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第二章:十二話 暖かな食卓~その二~

 そこはゴブリンの集落だった場所だ。今となっては、新たな主の支配下に置かれている。かつての主であったゴブリンたちに生気はない。活力も意欲も奪い尽くされた彼らは、まさに奴隷として新たな主の言葉通りに動くだけだ。


 集落は洞窟を中心に作られており、洞窟の中にはゴブリンたちの集めた宝や食料が保管されている。


 軽快な破裂音が洞窟内に響き、なにかが飛び散った音が続く。洞窟の奥、ゴブリンの宝などに目もくれず、鬼気迫る形相で杖を振るフクロウの頭を持つ魔物、ストラスの姿があった。ストラスの近くにはローブに身を包んだもう一人の影が立っており、影は侍従のように恭しく一礼をし、新たなゴブリンを部屋中央にある台に括り付けた。もがき抵抗するゴブリンのことなど一瞥もしない。


 魔物の名は浅見菫。転生者である。フクロウが知恵の象徴として扱われるように、ストラスというこの魔物は魔法や錬金術の知己を豊富に持つ。本来、浅見菫が持っていない知識も、転生に伴って多くの知識が入力されていた。


 彼女は羽のような手で杖を握り、振り上げ、イエローゴブリンの胸に突き立てた。イエローゴブリンは短い悲鳴を上げて絶命する。


 菫の周囲には既に四体のゴブリンの死体、五体の人間の死体が転がっていた。破裂音の正体、原形を留めていないものを含めると十体になる。ゴブリンは元からこの集落にいた個体で、人間はゴブリンを追っていた狩人や村人たちだ。菫の実験の失敗によるもの、八つ当たりで殺されたもの、いずれにしても、ゴブリンたちが震えあがるには十分な所業である。


「戻ったぞ、菫。黄瀬も緑川も一緒だ」

「ひゃー、酷い目に遭ったぜ、赤木が」

「うるせえな。て、うわ、なんじゃこりゃ。また派手にやらかしたな」


 実験室に踏み入ってきたのは赤木と黄瀬と緑川だ。


「おかえりなさいませ、偉大なる方々よ」


 菫の近くに立つ影が深々と首を垂れる。この影と出会ったのはつい最近であるが、へりくだった態度と物言いには、赤木たちはいたく満足していた。


「おかえりなさい、みんな。これは実験が失敗してむしゃくしゃしてやっちゃったの。別にいいじゃない」

「こっちとしてもゴブリンもこっちの世界の人間も、どれだけ死のうと知ったこっちゃねえからな」

「そうね。ところで、新しい家の件はどうだったの?」


 菫の言葉に三体のグールは凍り付く。ゴブリンたちだけには任せておけない、と一緒に出かけていったというのに、失敗して帰ってきたのだから。


 顛末を説明すると、菫は笑顔のまま杖を振り上げ、グールたちの頭を一回ずつ叩く。特に骨角で縫い付けられた赤木の頭からはいい音がした。幼馴染で遠慮がないことも関係したのかもしれない。


「す、すまん、菫!」

「すまんで済むわけないでしょう、もう! ゴブリンの村ってカビ臭くて嫌なのよ。実験もしにくいし。任せてくれってカッコよく言ったくせに!」

「ほんっとうに、すまん」

「それに! そのゴブリンもスケルトンも転生者だったんでしょ? 三人がかりでどっちか一人も捕らえることができないなんて…………もう一回殴っていい?」

「「赤木だったらいくらでも」」

「ちょ、」


 慌てる赤木。菫の杖には魔力が込められていて、痛みの感じないアンデッドでも、何度も殴られれば頭の形が変わってしまうではないか。


「ちょっと待ってくれ。代わりにこいつを捕まえてきたから! ほら、妖精だ!」


 赤木が差し出したのは意識を失っているブラウニーだ。ブラウニーに施された呪いの影響で、今も魔力が流出している。向かう先は菫だ。


「そっか。なんか強い魔力が流れ込んできてるなあ、とは思ってたけど、この妖精からなんだ」

「そうそうそう! 連中が言ってたけど二百年くらい生きてるんだって。ほら、長生きしてる妖精とかって強い力を持ってるっていうじゃん? だからさ」

「わかったわよ。妖精捕獲の功績を認めます。これでいいんでしょ?」

「助かったー」


 赤木は大げさに胸を撫で下ろした。菫にしても実験材料が増えるのは望ましい。ゴブリンで実験を繰り返しても、元の魔力が少ないので満足な結果を得られないからだ。強い魔力を持つ妖精なら、もっと様々な実験ができるだろう。


「あと、菫。あの教会は諦めてほしい。アンデッドの俺たちは動きが鈍くなっちまうんだ」

「そうなの?」


 赤木の言葉に菫は問い返し、緑川と黄瀬も首肯する。


「うう、じゃあ、ここで続けるしかないのね」

「「「いや、本当にすまん」」」


 三体のグールが一斉に頭を下げる絵面はかなり不気味である。


「いいわよ。実験材料をあなたたちが集めてきてくれるから、私は実験に専念できるんだし」

「それは違うだろ。菫の実験は俺たちの希望そのものだ。希望があるから俺たちはなんだってできるし、なんだってするんだ」

「ありがと」


 菫の実験の目的は、人間に戻ることだ。菫たちは転生を受け入れたわけではない。理不尽さに怒り、必ず元に戻ってみせると固く心に誓っている。


 両者の出会いは、赤木たちが太田を追っている最中のことだ。必死に逃げる太田に手こずっていると、突然、太田に火球が直撃したのである。火球を放ったのがフクロウの魔物だった。正体のわからない相手を最初は警戒していた赤木たちだが、魔物の正体が菫だと知ると、警戒は真夏の氷のように解け去った。人間だった頃の菫はコスプレイヤーとして、三人のオタクとは近しい関係だったからだ。


「転生は腹が立ったけど、転生と同時に魔法に関する知識も獲得できたからね。転生関係の知識も少しは手に入ったし、なにがあっても、どれだけの犠牲を払っても絶対、人間に戻る方法を見つけて見せるわ」

「そのためならどんなことでもするぜ。とりあえず、ゴブリンたちをもっと連れてこようか?」


 緑川の言葉に、部屋の外で待機していたゴブリンが震えあがる。菫たちにとって、魔物のゴブリンは自分たちを転生させた妖精と同罪である。そこには一切の区別はない。自分たちは被害者で、魔物のすべては悪。ゴブリンたちが命懸けで償うのは当然、ゴブリンの命をどう扱おうとも自由、ゴブリンたちを使い潰すのは権利だと捉えていた。この世界の人間に対しても、菫たちは消耗品と同程度の認識しか持っていない。自分たちが人間に戻るための実験材料だ。


「偉大なる方々よ、そのブラウニーの保管はわたくしめにお任せ下さい」


 歩み寄ってきた影に菫が一瞥を与える。考えること数瞬、菫はあっさりと許可した。あくまでブラウニーは実験用の素材だ。生きてさえいればよい。


「大切に保管するのよ。絶対に死なせたりしないように」

「ははっ、承知しております」


 影はブラウニーを両手ですくい上げ、菫らに一礼をしてから部屋を出て行くのであった。


 洞窟で一番広い場所は、かつては村長だったゴブリンが占有していて、現在では菫たちの食堂に変わっていた。どこからか拾ってきたであろうテーブルの上には、質素ながらも食事が置かれている。ゴブリンが集めていた食材だ。アンデッドの赤木たちは食べる必要はないのに、菫一人だけで食事をさせるのは気が引けるので、こうして一緒に席についているのだ。


「父さんがやってたヤケ酒を覚えてしまいそうで怖いわ」

「未成年未成年」

「なによ。あんたたちだって、この前の打ち上げで酒を飲もうとしておばさんに怒られてたじゃない」

「あれは黄瀬が悪い」

「なぜ俺!?」

「酒屋の割引券を貰ったから使いたいって言ってただろうが」

「黄瀬、あんたねえ」

「違うんだ! 聞いてくれ、菫!」


 話は弾む。


 初めての接点は夏コミに参加したとき、開場待ちで並んでいる三人組のすぐ前に菫がいたことに遡る。列が動かない間に、好きなゲームやらアニメやらマンガやら絵師やらの話になり、大いに盛り上がった。緑川がトイレのタイミングを逸して開場に間に合わなかったときは、全員で爆笑したものだ。人がなだれ込んでくる様子を見てゾンビゲームや無双ゲームを連想して、今では自分たちがゾンビだと手を叩いて笑う。


 同人誌即売会では目当てのサークルの本が売り切れてしまったこと、関心を持っていなかった島中サークルから予想外のお宝を拾いあてたこと、途中で菫がコスプレイヤーに熱い視線を送っていたこと、コミケの後に菫に呼び出されてコスプレ姿を見せられたこと、ちょっとエッチなポージングを要求したら殴られたこと、少ない小遣いから互いに金を出し合って衣装用の生地を買いに行ったこと、大学生のサークルに参加して売り手側の体験をしたこと、思い出は尽きることがない。


「そういや去年、先輩んとこのサークルが参加申し込みしたけど落ちたってマジ泣きしてたな」

「先輩ってあの大学のか? どっか小さい出版社でバイトしてるって言ってたっけ?」

「ああ、私の写真を本にした最初の人ね」

「売れ行きは好調だったみたいだぞ。次はもっとエロいポーズが欲しいって希望だ。もちろんきわどい衣装も」

「……」


 菫のまなざしが氷点下に達する。


「違うんだって。エロは強いんだよ、本当に!」

「エロ要素のなかった赤木の本、一冊も売れなかったもんな」

「違う! 単に、俺の画力が追いついていなかっただけだ……っ」


 絞り出すような赤木の声だった。


「画力って言ってたけど、マンガの専門学校に行くってホントなの?」

「ああ。オヤジは反対してるけど、祖父ちゃんはすっげえ応援してくれてる」

「赤木のじいさんって漫画家だもんな。この前、勲章もらったとか言ってたっけ? ちなみにわたくしこと緑川実はゲーム会社を目指して頑張る所存です」

「俺は写真家になって菫の写真をバンバン撮るぜ」

「ただのカメ子じゃないの?」

「偏見だ! 俺が撮るのは文化的で芸術的で前衛的で」

「「「エロだろ?」」」

「酷い! そういう菫の将来はなんなんだよ?」

「私? 私はお姉ちゃんみたいなデザイナーかな」


 菫には薫という名の六歳上の姉がいる。高校在学中から演劇にのめり込み、そこで衣装を作っている間にデザインに興味を持ち、高卒と同時にニューヨークへ飛んで行った行動派だ。気鋭のデザイナーとして徐々に名前が広がっているという。


「薫さんみたいに、か……俺、スランプだとかなんとか言ってたときのあの人に、女装させられた記憶が頭にこびりついて離れねえんだけど」

「黄瀬の女装って拷問じゃね? 見る側にとっての」

「あれ? この前、お姉ちゃんのSNSにその写真があがってたような?」

「ちょっとおおおぉぉっ!?」


 食卓は盛り上がり続ける。


 高校生でバイトの幅が増えたので、四人で資金を出し合って本を作る計画も進めている。印刷会社は緑川の知り合いに頼むと安く引き受けてくれるようで、菫のコスプレ写真をカラーで入れたいと黄瀬が主張する。


 サークル名は決まっていなかったのだが、「フクロウとグールの合唱団」「セクシーフクロウ菫ちゃん」「腐った奴ら」などなど、転生した姿を笑い飛ばすかのようなネタも飛び交う。


 いっそ、この世界にも萌えの文化を根付かせ、夏コミ以上のビッグイベントを開催できるようにしようか、とまで話が大きくなっていく。


 夢は尽きない、話は尽きない。


 菫たちは頷き合い、再び決意を胸に刻みなおす。必ず、どんなことをしても、人間に戻ることを。元の世界に戻ることを。


 途端、洞窟全体を揺るがせる轟音と振動が菫たちを襲った。

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