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幕間:その六 ゴブ吉の決意

 我が名はゴブ吉である。


 雑魚として名高いゴブリンに生まれ、事実として戦いは弱い。群れでの狩りを成功させたことこそあれど、一対一での戦いとなると、実力は群れ全体の中の中といったところだろうか。長老の息子ということもあって、群れの中での地位はそこそこで、雑魚は雑魚なりに、この魔の森の中での日々を潜り抜けてきたとの自負がある。


 そのなけなしの自負が崩れ、いや、粉微塵になったのはつい最近。突如として現れたグールたちによって群れはズタズタにされてしまった。多くの仲間を殺され、無理やり手下にされ、手下になってからもことあるごとに殺された。


 弱い自分たちでは抵抗することも逃げることもままならない。絶望と恐怖に浸かり切ってすべてを諦めていたとき、イッキ様に出会ったのだ。


 まさに衝撃的だった。種族は違えど同じゴブリンであるイッキ様は、グールたちを恐れることなく戦ったのだ。こんな存在があるのかと驚き、気付いたときにはほかの仲間たちと一緒に跪いていた。


 思いがけず道案内役になれたときなど、嬉しさで舞い上がってしまいそうで、役に立ちたい一心で洞窟を守っていた仲間たちの説得もした。そしてイッキ様は、私たちでは手も足も出なかったグールたちを倒してしまう。


 恐怖からの解放に湧きたつ仲間たちは一つの決断を下した。イッキ様に群れの長になってもらおう。幸いにしてイッキ様は快く引き受けて下さり、我らはイッキ様の傘下に入ることで新たな一歩を踏み出したのだ。


 イッキ様の仲間は不思議というか奇妙というか、ともかく、私が出会ったことのない素敵な方たちばかりである。


 まずは奥方様のエスト様。エスト様はイッキ様に深い愛情を抱いているのが傍目にもよくわかる。毎日毎食、食事を作っている様子はとても嬉しそうだし、イッキ様が食事をしている様子を眺めるエスト様は幸せそうに表情を緩めている。


 ソウベエ様との関係には驚かされた。スケルトンが喋ることにも驚いたのだが、頭であるイッキ様と対等に接していることに尚、驚いた。イッキ様が対等な関係を受け入れていることにもだ。ソウベエ様の実力も相当なもので、先頭を走るイッキ様と、支えるソウベエ様という図式は知能の低い自分たちでもすぐにわかった。この群れは今後、お二人を中心に大きくなっていくのだと確信する。


 ラビニア様は、よく分からないというのが正直なところだ。イッキ様はラビニア様のことを微妙に信用していないのか、ときに警戒している様子がうかがえる。逆にソウベエ様は受け入れているようで、ラビニア様の定位置はソウベエ様の頭の上だ。実力の程はうかがい知れない、しかしラビニア様を見ていると底知れない恐怖に襲われてしまうことだけは事実だ。


 リディル様については、ラビニア様以上によくわからない。ソウベエ様の中にいることは確かなのだが、イッキ様もよくわかっていないようで「あれは宗兵衛の脳内彼女だから」と言っていた。ますますもってよくわからない。


 なにより驚いたのは名付けだ。よく意味の分からないことを始めたイッキ様に驚き、なぜか思い切りショックを受けていた姿にも驚いたが、せっかくイッキ様から授けていただいた名前だ。私は以後、ゴブ吉と名乗ることになる。


 グールたちから解放してくれただけでなく、住処の確保と群れの安全、更には名前までいただけるとは。転生者というだけあって魔物らしくなく、ソウベエ様とのやり取りでは威厳を失い、特にエスト様には頭が上がらないことなどがよくわかるが、それでも私たちはイッキ様について行こうと決めたのだ。


 そんな、敬愛してやまない我らが主イッキ様は今、


「ちちちいぃ違うんだ! 待ってくれエスト、これはなにかの陰謀ふぎゃあああぁぁぁあっ!」


 正座をさせられ、大腿の上に重石を乗せられていた。


『リディル、宗兵衛さんの疑似痛覚はどうですかー?』

《完了。ラビニア、石を》

「ちょ、待! 僕は関係ないでぬぅわぁぁああっ!」


 隣ではもう一人の頭と言って差し支えないソウベエ様も同じ目に遭っていた。アンデッドのソウベエ様には本来、痛覚は存在しないにもかかわらず、リディル様が疑似的な痛覚を再現したらしい。やはりリディル様も凄い。


「イッキ、わたしというものがありながら……」


 バサバサバサ、と音を立てて地面に放られる書物。開いたページには人間の女の裸が載っている。煽情的なポーズと目付き、肌の色も髪の色も体型も様々な女が載っているその本は、特に人間の男が好むもので、私たちが戦った冒険者も所持していたことがあった。たしかあの本は、冒険者が落としていったものを私たちの洞窟で置いていたものだ。


 奥方様がイッキ様に向ける瞳には剣呑極まりない輝きが閃いている。ラビニア様から立ち昇る空気も凍死しそうなほどに冷たいものだ。


「言い訳があるんなら早くしたほうがいいわよ」

「だから誤解だ! ゴブリンたちの宝物庫に残っていた宝物を整理していたら偶々出てきて、それを手に取っただけなんだ! やましい気持ちは一欠けらだってありはしない!」

「ひゃっほー、お宝だ、て食い入るように見てたじゃない」

「ちちち違う!? あれは裸に興味があったんじゃなくて単に学術的学問的なアプローチをぎゃぁぁぁあああっ!」


 更に一枚の重石が乗せられた。近くに目を向けると、もう七枚の重石が残されている。


『宗兵衛さんも言い訳がありますかー?』

「言い訳以前の問題です! あの雑誌は常盤平が探し、見つけ、遂には隠し持とうとしていた代物! 僕は即座に破棄することを提案したのに常盤平が考えを変えずっ」

「貴様、宗兵衛! 俺だけに罪を押し付ける気か!?」

「ふ、愚かな。僕はアンデッドですよ? 食欲、睡眠欲、性欲の三大欲求は既にこの身にはありません。いわば解脱の領域に辿り着いたのがこの僕なのです」


 おかしい。私の記憶によれば、アンデッドは生前の記憶や欲望に縛られて徘徊する魔物のはずだ。まさかソウベエ様は悟りを開いた聖人のアンデッドかなにかなのだろうか。


『どうですか、リディル?』

《あのいかがわしい書物を手にしたときの主には、形容しがたい劣情が渦巻いていました。はっきり言って、極めて不愉快です》

『はい、乗せますねー』

「待、落ち着いぎゃあああぁぁっ!」


 ソウベエ様にも更に一枚の重石が追加された。残りの重石は六枚。五枚ずつ均等に乗せた場合でも、イッキ様とソウベエ様の足はペシャンコになるだろう。奥方様もラビニア様も笑顔なのに、とてつもなく恐ろしい。なんというかこう、原初の恐怖が刺激されるかのようだ。


「おい、宗兵衛! なにか打開策はないのか? もうこの際、土下座でも土下寝でもなんでもいいから」

「閃きました」

「おお!」

「魔力操作で骨体の強度と硬度を上昇させれば重石程度でダメージを受けることはなくなります」

「それだとお前が大丈夫なだけじゃねえか!?」

「だから?」

「真顔で返すだとぉっ!?」

「さようなら、常盤平。君との付き合いで得た経験を糧に僕はこの世界で生きていきます」

《骨体内部の魔力循環を遮断しました》

「なんですって!?」

『一枚追加しまーす』

「んのおおぉぉぉおおっ!?」


 三枚目の重石は、ラビニア様の風の魔法で持ち上げられ、五メートル上から落とされた。ソウベエ様の足の骨が砕けないのは、リディル様の神業的な補助のおかげだろう。ラビニア様もリディル様も相当、お怒りだとわかる。


「バカめ! 自分だけ助かろうとするかぐおっふぉぉぉおおおっ!?」

「共犯のソウベエに追加されたんだからイッキも追加しないと」


 奥方様とラビニア様とリディル様の言うところのお仕置きの終わりは、イッキ様とソウベエ様が自らの手で「お宝」と呼ぶ書物を火にくべることで、ようやく訪れたのだった。


 うん、まあ、それでも、私はイッキ様にずっと


「ゴブ吉、ちょっといいか?」

『これはイッキ様、いかがされましたか?』


 翌日のことだ。剣の訓練をしていた私に、イッキ様がお声をかけて下さったのは。イッキ様から直接とは、どんな用事なのだろうか。いや、それがいかなる無理難題であっても、イッキ様の望むことならば私は全力で応えよう。


「例のお宝な本だが、また手に入れたら持ってきてくれ。もちろんエストには内緒でだぞ」

『え? いやそれは』

「なんだ、長たる俺の言葉が聞けないのか?」

『後ろに』

「イッキ、どうやら、お仕置きが足りなかったようね」

「待ってくれエスト!? これには海より深い理由がっ!?」


 イッキ様は奥方様に引きずられていった。


『宗兵衛さんは隠れて頼まないんですかー?』

「どうやったらリディルに隠れて頼みごとができるのですか。僕には無理ですよ」

《主、なにか不満でも?》

「滅相もございません」


 えー、まあ、その、なんだ。それでも私はイッキ様についていく。

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