第三章:三話 雑魚魔物、出掛ける
翌日、簡単な朝食を終えて一騎たちは森の中を進む。先頭には案内ゴブリンが立っている。地図を受け取ったのだが読むことができず、出発してから一度、教会に戻って案内を頼んだのだ。宗兵衛の冷たい目が忘れられない一騎である。
出発から十分が経過したので、当初の予定通り、一騎は懐から真っ白い玉を取り出した。宗兵衛の骨で作られた通信アイテムである。リディルの監修に加え、魔法の知識まで手に入れた宗兵衛が実験的に作った品だ。通信機能だけでなく、ストラスたちが使っていた転移機能、緊急時には集落側に知らせる報知機能まで備えているという。
「あー、こちら常盤平一騎、受信状況はどうだ?」
《問題ありません。うまくいけば、ゴブリンたちにも持ってもらう予定ですので、不具合や改善点があればメモでもしておいて下さい》
「それはわかってるんだが……」
《? どうしました?》
「あのさ、転生してからこっち、どうもお前だけ順調に成長してね? なんで魔法まで使えるようになってんだ? 俺なんかゴブリン→ゴブリンアーチャー→ゴブリンアタッカー(短時間)→ゴブリンセイバー(予定)だぞ。不公平感がハンパないんだが」
返ってきたのは「こいつはなにバカなことを口走っているのか」とでも言いたげな不愉快な沈黙だ。
《成長と表現するのなら、君のほうがよっぽど成長しているでしょうが。僕の知っている常盤平一騎には町づくりをしようなんて積極性はありませんでしたし、日本での君は女子と自然体で接することはできなかったでしょう。女子から好意を寄せられることもなかったと記憶していますよ。僕としては魔法なんかよりも、そっちのほうがよっぽど羨ましいのですがね》
魔法が使えないから成長していないと決めつけていると、予想外の方向から成長を指摘された。確かに、普通、というよりも日本の感覚では魔法の習得よりも、人間関係の構築や人間性の変化を指して成長と表現する。日本での感覚を忘れていない宗兵衛に対して、ファンタジー世界の感覚だけで考えていた自分が恥ずかしくなる一騎だった。
「……下らんことを言った。悪かった、忘れてくれ」
《ここで謝罪がなければ、通信玉に仕込んでおいた自爆装置を遠隔作動させようと思っていたのですが、運のいいことですね》
「ばっか野郎!? なに仕込んでくれてんのお前ええぇっ!」
《自爆は君のアイデンティティだったはずでは?》
「そんな破滅的なアイデンティティを持った覚えはねえ! ちょっと感動した俺が間抜けみたいじゃねえか!」
《自覚があって大変結構。それではこれで通信を終わります》
「ちょっ!?」
本当に通信が切れた通信玉を、爆発を警戒しながら懐に戻して歩みを再開する一騎。
手入れなどされているはずのない森は歩きにくく、倒木や大量の草によって道が塞がっていることも多い。必要に応じて一騎が骨刀を振り回して、文字通り道を切り開いていく。昼でも薄暗い森の中、ざっくりした地図はほとんど当てにならず、案内ゴブリンを信じるしかない。あまり遠出をしたことのないエストと子ウルフはご機嫌だが。
慎重に進んだこともあって、歩くこと二十分にしてようやく少し開けた場所に到着する。奥からはかすかに水音も聞こえる。目的地までもう少しだ。教会から水源までの木を切り倒して、道路としても整備しようと考える一騎。夢や野望だけは本当に次々に思い浮かぶのである。かなりの確率で打ち砕かれることだけが玉に瑕だ。
『ギ、イッキ様、この先に水場があります』
「ようやくか。そういや水場に名前とかついてるのか?」
『ギ、落鳳坡といいます』
「落鳳坡っ!」
一拍おいて、
「てちょっと待たんかあああぁぁっ! マジで!? ホントの本気でその名前!?」
『いえ、イッキ様から地名とか聞かれたらこう答えるようにとソウベエ様が』
「やはり貴様か宗兵衛えええぇぇっ!」
《おかけになった番号は現在使われておりません》
「いらん機能つけるなよ! もういい。あいつとの決着は後にして、とりあえず、なにが起こるかわからないから、まずは俺だけで行く。エストたちは少し離れて待機していてくれ」
「気を付けてね、イッキ」
女の子に心配されながら出発するのは、もしかしなくても人生で初めてである。一騎は人間のときよりも、ゴブリンの今のほうが恵まれている気がして仕方がない。どことなく間違っている気がしないでもないので、歩きながらため息をついた。
木々の切れ目から水が反射する光が飛び込んでくる。ハーピーかギルマンに見つからないように慎重に歩を進める。光に目を細めて少しずつ水場に近付くと、
「こ、こっち来るな! 来たら我が闇の魔力に贄にしてやるんだから」
ファンタジー世界で物凄く中二なセリフが木々を掻き分けてきた。慎重に近付くなんて考えを即座に捨て去り、一騎は駆けだす。木々の隙間から飛び出すと、水場には四体のハーピーと、今にもハーピーに食いつかれそうになっている少女がいた。年の頃は十代前半、一騎の実年齢よりも数歳は下といったところか、少女は一応はナイフを構えているが、素人の一騎から見ても隙だらけである。
「大丈夫かっ?」
「え? ひ! ゴ、ゴブリン!?」
「あ」
思わず飛び出してしまってから気付く。そういえば自分はゴブリンだった、と。山狩りをしていた村人たちの言行を思い出して、軽はずみだったかと思いつつ、飛び出てしまったものは仕方ない。新たな魔物の出現に怯えの増した少女を背に、一騎は骨刀をハーピーに向けて構えた。
「とにかく俺の後ろにいろ! いいな!」
「ゴブリンが人間の言葉を喋ってる!?」
驚く少女に構っている余裕はない。目の前で牙を剥き出しにして威嚇してくるハーピーへの対応が先だ。あくまでも水場を巡る話し合いが目的、平和的に交渉しようとの意志を込めて、ゆっくりとした口調で話しかけた。
「落ち着いて聞いてくれ。まず君たちの長」
『『『ガルァウガッハ!』』』
「ぎゃあああああぁぁぁっ!」
いきなり襲われる一騎。話し合いがどうのというのは一騎の言い分であり、ハーピーにしてみれば縄張りに侵入してきた外敵でしかないのだから、当然の反応だ。
さして強力な魔物ではないハーピーも、ゴブリンからしてみれば強敵である。あくまで並のゴブリンからすればであり、いくつもの戦いを経て成長したらしい一騎なら、そこまで苦戦する相手ではない。ハーピーが単体なら。
ハーピーは顔と上半身が人間の女性の姿、下半身が鳥の姿の魔獣だ。可愛い女の子かなとか、魔物なんだからひょっとして上半身は裸かも、などと雑念邪念塗れの考えを持っていたから罰が下ったのかもしれない。
足の爪の鋭さはともかく、チームワークがこれまでの敵を大きく上回る。敵が連携して襲ってくる戦い、その経験の乏しい一騎としては、予想外のやりにくさを感じた。傘下に組み込みたいとの思惑もあるので、積極的な攻撃は控えるべきではとの悠長な考えもある。
「ちょ、待て待て待て! こっちは戦う気はないんだって! ここの水場の平和的利用についてまずは落ち着いて話を聞」
『グワッハァッ!』
「ひいいいぃぃっっ!? 問答無用!?」
一騎が大した反撃をしてこないので勘違いでもしたのだろうか、ハーピーたちの攻撃と連携の速度が上がってくる。退治を優先するべきか、勢力拡大の可能性を残しておくべきか。ハーピーたちを気絶させるか、四肢の一本でも斬り飛ばすか、少女を連れて逃げるか。困ったときの宗兵衛頼み、一騎は逃げながら通信玉を取り出した。
《力が、欲しいか?》
「唐突なキャラ立てすんなよ!? 第三章になってからキャラを変えてどうする! 力が欲しいって言ったらくれるのか!?」
《おれもないけど心配するな》
「なかったら意味ねえだろ!」
《そのうち、なんとかなるだろう》
「ならねえよ! っぉおおぉっい!?」
アホなやり取りをしていると、ハーピーの鋭い爪が一騎の顔に迫る。骨刀を振るうかどうかの決断もできず、咄嗟に避けることに成功した一騎の頬は、ハーピーの爪で小さく傷を負っていた。
少女が短い悲鳴を上げたその瞬間、嵐のような魔力が吹き上がる。木々の向こう側からだ。木々は大きくざわめき、水面は乱れ、空気すら弾けている。吹き荒れる強大な魔力を伴って姿を見せたのは、殺気を漲らせたエストだ。ズズズとかゴゴゴとかの効果音を背負っている。少女は腰を抜かしてへたり込み、怯えたハーピーは情けない声を上げて後退り、子ウルフはエストにぴたりとくっつき、貰ったばかりの一騎の眼鏡には三本のひびが入った。
「たかが、ハーピーの分際で……わたしのイッキにケガをさせるなんて……っ」
そんな理由!? 一騎は全身を使って叫んだ。まさに嚇怒の雷。そのまま魔力を放とうものならハーピー諸共、泉も吹き飛びかねない。ついでに一騎も吹き飛ぶかもしれない。危機感を募らせた一騎が後ろからエストを羽交い絞めにする。
「落ち着け、エスト! 俺なら大丈夫だから!?」
「でもイッキ、あいつらがっ」
自分たちに向けられていた敵意が逸れたのを千載一遇の好機と捉えたのか、四体のハーピーは一目散に逃げだした。とりあえず水源が吹き飛ばなかったことに一騎は安堵して、「エストは絶対に俺より強い」と心の中で呟くのだった。




