幕間:その三 バラバラの道
いつもと同じはずだった。
行商人を襲って金品を奪う。追手がかからないように商人たちは全員を殺し、目撃している可能性のある通りすがりの人間も三人殺した。意気揚々と根城である盗人宿に戻ってきた。一連の行動には部下たちも含め一つのヘマもなく、プロフェッショナルに相応しい、淡々且つ迅速な仕事だったと自負している。王国から高額賞金を懸けられるA級首に相応しい仕事だと。
事態が大きく変わったのはいつ頃だったか。
盗人宿に戻り祝宴を始めた。美味い酒と美味い食事を流し込み、仲間内で賭け事に勤しみ、呼びつけた商売女たちを手当たり次第に抱く。盗賊の見本ともいうべき、実にありきたりで本能に忠実な行動だった。宴が終わったのは夜も遅くなってから、日付が明日になってから三時間近くが経過してからだ。
最初に異変に気付いたのは盗賊団で副長を任されている中年の男。傍らで眠る女を邪険に押し退け、用足しに行こうとした時だ。立ち上がったはいいのだが、足が床を捉えることができずに転んでしまう。飲みすぎたか、と自重気味に呟いて、起き上がるべく手を床につくと、その手は、ズブリ、と音を立てて床にめり込んだ。
驚いている暇は副長にはなかった。めり込んだ腕は引き抜くことができず、そのまま床に沈み込んでいく。腕が引きずり込まれ、足と胴体が続き、助けを求めて大きく息を吸ったところで、頭部も飲み込まれた。
パニックになったのは邪険に扱われて目が覚めた女である。女は金切り声を上げることには成功し、逃走には失敗した。床に足をつくと同時に、壁のようにせり上がってきた床に一瞬で飲み込まれた。盗人宿のあちこちで悲鳴と怒号が生じ、しかし剣戟の音は一つたりとてしない。
それはそうだろう。盗賊たちを襲撃したのは他の野盗や、正規の騎士や兵士のように武装してはいないのだから。盗賊たちと連れ込まれた女たちを合わせて三十人弱、彼ら彼女らの抵抗はなんら成果を見ることなく無駄に終わり、数分の後には全員が化物に飲み込まれた。
最後に盗人宿が徐々に形を変えていく。遠目に見ているものがいればわかったかもしれない。盗人宿自体が巨大なスライムだったのだ。
建物にまで擬態できるその巨大スライムは体をモゾモゾと動かし、ペ、と商売女たちが吐き出され、次いで首領と副長の首だけを吐き出す。出し終えるとスライムは人の、少女の形へと変化した。転生者である白取くるみは、満足そうにお腹を軽く叩く。
「まままままさかこんな簡単に」
盗人宿から少しだけ離れた位置の木陰に隠れていた中年の男が震えている。中年の名はフリード。職業は行商人で、最近になって冒険者との兼業を行うようになっていた。
「こうやるって説明したじゃない。聞いてなかったの、フリード?」
「いやいやいや聞いてはいましたけどねホントにできるとは思わなくてですね非常に驚いている次第でして」
「句読点つけて喋ってよ。フリードはただでさえ早口で聞き取りにくいのに」
「すすすすみません」
白取くるみとフリードの出会いは穏当なものではなかった。洞窟を脱出してふらふらになっていた彼女を、行商の最中だったフリードが見つけたのが始まりだ。
白取くるみはぼんやりとフリードの馬車に乗っていたが、途中で襲ってきた盗賊たちを見ると、魔物としての本能が強くなった。空腹だったことも手伝って、盗賊を食い殺したのだ。白取くるみはそのままフリードも食い殺すつもりでいたのに、どういうわけか彼は女物の服を出してきた。当時の白取くるみは服を失った状態で、ボロ布を巻いているだけだった。
――――おおおお女の子はふふ服をちゃんととききき着るように!
怯えて涙を流しながら、股間に温かい染みを作りながら、命乞いもしてこないフリードにすっかり毒気を抜かれてしまった彼女は、戯れに服を受け取り、戯れを重ねて見逃すことにしたのだった。だったのだが。
着替えて、さあどうしようかと決めあぐねていると、なんとフリードが話しかけてきたのだ。行く当てがないのなら一緒に行かないか、と。相手がなにを考えているのかさっぱりわからなかった白取くるみは、とりあえずフリードの手を取ることに決める。どう転んでも、フリードに負ける要素がなかったからだ。
こうして見た目は十代半ばの少女と中年男性のコンビが組まれ、旅をするようになったのである。職業は冒険者、ただしフリードのみだ。魔物の白取くるみが堂々と冒険者登録をするわけにもいかず、翻ってフリードはれっきとした人間なので、冒険者組合に登録することができたのである。中年になってからの冒険者登録だ。登録の際には、他の冒険者らからかなり冷やかされたフリードも、選択が間違っているとは思っていなかった。
「さ、フリード、女たちと首を馬車に乗せて。換金にいくわよ」
「ひえええ、まままさか苦労して買った馬車に首を乗せることになるなんて」
「一緒に行かないかとか言っときながら、自分一人が生活するだけで精一杯の稼ぎしかないフリードが悪いと思いますけど、なにかしらの異論でもございますでしょうか? あれば遠慮なくどうぞ」
「ありません!」
大慌てで生首を持つフリードだった。慌てるフリードの様子がおかしくて、思わずくるみは笑ってしまう。フリードに対する笑いと、自身に対する笑いだ。何となく自分がダメ男に引っかかる女になっている気がしたのである。それも悪くないか、とくるみは考える。
くるみはスライムとして転生させられた。実に腹立たしい。なにが悲しくてこんな不定形魔物に変えられなければならないのか。吸血鬼に転生した霧島玲が羨ましくて仕方ない。
まあ、スライムだったおかげで崩れる洞窟の瓦礫を浴びてもダメージはなかったのだが。また、スライムを雑魚と侮って襲いかかってきた他の転生者を返り討ちにすることもできた。洞窟崩壊後には「不定形なら人間の形も採れるのではないか」と考え、結果としてご覧の通り、人型になることもできている。いくつかの戦いを経て、十分に強力な魔物へと成長することもできた。今のくるみはフォートレススライムともいうべき、巨大なスライムだ。建物に擬態することも可能となっている。
人からかけ離れた化物。くるみは己の内側が黒く染まっていくのを感じていた。あのとき、出会った相手がフリードでなければ、体だけでなく心まで完全な魔物になっていたと確信している。
「すみませーん、こっちはもう行けますよ、くるみさーん」
「はいはーい。すぐ行くわ」
そう考えると、ダメ男に引っかかったくらいは許容できる失敗ではないだろうか。馬車に向かうくるみの足取りは軽かった。
その一団は悲鳴を上げて逃げている。旅人と旅人を護衛する役目を負った冒険者たち、合わせて四人。その四人を襲った暗殺者たち三人。合わせて七人、本来なら敵どうしの立ち位置にあり、事実としてついさっきまで殺し合いをしていた連中だ。
その彼らは恐怖に顔を引きつらせて逃げ惑っている。熟練の冒険者も凄腕の暗殺者も、打つ手なしと見栄も外聞も捨てて逃げている。
高い金を出して冒険者を雇った旅人の耳に不吉極まりない音が届く。自分たちを追ってくる虫の、無数の虫の羽音だ。聞こえたのは旅人だけではなく、冒険者たちも暗殺者たちも顔をより引きつらせた。冒険者チームのリーダーである戦士が罵る。
「こんなところにクラウドバグが出てくるなんて聞いてねえぞ!」
クラウドバグは人間の頭ほどもある巨大な甲虫だ。灰色から黒い色をしていて、集団になると巨大な雨雲のように見えることから、この名がついた。一匹では大したことのない雑魚、集団になると都市一つを落としたことすらある危険度の高い敵だ。
「お前らぁ! ぼ、ぼくを守れえええぇっ! ぼ、くのパパは侯爵なんだぞ!」
最後尾の旅人が声を張り上げる。戦士の顔色が変わった。
「貴族だったのか!?」
「知らずに護衛をしていたのか?」
応じたのは暗殺者だ。暗殺者の声の二割が敵意で構成されていた。残りの八割は呆れである。貴族の旅人は、父親がなんでも頭ごなしに決めつけてくることに反発して家を飛び出したのだ。自由なイメージの強い冒険者に憧れて、自分も冒険者になるつもりでいた。しかし実際の冒険者を見たことがなかったので、冒険者がどんなものか知るために、敢えて戦士たちを雇ったのである。
「くそ! 貴族だとわかっていたら契約なんざしなかったのに!」
「そのほうがこっちの仕事もやりやすかったよ」
「はひーふひー、おおおい、ぼくより先に行くなー」
逃げながら不毛な言い争いをしている人間たちに、クラウドバグはニヤリ、とほくそ笑む。虫の魔物へと転生させられた富士宮達郎は、いまや嬉々として人間を襲う魔物として活動していた。
追うクラウドバグの総数は数百に及び、数百のすべてが富士宮と意識を同じくする、群体ともいうべき形で動いている。転生直後は一匹だけだった富士宮は、成長に伴い自分自身の数を増やしていったのだ。
もっともっと数を増やす。そのためには大量の餌がいる。餌は目の前を必死になって逃げる人間たち。断じて逃がさない。甲虫の目に異様な輝きが宿ると、人間たちの目の前に新たな甲虫の群れが出現した。回り込ませておいた別動隊、これで挟み撃ちにできる。
冒険者も暗殺者も驚きに目を見開いた。
「バカな、クラウドバグが待ち伏せ!? 挟み撃ちだと!?」
「本能で追いかけてくるだけの魔物じゃなかったのか!」
「ひぃっひぃっ! お、おい、ぼぼくをしっかり守るんだあああぁぁっ!」
人間たちの目には絶望だけが浮かんでいる。五分後、地面の上には七人分の骨が転がっていた。
村があった。
村には家族が住んでいて、家族には小さな子供もいた。村の中央にある広場には、小規模ながらもいくつもの店が並んでいて、都会の喧騒とはまた違う、村ならではの人々の賑わいがあったのだ。
そんな光景を、騎士たちは思い浮かべた。思い浮かべることしかできなかったのである。
騎士たちの眼前に広がるのは、凄まじい破壊を受けて粉々になった建物の残骸と、残骸を含む一切が沈みつつある毒の沼地だ。間者を放ち、少ない目撃者から集めた情報で判断する限り、この災害をもたらしたのは強力な魔物であると思われる。
違う。思われるのではなく、間違いなく魔物の仕業だ。
最近になって確認され、各地に甚大な被害を与えている巨大な魔物、地竜。機動力が売りの騎馬隊を大きく凌ぐ速度で移動し、訓練をした兵士たちですら紙切れのように斬り裂いていく。
一般市民も冒険者も兵士もそれぞれに被害を出し、この暴虐な地竜は、出現から時間をかけずに高額の賞金を懸けられるに至った。領境などお構いなしに暴れまわり、宮廷においてなにかと反目しあっている、トゥーナとジルド両伯爵家が手を組むほどの事態だ。
両伯爵家から選抜された部隊の指揮を任せられたムンダールも、地竜討伐には並々ならぬ意欲を持っていた。ムンダールだけではなく、討伐部隊五百人全員に共通した決意でもある。地竜はあちこちに大きな爪痕を記し、数多の悲しみと憎しみを生み出しているのだ。
眼前に広がるこの村は、ムンダールの祖父が移り住んだ土地であり、生き延びた村人によると、祖父は一人でも多くの村人を逃がすために剣をとって戦ったという。かつてはトゥーナ伯爵家の筆頭騎士にして、五つある王国騎士団の一つで副団長まで務めた祖父に相応しい、勇気ある行動だったとムンダールは確信する。
老いて力も技も衰えて尚、騎士としての気構えを貫き通した祖父を心から尊敬する。毒の沼地に突き立った祖父の剣の近くには、抉り取った地竜の片目が転がっていた。
「ムンダール殿!」
馬で近付いてきたのは、騎士たちの副官を務めるボッシュだ。ムンダールとは若い頃からの知り合いで、互いに切磋琢磨してきた仲である。仕事から離れれば遠慮なく酒を酌み交わし、ときにはどつき合いもする友人も、この場では立場をわきまえた言動に終始している。
「どうした、ボッシュ殿? 地竜の居場所でも知れたか?」
「そこまではまだ……ただ、あの化物を確認した複数の目撃証言が得られました。証言を繋ぎ合わせると地竜の行き先は恐らく」
報告にムンダールは決意を新たにする。あの地竜は生かしてはおかない。一日生きていると、それだけで人々に大きな被害を与える。騎士の務めとしても、祖父の敵討ちを望む一人の人間としても、断じて地竜を討つと手綱を握りしめた。




