第二章:二十二話 勇者たちの笑顔
「うおおぉぉ」
「すげえ、本当に異世界だ!」
レメディオス王国王城グレースは大きく、美しい。建物自体も絢爛豪華な造りで、王国の国力が十分に高いことを実感させる。いわゆる山城というやつで、戦乱の続く大陸に相応しく、豪華なだけではなく堅固な防御力も備えている。
王城から見下ろす王都の街並みも圧巻の一言だった。王城からなので人々は豆粒程度の大きさでしかなかったが、その数と尋常でない往来から、生き生きと活動しているのがはっきりとわかるのだ。テレビで見たことのある古いヨーロッパの街が、全盛期の活力を持って眼下に広がっていると言えばもっともわかりやすいだろう。
「すげぇ」
「きれい……」
呆然と口を突いて出てくる素朴な感想に、王城を案内する騎士は満足げに頷いた。自分たちの守っている国や都市に驚いてくれて嬉しかったに違いない。提供させる食事は美味く、用意された部屋も見事な調度だ。召喚されたほとんど全員が不満を持っていなかった。
翌日になるまでは。
勇者たちに待っていたのは騎士団の訓練だった。ボストーク大司教によれば、勇者は圧倒的な魔力量を有し、個々に宝装が授けられはするものの、魔力と宝装以外は別の話だ。ようするに、基礎体力であるだとか戦闘技術であるだとかは、訓練によって得ていくしかない。
「そしてぇ! 訓練とは地道! 反復するものである!」
訓練場に騎士団長テレンスの大声が響き渡る。訓練場とはだだっ広い平原を指す。部隊を展開しての訓練も行われるそこで、勇者たちは騎士や魔物と実戦を兼ねた訓練を行っているのだ。
この平原は全体が王国の管理下にあり、魔物の出現率は低く、また出現しても大したことのない魔物が大半だ。ゴブリンであったり、ちょっと凶暴化した程度の鳥であったり、ちょっと巨大化しただけの蟻であったりと、勇者たちなら苦戦しようのない雑魚ばかりだ。
「ようするに、王都とやらは始まりの街、ってわけだな」
逃げ出したゴブリンを背中から両断しつつ、市川瑛士は呟いた。握る武器は高熱の炎を噴き上げる剣だ。刀身のない、持ち主の意思に呼応して炎の刃を現すこの『炎の剣』こそが、大神アルクエーデンより下賜された宝装である。ちなみに、スルト、という名前まで付けている。レーヴァテインとどっちを選ぶかでかなり迷ったのは秘密だ。
「始まりの街、か。市川君は適切な表現をするね」
柔和な笑みを浮かべながら常盤平天馬は市川に話しかけた。ボストーク大司教やキャリア官僚の父が使うものと同じ種類の笑みだ。
「う、ぉ、と、常盤平か」
急に声を掛けられて、市川は目に見えて狼狽えている。学校時代、天馬とは接点がなかったのだから仕方のない反応だ。
「昨日から気になっていたのだけど、市川君はこの状況にも戸惑っているようには見えないね。どうしたらそんなに自然体でいられるんだい? いや、オレには到底、無理なことだからさ」
「と、特別なことはなにもねえよ」
返す市川の声は上ずっている。ちょっとした緊張と、天馬にも無理なことを自分はできているという優越感からだ。
「ただ、まあ、起きてしまったことは仕方がない。覆しようのないことで無駄に騒いでも、と考えただけだ。考え方や気の持ちようで、かなり落ち着いていられるからな」
異世界転生物の小説や漫画などに慣れ親しんでいた結果とは言わない。あくまでも目の前の問題に対処した結果だと強弁する。
「なるほど……実際に、突然の事態にも対処できているのだから、凄いとしか表現のしようがないな」
「あ、ああ。後は、そうだな、置かれた状況に楽しみを見出すのも一つの手だ。例えば、今はこんなものとかにな」
市川は『炎の剣』を掲げ、炎の刀身を出現させる。
「やはり剣は格好いいな。オレも剣を貰えたらよかったんだが」
「常盤平の宝装はなんなんだ?」
「これだよ」
天馬が見せたのは銃だった。軍オタの素養もある市川も知らない銃だ。セミ・オートマティック・ピストルの類に見えなくもないが、詳細はさっぱりわからない。
「銃なんか持ったこともないのにな……照準を合わせるのも一苦労だ」
「それなのに銃を貰ったのか? 大神とやらもなにを考えているんだか」
「扱い方もよくわからないというのが本当のところだ。他の皆も戸惑っているだろう。異世界に来て、わけのわからない武器を持たされて。こんな状況で冷静でいられる、冷静さを保つ心構えも知っている君は本当に凄いよ。その心の強さこそが、本当の勇者の資格というものなのかもしれないな」
「お、おお、そうかもな」
天馬の言葉に市川の鼻の穴が大きくなる。『炎の剣』のような、与えられた武器を評価されるよりも、自己の内面こそを評価されてかなりご満悦のようだ。
「オレたちには君のような強さが足りていない、か。早く強くならないとな。瑞樹と巴もそうだが、オレとしても頼りにさせてもらうよ」
「そ、そうか……じゃ、じゃあこっちはこっちで訓練を続けるから」
「ああ、これからも色々とよろしく頼むよ」
天馬は握手の右手を差し出すが、市川は返事もせずに背を向けて歩き出した。
市川の背中を冷めた目で見送る天馬。瑞樹と巴の名前出した瞬間、市川の目に好色の輝きが閃いたことを天馬は見逃さなかった。レティシア王女とリュシエラ王女に欲望を抱いているのも一目瞭然なのに、節操がないのか付け上がっているのか。
いずれにせよ、これで市川のモチベーションは更に向上するだろうと考えている天馬の肩に、大きな手が置かれる。友人の佐々城宗篤だ。宗篤の後ろには神月瑞樹、桜田巴、新庄公仁の三人もいる。
「なんだ、天馬。珍しく振られたのか?」
「今まで関係らしき関係はなかったからな。市川君にしてみれば、状況が変わったからってなに勝手なことを言ってる、と感じても仕方のないことだろ。良好な関係構築は今後の課題として、喫緊の課題から先に片付けていこう。皆、宝装の具合はどうだ?」
「どうにかなりそうだ」
「同じくだ」
天馬の質問に宗篤と公仁が即座に返す。宗篤の宝装は四肢に装着する具足、公仁は柄も刀身も真っ黒な二振りの短剣だ。
「わ、私もなんとか」
巴は銀色の盾を構える。宗篤の宝装は攻防に優れるだけでなく身体能力まで大幅に向上させる。公仁の双剣は近接だけでなく投擲も可能な宝装だ。巴の盾は軽い上に強固な防御を誇り、しかも広範囲に防御膜を展開することもできる。
「それで、瑞樹なんだが」
「うるさいわね、天馬」
瑞樹が自らの宝装を地面に突き立てた。巨大な十字剣、クレイモアというやつだ。攻撃力も攻撃範囲も、宗篤と公仁を大きく上回る。瑞樹の宝装とその威力を知ったとき、男二人は盛大に落ち込み、天馬も目を丸くしていた。
「ちょっと力加減が難しいだけよ」
ばつが悪そうに瑞樹の顔。視線の向こうでは平原の一部が吹き飛んでいた。瑞樹の十字剣は威力が大きい分、制御が難しいらしい。
「まあ、少しずつ慣れていこう」
軽く微笑んで、天馬は引き金を引く。銃口から発射された一条の光線が千二百メートル離れた位置にいたゴブリンの頭を吹き飛ばした。
少なくとも一般的な日本人よりも、天馬は銃の扱いに慣れている。海外旅行の際に銃器の扱いの講習を受け、軍事格闘技の手ほどきも受けていた。以来、定期的に渡航しては、射撃の練習は続けている。インストラクターから、オリンピックで射撃の金メダルを狙えるとまで絶賛される腕前だ。
「武器的に、おれは後衛で瑞樹が前衛、巴は援護、公仁は援護と遊撃、宗篤は前衛と遊撃といったところかな。陣形も練習する必要がありそうだ」
天馬は穏やかに微笑み、他の四人も頷いた。
参ったな、と市川は大げさに喜んでいる内心を隠そうとして、完全に失敗していた。
「なんだよなんだよ、神月たちもおれにお熱ってか? 向こうじゃ見向きもされなかったおれが、すっかり勝ち組じゃねえかよ。くひひ、あの美人の王女たちはおれのものにするんだし、他の貴族の姫や有力者の娘も、全部全部おれのものだ。常盤平なんかに一人だって渡すものかよ。向こうじゃなにをやってもお前のほうが上だったんだろうけどな、こっちじゃおれのほうが上だ。てめえの何歩も先にいるんだ。誰よりも成果を上げて、いずれはこの国だっておれのものに」
大それた野望を小声でぼそぼそと吐き出す市川。そもそも市川瑛士は大きな不満を抱いていた。異世界に来たことも訓練を課されていることも、不満の対象ではない。不満なのは、勇者についてだ。
「なんなんだよ、この勇者の数は……」
勇者なんてものは一人か二人、せいぜい片手の指で足りるくらいで済むものではなかったのか。一クラス分が丸ごと勇者となると、勇者のありがたみが減るのではないか。なによりも、この市川瑛士の価値が下がってしまいかねないではないか。常盤平天馬や他の連中が手柄を立てるより先に、なんとしても自分が目立った成果を上げてやる。自分にはそれができると、市川は信じ切っていた。
「ねえ、あんたって結構スゴイじゃん、市川」
「へふ?」
市川にとってまったく聞きなれない声だった。しかし名前だけは知っている。黒木沙弥だ。芸能事務所に所属している現役のモデルで、最近は少しずつテレビにも出るようになっている。
「凄いって……な、なにがだよ?」
「さっきの常盤平との話」
「い、いや、別に凄くはないだろ……あれくらい」
「なにいってんの? あの常盤平天馬と対等以上に話をしたんだよ? スゴイに決まってるじゃん。元の世界じゃ、矢立くらいしかできなかったことなのに。先生たちだってかなり遠慮してたよ」
「そ、そうか」
市川は黒木から気持ち距離を取る。女への欲望が強いわりに、女への耐性がないので、黒木沙弥のような美少女に近寄られると、過度に緊張してしまうのだ。
「向こうにいたときとかなり印象変わったわね。頼もしくなったというか、男らしくなったというか」
「は、はぁ!? な、なにを勝手な」
「あは、確かにそうだよね。ま、私から市川への印象はいい方向に変わったからさ、今度は市川から私の印象がいい方向に変わるように頑張るわ」
多くの男性ファンの心を虜にした笑顔を輝かせて、黒木沙弥は市川から離れていった。黒木は女子三人でグループを作っており、自分のグループに戻っていったのだ。黒木の笑顔をしっかりと胸の内に焼き付けること数十秒、市川は盛大に息を吐き出した。
「来てる!」
なにが来たのかと問われれば、流れとかモテ期とかと答える。市川は、自分は大きな流れにうまく乗れていると判断していた。いまや市川には欲望と好色だけで形作られた満面の笑顔が張り付いている。
「おれが勇者だ。誰よりも優れた、常盤平よりも上の。王女たちだけじゃない。あの黒木だっていずれはおれのものにしてやるっ!」
訓練の様子を、高台から見下ろしている人影がある。目付きは陰惨で、表情は陰鬱、親指の爪をガリガリと噛んでいる様子から、強い焦燥を感じ取れた。
学年主任を狙う野心家の出口だ。彼は生徒たちを見守るとの建前を振りかざし、訓練には一切参加していない。参加するつもりもない。子供の頃から運動が苦手で、大人になってからも同様だ。
健康診断で高脂血症や尿酸値が上がっていることを指摘されても、運動習慣や食習慣を見直すつもりはない。自らが努力して改善するのではなく、各検査データは医療の力によって改善されるべきだと考えている。
自分からは決して積極的に動かず、最後のオイシイところだけを搔っ攫っていくことが最高だと信じて疑わない。
「くそ」
出口が唾を吐く。出口が教職を選んだのは、偏に女子高校生のすぐ近くにいられるからだ。売春だろうと援助交際だろうと知ったことではない。大学時代から制服の似合う女子高校生と肉体関係を持つことを趣味とし、それは今でも変わりなく、自分が倫理を受け持つクラスの女子生徒と関係を持っている。
若いときには、非常勤としてあちこちの高校に出入りしては、好みの生徒を物色していた。この修学旅行でも、普段は味わえない地方の女子高生を愉しもうと考えていたのに、こんなことに巻き込まれてしまったことへの怒りが収まらない、と同時に、今後の楽しみへと向けられた意欲も溢れだしそうになっている。
勇者として持ち上げられて話をするうちに、この世界では奴隷を手に入れることができると聞いたのだ。出口の脳内には下卑た妄想が、それこそ海のように広がっていた。
勇者として真面目に取り組むのが好印象の近道だとわかっている出口だが、訓練に参加していないのには理由があった。出口が左手に持つ分厚い本――出口に与えられた宝装、『預言書』だ――からの指示に従ってのことである。
出口が好みの女を求めた結果、『預言書』がここにいるよう示したからこそ、訓練をすっぽかして、ここに立っているのだ。宝装とやらがどこまで信用できるかを試すことを建前に、そわそわして周囲に目と顔を回し続ける出口。
「勇者様」
明らかに年若い女の声で話しかけられた。逸る気持ちを隠そうともせず、出口は勢いよく振り向く。日本なら中学生か高校生くらいの、日本では見たことがないくらいの美少女が立っていた。
出口の顔は、好色を絵に描いて極彩色で飾るとこうなる、という見本のようにだらしなく崩れた。勇者としての建前を繕うことすら、する気がない。出口の頭の中にあるのは、たった一つの欲望のことだけだった。




