第三章:六話 ギルマンの苦悩
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ギルマンたちには差し迫った問題があった。住処としている湖の環境だ。獲物の量が減っているわけでも、水位が下がっているわけでもない。もっと直接的に、生命や群れの存続にかかわる問題だ。
湖にはギルマンの他にもリザードマンやワニや蛇といった、多くの魔物や獣が生息している。生存競争は激しく、他種族との争いは絶えない。
湖の魔物たちの中で、ギルマンのヒエラルキーは下位にある。元々ギルマンたちの生息域は湖の中でも水質の悪い場所で、ギルマンたちにとっても居心地の良い場所ではない。半面、水質が悪いおかげで他の魔物や獣はあまり寄ってこなかったのだ。
それが最近では好戦的になった他種族が頻繁に出没するようになり、力で劣るギルマンたちは安全な水場を陸地に求め、結果、森の中に水質の良い水場を見つけたのだった。唯一の難点は、ハーピーもほぼ同時期に水場に現れ、互いに縄張りを主張して衝突に発展したことである。
ハーピーは強力で厄介な連中だ。群れともなれば更に厄介さは増す。かといってギルマンも引くわけにはいかない。このまま湖にいたのでは群れの存続にかかわると判断して、不慣れな陸地に活路を求めたのだ。なんとしてもあの水場を手に入れなければならない。
水場を巡る戦いを率いるのはギルマンの頭の息子だ。群れの仲間からは若と呼ばれ、鎧に身を包み、腰には長剣を差している。幾度となくハーピーの群れと衝突を繰り返し、今日こそは縄張りを確立しようと仲間たちと共に件の水場に赴いた若ギルマンは、思いもよらない場面に直面した。
なんとハーピーたちを率いる別の魔物、雑魚として名高いゴブリンに遭遇したのだ。
ハーピーの爪に掴んでもらって空を移動していたゴブリンは、格好をつけて上空でハーピーに爪を離してもらい、着地に失敗して地面と熱い抱擁を交わしていたが。ゴブリンの他にも人間の女が二人いて、森では見かけない組み合わせだ。
グリーンゴブリンの全身は、木の葉や枝、擦り傷や打撲だらけとボロボロになっていたが、言動と態度は堂々としていた。曰く、「こちらには争うつもりはない。水源を平和的に共有したいので話し合いをしたい」とのことだ。
若ギルマンは一笑に付した。ハーピーは厄介としても、どうしてゴブリン如きと話し合いを持たなければならないのかと。むしろ好都合だと考えた。ゴブリンがリーダー面をしているのなら、そのゴブリンを倒せば労せずして水場を手に入れることができるではないか。
若ギルマンは長剣を抜き放ち、ゴブリンに一騎打ちを申し込んだ。ゴブリンは戸惑ってモゴモゴと口を動かす。
「いや、まずは話し合いをしたいと」
「いいわ。その一騎打ち、受けてあげる」
「エストさぁん!?」
「我が闇の系譜に連なるものの力を思い知るといい!」
「クレアさんまで!?」
人間の女たちが勝手に一騎打ちを受けていた。女たちは「イッキなら絶対に負けないわよね」と期待に満ち満ちた目をゴブリンに向け、引けなくなったのだろうゴブリンは頷いていた。どことなくゴブリンに対し親近感を覚える若ギルマンだ。
そしてその親近感は瞬く間に破られる。若ギルマンの喉元にゴブリンの握る真っ白い剣が突き付けられたのだ。若ギルマンとて隊を任されるくらいには力がある。全力で突きだした長剣をあっさりといなされ、長剣と兜は二つに分かたれて地面に落ちた。力の差を思い知り、ゴブリン側の提案を持ち帰ることを約束して湖へと戻ろうとする若ギルマンに、別の声が掛けられた。
ゴブリンの懐にある通信玉からだ。
《どうでしょう、こちらの傘下に入りませんか?》
通信玉の声は、驚くべきことを告げてきた。ギルマンたち同様に驚いているゴブリンを無視して通信玉の声は続ける。傘下に入るのならこの水場の管理を任せたい、と。
ゴブリンの提案だと、水場での争いがなくなるだけだが、傘下に入った場合はハーピーとの争いの余地がなくなる。加えて管理を任せるということは、ギルマンたちが湖からこの水場への移住ができるということでもある。この話を受け入れれば、劣勢にある湖での競争から脱することができ、安全度の増した住処を手に入れることができるのだ。若ギルマンは、慎重に検討する、としか返事ができなかった。
顔を真っ青にして戻ってきた若ギルマンの話を、ギルマン頭は不審げに聞いていた。徐々に目付きは険しくなるが、若ギルマンの土下座を目の当たりにして冷静になる。若ギルマンは説得を続けた。
『オヤジ、あのゴブリンは強い。一緒に現れたハーピーの群れに、あの図体のでかい頭がいなかったんだ。多分だがあのゴブリンにやられたんだと思う。戦ったらこっちもただでは済まない。いや負ける可能性のほうが高い』
『ぬぐ……それほど、か……』
『ああ。それにゴブリンは、ハーピーたちとは違って水場を共有したいって言ってた。独占しようとはしてないと思う』
『額面通りに受け取れと? お前はどうしたいのだ?』
『挑んだおれを殺さなかったんだから信用はできるはずだ。それにこのままだと遅かれ早かれ、湖の他の魔物共に群れが滅ぼされちまう』
若ギルマンの出した結論は、ハーピーたち同様に、相手の傘下に入ることだった。現状でギルマンの群れには負傷者も多く、もはや単独では湖で生きていくことは難しい。水場を手に入れたとしても、今度は水場を巡って森の魔物との争いが頻発するだろう。傷ついている今のギルマンたちが水場を維持できるかどうか、限りなく疑わしいと言わざるを得ない。
ならばいっそのこと、他種族と手を組んででも自分たちの安全を図ることを選ぶべき、というのが若ギルマンの主張だ。
『頭! 若! リザードマンだ!』
頭や長老衆が首を縦に振らない中、切羽詰まった声で見張りが飛び込んできた。
リザードマンは湖のヒエラルキーでは上位の種族だ。竜の血を受け継いでいるとかで、なにかと湖の盟主面をして他種族に対して高圧的に出てくる。特にギルマンのような下位の種族には居丈高で、「俺たちが守ってやるから税を治めろ」「狩った獲物の半分を差し出せ」だのと無理を突き通そうとするのだ。
ギルマンが反発すると容赦なく攻撃を仕掛けてきて、今回も獲物をよこせとの要求を断ったことへの報復だろう。いや、ひょっとすると単純に攻めてきただけかもしれない。いずれにせよ放っておくことなどできるはずもなく、頭ギルマンは勢いよく立ち上がった。
『腹立たしいリザードマンめ! 目にもの見せてくれる! おい、敵の総数は?』
『そ、それは……およそ五十!』
『なっ!』
頭の絶句は、その場の全員にも当てはまる。この群れの総数が年寄りや女子供含めて約六十なのだ。またギルマンとリザードマンとでは戦力にも差がある。ギルマン五体でリザードマン一体に対抗できるかどうか。若ギルマンが危惧していた群れの滅びの危機に、間違いなく直面したのである。
『ほ、他の群れからの応援は!?』
長老の問いかけに見張りのギルマンは首を横に振る。ギルマンは弱い種族故、数は多い。湖のあちこちに群れを作り、普段から相互に助け合っている。しかし今回、リザードマンの襲撃が早かったために援軍を頼むこともできない。細い望みが異変に気付いた他の群れが助けに駆け付けてくれることだが、現時点では援軍の影もない。
皆が絶望感に包まれる中、若ギルマンが顔を上げた。
『オヤジ、あのゴブリンに助けを求めよう』
もはやそれしかない、と断言する若ギルマンに、長老たちはまだ結論を出せずにいる。本当に戦力となるのかどうか、本当に信用することができるのかどうかを判断できていないのだ。数秒に及ぶ逡巡の末、頭ギルマンは息子を見据える。
『わかった。その役目、お前に任せてよいな?』
『ああ、任せてくれ! きっと援軍を連れて帰ってくる!』
力強く胸を叩く若ギルマン。対照的に長老たちはざわめいていた。
『か、頭、本当にそれでいいのか?』
『ゴブリンなんて雑魚が信用できるのか?』
『それはわからん』
『ならどうして!?』
『息子を信じるのだ。今まで群れのために先頭で戦い続けてきてくれた息子をな』
頭ギルマンは全幅の信頼を込めて息子を見やる。若ギルマンは頷き、援軍を頼むべく出て行く。
途中でリザードマンや他の魔物に遭う危険性もある中、決して休まないと決意して走る息子の背中を眺め、頭ギルマンも声を大にした。
『皆、武器を取れ! 援軍が来るまでなんとしてでも持ちこたえるのだ!』
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