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第二章:八話 爆ぜる

 一騎はなにが起こったのか理解できず、背後に首を回す。


 包丁を握りしめるブラウニーの瞳は濁っていた。瞳だけではない。全身からは食卓で纏っていたような優しさは消え失せ、代わりに冷たく攻撃的な気配が取って代わっている。白い肌も少しずつ黒いシミに浸食されている。


 妖精の生態など少しも知らない一騎ですら、尋常でない事態だと即座に理解できた。あまりにも異常な、急激すぎる変化。


『やはり邪妖精でしたか』


 宗兵衛の頭の上で淡々と呟くラビニア。


「気になる単語が出てきましたね。邪妖精の説明をお願いできますか?」

『もちろんですよー』


 ラビニアの説明に特別なものはない。邪妖精とはそのまま、邪悪化した妖精のことだ。瘴気やら呪いやらの影響で、妖精としての性質が変容した存在である。あのブラウニーは呪いにより邪悪化したのだという。呪いの内容は教会長の言葉だ。


 ――――きっと帰ってくるから、それまでこの教会の世話をお願いしていいかな?


 稀に人に憑く場合もあるが、基本的にブラウニーは家に憑く妖精だ。この教会は家ではなく廃墟であり、また人もいない。本来なら新たな家を求めて旅に出るだろうに、このブラウニーは教会長の言葉を受け取ってしまった。


 教会を守る、という呪いに縛られてしまったのだ。


『普段こそ呪いは表面化していないようですが、外敵がいると呪いの影響が出てくるのでしょうね』

「僕たちが来たときは邪悪化していないようでしたが?」

《状況が違います。主たちの場合は最下級の魔物であるスケルトンと、スケルトンより更に下位のゴブリンの二体だけでしたので、十分な余裕を持って対処できる相手だと判断されていたのでしょう》


 転生者とはいえ見た目はただの雑魚である。ブラウニーが一騎たちを低く評価するのは仕方なかった。しかし今回はゴブリンの大量出現だ。加えてグールまで出現し、グールによって一騎が手傷を負わされた。


 これらの状況が重なり、「このままでは教会を守れない」ことを意識してしまったことで呪いが顕在化、止めとなったのがグールの言葉だ。


 ゴブリンを捕らえることが優先、教会は放っておいて構わない。


 教会を守る呪いに縛られているブラウニーは、ここで邪妖精としての性質が一気に強くなった。その結果が一騎への攻撃に繋がったのである。


『ところで宗兵衛さん。気になる単語はそれだけですかー?』


 ラビニアの笑みは非常に冷たいものだ。細められた眼光からは毒の鑢めいた閃きが見てとれる。やはり邪妖精でしたか――やはり、の部分についての問いかけだろう。


「ええ、それだけですよ。ブラウニーさんが習性に抗っているとか、普通は廃墟にいないとか指摘してくれていたのに、深く考えもせずにスルーしてしまったのはこちらですからね。君か『導き手』に確認することを怠った僕が悪い」

『宗兵衛さんのそういうところ、結構、好きですよー』

《警告》


 静かな、だからこそ不吉な予感を与える『導き手』の声が聞こえる。


《ブラウニーを縛る呪いが通常では考えられないほどに強力です。自然発生的な呪いでは考えられません》

「というとことは、誰かが意図的に彼女を呪いで縛ったと、そういうわけですか?」

《その可能性が高いと思われます》

「ちょっと待って下さい。ブラウニーさんの特性や心情を理解した上で、教会を守るなんてピンポイントの呪いをかけるとなると、その教会長がかなり怪しいのですが」

『人間って怖いですよねー?』


「ぎゃははははははあはっはああぁははっあははぁはっ!」


 響き渡ったのはグールの調子っぱずれの笑い声だ。グールは一騎の顎を蹴り上げ、一騎は数メートルを転がった。敷地内のイエローゴブリンたちがざわめき立つが、グールの一睨みで完全に萎縮してしまう。グールとゴブリンたちとの間にははっきりとした上下関係ができあがっていた。


「てめ、えっ」


 転がった体を無理矢理起こし、骨刀を杖代わりにしてバランスをとる。一騎は意識を保っていた。人間やゴブリンのような下級魔物なら即死していてもおかしくない傷を受けて、グールを睨み付ける気力が残っている。


「そのケガでタフじゃねえか。さすがは転生者だな。で? どうよ、一緒に戦っていた仲間に後ろから斬られる気分はよ? わからねえから教えてくれねえか? ひゃはははっはははぁぁあぁっははは!」


 グールの笑い声は一騎の聴覚神経を削り、著しく不愉快な気分にさせる。


 不快が驚愕にとってかわったのは次の瞬間だ。


 ブラウニーの包丁がグールを襲ったのである。至近からの斬撃ではなく、包丁を投擲する攻撃だ。


 呪いに縛られたブラウニーは、邪悪化により衝動性が高まっていた。教会を守るために、敷地内のすべてを排除対象として捉えている。グールやゴブリンの集団に敵いそうにないから、グールの言葉に縋るように呪いに身を任せて一騎を斬ったのに、呪いが顕現している今では、そのあたりの計算が霧消していた。


「っこ、の!」


 ブラウニーの投擲はグールの爪の一本で防がれる。ブラウニーの攻撃はグールの怒りを買っただけだった。


「よせ!」


 一騎が必死に手を伸ばすが届かない。


「クソ妖精が!」


 グールがクロスボウをブラウニーに向ける。欠片の躊躇もなく引き金が引かれ、矢が打ち出された。


 トサ、と軽い音がした。


 宙を飛ぶブラウニーが地面に落ちた音だ。呼吸の荒いブラウニーの腹には一本の矢が突き刺さり、貫いていた。


 一騎の四肢に力が入る。グールを突き飛ばし、ブラウニーのもとに駆け付け、その小さな体を拾い上げた。


『っここを……るのはわたしの、役……目、ぅっ』


 血と共に吐き出される言葉に力はない。目の濁りはそのまま、肌を侵食する黒い染みは尚もブラウニーを侵食し続けている。


 邪妖精だの呪いだのと、一騎の理解の範疇外だ。確かなのは、ブラウニーを蝕む呪いは、彼女の傷の有無にかかわらず、広がり続けているという胸糞悪い事実だけだ。教会を守る呪いなのに、なにがなんでもブラウニーを生かし続けるなんて効果はなく、ブラウニーの行動を縛ることしかできない。


『約そ、くをし……たの……だ、かっ……守……る、守らなきャ……わ、タシ、守ラ……』

「なに言ってんだよ! なんで、なんでっ」


 一騎の吐き出す言葉は意味を成さない。掌に収まるくらい小さな妖精を貫く矢を取り去る。流れる血はそのまま命が流れ出ているようだ。


「ちくしょうちくしょうちくしょう! どうしたら、どうしたら、くそ!」


 血を止めようにも、一騎にはどうしたらいいのかわからない。


 物を壊したり人を傷つけたりすることは、手順など理解できていなくても可能だ。ただし修理や傷の治療には、知識と根拠に基づいた手順が必要になる。また手順を知っているだけでは実際に使えないものも多い。一騎は知識から持っていなかった。


『……イッ、キ……? ぁ、れ……こ、レはぅ、づぅっ!』

「ばっ、おい!?」


 どんどん小さくなっていくブラウニーの声に、欠片のような正気が戻る。目からは光が失われ、快活でよく変わる表情も動かなくなる。全身から生気が、一騎が掌で感じるぬくもりも失われていく。


『教……会を、守ル……わたシガ、ヤクソ、く……ねっぇ、イッキ……教、の……っ、わた……マ、もるか……らぃ……い、ぁ?』


 彼女が伝えたいことがわからない。ブラウニーの意識は混濁し、もはや目にはなにも映していない。


『……守……イッ……教、のワタ、し……ッ』

「そうだよ! お前が守るんだよ! 他の誰にも守れやしねえんだ! 俺なんかに任せたらどうなっても知らねえぞ!? 自分の部屋も満足に片付けられねえんだ。こんなでっかい建物、俺にどうにかできるはずねえ! ここはお前の! お前、が自分で……っ! 自分、で」

『……』

「おい? っおい! 起きろよ……起きろよおおぉぉっ!」


 まさに叫びだった。


 一騎の全身を後悔が襲う。どうしてゴブリンが逃げないことに疑問を持たなかった。森の中で狙っている敵に気付かなかった。そもそも、ラビニアの指摘をどうして聞き流してしまったのか。どれか一つにでも心を砕いていたら、この結果は違ったものになっていたかもしれないのに。


 人間だった頃から何度も繰り返してきた感覚。あのときはこうしていればよかったと、どうして最初からしていなかったのだと、何度も何度も自身を苛んできた後悔。


 テスト勉強や運動程度の、些細な後悔だったから深く考えることはなかった。別に考えなくても、次のテストで、次の運動では、などと、いつだって常盤平一騎には次があったのだ。


 今回こそは次はない。五分前に遡ってやり直すなんてこともできはしない。どれだけ後悔してもし足りない、どうしようもない、厳然たる事実が一騎の掌の中にあった。


「……宗兵衛? そうだ! お前、アンデッドだよな? 命についての術とかなんか持ってないか? 回復手段でもいい。こいつを助けるための……なにかをさ」

「常盤平、彼女は……」

「なにかないか? 頼む、宗兵衛……『導き手』さんも……」


 すがるような一騎の目に、首を横に振るしかない宗兵衛。いくらなんでも死んだものを生き返らせることはできない。この世界には蘇生術があるかもしれないが、一騎も宗兵衛も知らないし使えない。


「……っラビニア、は?」

『わたくしも』


 一騎の視線を受けたラビニアも首を横に振る。


 一騎の顔がぐしゃぐしゃに歪む。聴覚が遮断されたのか、自分のすぐ近くにいる宗兵衛の声も聞こえなくなる。掌に視線を落としたまま微動だにしない。と、夜の帳が落ちた教会敷地内から、微かな複数の物音が聞こえた。教会の住人ではない、襲撃者たちの発したものだ。


 瞬間、一騎の中でなにかが弾け飛んだような音がした。震える手でブラウニーをそっと地面に置く。


「あああああぁぁぁあぁぁっ!」


 ギン、とでも音がしそうなほど強く一騎の目が開かれ、グン、とでも音がしそうなほど鋭く首が回る。グチャ、と音がして斬り裂かれた肩を強引に接合させる。絶叫と共に小さな体躯のゴブリンが地面を蹴る。骨刀を手に、闇に浮かぶ影に目がけて突っ込んでいく。


 絶対に許さない。一騎の全身を激しい怒りが駆け巡る。どうしてブラウニーがこんな目に遭うのか。一騎にとって、本当に久しぶりの、食卓というものを提供してくれた、小さな妖精を殺した相手への、圧倒的な怒りが一騎の内の軛を焼き尽くす。


 両目の毛細血管は破裂し、一騎の視界が真っ赤に染まる。森の闇すらも赤くなり、グールがそこにいるのだろうか、一騎は躊躇うことなく赤い闇の中に飛び込んだ。僅かな星明りを受けて輝く真っ白な刀をめくらめっぽうに振り回す。


 相手がグールだろうとなんだろうと、許さないことに変わりはない。強く歯を食いしばる。口角から認める魔物らしい牙には敵を噛み千切る意思が浮かび上がっていた。


 大量に空気を吐き出した一騎がグールに斬りかかる。技も駆け引きもない。感情任せの、怒りに任せただけの、攻撃よりも暴力により近い行動だ。だが強い。感情に飲まれ、衝動に飲まれ、ひたすら骨刀を振り回すだけの猛撃が、一撃毎にグールを追い詰める。


「ちぃっ! 魔物らしいじゃねえかよ!」

「がああああぁぁぁっ!」


 一騎の目も、濁り始めていた。

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