りながら畑に出かけ、クレアの額には青筋が浮かんでいた。
「えーと、なんというか、その、すまんな藤山」
「いいわよ、別に。衝突とか対立があったほうが青春っぽいっしょ? わかり合いたいとは思ってるからさ、そのときに常盤平が協力してくれたらいいわ」
「お、おう」
まゆの申し出に了解を示した一騎は、ついでにと手紙を渡すことを思いついた。まゆを通じて王国か協会の上層部に届けてもらいたいのだ。エストたちの反対に晒されているので、今すぐの協力はできそうにない。かといって関係が断たれてしまうのも避けたい。一騎には人間との敵対の意志はなく、むしろ良好な関係を築きたいとの考えに、どうにかして理解を得たいのである。
魔の森の魔物はこれまでも幾度となく人間を傷つけており、討伐の依頼は教会にも冒険者組合にもひっきりなしに舞い込んできている。しかし魔の森は広く、魔物の数も多いことから、とてもではないが討伐しきれない。森を焼き払うべきだとか軍を投入すべきだとか、過激な意見も出てきているという。
「でもまあ、常盤平みたいに人間と意思疎通を図ることのできるのがトップに立って、魔物の姿勢を変えるっていうんなら、共存もできるかもしれないわね。わかった、とりあえず受け取っておくわ。でも期待はしすぎないでよ?」
「こっちとしては人間と接点ができただけでも大助かりだよ。じゃ、早速、手紙を書いてくる。クレアはちょっと待っててくれ」
ゴネるクレアを説得して腕を放してもらった一騎は、スキップでもしそうなくらい足取り軽く教会の自室に向かう。これで状況の改善に目途がついた、と考えているのだ。まゆとの距離の近さも機嫌がよい理由の一つではある。まあ、幼稚園以来のスキップは、披露しようとしたが満足にできない事実を突きつけられて、落ち込むというオチがついた。
「……随分と機嫌のいいゴブリンがいます」
「お。アーニャんさん、てなにをしてるんですかいの?」
食堂にいるのは盲目の少女アーニャと、腕組みをして唸っている宗兵衛だ。ラビニアは宗兵衛の頭の上に寝そべりながら古そうな本を開いている。テーブルの上にはオセロが置かれ、オセロの脇には将棋やチェスもあった。この世界にもボードゲームはあるらしいのだが、教会内からは見つからなかったため、宗兵衛が手ずから作ったのである。将棋の駒は木から彫ったもので、チェスの駒は宗兵衛が骨で作ったものだ。骨製の駒は純白に輝き、もしかすると象牙のように価値がついてもおかしくない出来栄えである。
「……見ての通り、ソウベエとオセロ? というものを指しています。あと、アーニャんは不愉快です」
「ちなみに対戦成績は?」
「……私の五十七戦全勝です」
「どんな数字だおい」
『オセロに限ってはそうですけど、将棋で四十七戦全敗、チェスで五十八戦全敗ですからねー』
《早いと三十手かからずに投了した勝負もあります》
小さく欠伸をしながら付け足すラビニアと、呆れ感満載のリディルの声である。
「……ソウベエは見えない私でもズルをしないところが好感を持てます。弱いですけど」
「はっはっは、昔からこいつはこの類のゲームは弱いからな。駒の動かし方も定石も戦形も知ってるくせに、いざ指すと滅茶苦茶弱いとぐぎゃああああぁぁっ! なななななぜにいきなりアイアンクロー!?」
「人が集中しているときに横でうるさいからですよ。閃いた手を忘れてしまったではありませんか、とても看過できません」
「ぎゃにゃあああぁぁっ! 割れる砕ける漏れる漏れ漏れくぺ!」
ミシギシゴキグシャ、とあまり耳に心地よくない音が響く。パキ、と小気味よくも乾いた音がして、一騎の四肢から力が抜けた。ゴブリンとしては珍しい死に様が関心を誘ったのか、床に横たわる一騎にアーニャが近付き、そっと
「……うん」
腰に下げられていた骨刀を略奪する。骨刀の刀身を撫でまわす様は、心なしかうっとりしているようだ。
『その刀が気になるんですかー?』
「……剣には興味がありますので。初めて会ったときからずっと気になっていました。片刃の剣、刀でしたか、ソウベエの魔力を感じ取れるのですが、もしかして?」
《主が自らの骨で作ったものです》
おお、とアーニャの周囲に無数の星々が煌めいた。
「……では、私にも一振り、作っていただけませんか?」
「またえらく唐突ですね」
「……昔から剣術を習っていまして、いい剣を見るとどうしても」
アーニャは教会剣術と呼ばれる技術体系を学んでいるとのことで、腕前もこの若さで中伝に至っているという。盲目なのに、この魔の森に入ることが許された理由がこれらしい。
「……ダメでしょうか、ソウベエ?」
「ダメというわけではありませんけど……そうですね、試し斬りにそこのゴブリンを使うというのなら考えま」
「……快諾します」
「するなあああぁぁぁぁああっ!」
物凄い勢いで復活する一騎。アイアンクローで顔を潰された挙句に、処刑までを含めたフルコースになってはたまったものではない。
「……貴方の命一つで、私が刀を手に入れることができるのなら安いものだと思うのですが」
「ちょっと待つんだアーニャんさん。思考と論理の飛躍がおかしいことになって結論が大きくずれている気がしてならない」
「……確かに、踏むべき段階を間違えていました」
そもそも最初から踏まない、という選択肢がないことにびっくりする一騎である。
「……左右に両断されるのと、上下に両断されるのと、前後に両断されるの、どれがいいですか?」
「待って!? ちょっと本当に待っていや待って下さいアーニャん様!? 殺害方法のリクエストを取っていなかったことが問題なんじゃないですから! もっと別の根本的なところに問題が横たわっておりましてですね!?」
「常盤平、そんな些細なことよりも君はどうして食堂に?」
些細じゃない、との声を飲み込んで手紙を書くことを思い出す一騎。こんなところで無駄な争い、というよりも死刑宣告を受け取っている場合ではないのだ。
「人間との関係構築にえらく腐心していますね」
「そりゃそうだろう。このままだと近くの村との関係も悪いままなんだ。そこに勇者の藤山が入ってくれるんなら、一気に関係改善! そしたら村を大きくすることもできるだろうし。ふ、ますます内政無双が近付くってもんだ」
「最初から一歩も近付いていないと思いますが。まあ、警戒だけはしておくように。クレアさんはともかくとして、教会という組織が全面的に信用できるかどうかはまったく不透明なのですからね」
「……教会の人間を前によく堂々と言いますね。ビックリです」
「お前なぁ。確かによく知らない教会を信用できないってのはわかるけど、藤山は同じ学校で、こっちに召喚されたって点では仲間だろうが。少なくとも彼女は信用してやれよ。そんなだからお前はぼっちなんだろ」
一騎と宗兵衛の視線が衝突する。宗兵衛の視線はさして鋭いものではないが、一騎はスケルトンの揺らめく青白い炎に居心地の悪さを感じた。
「だ、大体、信用できないってんなら、お前の頭の上にいるラビニアのほうがよっぽど信用できないだろうが。俺たちをこんな姿にした犯人だぞ? ずっと一緒にいて平気な顔をしてる神経が信じられねえよ」
『えー? 信じてもらえないなんて心外ですー』
どの口で言っているのか。一騎と宗兵衛の思いは一致し、声になったのはまったく別のことだった。
「ギルマンとハーピーですが、ハーピーは森の中に残る群れとこの集落に残る群れの二つになります。交代制で、一ヶ月単位で移動する形を採用しています。ギルマンは水場から離れるのは辛いとのことですので、若ギルマンだけがこっちに残ることになりましたよ」
「そうか。じゃ、俺は藤山に渡す手紙を書いてくるから。関係構築の第一歩だ」
「通信玉はちゃんと持っているのでしょうね?」
「おう、ずっと懐に入れっぱなしだ」
一騎はルンルン気分で部屋に戻っていく。浮足立つという表現があるが、事実、一騎の足の地面との接触時間は、いつもの半分くらいであった。
「……ソウベエ、刀は?」
「今回は縁がなかったということで」
「……むぅ」
「そう膨れないで下さい」
「……四隅はもらいました」
「え?」
『中央も抑えられてますよー』
《五十八敗目》
宗兵衛はテーブルの上に突っ伏した。




