第三章:七話 内政無双推進計画書
◇ ◇ ◇
「自覚があって大変結構。それではこれで通信を終わります」
向こうで騒いでいるだろうゴブリンのことは意識の外に追い出して、左手の通信玉をポケットの中に突っ込むと、右手で持っていた新品の鉛筆のような真っ白い棒を、机上に置いている矢筒の中に入れた。矢筒には既に同じ白い棒が二本あり、三本目と振れて金属的な音を発する。
教会には宗兵衛の部屋がある。教会長の部屋は一騎(とエスト)の部屋になり、他の空き部屋の中から、もっとも広い部屋が宗兵衛の自室兼仕事部屋になっていた。
仕事部屋はあるが、さしたる仕事があるわけではない。集落の運営と格好をつけても、書類の書式すら決まっていない、どころかゴブリンたちは紙を用いることがない。口頭で済ませることがほとんどなのだ。報連相がしっかりしているのか、はっきり原始的と表現するべきなのか。
「それなのに常盤平だけがこんなに張り切っているのですからね」
宗兵衛は一枚の紙を指先で摘まんで眺めている。ラビニアも宗兵衛の頭の上から紙切れを眺めていた。集落の長たる常盤平一騎の手による、大胆不敵な計画書だ。タイトルも「内政無双推進計画書」などと銘打っている。
『看板だけ立派にしてる感じですよねー』
《いずれも実現は難しいかと》
「まったくです」
ようやく拠点を得られたことが相当、嬉しかったのか、「どりゃどりゃどおぉりゃああぁぁ!」とグリーンゴブリンが頬を紅潮させてペンを走らせていた場面を、宗兵衛とラビニアは目撃している。熱意の結晶がこの紙切れというわけだ。
その一、塩田を作る。
その二、砂糖の生産。
その三、飢饉に強い作物の生産――ジャガイモが望ましい。
その四、ゴーレムを用いた移動手段や重機の開発。
その五、干ばつ対策と農業力向上のための人造湖を作る。
その六、人間とも取引できる特産品の開発。
以上、六項目がサムズアップした常盤平の自画像イラスト入りで記されている。もちろん宗兵衛がイラっとしたことは言うまでもない。
「パクリ満載のこんな紙切れ一枚だけ寄こして出て行った常盤平は後で血祭りに上げるとして、いずれもあって困るものではありませんからね。とりあえず、少しは考えてみますか。まずは塩田についてですが」
『この森の近くに海はありませんよー。森の中に湖はありますけど』
「……岩塩の鉱脈でも探したほうが早そうですね。あるかどうかはわかりませんが」
魔物が蔓延る魔の森だ。人の手による開発はなく、魔物たちが開発するはずもない。もしかすると見つかる可能性も無きにしも非ず。問題点は、少なくとも教会周囲には存在しないことだ。岩塩鉱を探すには領土を拡張する必要がある。
「その二、砂糖の生産、ですか。サトウキビもテンサイもないのにどうしろと」
《人間が生産していますから、そちらから入手する必要があります》
現在のところ、人間との交流は一切ない。仮に交流が行われるとしても、山狩りがあったことを考えると非友好的な交流になるだろう。砂糖の原料を購入するのも一筋縄ではいきそうにない。購入できるならまだしも、略奪や強奪といった形になる可能性もある。この場合は非友好的を通り越して、決定的で破滅的な敵対・対立関係のできあがりだ。
「物好きな行商人と接点を持つことができればあるいは、といったところでしょうかね。現時点では手の付けようがありません。次」
『飢饉に強い作物の入手とありますけど、そんなものがあれば人間たちが飢饉に苦しむことはないんですけどねー』
「そういえば、エストさんが前にポテトサラダを作っていましたね。ジャガイモに該当する作物があるということでしょうが」
宗兵衛は食べることができないのでまったく興味を持っていなかったが、教会の裏手にはちょっとした菜園がある。ただし手入れの類はされていない。エストがブラウニー時代から管理しているのは、あくまでも教会であったからだ。妖精も食事の必要性がないので、菜園のことは重要視していなかった。
とりあえず、ということで宗兵衛たちは教会の食糧庫に向かう。一騎のために、エストが管理責任者となっている場所だ。下手に立ち入ればエストの怒りを買うことになる。正直、宗兵衛としても食糧庫には入りたいと思わない。思わないが入らざるを得ないのだから仕方がない。
割り切って食糧庫の扉を開け、保存されている食材をチェックする。ゴブリンたちがエストの指導の下、森のあちこちから集めてきたもので、結構な量がある。しかし目当ての作物に限ると僅かしかない。
「ジャガイモはこれだけですか」
『随分と小さいですねー。シワも多くて色も悪いですし、中身もスカスカで軽いです』
《二十六代前の真正聖教会教皇がイモを悪魔の作物として認定したことから、品種改良自体が進んでいません。また栽培している国も少数になります。この教会にジャガイモが存在しているのは、ユリス神信仰ではジャガイモを認めていたからだと推測できます》
「ヨーロッパでもジャガイモが否定されていた時期がありましたね。聖書に載っていないことや形状が忌避されたことなどが原因でしたか」
魔の森の周囲の国家は真正聖教会を国教と定めている。外部からジャガイモを持ち込む場合、これらの国々を通過する必要があり、高い確率で発見・没収されるだろう。つまり、この場にあるジャガイモを増やさなければならない、のだが
「無理ですね」
自室に戻った宗兵衛はあっさりと見切りをつけた。ジャガイモを増やすには種芋が必要になる。僅かばかりとはいえジャガイモ自体は残っているのだからなんとかなるだろう、と一騎あたりなら口にするかもしれないが、宗兵衛は否定する。そもそも種芋は植え付けるために作られたものであり、食用芋とは違うのだ。
『そうなんですかー?』
「ジャガイモは病気や害虫にかかりやすい作物ですからね。病気の芋を種芋にすると収穫は減るわ品質は落ちるわ、病気が畑に蔓延して他にも被害が出るわで深刻な事態になってしまいます。日本では相当厳しい検疫を設けていますよ」
『詳しいですね、宗兵衛さん』
「将来の夢は農業を営むことですので。ここにあるジャガイモは種芋に適していませんから、諦めるしかないですね。ですがジャガイモは痩せた土地でも栽培できますし、寒さにも強く、収穫量も多い作物ですから、ぜひとも欲しいところではあります。砂糖よりも優先順位は上にしておきましょう。魔の森の中にはイモ類はないのですか?」
『あるにはありますけど、食べれたものじゃないですよー。実は小さい上に棘が生えていますし、煮ても焼いても干しても揚げても茹でても炒めても和えても不味いです。宗兵衛さんの腕でも美味しく仕上げるのは至難じゃないですかね。繁殖能力も低いですから、かなり改良する必要がありますよー』
「外から手に入れる機会をうかがうほうがまだマシに思えますね。では、その四、ゴーレムを用いた移動手段や重機の開発ですが」
『重機ってなんですかー?』
重機関銃の略、ではなく、土木・建築作業に用いられる機械の総称だ。人力では困難あるいは時間と労力を大量に必要とする作業を機械化したもので、それをゴーレムにさせようというのが常盤平の意見だった。
《ゴーレムを作る知識なら提供可能です。またストラスからも手に入れています。ですが常盤平一騎の求める仕様となると、材料が手に入りません》
実に切実な問題である。重機を求める以上、材質は鉄が必須。あるいはファンタジーの定番アイテムであるミスリルのような金属が必要になる。いずれも現状では入手困難だ。鉄剣が何本かあるにはあるが、これから作成できるゴーレムなど高が知れている。全高一メートルにもならない小人のような代物が精々だ。教会周辺で得られる材料から考えると、ウッドゴーレムにクレイゴーレム、あとはストーンゴーレムがやっとか。
「……強度に問題がありそうですね。いっそ僕が骨で作ったほうが早いのでは」
《スケルトン生成とゴーレム生成を合わせることで、巨大な骨兵を作ることは可能です。ただし重機として用いることを前提とすると、一般的な生物型のデザインでは非効率的になります》
『確かに、巨大骨兵が二本の手で土を掘り返しても、効率は悪そうですねー』
《消費魔力も大きく、主の負担が増えるだけかと》
ゴーレムを作る前に、鉄の生産が必要になる。鉄の鉱脈を見つけるかことから始めなければならない。仮に見つけても、現在の集落の人口を考えると、生産体制の構築にはかなり時間がかかるだろう。他の国から鉄や鉄の原料を輸入する方法にしても、どこの誰が魔物に売ってくれるというのか。しばらくは今まで通り、ゴブリンの手が足りない部分にはスケルトンを用いるしかないだろう。移動手段に至っては夢のまた夢である。
「その五、人造湖……どこに作るつもりですか、これ」
教会周囲には人造湖はおろか、ため池を作れるだけの広場も少ない。土木作業に回せる人手もない。スケルトンを作って掘り続けたとして、何年先の話になるのやら。地面に干渉して陥没させる魔法はあるらしいが、ストラスの知識から手に入れることはできなかった。
「重機ゴーレムの入手か、広範囲に影響を及ぼすことが可能な土系統魔法の習得が前提条件ですね。いや、それ以前に広大な土地を手に入れる必要がありますけど」
広大な土地とは領土を広げるという意味だ。人口を考えるとありえない話である。教会周辺に畑を作ることができれば御の字、な状態でどれだけ大きな計画を立てているのか。常盤平の内政無双への並々ならぬこだわりを感じ取る宗兵衛だ。
人造湖開発には農業力向上を目的に掲げている。しかし魔物には元から農業の発想がない。食事イコール狩りないしは強奪で、調理方法も生もしくは焼きである。種苗や農具も手元にはない。農具だけなら骨で作れないこともないが、種苗は無理だ。産業としての農業確立には、どうしても人間との接点が必要になってくるだろう。
『少し離れていますけど湖もありますよー。水量も豊富で涸れたこともありません。探せば他に水源もあるでしょうし、人造湖を作る必要性がわからないんですけどー?』
「却下でいいですね、これは。最後は……人間とも取引ができる特産品の開発」
『パッと思いつくのは魔石ぐらいですかねー』
魔石、もしくは魔法石。様々な魔法アイテムや兵器、装飾品に用いられているもので、鉱物資源として産出される他、強力な魔物が体内に宿していることが多い。大きさ、純度の高い石ほど高価格で取引されているものの、魔石鉱山はどこの国でも国営であり、一獲千金を夢見るものたちの中には、魔石を狙っての魔物狩りを専門に行う連中もいるくらいだ。
「強力な魔物が宿しているとのことですけど、古木やストラスからはそんなものは見つかりませんでしたよ。僕が見落としただけですかね?」
『転生者は当てはまりませんよー。魔石を持つ強力な魔物というのは、長く生きていることが必要条件ですから。魔物の核と呼ばれる部分に、濃密な魔力が長期間に亘って与え続けられることで、上質な魔石は誕生します。強大な魔力と長期に亘る時間、この二つが揃って魔石は作られるんですよー』
《魔石の鉱脈も原理は同じです。核となる小さな石や砂粒が長期に亘って魔素を帯び続けると、魔石と呼ばれる石――鉱脈なので主に土系統の魔石――になります。地中で長い時を経た魔石を人間たちが掘り出しているのです》
「核、ですか」
宗兵衛が真っ先に思い浮かべたのは真珠だ。真珠の養殖が技術として確立しているのだから、魔石の養殖もできるかもしれないと思ったのである。例えば植物系の魔物の中に核を入れておけば土系統の魔石を、真珠のようなケースでは水属性の魔石を作れるのではないか、という具合だ。
『そんなに簡単に行くんですかー?』
「無理でしょうね」
これまたあっさりと言い切る宗兵衛。
養殖真珠には養殖用母貝が必要になる。当然、魔石を養殖するにも母貝の役割を果たす「なにか」が必要になり、まずは「なにか」を探すところから始めなければならない。農作物と同様に、真珠の養殖にも複数の手順があり、慎重さも経験や技術の蓄積も重要な要素だ。きれいな真珠を作るためにはレントゲン撮影までしていた、と宗兵衛の記憶にはある。
魔石養殖技術の最初の一歩すらない状態では、すべてが手さぐりだ。技術の確立、更に先の生産体制の確立までにはどれだけの時間がかかることやら。
「養殖真珠の場合、真珠核の材料もなんでもいいわけではなかったような……魔石も養殖に適した核の原料を探さなければならないでしょうから、リディルのサポートがあっても、一朝一夕でできることではありませんよ」
《……》
「? どうしました、リディル?」
《いえ、魔石養殖に適した魔物や核の原料を検索してみます》
宗兵衛の気のせいか、リディルの声にはどこか機嫌を損ねたかの響きがあった。
「え、ええ、よろしく頼みます」
『それにしてもこれは』
ラビニアが常盤平の残した紙に目を細める。六項目のうち、実現の目途がついているものは一つもないという有様だ。塩田は岩塩鉱捜索に切り替える方向、砂糖とジャガイモとゴーレムは原材料の入手もおぼつかず、人造湖は必要性が見いだされず、特産品はアイデア止まり。まさに絵に描いた餅である。
「内政無双だか領地経営だか知りませんが、もっとも望んでいる常盤平がこの場にいないというのが間違っている気がしてなりませんね。報復として、適当なタイミングで通信玉の自爆機能を作動させましょう」
『なんで自爆機能なんか付けてるんですかー?』
「ロマンです」
『一騎さんがケガとかするとエストが泣いて怒ると思うんですけどー?』
「男のロマンとは女性の涙の上に成り立っているものですから」
『カッコいいように見えて最低のセリフですよ。あ、どうせならわたくしが作動させたいですー』
「ぜひお願いします」
一応仮にも集落の長である常盤平への扱いがこれである。扉がノックされる。扉を開けたのは見張りゴブリンの隊長を務める中年ゴブリンだ。常盤平の指導で覚えた敬礼がまったくもって似合っていない。
『ギ、ソウベエ様。人間が三人、面会を求めてきております! いかがいたしましょうか?』
「『人間?』」
宗兵衛とラビニアは目を丸くした。




