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第二章:六話 暖かな食卓~その一~

本日は二話投稿になります。

次話共々、よろしくお願いします。

 鼻腔をくすぐる、実に食欲をそそる匂いが一騎を誘惑する。屋根を失って久しい教会の台所には、実に何十年ぶりかの火が入っていた。


「しっかしこれだけの材料がよくあったな」


 干し肉やソーセージのような加工品、野菜、豆類、いくつかの香辛料の類もある。新品ではないが鍋や包丁も揃っていて、フォークにスプーンに皿も揃っている。廃屋同然のボロ教会にあるのは不自然な品々だ。塩や香辛料なども含めて教会にある大半の調味料は、襲撃してきたバカな冒険者らから奪ったものだ、とブラウニーは胸を張る。


『ふふん。ブラウニーは家に憑く妖精だからね。その辺の民家で家の手伝いをしたら、住人が色々とくれるのよ。妖精のわたしには必要のないものだけど、イッキは食べないと死んじゃうでしょ。今日一日、色々と頑張ってくれたから、腕によりをかけて作ってあげるわ』

「おお!」

『明日も馬車馬のように働いてもらうためにもね』

「……おおぅ」


 にっこり笑うブラウニーさんに一騎は顔が赤くなるのを覚えた。


 ラビニアもそうだが、このブラウニーさんも容赦がないのにとても可愛い。笑顔を向けられようものなら、彼女いない歴イコール人生の一騎は、それだけで舞い上がってしまう。舞い上がって足元のおぼつかないまま、一騎も手伝いを申し出るのだった。


『必要ないわよ』


 一刀両断にされてしまう一騎。家での一騎は家族中から冷遇されているとあって、自活能力がそこそこ高い。あくまでもそこそこレベルなので、ブラウニーの水準からすると足手まといにしかならないのである。食い下がって得た仕事は精々、テーブルセッティングくらいだった。


「ワン」

「手伝ってくれるのか、ありがとう」


 足元に来ていた子ウルフの頭を撫でる。撫でた手を噛まれるまでがワンセットだ。


 テーブルクロスのないテーブルの上に並んだ料理は、一騎を感動させるに十分な質と量があった。人参と干し肉のスープ、たっぷりのポテトサラダ、ウサギの肉を使ったカツ、どういうわけか酒まで用意されていた。


「こ、これは」

『さあ、召し上がれ』

「ぃいいいぃぃただきます! うおおぉぉ! 美味い! 美味いぞおおぉぉっ!」


 涙をちょちょ切らせて料理に飛びつく一騎。どこかの料理漫画のように口から感動の光でも吐き出しそうな勢いだ。テーブルの下では子ウルフが尻尾を高速で振り回しながら食事をしている。


『ちょ、いくらなんでもがっつきすぎじゃ……?』

「なにを言うか! こ、こんなに美味くあったかい料理を食べたのはいつ以来だ。料理とはこんなにも心と体を温めてくれるものだったんだな、と俺は深く感動している。ありがとうブラウニーさん、そしておかわり!」

『はぁ、まったく……悪い気はしないけどね』


 突き出された皿を受け取るブラウニーの頬は好意的に緩んでいた。一騎とブラウニーの手が触れ、一騎の顔が急速に赤くなった。


『ちょ、こっちまで照れるでしょ。純情にもほどがあるんじゃない?』

「す、すまん……」

『いいわよ。あったかい魔力ってのは心地いいしね』

「? 魔力に熱い冷たいがあるのか?」

『あるわよ、心の持ちようみたいなもんだけど。はい、おかわり」


 おかわりの皿を一騎に渡してからも、ブラウニーは嬉しそうに食事中の一騎を眺めている。


『まだおかわりはあるわよ』『味付けはどう?』『転生者って味付けが濃いのを好むから難しいのよ』『あ、そのサラダの隠し味なんだけど』


 自分の作った料理を食べてくれるのがよほど嬉しいのか、ブラウニーは積極的に話しかける。昼間、一騎らをこき使っていた姿からは予想もつかない変化だ。楽しそうに話すブラウニーにつられて、一騎の舌も滑らかになるのだった。


「ん? ブラウニーさんは食べないのか?」


 ふと一騎が気付く。


『妖精は食べなくても大丈夫だからね』

「食べても大丈夫なんだろ?」

『それはまあ、そうだけど』

「じゃあ一緒に食べよう。食べてるとこを傍でニコニコされながら見つめていられると落ち着かないし、それに食事は一緒に食べたほうが美味しいって相場が決まってるんだ」

『同感だけど……食べなくても大丈夫な妖精と食事を一緒にしようだなんて、あんたも変なゴブリンね』

「いや、元人間だから」

『人間にしても変よ。人間にとって妖精は隣人であって、お供えとかを置く対象であっても、食卓を一緒に囲む対象じゃないわ』

「まあまあ、細かいことはいいじゃないか。俺って誰かと一緒に食事をするのが実は好きだったんだよ」

『どうして再発見みたいな言い方なのよ?』


 一騎の妙な言い回しには理由がある。


 人間だった頃、自宅での一騎の食事事情は孤独だった。天馬が一騎と相席するのを嫌い、天馬を猫かわいがりする両親も一騎と食卓を囲むことはしなくなっていた。一騎は部屋の前に運ばれてくる食事を、部屋にこもってもそもそと食べる毎日だったのである。


 そんなある日、趣味を同じくする連中と学食で一緒になる機会があった。このときがやたら楽しかったことで一騎は気付いたのだ。一人飯よりも誰かと一緒のほうが好きなのだと。


「実際、再発見だったんだよ。楽しく会話しながら食べるのっていいもんだろ?」

『異論はないわね。じゃあイッキ、わたしにもスープを入れてきなさい』


 そこからは本当に久しぶりの楽しい食事だった。


 一騎は人間だった頃の話、宗兵衛と繰り広げた漫才めいたケンカの話、感動した食べ物の話などを広げ、ブラウニーも一騎の知るレシピを聞き出したり、無国籍料理なるものの存在に驚いたり、テーブルの上の料理を子ウルフが取っていったりと、賑やかにふるまい、食卓からは笑顔が絶えなかった。


       ◇         ◇          ◇


 一方、その頃。


『宗兵衛さん、わたくし、お腹すいたんですけどー?』

「他人の食事を見ているからでしょう」


 教会の庭、崩れかけた石の椅子に座ってぼんやりと空を見上げていた宗兵衛の頭の上で、ラビニアは足をバタつかせていた。宗兵衛は骨なので食事はできない。食欲や空腹感も失せているのに、人間だった頃の感覚で食事を美味しそうだとは感じるのが困った点だ。


 ラビニアも妖精なので食事の必要性はないが、美味しそうなものを見ると食欲が刺激されてしまう。だというのに、一騎を魔物に転生させた犯人だから、との理由でブラウニーは食事を提供してくれくなかったのだ。自分で作ろうにも、ラビニアは台所に立った経験がなく、野菜を切ったこともないとのこと。あまつさえ、包丁は人を殺害する道具だとのたまう始末。


『それはそうなんですけど、わたくしにも言い分があるんですよー』

「そうですか」


 気のない返事をして星や月を見やる宗兵衛。森の匂いの混じった風、瞬く星々の光も穏やかで、皮膚があれば存分に堪能できただろうと宗兵衛は確信する。食事をしなくても大丈夫なメリットと比較しても、損をしている気分になった。損をしたままの気分というのは精神衛生上よろしくないので、別のことを口にする。


「この世界にも星座はあるのですか、『導き手』?」

《肯定。各地にそれぞれの星座が存在しています》


 のんびりしたやり取りにラビニアが頬を膨らませた。小さな顎を宗兵衛の頭の上にのせてグリグリする。


『言い分があるんですよー』

「聞いてほしいわけですね。どうぞ、ラビニアさん」

『わたくしは命令されただけなんです』


 ラビニアはきっぱりはっきりと断言した。


『そもそもですねー、上層部が魔族の勇者を召還するなんて言い出したんですよー? 召喚の術式形成も召喚術式を起動させたのも、わたくしではありません。転生させることと適当に間引くことはしましたけど、あれは命令だったんです』


 殺戮行為についてはあっさりと認めるラビニア。この世界での命の軽さと、力の重要性を実感してもらうためには必要なことだったらしく、この点への反省と後悔は微塵も認められない。


 糾弾も追及も宗兵衛はしない。元の世界でも国や民族が違えば価値観も判断基準も大きく変わる。いわんや、魔法やら魔物やらが跳梁跋扈するこの世界、日本と同様の価値観などあるはずもない。


『つまり、わたくしは主犯ではないのですから、食事を提供してくれてもいいと思うんですよねー』


 ラビニアの主張に、宗兵衛はいつかの時代の裁判官らを思い出した。それは名ばかりの人民法廷において、国家反逆罪などの罪で数多くの人間に死刑判決を下してきた連中だ。体制崩壊までの短い期間で下した死刑判決は実に五千件を上回り、これだけでも驚くべきことだが、戦後、人民法廷に携わった法律家らは「命令に従っただけ」「時代の犠牲者」との理由で処罰を免れ、復職すら許されている。


『わたくしも命令に従っただけの哀れな犠牲者というわけですね』

「なぜそうなるのですか。これはいつの時代のどこの国にもいる……いえ、もういいでしょう。それよりも、ブラウニーさんはむしろ君が魔族に与していることをよく思っていないようでしたが?」

『ぅ』


 ラビニアは小さく呻いた。そこで黙り込むかと思いきや、ややあってラビニアは寝転がって手足を盛大にばたつかせる。宗兵衛の頭の上で。


『お腹すきましたー、すいたんですよー、宗兵衛さん、なんとかして下さいー』


 もはや単なる駄々っ子だ。洞窟で見せた冷酷さなど電離層の彼方にまで吹き飛んでしまっている。


《ラビニア、主を困らせないように》

『あんな美味しそうなのを見せられたら仕方ないじゃないですかー?』

《主の邪魔をしないように》

『うぅ~』


 淡々とした『導き手』の声に押し黙るラビニア。


『がるるる』

「いきなり唸り声にならないで下さい」

『宗兵衛さーん』


 宗兵衛の目をのぞき込んでくるラビニアに宗兵衛は肩をすくめる。


「スケルトンだから味見はできませんが、それでもいいですね?」

『もちろんです!』

「はぁ、調味料くらいは貸してくれるでしょうから、『導き手』、手伝いをお願いできますか?」

《了承》


 呆れと共に始まったラビニアのための夕食作りはテンポよく進んだ。


 森の中で三羽のウサギを仕留める。骨杖を作る応用で指をナイフや包丁に変えて皮を剥ぎ、内臓を取り出す。解体手順は『導き手』から指示してもらう。台所の使用はブラウニーが難色を示したことから、これまた骨で調理器具を作る。火種を分けてもらい、骨で作った鉄板(?)で肉を焼く。


 特にウサギの頬肉は柔らかく美味であることは地球でも有名で、味付けすらいらないほどだ。宗兵衛は焼いただけの頬肉と、塩と香辛料を混ぜたスパイスを小皿に用意した。ウサギ肉は淡白で臭みが少ないので煮込み料理にも適している。ぶつ切りにしたウサギ肉を玉ねぎ、にんにく、人参、ジャガイモ、野生の匂いを消すための香草――理想的なセージがなかったので、森を探していくつかの香草を採取した――で煮る。


『美味しいですよ、宗兵衛さん! やはりわたくしの目に間違いはありませんでした!』


 出来上がりとも召し上がれとも言うより先にラビニアが飛びついていた。


 満足そうに頬張るラビニアは以降、非常に機嫌がよかった。


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