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第三章:九話 揉め事の種はあちこちに

 夕方、集落はちょっとした騒ぎになっていた。朝から夕方の半日ばかりで、集落の顔ぶれが大きく変わったからだ。ギルマンとハーピーが十体ずつ合流しているのに加えて、人間も四人がいる。


 教会の庭ではギルマンからは魚、ハーピーからは肉、ゴブリンからは調理技術――エストから指導を受けている――が提供され、魔物たちは仲良く交流を深めていた。


 人間側では、クレアがアスラン助祭から勝手に森に入ったことを怒られており、クレアは「闇の力が~~」と抗弁するも、まゆから「光の審判が~~」と返されて涙目になっている。


 賑やかな声々を背に受けながら、一騎たちは食堂で話をしていた。メンバーは一騎と宗兵衛、エスト、ラビニア、ハーピーの群れを率いることになったハーピーリーダー、ギルマンの頭代理を務める若ギルマンだ。エストの足元には子ウルフが座っている。


 一騎が意気揚々と報告したのは二点。ハーピーとギルマンが傘下に入ることと、水場を確保したことだ。宗兵衛が冷え冷えとした視線を一騎に向けながら報告したのは、六項目の指針は現状では不可能であること、人間側の勇者が救出目的に訪れたことである。


「つまり常盤平、君は水場を確保したと同時に、リザードマンとキャッキャウフフしてきたわけですね?」

「キャッキャウフフなんてしてねえ!? 仕方なかったんだ! ギルマンを助けるためだったんだよ! どうせキャッキャウフフするんならハーピーとするわ! 上半身は女の子だし、かわいい子も胸の大きい子もいたからな」

「ほほう! その点について詳しく話を聞かせてもらいましょう」


「イッキ?」『宗兵衛さん?』《主?》


 なぜだろうか。臨死体験の予感をひしひしと感じる二人だった。傍らではハーピーリーダーが頬を染めていて、若ギルマンは逃げたそうな顔をしている。


 ともあれリザードマンと敵対するに至った経緯だ。若ギルマンから救援要請を受けた一騎は、ハーピーの全面的な協力を得て湖に急行する。エストとクレアもハーピーに掴まり、更にハーピーの群れも数十が一騎に従った。


 交戦中のギルマンとリザードマンの間に一騎らは突入、リザードマンを蹴散らしたのである。その際、指揮を執っていたリザードマンを一騎が斬り倒し、残りのリザードマンたちは「きっと仇を討ってやるからな!」などと口にしながら逃げていったのだ。


『リザードマンの生息域は湖とその周辺ですから、すぐにはここまで来ないと思いますよー。湖での競争もあるわけですし』


 ラビニアの意見を補強するように、若ギルマンとハーピーリーダーが一騎を擁護したので、宗兵衛も追及はしなかった。


 尚、名付けについては延期することが決まる。宗兵衛の用意した名前――ハーピーについてはアデリーだのフンボルトだのを並べ、ギルマンについてはヒミやらオウマやらシロナガスやらを主張――が誰の共感も呼ばなかったからだ。


 より厄介な事案があることも関係している。勇者からの申し入れにどう答えるかだ。一騎としては人間との接点も作れ、なにより、この状況から助けてくれるのなら、二つ返事で飛びつきたいところである。


「真正聖教会の連中なんか信用できない!」


 強硬に反対しているのがエストだ。教会長ベートのことはともかく、真正聖教会の信徒はシスターたちを殺している。エストが信用できないと主張するのも無理からぬことと言えた。


 加えてエストには藤山まゆ個人への反感もある。一騎との会話中、まゆが「姿形はゴブリンでも心が人間ならわかり合える」と、一騎の手を取る暴挙に出たことを許せないでいる。エストの意見にはラビニアとリディルが賛意を示す。若ギルマンとハーピーリーダーも魔物の立場から賛同している。宗兵衛もエスト側だ。


「洞窟からずっとリディルには助けられていますからね。よほど有力な材料でもない限り、僕はリディルの意見を採りますよ」


 全員がエストに賛成すると、さすがに一騎も「勇者に協力する」とは言えない。縁がなかったか、と大きく息を吐き出す一騎。そこに食堂のドアを勢いよく開けてクレアが飛び込んできた。続けて藤山まゆもだ。


「ちょっとイッキ、イッキからもなんとか言いなさいよ。あたしの下僕でしょ!」

「ちょっと常盤平、あんたからも説得して。村には帰らないって言ってるのよ、この子」


 クレアは一騎を盾にするように後ろに回り込み、まゆとは一騎を挟んで膠着状態になっている。


 女の子の体の部位でどこが一番好きか、と問われると、一騎は「胸だ」と声も高らかに即答できる。特に巨乳は大好きで、教室でも持ち寄ったお宝な雑誌を融通しあっていたものだ。


 なぜこんな話が唐突に出てきたのかというと、今、一騎の目の前で大きな双丘が揺れているからに他ならない。藤山まゆは、一騎が大好きな巨乳の持ち主だった。


 クレアを追って一騎を挟んでいるので、まさに一騎の鼻先に胸があるのだ。衣類の隙間からは胸の谷間が露わとなり、一騎の目は血走り、鼻の下は平常時の三倍ほどに伸びている。ついでにエストの眉の角度は跳ね上がっていた。


 一騎よりも危機管理能力に長けた宗兵衛が間に入り、双方を着席させてようやく静かになったときには、一騎の鼻にはティッシュが詰め込まれていた。


 それで結局どうなったのか。


 藤山まゆたちはしばらくの間、集落に滞在することになった。クレアが村に帰ることを嫌がったのだ。予想外に一騎に懐いた結果である。もちろん母親に心配をかけているとの思いを口にしているが、一騎と離れたくないとも言っている。


 子供が魔の森に入るのは難易度が高い。戻るとクレアも厳しく叱られ、再度、森に入るのは不可能になるだろう。そうなれば一騎と再び会うことは難しくなるため、すぐに村に戻ることを嫌がったのである。クレア救出が目的の藤山たちは手ぶらで戻るわけにもいかず、合計四人の人間が魔物の集落に留まることになったのだった。


「……これは一体、どういうことなのか、説明してくれる、イッキ?」

「ま、待てエスト。誤解しないでいただきたい。これはだなっ」

「なにしてるの、イッキ。我が第一の下僕としての責務を果たしなさい」


 一騎の右腕にはクレアが抱き着き、腕組みをしたエストの背後には炎が揺らめいている。隣ではまゆが笑いをこらえようとして失敗していた。宗兵衛は一騎たちから少し離れた位置に立ち、興味を示しているアーニャに「見ちゃいけません」とか囁き、アーニャは「……わたくしは見えません」と返している。


「わたしの誤解なんだ? どのあたりが誤解なのか、懇切丁寧に説明してくれるととっても嬉しいわ?」

「ちょっとエスト。今のイッキには、下僕として主のあたしを案内するっていう役割を与えているのだから、邪魔しないでもらえるかしら」

「じゃ、邪魔ぁっ!? それはこっちのセリフよ。イッキを放しなさい!」


 生来、モテた例のない、否、異性から好意を向けられたことのない一騎としては、どう対処したらいいのか見当もつかない。モテ期到来だひゃっほー、と騒ぐだけの度胸もないので、右往左往するのが関の山である。


「ねえイッキ、イッキはどうしたいの?」

「もちろん、あたしを案内するのよね、イッキ?」


 問いかけの一騎の返答は、基本的には決まっている。人間との良好な関係構築は必要なことだと考えているのだ。だからこそ宗兵衛に渡した内政無双推進計画書でも、人間とも取引ができる特産品の開発に言及しているのである。


「いやあの……人間といい関係になるためにも案内はしたいんだけど。ほら、ちっちゃなことからコツコツと、て言うだろ?」

「さすがは我が下僕、わかっているじゃない。ふふん、どうかしら、エスト?」

「ぬぎぎぎ」

「ふ、我の完全勝利のようね」


 鈴のような、けれど演技がかった声。口元に明らかに努力して作った微笑を浮かべ、仰々しく右掌を顔に添える少女、大いなる闇の魔女――ただし本来の力は封印されているらしい――クレアは実に嬉しそうだ。小学校中学年から中学卒業までの間、鏡の前で散々ポーズをした一騎にはわかる。彼女の姿勢は多くの練習と努力を積み重ねた結果だと。


「えっと……クレアさん?」

「なにかしら、我が一の下僕、イッキ」


 さてどうしようか。一騎は悩む。ポージングについて言及するべきか。その場合は「この手の角度こそが闇の魔法の基礎にして深奥」云々といった類の話が飛び出しかねない。いや、間違いなく飛び出してくる。過去の自分がそうだったからこそわかる。ポーズには触れないで別の話題を振ろうと決める一騎。


「森の魔素は大丈夫なのか? 人間の村よりも魔の森は魔素が濃いだろ?」

「魔素? 愚問ね。真なる闇の末裔たる我が、たかが森の魔素如きに我が身を侵食されるはずもないわ。けれど主を気遣うその心意気は褒めてあげる」


 思いっきり選択肢を間違えた一騎だった。ここは普通に「お待たせ、じゃあ行こうか」に代表される定番セリフの使用場面だったかもしれない。いや、女の子相手にそんなセリフを使える一騎ではないのだが。


「さあイッキ、行きましょうか。案内してくれるのでしょう?」

「お、おお。つっても大したもんはないからな」

「構わないわ。下僕が主のために行動するのなら、黙って受け止めるのが主の度量よ」


 村を案内してくれと言ったのはクレアである。それも一騎と一対一で。傍でクレアの要求を聞いたときのエストは額に青筋を浮かべ、一騎が応諾したときには吹き上がった魔力で周囲の鳥が逃げ出していた。


「急用を思い立ったので失礼します」

「……ぁ」


 ついでに宗兵衛も逃げていた。教育上、よろしくないとの配慮からアーニャも引っ張ってだ。


「それじゃ、イッキ」


 ぎゅ、と密着具合を強めてくるクレア。これ以上、この場に留まっていることに危機感を覚えた一騎は、よろめきながらも歩き始めた。背中に、どぎつい殺気とか怒気を突き刺されながら。




「あのエストさん? 一体なにをしておられるのですか?」

「気にしなくていいわ……ただの料理よ」

「り、料理で振り下ろされる包丁は普通、まな板を真っ二つにはしないと思うのですが」

「偶にはそういうこともあるわ」

「そそそうですね。偶にだったら別に構わないのではないでしょうか」

「それに斬ったまな板は元に戻るから平気よ」

「戻し斬り!? まさかこんな身近に達人がいるとは」

「だからどんなに斬っても微塵の問題もないわ。ああ、でも斬ってばかりだとダメね。次の工程に行かないと」

「……ソウベエ、打撃音というか打撲音というか破裂音というか、とにかく物凄い音が厨房に響き渡っていますけど、どんな斬新な料理を作っているんです?」

「アーニャんさん、違いますからね? 斬新でも画期的でもないですからね?」

「……ではこれはなんの音なのでしょう。あと、アーニャんは不愉快です」

「お肉を叩いているだけよ」

「肉は粉砕されて跡形も残っておりませんが」

「いちいちうるさいわね、ソウベエ。大体ソウベエがイッキを水場確保に向かわせたりしたからこんな事態に」

『矛先が宗兵衛さんに向いてきてる気がするんですけどー?』

「そうね。この際、ソウベエにも責任をとってもらうのもいいかも」

「いえ、責任の所在は明確にするべきです。この事態のすべての責任は常盤平が一身に背負うべきものであると確信しています」

「ふと思ったんだけど、骨ってダシをとるのに適しているって本当?」

「見えません!? 僕の目にはグツグツと煮立っている巨大な寸胴鍋なんて断じて見えませんからね!?」

《主、即時の離脱を提案します》

「あ! 待ちなさいソウベエ!」

「そういうのは常盤平にして下さい!」

「イッキにする前に練習が必要なの!」

「拷問の練習なんて斬新なものを思いつかないでいただきたい! おのれ常盤平、僕がこんな目に遭うのもすべて貴様のせいです。後で覚えていなさい!」

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