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第二章:二十四話 片付け

 エストの遠慮のないタックルからのベアハッグを脱した一騎は中庭にいた。昨日とは違って動けるようになっていたからだ。目立つ特徴として、一騎は眼鏡をかけている。教会に残っていた品を改造してもらったのだ。度はほとんどなく、けれど転生によって視力が回復している一騎には問題がない。ただ、小学生時代から眼鏡をかけていたので、ないとなんとなく寂しいのである。


 一騎が中庭に出てきた目的はここ数日、顔を見ていない相手に会うためである。エストは一騎が動けるようになったことに感動して、腕によりをかける、と台所に走っていった。


「おや? 動けるようになったのですか」

「ようやくな。お前はまだみたいだな、宗兵衛」


 中庭には宗兵衛がいた。正確には埋められている。なんでも地中から魔力を吸収するためなのだそうだ。


「エストから聞いてたけど、珍妙は景色だなあ」

「珍妙とは失礼な。そもそも君が僕の魔力をごっそりと奪ったのが原因でしょうが」

「それを言われると返す言葉もないな」


 一騎の調査目的で骨刀を介して魔力的に繋がっていた点については、慎ましく沈黙を守る宗兵衛だった。


 エストを助けるための魔力吸収により、宗兵衛は骨体の六割以上を失った。アンデッドなので放っておいても徐々に修復はされていくのだが、他から魔力を受け取ることでより早い復活を目指すことができるらしく、その結果が庭木のような今の宗兵衛だ。死体は土に還るものであり、アンデッドは土系統の魔力との相性がいい。一騎は山から木を運ぶときのことを思い出した。


「そういや、スケルトンとかゾンビって、土の中からポコポコ生まれてくるイメージあるもんな」

「表現には異論もありますが、確かにその通りですね。ところで、エストというのはもしかして?」

「ああ。今度からはブラウニーじゃなくてエストって呼んでやってくれ」

『宗兵衛さーん、水を持ってきました』


 ラビニアが如雨露を抱えて飛んできた。


「如雨露かよ! ますます園芸だな」

「これも深慮遠謀の結果です」


 自分で言うな、と呆れる一騎を窘めるのはラビニアだ。宗兵衛には宗兵衛のしっかりとした思惑があるのだと説明してくれる。


 曰く、いくら土系統の魔力と相性がよくても、ここは教会の敷地内だ。打ち捨てられて長いとはいえ、当然、土には神への信仰や威光による系統、ようするに聖系統の力が流れている。下級アンデッドなら動きは鈍くなり、三、四日もあれば、木材運搬時に宗兵衛が召喚したスケルトン程度は土に還るだろう。


 そんな教会敷地内の土から魔力を吸収する理由は一つ、聖系統への耐性獲得だ。聖系統の魔力を直接取り込むと、アンデッドの宗兵衛は滅んでしまう危険がある。その点、二百年を経て濃度の薄まった聖系統の魔力ならば、リスクを抑えると同時に魔法的な抗体を手にすることできるだろう、というのが宗兵衛の考えだった。


「ワクチンみたいな考え方だな、おい」

「実際に耐性が得られるかどうかはともかく、僕たちを追いかけていた村人たち、彼らは討伐のために教会に頼むとかなんとか言っていましたからね。打てる手は打っておいて損はないでしょう」

「それはそうなんだろうけど。で、お前はいつごろ動けそうなんだ?」

「今日の夕方には下半身の修復も終わる予定ですよ……うぅ、骨体がピキピキと音を立てて、じわじわと再生されていくのは生理的に受け付けられませんね。なんというか、得体のしれない気色悪さです」

『そのうち慣れるから大丈夫ですって。はい、聖水をかけますねー』

「ちょっと待て!? アンデッドのこいつに聖水なんかかけてもいいのか!? 爆発したりするんじゃないだろうな!?」

『川の水で薄めているから大丈夫ですよー』


 不純物を混ぜた時点で、それはもはや聖水ではない気がする一騎だ。 


 ラビニアの楽天的な保証はいとも容易く裏切られる。ラビニアは教会に保存されている聖水を用いたのだが、この教会自体が二百年前に捨てられているのだ。聖水を作っていたはずの教会関係者も姿を消して久しく、エストには聖水を作ることはできない。


 ようするにラビニアの持ってきた聖水は二百年前の代物だということだ。長熟型のワインなら飲み頃が百年後なんて代物はあるが、それでも二百年は長い。適切な保管がされていなかったこともあって、聖水の劣化は激しかった。


《警告。即座に破棄すべ》

『あ』


 ラビニアの小さな手から如雨露が滑り落ちた。カビや雑菌や淡水プランクトンらの一大王国と化した、埃と汚れにまみれた聖水の成れの果て、それでも聖水としての効果を残していた代物を掛けられた宗兵衛のダメージは


「ぎゃげぐれおっぷらふぁっつっっ!?」


 控えめに言っても極めて深刻で、結局、宗兵衛が動けるようになったのは翌日の昼過ぎだった。




 宗兵衛が動けるようになってから二日が経った。一騎は魔力こそ回復途上なものの、肉体的には復調を果たしている。


 目下の問題点は主に二つ。劣化や破損の著しい教会の修理が一つ、教会周辺からこちらをうかがっているイエローゴブリンへの対応がもう一つだ。


 菫の魔法によってイエローゴブリンたちの集落はとても居住に耐えられるような場所ではなくなった。最下級魔物の彼らが身を隠す場所を失っては、辿り着く先は全滅しかない。好き好んで全滅したいわけではないイエローゴブリンらは、一騎たちの保護を求めて教会に集まってきたのである。


 ただし敷地内に入ってこない。下手に足を踏み入れようものならエストの怒りを買う。イエローゴブリンにしても接点の乏しいエストよりも、同族で且つ多少の協力を経た一騎を頼りと見込んでいて、一騎と宗兵衛が動けるようになるまでジッと待っていたのであった。


 いつまでも放っておくわけにいかないので、一騎と宗兵衛、教会の管理者であるエスト、エストに懐く子ウルフ、宗兵衛の頭の上のラビニアの全員でイエローゴブリンと向き合うこととなる。


 イエローゴブリンたちは教会正面の広場に土下座し、一騎たちは教会建物の入り口を背に立っている。ゴブリンたちには動く気配がない。一騎たちに声をかけられるまで、顔を上げもしないだろう。


「どうするんですか、常盤平?」

「俺に聞かれてもな……この教会はエストのものなんだし」

「わたしは別に。よくよく考えれば、こいつらのおかげでイッキと出会うことができたようなものなんだし」


 エストのセリフに一騎の顔が赤くなる。宗兵衛とラビニアは、やれやれとばかりに首を振るのだった。


「問題は彼らの住居ですよ。まさか教会の空き部屋を利用するわけに」

「絶対にダメ」


 エストの拒絶はまさに超音速だ。エストの中では、教会敷地内で暮らしても構わないのはエスト自身と一騎と宗兵衛と子ウルフ、おまけでラビニアまでだ。呪いは解けても、教会が大事な場所であることには変わりがないらしい。


「じゃあ教会周囲にゴブリンの住居を作るのは構わないか? エストを助けるのにこいつらに協力してもらったからな。放り出すわけにはいかない」

「敷地の外だったら別にいいけど」

「なら決定、だな」

「いえ、もう一つ決めなければならないことがありますよ。彼らの立ち位置です」


 イエローゴブリンたちは一騎らの保護下に入ることを望んでいる。転生者の力によって自分たちの安全を図ろうというものだ。それ自体は一騎としてもかまわないと考えているが、問題なのは彼らをどう扱うかである。強い力に庇護されるというのなら、それに見合ったものを提供してもらうべきだと宗兵衛は主張するのだ。


「提供って、労働力とか?」


 言ってから気付く。これって頓挫した内政無双を復活させるチャンスではないか、と。ゴブリンの主要産業は間違いなく狩猟だろうし、ここに農耕を教えれば、本当に領地経営から内政無双へと至ることができるかもしれない。領地経営において食の安定供給は基本中の基本。そして基本はいずれ発展へと姿を変えるかもしれないのだ。


「ぐふふふふ」

『なんか、気持ち悪い笑い方してるんですけど?』

「なにか思いついたのでしょう。大体、見当は付きますが」

「イッキの考えたことなら問題はないわね」


 一騎の頭は回転を続ける。まずは一次産業を育てることだ。森を切り開くことから始め、同時進行で農耕に適した作物を調べる。養蚕にだって手を広げることができるかもしれない。一騎は勢い良く宗兵衛に顔を向けた。両目は期待でキラキラと輝いている。


「宗兵衛、考えがある!」

「棄却します」


 ズバッと音がしないのがおかしいくらいの切れ味だ。


「棄却ってなんだこらぁっ!」

「捨てて、取り上げないことですよ」

「意味的なことを聞いてんじゃねえよっ!?」

「なら放擲ほうてきします」

「意味すらわかんねぇっ!」


 放擲……投げ出し、打ち捨てること。


「聞いてくれよおおぉぉっ!? ゴブリンたちには労働力を提供してもらおうと思うんだ! 食糧事情の改善を視野に、色々と協力しながらやっていこう!」

「やっぱりそれですか。食事は僕になんの恩恵もありませんが、まあいいでしょう。リーダーは常盤平ですからね」

「え? 俺がリーダーなの?」

「それはそうでしょうよ。アンデッドがリーダーをしていたら、それだけでも縁起が悪いじゃないですか。僕はそうですね、黒衣キングメーカーとして君を支えましょう」

「ルビがおかしい!? 支える気まったくねえじゃん! それだと黒幕じゃないの!?」


 ともあれ、行動の指針は決まった。教会を中心として、小さいながらも集落が誕生する。住人はイエローゴブリンたちで、統治するのが一騎たちだ。長を務めるのは常盤平一騎である。宗兵衛が副長、エストとラビニアは第三位という位置づけだ。


 ルール決めもある、役割分担も決めなければならない。だがそれら一切は今後の課題として先延ばしにして、一騎は平伏し続けるイエローゴブリンたちに向き直る。


「長老、聞いての通りだ。こっちはお前たちを受け入れる。ただし」

『ギ、わかっております! すべてはイッキ様方のご指示通りにいたします!』

「へ?」

『イッキ様はとてもグリーンゴブリンとは思えないほどの強大な魔力を宿しておられます。それだけでなく剣の腕にも優れているとか。ソウベエ様もイッキ様に劣らぬ魔力と技倆の持ち主。我らの主はイッキ様とソウベエ様をおいて他にはありえませぬ!』

「ええー? そ、そうかぁ? いやー、それほどでも、でもなー」


 一騎は謙遜しながらも胸を逸らす。角度にして十五度ばかり。


『異種族であるブラウニーを取り戻すために格上に挑むほど男気に溢れ、しかも勝利までももぎ取るとは』

「はっはっは、よしてくれたまへ」


 角度が四十五度になった。


『漂う風格はまさしく王者のもの。今一度、誓います。我らは我ら自身を捧げます! 揺るがぬ忠誠を誓います!』

「うんうんうん、全面的に任せてくれたまえよ、君ぃ!」


 角度はついに九十度に到達した。到達してから不安に襲われる。誰かからこれほどまでに頼りにされるなど、生涯で初めてのことだからだ。


「どうしよう……本当に俺でいいのか?」

「仮にもリーダーなのですから、不安そうな顔を見せないようにして下さい。上の感情は下に伝播するものです。課題は山積しているのですから、表面上だけでも堂々としているように」


 聞き捨てならないセリフがあった。課題が山積しているとはどういうことなのか。確かにこれだけの数を養っていくことは課題と言えなくもないが、どうにも宗兵衛は別のことを指摘している気がする。


「少なくともこれで、人里に降りてきたゴブリンのボスは常盤平だと認識される可能性が高いでしょうね。もしかすると、ボスゴブリン討伐クエスト、なんてものが作られるかもしれません。それに森の魔物が好戦的になっているとの話ですし、長になった以上は正面きって戦う必要がありますね。部下や村を守るために」

「!?」


 一騎の顔は引きつり、しばらくの間、戻ることはなかった。

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