第三章:五話 ハーピー戦
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ハーピーは通常、十体前後の数で小さな群れを作っている。小さな群れが十から三十が集まって大きな群れになると、ハーピーの長であるセイレーンという魔物が誕生するのだが、セイレーンに率いられる群れは高い山に生息しており、森の中にまで入ってくることは滅多にない。
森にいるハーピーたちははぐれと呼ばれ、他の魔物たちと熾烈な競争を繰り広げていた。同じハーピーでも他の群れは競争相手であり、狩場を巡ってハーピーどうしで争うことも珍しくない。
例外は繁殖期だ。一方の群れが子育てをしている時期は、他方の群れが餌や防備を提供する。今の時期がちょうど繁殖期にあたり、四つの群れが共同で子育てをしていた。
パニックに襲われている自分の群れを、序列三位のハーピーはどこか冷ややかに眺めていた。群れの醜態は見られたものではない。逃げかえってきた四体を責め立てるところから始まり、四体がかりでゴブリンを倒せなかったことを叱責し、一人の女に気圧されて逃げかえってきたことを厳しく咎めた。
本来ならこれで片付く問題は、逃げかえってきた四体の中に、群れのサブリーダーがいたことで複雑化した。若いハーピーなら勘違いや未熟を理由にできても、経験と実力を持つサブリーダーが逃走を選んだとなると話が違ってくる。
ゴブリンたちが水源を求めていることも報告の中にあった。サブリーダーが相手の力量を見誤るようなヘマはしないだろうこと、水場を求めての接触が考えられることから、どう対応するかで意見が割れていたのだ。サブリーダーは相手の力が恐ろしいものであると繰り返し、サブリーダーの実力を知る他のハーピーたちも逃げ腰になっている。
ハーピーたちの頭は群れの中でも頭一つ抜きんでて大きく、伏せているサブリーダーたち四体を睥睨する瞳には露骨な失望が浮かんでいた。
元々、頭とサブリーダーの折り合いは悪い。
今代の頭は、狩りで疲れていた先代を後ろから殺して地位を手に入れた経緯があるからだ。乗っ取り同然で群れを手に入れた今代は、先代の血を引く子供たちを殺して回り、サブリーダーはかなり派手にそれを諫めたこともある。
今代としては小面憎いサブリーダーに向ける眼光が険しくなるのも当然で、三位のハーピーはこれを好機と見てとった。
対話の可能性を模索するべきと主張するサブリーダーに、そろり、と近付く。自身の主張を通すことに必死になっていたサブリーダーは、三位のさりげない行動に気付かなかった。気付いているだろう頭もなにも言わない。
慎重に射程距離を確認した三位は、猛然とサブリーダーに襲いかかる。実力で勝るサブリーダーも、完全な不意打ちとあっては抵抗のしようがない。ブチィッ、と音がして、サブリーダーの首は引き千切られた。驚きに群れが静まり返る中、唯一、頭だけが悠然と頷いた。
『よくやった。今からお前が第二位だ』
『は! 全力で働きます』
サブリーダーは臆病風に吹かれた咎で処刑され、ハーピーたちの方針は決まった。戦いである。四つの群れの共同体なのでなにかと主導権争いが目立つのだが、頭としてはここで実力を示して、群れを統合しようと目論んでいるのだ。
新しく第二位となったハーピーは、自身の力と地位を誇示するため、逃げかえってきた他の三体も見せしめとして殺す。逆らうような奴、士気を下げる奴はこうなるのだと教え込む。
『来ました! ゴブリン共です!』
頭も二位ハーピーも舌なめずりをする。来たか。ギルマンと決着を付ける前の景気付けだ。一体残らず噛み殺してやる、と群れの先頭に立つ。
ハーピー頭には野心がある。この多くの魔物が生息する森で、唯一絶対の王になることだ。二位ハーピーの野心は、頭を追い落として王の地位を手に入れることだ。間違ってもゴブリンなどに躓くことなどあり得ない。頭と二位ハーピーは、眼光鋭く愚かなゴブリンたちを見据えた。
妙な組み合わせだ、というのが二位ハーピーの最初の感想だった。恐らく頭も、群れの他の皆も似たようなものだろう。グリーンゴブリンが一体、ゴブリンから離れた位置に人間の女が二人――二位ハーピーはエストを人間として捉えていた――いる。
はっきりしている点は一つ。サブリーダーが犯したミスのことだ。どこをどう見ても、強力そうではない。完全無欠の雑魚でしかない。戦意がないことをアピールしているのか、両手を上げて少しずつ近付いてきている。口にするセリフは水場に関するものだ。平和的に共有したいなどとほざいている。
あのゴブリンはまるで分際を弁えていない。最下級の雑魚魔物が自分たちハーピーに要求できるなどと、どうやったらそこまで思い上がれるのか。下らないな、と二位ハーピーが心中で吐き捨てるのに数瞬遅れて、頭が大きく吠えた。
戦闘の、いや、景気付けのための嬲り殺しの開始だ。複数の群れが集まり三十体になるハーピーの中で、序列一桁になる若いハーピーが真っ先に斬り込んでいく。経験はまだ足りないが、序列一桁に相応しい実力の持ち主だ。ゴブリンのような雑魚魔物、もしかすると一蹴りで殺してしまうかもしれない。慌てた様子のゴブリンが腰から剣を引き抜く。
二位ハーピーは背筋が寒くなった。なんだ、あの真っ白い剣は。空気に触れる様だけで、ただならぬ一振りであると悟らせるほど、不吉な輝きを持っている。二位ハーピーの不安は、だが若いハーピーでは理解できなかった。速度を緩めることなく突進して飛びかかり、顔の上半分を斬り飛ばされる。強靭な四肢も地を掴むことができず、勢いそのままに地面を転がる。真っ白い剣の威力もさることながら、握るゴブリンもそれなりの使い手のようだ。
二位ハーピーの隣で頭が低く唸る。不機嫌になっている証だと知っている二位ハーピーは、指示を出すために鋭く鳴く。序列一桁の連中を隊長に、数匹単位の隊を複数作り、ゴブリンを取り囲むように群れを展開させる。二位ハーピー自身も隊を指揮すべく先頭に立つ。地位を確固たるものにするためにも、確実にゴブリンを仕留めるつもりだった。
と、ゴブリンが腰を落とし、真っ白い剣を地面と平行に構える。あの体勢からどんな攻撃を仕掛けてくるのか。二位ハーピーが訝しげに首を小さく傾けようとして、傾けるより早くゴブリンが動いた。ゴブリンはその場で体を大きく回転させたのだ。
バカ丸出しの愚行、ではない。真っ白い剣の刀身が突如、何倍にも伸びたのである。決着は一瞬で着いた。ゴブリンを取り囲んでいたハーピーたちは、伸びた刀身による薙ぎ払いで残らず斬り倒される。半分近くが絶命し、残り半分も重症だ。二位ハーピーも回避行動を採ることはできたが、右足を失った。二位ハーピーが信じられない事態に驚いていると、空気を震わせる咆哮が轟いた。
怒り狂った頭が動いたのである。二位ハーピーから見ても頭の動きは速く、攻撃力も高い。強靭な羽毛に覆われた防御力も並のハーピーを遥かに凌ぐ。騙し討ちで先代を殺したにしろ、群れで最強なのは間違いない。
頭が唸り声をあげて跳躍、ゴブリンに襲いかかる。以前にも頭がゴブリンの群れを襲ったことがあったが、そのときのゴブリンたちは恐怖に震えて逃げ出すこともできなかった。足の一振りでゴブリンの頭部を砕き、爪の一撃でゴブリンの首を千切り飛ばし、残りのゴブリンは逃げ出すことも降伏することもできずに、ハーピーの群れに殺されたのだ。
頭自身もその日のことを幻視していたのかもしれない。必勝の意気だけを持って襲いかかった頭は、開いた口を閉じることなく首と胴が分かたれていた。二位ハーピーは信じられなかった。恐るべき速度で急降下した頭に対して、ゴブリンは踏み込み、真っ白い剣を横薙ぎに振っただけ。
ただし速度が尋常ではない。遠巻きにしていた自分でさえ、ゴブリンの動きはほとんど見えなかったのだ。
頭が死んだ以上、暫定的とはいえ自分が群れを率いる立場になる。なんとか起き上がろうとする二位ハーピーは、後方に別の気配を感じた。振り向くと、別の群れのハーピーたちだ。子育てで洞窟にいた群れも異常を察したのか出てきてくれている。
『お、おお! ちょうどいいところに。頭がやられた。手伝ってくれ』
足を失ってバランスの悪い体を引きずりながら、二位ハーピーは他の群れに近付いていく。ハーピーたちは怒りなのか唸り、眼光を鋭くしている個体もいる。残り三つの群れのリーダーハーピーたちは不自然な沈黙を貫いていた。
『それにしてもよく来てくれた。こうして協力してくれるってんなら大助かりだ。皆で協』
二位ハーピーの頭を別の群れのリーダーハーピーが踏みつけた。メリメリ、と音がしそうなくらい強くだ。呆気にとられる二位ハーピーに構わず、他のハーピーたちも二位ハーピーの四肢や腹を一斉に引き裂きにかかる。体格で勝る二位ハーピーでも多勢に無勢、これだけの数に襲いかかられては振りほどくこともできない。
『な、な、な、こ、これは、っ』
『協力だと? バカを言え。貴様らの群れのサブリーダーには、こちらも色々とよくしてもらっていたんだ。彼女を殺した奴らを、まして隙を見て我らを殺して群れを乗っ取ろうとしていた貴様らを、許すはずがないだろうが!』
二位ハーピーの頭は一気に踏み潰された。
◇ ◇ ◇
「えーと?」
事態の展開に一騎はついていけなかった。仲間割れを起こしたのは確か。けどその後はどうなるのだろうか。仲間を殺したハーピーが剣呑な輝きを宿す目をこちらに向けてきているではないか。
継戦に備えて骨刀を立てる、と茂みの中からエストとクレアが出てきた。足元には子ウルフもいる。隠れているようにとの一騎の言いつけは破られたのだ。泉でのハーピーとの戦いから考えて、最後まできっちりと隠れている可能性は低いものではあったのだが。
「ふ、あたしも一緒に戦ってあげるわ。我が最強を誇りし闇の魔法で援護してあげる」
「頼もしい限りだが無理はすんなよ? お前にケガをさせるわけにはいかないんだからな」
「え?」
クレアの顔が赤くなる。なにかおかしなことを言ったかな、と首をひねる一騎の頬に痛烈な痛みが生じた。エストの繊手が伸びて一騎の頬をつねり上げたのだ。
「ひゅだだだっ!? エシュトしゃん!?」
「ちょっとエスト、あたしの下僕になにしてるの!」
「誰があなたの下僕よ! ねえ、イッキ。わたし思うんだけど、イッキにはそろそろきちんとした教育が必要なんじゃないかな」
「ばんのびょとでしゅか!?」
怒られる理由が一騎には皆目見当がつかない。教育だって義務教育課程を立派――ではない成績で修了した身だ。
「わからない、か。やっぱり教育が必要ね。ま、それは後として」
一騎の頬を解放したエストが無造作な足取りでハーピーたちに近付いていく。
「! おい、エスト!」
「ん、大丈夫だから。心配しないで」
エストが集中攻撃を受けるかもしれないという一騎の想像は、簡単に裏切られた。ハーピーたちの間には強い緊張が生じ、目を吊り上げて威嚇の表情を作れるのも一部のリーダー格に限られる。他のハーピーたちは遠巻きにしているだけだ。
エストが一騎にはわからない言語でハーピーたちに話しかける。張り詰める緊張感と、足元に転がっているハーピーの死体のマッチ具合が凄く、一騎の心の構成成分は不安が過半数を占めていた。
この後はどうなるのだろうか。仲間割れをしたことから敵討ちなんて展開にはならないだろう。しかし水場を巡る戦いは生存にかかわる戦いでもある。
一対一なら負ける気はしない一騎も集団戦は不得手、というより経験がない。宗兵衛とリンクしているから骨刀の形状変化が可能とはいえ、慣れない戦いには手こずりそうである。困ったときは宗兵衛と相談だ。懐から通信玉を取り出す。
(おい、宗兵衛、こういうときはどうしたらいいと思う?)
《まず常盤平を生贄として差し出します。君を散々ボコボコにして、向こうの気が済んだタイミングを見計らって、土下座から始まるコミュニケーション技術を常盤平が駆使することで良好な関係構築を》
(途中経過がさっぱりわからないんだが!?)
《君を生贄に捧げるだけで交渉に応じてくれるのなら、ローリスク・ハイリターンでしょうが》
(ローリスクなのはお前だけだろうがこらぁっ!?)
宗兵衛にとってはローリスクどころかゼロリスクである。そして一騎にとってはハイリスクどころの話ではない。
《場の雰囲気を和ます気の利いた軽いジョークはともかく、子ウルフをこちらで保護していたことを前面に押し出して、他種族に対しても敵意がないことを説明しましょう。先程の戦いもあくまでも降りかかる火の粉を払うためのもの、双方が納得できる友好『宗兵衛さん、シチューのお代わりお願いします』ニンジンが残っているじゃないですか。まったく、好き嫌いはダメだとあれほど》
実に中途半端なタイミングで通信が途絶える。エストとハーピーたちとのやり取りも一段落したようで、群れの中で相談をしたり黙ってこちらを見たり、どことなく落ち着かない感じだ。
クレアも子ウルフもいる状況で、雌雄を決するような展開は考えたくはない。どうにか平和的に片付けられないかと考えていると、三体のハーピーが一歩二歩と前に出てくる。一騎としては身構えたいところだが、隣にいるクレアがやたらと自信満々に薄い胸を逸らしているので、なんとなく格好をつけて「泰然自若」を気取ってしまう。
小柄なゴブリンと、見下ろすようなハーピーの視線が交錯する。そういえば小学生の時にカラスに追いかけられたことがあったな、と場違い且つ縁起でもない記憶を掘り起こしていると、ハーピーたちはその場で膝をついた。彼我の実力差を悟ったからこその敗北宣言。ハーピーの群れは一騎への服従を誓い、傘下に着いたのだった。
「あの、エストさん? こいつらになにを言ったので?」
「イッキは転生者で、最近、森を荒らしていたグールやストラスを倒したっていう事実だけよ」
「え!? イッキって転生者なの!?」
そういえばクレアには教えていなかったな、とぼんやりと思う一騎だった。




