第三章:四話 クレアとの出会い
「ふぅ、た、たた助けてくれてありがとう。本来なら強力な闇の使い手であるこの我が、あの程度の敵に後れを取ることなどあり得ないのだけど、今は星の巡りが悪いから本来の力が抑え込まれているの。まあそれでもどうにかできたとは思うけど、とりあえず、お礼だけは言っておくわ。闇の魔女に感謝されるなんてめったにないことなんだから」
薄い胸を精一杯逸らしている姿には、闇の魔女しての威厳は微塵も感じられない。感じられるのは背伸びしている感と、覚えのある人間にとっては果てしなく痛々しい感だろう。
「一向に感謝されてる気がしないな」
エストの怒りが収まってから、一騎たちは助けた少女と言葉を交わす。最初こそゴブリンの一騎に敵意と警戒感の強かった少女も、明らかに従来のゴブリンとは毛色の違う一騎に、多少なりとも歩み寄ることにしたようだった。人語を話すことと助けてくれたことも関係しているだろうが。
エストの存在も大きい。ハーピーを追い散らしたエストは見た目が人間で、ゴブリンを警戒する様子がないことも少女を安心させていた。そのエストは「わたしのイッキ、て言っちゃった」とかなんとか小声で呟きながら、子ウルフの腹を撫でまわしている。
「ちょ、本当に感謝はしてるわよ。素直に受け取りなさい、変なゴブリンね。でもまあいいわ。我が名はクレア。この森の近くにある村に住まう、闇の末裔たる魔女よ」
「いや、住んでるのって……どうして一人でこんなところにまで入ってきてるんだ? 森の魔物が殺気立っているって言われてないのか?」
闇の末裔たる魔女、の部分はスルーする。これが一年前の一騎なら、
「ふ、深淵の御使いたる俺との間に縁があったことを感謝するがいい。薄く乏しい縁、それこそが我らを繋ぎ合わせた、運命であり宿命でもある我らの真なる力に他ならない」
などと、内容のまったく伴わない反応を示していたに違いない。挙句、今は押し入れの奥に捻じ込んである「魔界報告書」に事細かに記載したことだろう。不意打ちで己の黒歴史を見せつけられたようで、一騎は内心で悶え苦しんでいた。
「う、言われてるけど。お父さんの仇を討たないと」
年端もいかない少女の口には似つかわしくないセリフだ。森近くの村で農業を営んでいたクレアの父は、最近になって攻撃的になってきた魔物に頭を抱えていた。クレアの父親だけでなく、村人全員の共通した思いだ。
小さな村の主要産業は農業で、農業以外の産業は村に一軒の宿屋兼酒場くらいだ。収穫した農作物は近くの砦にまで持っていく必要があり、これが結構な負担になるのである。
移動に割く人員と、移動にかかるお金もバカにならない。もう少し大きな村なら役人が徴集に来るのだが、クレアの村は小さすぎて対象から外れているのだ。他の小さな村は周辺の大きな町に農作物を集める形で対応している。しかしクレアの村から一番近いのが砦のため、より離れている町や大きな村に持っていく意味がないのである。
ここで重大な問題になってくるのが魔物の存在だ。
村から砦までの道は整備されてはいるものの、安全の二字からは程遠い。野盗が出ることもあれば、森から出てきた魔物に襲われることもある。野盗は金や荷物を奪うだけで、命も奪っていく魔物と比べれば多少はマシだ。あくまでも多少なだけで、小さな村にとって痛手であることには変わりがない。
こういった場合、基本的な対応としては冒険者組合に依頼を出して護衛を雇うことが多い、とラビニアの授業で教わった。本物の冒険者に会えるのかと心躍らせ、魔物である自分は討伐対象だという事実に大きく落胆したものだ。ついでに、魔物と冒険者がわかり合うのも王道だ、と数秒で立ち直ってもいるが。
冒険者組合を頼る理由だが、荷物運搬の護衛は難易度が低く、比較的、安価で依頼を出すことができるからだ。その道中の護衛を雇う金にすら事欠くほどに、財政状況の厳しいのがクレアの村である。農作物の収穫時期になると護衛依頼が増え、冒険者側が値を吊り上げる傾向にあることも理由だ。
ある日、人里近くで魔物が目撃され、遂に村人たちも動くことになる。収穫量が例年より少なかった村は、冒険者組合に依頼を出すこともできず、已むなく村の狩人を先頭に森に分け入った。実戦経験のない村人たちの何人かは、魔物に襲撃され殺されたのだという。
クレアの父も被害者の一人だ。父を失った母親の落胆ぶりは酷く、幼い弟の世話もままならなくなる。多くの男手を失った村は全体的に落ち込みが目立ち、暗い雰囲気をどうにかしようと「私がお父さんの仇をとってくる」とクレアは思い立ったのである。
思い立ったからといって、子供が魔物の徘徊する森の奥にまで入ってくるのは尋常ではない行動力だ。地図もなく勢いだけで森に入ったクレアは道に迷い、偶然、見つけた泉に近付いたところをハーピーに襲われ、一騎たちに助けられたのだった。
「ま、まあ? 我の本来の力が戻ってさえいればあの程度の魔物、物の数ではないのだけど、えっとその、助けてくれたことには感謝しているわ」
「それはよかったよ」
闇の魔力とか本来の力とか、一騎の記憶にも強く残っている単語だ。正直、掘り起こしたくないし触れたくもない単語の数々を、まさかこっちでも聞くことになるとは思ってもいなかった。心持ちげっそりした顔をクレアに向ける一騎。
「さすがに村にまでは無理だけどさ、近くにまでなら送っていくから、とりあえず君はもう家に帰るんだ。森の中が危険だってことはわかったろ?」
「ちょ、それはダメよ。あたしには父の仇のグールを滅するという崇高な使命があるのだから」
「あれ? グールだったら俺が倒したぞ?」
一騎の言葉に目が点になるクレア。少女はさすがに最下級魔物のゴブリンにグールを倒せるとは思えず、点にした目を不審げに細めた。
「グールってあれだろ、三人組でかなり凶暴な」
恐らく赤木たちのことだろう、と一騎は当たりを付ける。アンデッドは通常、墓地やら戦場跡に出現するものだ。森の中で積極的に動き回るアンデッドなど、それこそ転生者くらいしかいないだろう。
「嘘……本当に、やっつけてくれたの?」
一騎の説明に目を丸くした少女は呆然と呟き、
「うわあぁぁぁぁん!」
号泣した。
父を失った悲しみ、父を奪った相手への怒り、母をなんとか元気づけようとの意気込み。どうにかナイフを握りしめることで抑えられていた、複雑に絡み合った感情が決壊したのだった。目を赤く腫らしたクレアの小さな手は、一騎の魔物の手をそっと握っている。
助けてくれた相手であり仇をとってくれた相手であることから、ある種の信頼めいた感情が生まれたらしい。加えて人語を話し、理性的に対応する魔物への興味もあったようで、一緒について行くと言ってきかない。
一騎としてもクレアを邪険に扱う気にはなれなかった。
クレアの父を殺したのは赤木たちで、赤木たちが人を殺すに至った原因は魔族だ。一騎に直接の責任はない。それでも赤木たちはクラスメイトだし、ここで無関係だと断ち切るのも薄情に思える。結果的に仇をとった縁もある。村の近くまで送ろうにも、現在の優先事項は水場の確保とハーピーとギルマンへの対処だ。クレアのためにせっかく形になりつつある村に、不要なリスクを背負わせるわけにもいかない。
こんな少女を一人で森の中に放置するわけにもいかず、これらの理由から一騎たちはクレアと同行することになったのだ。
「ねえイッキ、随分と嬉しそうに見えるんだけど?」
「ききき気のせいだ!? 片手がふさがっている緊張感からそう見えているだけさ!」
背後から容赦なく突き刺さるエストの殺気は、いつ襲ってくるかわからない森の魔物よりも恐ろしい。いや、魔物たちもエストに気圧されて逃げ出しているんじゃないかと思う一騎だった。




