第二章:七話 襲撃者たち
本日二話目、よろしくお願いします。
事件は夜に起きた。
一騎とブラウニーと子ウルフは元教会長の部屋で就寝、アンデットで睡眠の必要ない宗兵衛も旧礼拝堂で体を横にし、ラビニアは宗兵衛にくっついて寝息を立てていた。疲労と油断によるものだろうか、一行は襲撃音が響くまでまったく気付かなかった。木の壁が破られた音が一騎の耳に届く。
「な、なんだ!?」
半分以上、夢の中に浸っている脳みそを無理やり叩き起こす。
『この音は!』
ブラウニーも跳ね起きた。一騎とブラウニー、子ウルフは部屋の窓から外に飛び出す。もちろん窓を突き破るなんて非紳士的行為は慎んでいる。夜闇の中に揺らめく赤い光が複数あった。松明の光だとすぐに理解できる。
『イエローゴブリン!』
襲撃者の正体をブラウニーは知っていた。最近になって教会を襲うようになった魔物たちだ。ブラウニーの説明よりも数はさらに多い。一騎がざっと見渡しただけでも三十近くはいるように見える。
『もう! せっかくいい夜だったのに。こんな日に襲ってくるなんて!』
ブラウニーは高らかな宣言と共に、背負っていたアダマンタイト製のフライパンを構える、だけでなく包丁も抜き放つ。右手に包丁。左手にフライパンの二刀流だ。可憐な見た目とは裏腹な、歴戦の戦士のような風格に見惚れること二秒、一騎も遅れまじと骨刀を構えた。
「手伝うぞ」
『いらないわよ!』
「即答!?」
『この教会を守るのはわたしの役目なの! 他の誰に』
ブラウニーの言葉の途中で一騎は動く。骨刀を斬り上げる。背後からブラウニーを襲い掛かったイエローゴブリンは、右肘から先を切断されて耳障りな悲鳴を上げる。地面をのたうち回るゴブリンにフライパンの一撃、イエローゴブリンは完全に気を失った。
『ちょっと、イッキ!?』
「一宿一飯の恩義がある。なにがなんでも手伝わせてもらう!」
応じながら一騎は骨刀を振るい続ける。切れ味が尋常ではない水準なので、イエローゴブリンの持っているナイフも盾ももろともに両断した。
周囲を取り囲むイエローゴブリンに明らかな戸惑いが生まれる。種族的に大差ないイエローゴブリンとグリーンゴブリンなのに、あまりにも異常な攻撃力を目の当たりにして後退っている。森の奥から更に増援のイエローゴブリンが現れ、
「ギギギ、キガァ!」「ギガゥ!」
戸惑いを大きく凌ぐ怒りの声を一騎たちに向けてくる。
「ギウァ!」「ガウ!」
怒りに満ちた罵声を吐き出しているかの形相で、イエローゴブリンたちは一騎に襲いかかる。爪の一撃を避け、斧の振り下ろしを骨刀で受け止める。と、派手な衝突音のような響きが教会敷地内に巻き起こった。旧礼拝堂、宗兵衛とラビニアがいる場所だ。
『思わず派手にしちゃいましたけど、大丈夫ですよねー?』
「いや大丈夫じゃないでしょう。後でブラウニーさんからしこたま怒られますよ。アダマンタイトフライパンでホームランされるかもしれません」
『宗兵衛さんが吹き飛ぶ場面は見てみたいですねー』
会話をしつつ土煙の中から姿を現したのはスケルトンと妖精の、なんとも奇妙なコンビである。いや、ゴブリンとブラウニーのコンビも奇妙ではあるのだが。
『あ、い、つ~~っ』
フライパンの取っ手を強く握りしめるブラウニー。アダマンタイト製のフライパンからミシとかギシとか音がしている。どうやら怒りの矛先は宗兵衛ではなくラビニアに向かっているようだ。なんとなく、ラビニアのとばっちりで宗兵衛も殴られそうな気がしてならない一騎だった。
『ああ、もう!』
怒りが頂点に達したのか、ブラウニーはフライパンをブンブンと振り回す。小気味よい音がしてイエローゴブリンが宙を舞う。
『イッキ、ソウベエ、ラビニア! さっさとムカつくゴブリンたちをやっつけるわよ!』
それがブラウニーの出した結論だった。口元に不敵な笑みを浮かべ、骨刀を構えなおす一騎。
「一度、手伝えって口にした以上はこっちも全力でやるからな。行くぞ、宗兵衛!」
「いってらっしゃい」
一騎の腰が砕けた。
「違えだろ、協力しろよ!」
「もちろんですよ。僕は比較的安全な中遠距離から飛び道具で攻撃や援護をしますので、常盤平はより危険を伴う近距離戦をお願いします」
「納得いかねえ!」
納得できずとも有効なことを一騎は認めざるを得なかった。
宗兵衛は近距離戦にも中遠距離戦にも適応できている。一騎は近距離戦一本だ。役割分担が決まる。前線を支えるのは一騎、中衛に飛び道具を持つ宗兵衛と、宗兵衛の頭の上で腰に手を当てているラビニア、後衛つまり教会を守る最後の砦がブラウニーと子ウルフだ。
「ギギィ!」「ギガゥ!」「ガウゥギガ!」
「なにを言っているのかさっぱりわかりませんね。『導き手』、通訳と常盤平たちとの接続をお願いします」
《了承》
最前線の一騎とイエローの群れと対峙する。と、三体のゴブリンが敵意も露わに一歩、前に出る。
『ゲギャ、憎きグリーンだゴブ! 容赦するでねえ!』
『ヒャッハー! 任せろ、隊長ゴブ。血祭りゴブ!』
隊長と呼ばれる、群れの中で体格がよいほうの戦意の高い個体が声を張り上げると、隣に立つゴブリンは棍棒を振り回す。どうして自分がこれほど敵意を向けられるのか、一騎には理解できなかった。
《グリーンゴブリンとイエローゴブリンは種族が近く、生息域も重なっており、日頃から激しく衝突を繰り返しています》
「それって俺は無実じゃない!? てかなんでこいつら、こんなに雑魚っぽいの!?」
「ゴブリンは最初から最後まで頭のてっぺんから足のつま先まで、徹頭徹尾終始一貫、小者で雑魚でヤラレ役でしょうが」
「酷い!?」
『てめえ、舐めてんのかゴブ!』
隊長は唾を飛ばして喚き散らす。
『けっひっひ、こいつら、やっちまいやしょう、隊長?』
部下ゴブリンが腰からナイフを引き抜き、その刀身に舌を這わせる。
『けーっひっひ、命乞いするなら今のうちだぜゴブ』
『あーあ。抜いちまったゴブ。そいつのナイフは冒険者から奪った逸品ゴブ。奴ぁ、一度ナイフを抜いたら血を見るまでは収まらねえんだゴブ』
『ゲギャギャ、俺の親衛隊ゴブ。あのナイフはよぉーく切れるんだぜえ?』
『けーっひっひ、けーっひっひ!』
戦意は高いが三下雑魚感の強いイエローゴブリンらに一騎はげんなりとする。
「常盤平、あのナイフゴブリンですが、見所があると思いませんか?」
「お前の注目するポイント、おかしいから!?」
群れで実力上位らしき三体が戦闘態勢に入る。隊長は冒険者から奪った剣を縦に構えた。ナイフゴブリンと棍棒ゴブリンもじりじりと間合いを詰める。ゴブリンにしては連携が取れているな、と一騎は奇妙な感心を覚えた。ゴブリンたちにしてみても自信のあるフォーメーションなのだろう、隊長ゴブリンは猛禽めいた笑顔を浮かべ、剣を一騎たちに突き付けた。
『ゲギャギャ、こっちのほうが数が多い! 最初っからこっちが有利なんだ。おめえら、ぶっ殺しちめえ!』
隊長ゴブリンの号令は本格的な戦いの幕開けだった。横薙ぎに振るわれた骨刀の一振りで、隊長の鉄剣が斬り飛ばされ、棍棒ゴブリンは親指を斬り落とされた。後ろから襲い掛かってきた剣を軽々とかわす一騎。
襲ってきたのは、錆びてはいるが鉄製の兜と剣を装備したゴブリンだ。装備の質が他のゴブリンたちとは一線を画している。この集団のボスだろう、と一騎は結論付けた。一騎はボスゴブリンとの間合いを一息で詰める。突き出される鉄剣、振り下ろされる骨刀。勝敗はあっさりとつく。骨刀の斬り下ろしは兜も剣もまとめてイエローゴブリンを真っ二つにしていた。
人間の戦いなら大将が負けた時点で退くこともあるが、このゴブリンたちには退散の気配は生じない。ボスが死んでも関係なしに攻撃を繰り返す。その上、森の奥から次々に増援が湧いて出てくるのだ。
『なんなのよ、今日のこいつらは!』
ブラウニーの声には隠しようのない不安がある。過去数回の襲撃では、ゴブリンに執拗さはなく、敗色濃厚と見るやさっさと逃げ出していたのに、今日に限ってはしつこいくらいに攻撃をやめない。教会を守ることがブラウニーの使命だ。苦戦が敗北に繋がれば、使命を、約束を果たせなくなる。それだけは絶対に避けなければならなかった。
一騎と宗兵衛にしても予想外の事態だ。
単体からせいぜい数体での戦いではゴブリンたちを圧倒はしても、兵力に大きな差がある。宗兵衛も一対多数を想定した訓練を積んでおらず、一騎に至っては満足な戦闘経験すらない。洞窟では基本逃げ回り、古木を倒したときには意識がなく、妖精ペット戦では分析が主だった。止むことのない波状攻撃に、焦燥感が不安を伴って背筋を這いあがってくる。
この戦いはいつまで続くのか。先の見えない、明確な目標が設定されていないというのは、精神的な重圧を増す効果がある。ましてやかかっているものが命となれば尚更だ。
焦燥は視野を狭め、周囲への注意を奪う。だから一騎は気付かなかった。森の奥、暗がりの中から自分を狙う矢に。発射された矢の風切り音も聞き取れず、気付いたのは腹部に激痛が生じてからだった。
教会を巡る攻防――少なくとも最初はそうだったし、ゴブリンたちは今でもそうだと信じているだろう――を十メートルばかり離れた位置、森の暗闇から目を皿のようにして見る一つの影がある。
アンデッドの一種、グールだ。戦いが始まった後、グールの頭は怒りで沸騰していた。作戦を与えてやり、多少なりとも訓練を付けてやったのに、簡単に敗北したゴブリンたちへの怒りだ。自分たちの作戦――ゴブリンたちだけで教会攻略は完了する――を邪魔されたことへの、身勝手な怒りだ。
制裁でも処罰でも、理由をつけてゴブリン共を殺してやると誓ったのも束の間、怒りは歓喜へと姿を変えた。最優先で見つけるよう頼まれていたものを、見つけることができたのだ。
もはやグールには教会などどうでもよかった。新たな拠点の確保よりも、大事なことがある。身勝手な歓喜に塗り固められた矢が放たれた。
「っ!?」
痛みに顔をしかめ、動きの止まる一騎。襲いかかってきた一体のゴブリンを骨刀で斬り倒し、矢の飛んできた方向に苦しげな視線を向けると、闇の中から這い出るようにして姿を見せた影があった。
一騎たちを追いかけてきた村人のような服装の上に、簡素ながら鎧を着用している。十本の指からは異常に長く鋭い爪が生え、片手には矢をセットし直したクロスボウが握られていた。衣類の隙間から覗く肌からは生者の潤いは失せて腐敗している。腐った顔を隠すためなのか、目元を除くすべてはマスクで覆われていた。口部分からは赤黒い瘴気が漏れている。
何者なのかはわからない。わかるのは、群れで襲ってくるゴブリンよりも遥かに危険だということだ。
『あれは、グールですね。ゾンビを強化したアンデッドですよ』
ラビニアが相手の種族を識別する。一般的なゾンビやスケルトンを遥かに凌ぐ戦闘力を持ち、生者への強い執着心と攻撃性を持つ魔物だ。毒の流れる凶悪なフォルムの爪を一騎に向ける。
「なにをしている無能共! そのゴブリンをひっ捕らえろ! 最優先だ! 教会は放っておいても構わん!」
瞬間。
一騎の右肩が深々と斬り裂かれた。背後から。
つまりブラウニーによって。