第二章:十三話 教会長ベート
ようやく二章を書き終えましたので、
そろそろ投稿ペースを上げようと思います。
よろしくお願いします。
『……っぅ』
どうしようもない倦怠感と嘔気に襲われて、ブラウニーは目を覚ます。体の自由は効かない。声を出すこともままならず、辛うじて動かせるのは眼球程度か。ブラウニーの視界に最初に飛び込んできたのは、鉄の格子だ。自分は針金で作られた鳥籠の中に放り込まれていると理解するのに、大して時間はかからなかった。
『――――っ!』
どうして鳥籠の中にいるのか、を思い出そうとして、動かない掌に肉と骨と血管を裂いた感触がリアルに蘇る。イッキを背中から斬りつけた場面が鮮明に浮かび上がる。振り向いたときの、なにが起きたか理解できていないイッキの顔も。
ブラウニーの小さな体が震えだす。歯の根も合わずにカチカチと鳴り、自分の体温が急速に低下するのを自覚する。なぜあんなことをしてしまったのか。楽しい、本当に楽しい食卓を囲んだ相手を、どうして傷つけてしまったのか。それも後ろから斬りつけるなんて真似をしてしまったのか。
ブラウニーは靄のかかった頭を懸命に絞る。最後に残っている確かな記憶は、森の奥から次々にゴブリンが湧いて出てきたところまでだ。以降は急速に白くなり、彼女の記憶は極めて曖昧になっている。なにか、誰かの声が聞こえたらしいとまでは、薄ぼんやりとだが覚えていた。声の内容はまったく覚えていない。次にブラウニーの視界を叩いたのは、イッキの表情だ。
そこから先は記憶にない。腹に強い衝撃を受けた気もするが、覚えていない。気付いたときにはこの鳥籠の中にいた。ズキリ、と鈍痛が腹に響き、慌てて視線を落とす。ほとんどふさがっているが、赤黒く変色していた穴が開いていた。なにがあったのか思い出そうと記憶を探ろうとし、
「久しぶりだな、ブラウニー。実に、ええとどれくらいだったかな」
『――――ぇ?』
静かで落ち着いた声がブラウニーの鼓膜を揺さぶった。何年経とうと忘れるものではない。ブラウニーの在り方を定めた人の、二度と会うことはないと思っていた人の声なのだから。ブラウニーの見開かれた視線の先、古ぼけたローブを脱いだ人物は、間違いなく教会長ベートだった。
「まさか二百年経って再会しようとはな……いや、思いもよらなかったよ。まさかここまで見事に呪いが作用しているなどと」
肌は土気色、皮膚や髪にも生気はなく、体のあちこちは欠けており、漂う腐臭は隠しようもない。教会長ベートはアンデッドへなっていた。二百年前に別れたときに見せた穏やかな表情を、腐った顔に仮面のように張り付けている。中身のない笑顔、しかしブラウニーを揺さぶるには十分すぎる威力を持っている。
『……ぅ、あ』
歓喜に目を潤ませ、必死に手を伸ばそうとするブラウニー。二百年を経ても自分を慕ってくれ、懸命に自分に向けて手を伸ばそうとしてくれているブラウニーに、
「まったく、迷惑な奴だ」
教会長ベートは嘲弄と拒絶でもって報いた。
ブラウニーには教会長ベートの冷たい声が信じられなかった。彼が頼んだから、自分はずっと教会を守ってきたのだ。別れ際のあの笑顔と、あの頼みこそが彼女のすべてと言っても過言ではないほどに。必死になって、命がけで、ずっとずっと守ってきたのだ。だというのに、ベートは今、なにを口走ったのか。
「本当に」
教会長ベートは拳を作り、歯が砕けるのも構わずに歯軋りをして
「本当に迷惑な奴だよ貴様はぁっ!」
爆発した。机の上のコップを腕で払い飛ばし、地面に落ちている本や食器をしつこく蹴りつけ、唾の分かりに腐臭を口から撒き散らしながら、大声で怒鳴り続ける。まさに狂態。人を教え導く立場の人間にはありえない振る舞いだ。周囲にものがなくなると、腐った眼光をブラウニーに叩きつけた。大股で近付き、ブラウニーの鳥籠を持ち上げ、思い切り地面に叩きつける。ブラウニーの小さな叫びも聞こえていないようで、転がった鳥籠ごとブラウニーを踏みつけた。針金の一本が折れてブラウニーの腹を刺す。
『っ、か、はっ』
「せっかく! せっかく呪いをかけて教会に縛ってやったのに、なんだってまだ生きているんだ!? 討伐に誰か来ただろうっ。縛られて逃げることのできないお前はさっさと殺されているものとばかり思っていたのに、どぉぉしてまだ生きているんだ! お前がさっさと殺されないから! 教会を潰すことができなかったんだろうが! お前のせいで、この俺が出世できなかったんだろうがよぉぉっ!?」
ベートは転んでいたのだ。ユリス神信仰から真正聖教会へと宗旨替えをしていた。
二百年前、魔物が徘徊する危険な森の奥にあって、なかなか見つからない場所にあったあの教会がどうして見つかったのか、教会長だったベートが売ったからに他ならない。組織の中でこれ以上の出世はできないと考えたベートは、教会と信者らを売ることで自分は真正聖教会内部での地位を手に入れたのだ。
手に入れたはずだった。
ベートの思惑通りには進まなかったのだ。教会への攻撃は続き、シスターたちも殺されるなどしたが、真正聖教会は早期にユリス神教会を破壊することはできなかった。ブラウニーやシスターが抵抗をして、真正聖教会側にも被害が出たのである。
真正聖教会はベートを責めた。これだけ手こずるのはベートがもたらした情報に不備があったからだ、と。責任を問われることを恐れたベートは逃げ出したが、途中で教会騎士に殺害される。神の名の下に、邪教の徒として、無慈悲に殺されたのだ。
殺害されたベートはしかし、殺害されたままでは終わらなかった。魂はあるいは天国なり煉獄なりへ行ったかもしれない。残された肉体は違った。現世での地位や名誉に強い執着と未練を持っていたベートは、魂の代わりに未練と執着で肉体を動かす、アンデッドとして再び動き出したのだ。
『ベー、ト……そ、んな……』
「貴様にこの私の気持ちがわかるか!? 親がユリス神などを信仰していたからと、この私までも先のないユリス神に入信させられて、どれだけ絶望的だったか。それでも! それでも私は組織のために色々としてやったんだ! 寄付と称して金を巻き上げて、でたらめな護符を売りつけて、優しくて穏やかな神官を演じて信者を集めてやったんだ! この俺こそが教会の発展に力を尽くしたんだ! なのにこの俺をあんな森の奥の教会なんぞに放り込みやがった! あんな、なにもねえボロ教会にだ! 俺が裏切ったんじゃねえっ、あいつらが先に俺を裏切りやがったから、こっちも裏切ってやったんだよ! なのに! なのになのになのにいいいぃぃいいぃいっ!」
ベートは顔を搔き毟る。痛覚を失い、力のリミッターも外れているアンデッドの指は、腐って張りを失った皮膚を肉ごとこそぎ取る。肉の中には蛆が蠢いていた。
アンデッド化してからもベートは恵まれなかった。組織内での権力闘争に明け暮れていた彼の神官としての技量は低く、戦士としての技量は更に低かった。弁舌の力はあれど、舌の回転力など魔物たち相手に効果があるわけもない。森の中ではゴブリンにすら劣りかねない実力とあって、ベートはそれこそ這いずり回るようにして逃げ続けてきたのだ。自分を出世させなかった教会組織、自分の思い通りに滅びなかったブラウニーたち、自分を殺した真正聖教会、自分を認めない世界中すべてに呪いの言葉を叩きつけながら。
状況が変わったの本当につい最近、菫という転生者に出会ってからだ。泥水をすするような惨めな二百年を過ごしてきたベートは、自分の知識を必要としてくれる相手をようやく手に入れたのである。
「あの方といれば! 俺はようやく報われるんだ! 胸糞悪い真正聖教会も、クソの役にも立たなかったユリス教会も見返して、この天才に相応しい地位を手に入れる。転生者の力によって、俺は魔族の中で駆け上るんだ! あんなボロ教会なんぞ、俺の手で焼き払ってやる! 俺を裏切った連中の印みてえなあのクソッタレな建物を、跡形もなく灰にしてやる!」
この森のこと、魔物や世界、人間の国家のことなど、知りうる限りのことを菫に教えることで、ベートは菫の副官ともいうべき地位を手に入れたのであった。転生者は強力な力を持っている。転生者について行き、今度こそ自分に相応しい地位を手に入れると、ベートは目論んでいた。ベートの脳は腐り、妄執と糖分に浸りきっている。
『ベ……ト、わた、し……は』
ブラウニーは弱々しく、何度も首を横に振る。信じられない。信じてはだめだ。ベートが見せたあの優しさも、穏やかな笑みも、一切が虚構の上に成り立っていたとは思いたくなかった。涙がとめどなく溢れてくる。自分がしてきた二百年の意味が消えようとしている。教会を守って死んでいったシスターや信者たちの行いも、願いも、想いも、
「ブラウニー……てめえも二百年間、あんなところをよく守ってきやがった。俺の言うことをよおく聞いてくれた。従順なのはいいことだ。疑いなく俺の言葉に従うその姿勢は哀れで無様で滑稽でみっともないにも程がある! だが安心しろ! あれはもう、いらないんだよっ!」
こんなにも酷く、踏み躙られて、消えていった。
バキン、と金属的な音がして、ブラウニーの小さな体にヒビが入った。そのままブラウニーは意識を手放した。




