第二章:五話 人足とはこういうものか
教会敷地内を、肩に木材を担いで走り回る緑色の小さな影が一騎だ。馬車馬のように云々と口にしてから一時間後、わずか一時間後には一騎は思い切りこき使われていた。
木材を担いで森と教会を往復すること既に五回。膝も腰もがくがくしていて、立ち止まった瞬間、ぺたんと地面にへたり込んでしまう。
「はひぃー、ふへぇー、ふほぅぉー」
いや、膝や腰だけでなく横隔膜もがくがく、心臓はばくばくだ。そのあたり、スケルトンの宗兵衛は心臓も横隔膜もないので羨ましい限りである。
『こらー! なにをサボってるの! 働きなさい!』
「み、水……」
『もう一本運んだら飲ませてあげる』
陽光を受けて煌めくコップの水を、一騎の目の前で容赦なく捨てるブラウニー。素敵な笑顔の鬼がそこにいた。ラビニアといい、このブラウニーといい、妖精とはSっ気が強い種族なのかと勘繰りたくなる一騎だ。
一騎らに課せられた仕事は教会の修復である。
修復したところで利用者がいるわけではない。だがブラウニーとしては、任された教会が目の前で朽ちていくことを許容できなかった。修復しようにも小さなブラウニーだけではどうしようもない。半ば以上諦めていたところに自ら好んで飛び込んできたのが貴重な労働力、もとい一騎と宗兵衛だった。
転生者ということでこちらの世界に寄る辺のない一騎たちを、ブラウニーは手伝いを条件に受け入れると言ってくれ、一騎と宗兵衛は一も二もなくこの申し出に飛びついた。雨露を凌げ、今後の活動の拠点に用いることも可能な場所の確保は、二人にとって死活問題であったからだ。特に生身の一騎には。
「っひ、だ、だからといっ……てこ、ここまでこっきぃ使われ、ぇるとぁっは……ぅ」
一騎は意気高く行動を始めた一時間前のことを思い出す。
修復といっても簡単なことではない。穴だらけの壁や天井の修理のために木材を求めようにも、ゴブリンが原木市で木を買うことなどできるはずもなく、板を買いに町に行くわけにもいかない。つまり製材、ようするに丸太や原木を板や角材に加工するところから始めなければならないのだが、このときの一騎は全身に自信が漲ったものだった。
「ふははは! 今度こそ、今度こそ無双するチャンスが回ってきた! 修学旅行前に大工さんのドキュメンタリー番組を見たばかりの俺の製材知識を生かすとき! この教会を立派に立て直し、拠点とする。いずれは大国へと成り上がる内政無双の第一歩! まずは山から木を切り出すぞ、手伝え、宗兵衛!」
「巨大なフラグを立てているような気がしないでもないですが……宿のためには仕方ありませんね」
宗兵衛からもらった骨刀があれば切り出しなど楽勝だと一騎は考えていた。浅慮を覆されたのは一本目の木を切り倒してからのことだ。
「よっし、一本目。ふっふっふ、ここからが無双の始まりだ。いいか、宗兵衛? まずは板を作るときの注意点だがな」
《警告。このままでは建材として用いることはできません》
「え?」
一騎は『導き手』の言葉に耳を疑った。
「え、じゃないでしょう。これは生木、いえ生材だったかな。乾燥させないと使えないでしょうが」
「へ?」
「おい」
木には当然水分が含まれていて、その含水率は種類によっては木自体の重さの一.五倍にもなる。
「君が見たドキュメンタリーは僕も見たMHKのものでしょうけど、あれ、前後編を全部見ましたか? 切った木はそのまま伐採現場に置いて乾燥させると言っていたでしょう。生材は乾燥が進むと変形や収縮をしてしまうから、と。大体、半年くらい」
「……そういやあの番組、中盤から見始めたんだったけか」
この瞬間、一騎の現代知識で内政無双する夢も破れたのであった。
《天然乾燥の場合、半年から一年が目安となります》
「無理無理無理!」
そんなに待っているわけにもいかず、一騎らは既に切り倒されている木を運ぶことにした。後で聞くと、ブラウニーがすでに自然乾燥目的で何本かは切り倒していたとのこと。最初から教えてほしいと、口には出さず思うだけの一騎だった。
「おーい、宗兵衛。木ってどれだけの長さで切ればいいんだ?」
「僕が知っているはずないでしょう。ホームセンターで見た限りだと……確か三メートルくらいの板もありましたし、まあ、現場で調節するためにも三、四メートル単位が適切では?」
「じゃ、それでいくか」
骨刀の切れ味は素晴らしいものがある。一振り毎に木を切り分けることができるのだ。電動鋸よりもはるかに効率がいい。難点はと言えば、
「性格が曲がっていると切った木も曲がるのですね」
「核酸分子より捩くれ曲がった性格してる奴に言われたくねえ! 教会で調節するからいいんだよ。さ、とっとと持って……いこ、う……ぜ?」
一騎の言葉は尻すぼみに小さくなる。長さ三メートルの丸太を計十二本、どうやって運ぶのか。機材はない。人手は一騎と宗兵衛のみ。そこに考え至り、一騎の顔は引きつった。
「では『導き手』、サポートをよろしく」
《了承》
宗兵衛が真っ白な骨杖を取り出し、地面に突き立てる。一騎の目にも明らかな魔力の流れが生じ、
「スケルトン生成、数は十二」
魔力は杖を伝って地面に流れ、ややあって地面が盛り上がる。盛り上がった地面からは白い腕が這い出て、次いで白い頭が出、肉を失った骨の体が全部で十二体現れた。スケルトンの群れ、いや小隊だ。
「四体を一つの班として三班、一つの班が一本ずつ運ぶように」
創り出されたスケルトンには宗兵衛のような意思はない。命令された通りに動くだけの、まさにさ迷う白骨死体だ。一騎のイメージの中にある、カクカクした動きの下級モンスターそのものの動きで、次々に丸太を担いで運び始める。
「ナイスだ、宗兵衛!」
「六本は僕が運びますので、残りの六本は君が自分で運ぶようにしてください」
「貴様あああぁぁっ!」
「負担は分け合うべきものです。一方だけが背負い込むことは悪質な不公平に他なりませんからね。これも公正で公平で平等な日本社会で生きてきた証ですよ」
「待てこら! お前は骨に運ばせているだけじゃねえか」
「あれらは僕が自分で創り出したものだからいいのです。不満なら常盤平も同じことをすればいいのでは?」
「自分ができるからといって他人もできると思うなよこんちくしょう!」
「ああ、ブラウニーさんには半分ずつ運ぶと伝えてありますので」
「いつの間に!?」
漫才をしている間にも、スケルトンたちはせっせと丸太を運んでいく。
一騎はここ最近で把握した宗兵衛の性格を考える。自分の分の仕事が終わった場合、宗兵衛は間違いなく一騎を置いて帰るだろう。つまり、魔物の出没する、人間の狩人もいる森に雑魚のゴブリンが一体だけポツンと取り残されることになる。冗談じゃない。一騎は丸太を見下ろして大きく息を吸う。
「見てろよ、宗兵衛! ゴブリンにはゴブリンのスキルがある! うおおりゃああぁっ、ゴブリン徒歩!」
「画期的なスキルですね」
森の中を飛んで回っていたラビニアが戻ってくる。ふわり、と宗兵衛の頭の上に着地するラビニア。
『宗兵衛さん、木の重さに負けたスケルトンが何体か砕けていましたよ』
「あれ?」
「わっはっは、ざまあ見ろ!」
などと醜い争いを繰り広げ、今、一騎は五本目の丸太を教会敷地内に置いたのだ。
いかに一般のゴブリンよりも魔力が多かろうと、所詮はゴブリン。丸太を単独で担いで移動するのはあまりにも荷が重かった。文字通りの意味で。腰やら肩から破滅的な音が響いたことも一度や二度ではない。息も絶え絶えに、涙ながらに、プルプルと震えながら、一騎は宗兵衛に顔を向けた。
「……頼む、宗兵衛」
「貸しにしておきますからね」
呼吸器官もないのに宗兵衛は溜息をついたのだった。
木を運んだだけでブラウニーさんからの仕事が終わるわけではない。丸太を板や角材に加工する仕事が待っている。木目の細かさだとか詰まり方だとか、木の曲がりがどうだとか節の少なさがどうとか、頭をひねってドキュメンタリーの内容を思い出そうとする一騎に、
「木材はここにある分しかないのですから、どっちにしろ使わないとダメでしょうが」
無情な言葉が現実となって襲いかかってきた。転生チートによる無双は早々に破れ、軍師無双もあっさりと破れ、今度は現代日本の知識に基づく内政無双の夢も破れる。とにかくよく破れる夢である。金魚すくいのポイよりも破れやすいかもしれない。
「この世界ってさ、俺に厳しすぎると思うんだよな」
「前の世界は君に優しかったわけですね?」
「ぐはっ!」
『そもそもですけど、無双できるほどの知識とか技術とか実力とか経験があるんですかー?』
「げぶぅっ!」
言葉の剣が一騎の心をめった刺しにする。木材運搬の肉体的疲労と、現実を直視させられたことからの精神的衝撃により、一騎は戦力外の谷底へと転落していった。
「いなくても戦力低下に繋がらないのが常盤平の強みですからね、さっさと片付けるとしましょうか」
『前から思ってたんですけど、宗兵衛さんと一騎さんは本当に仲間なんですかー?』
「もちろんですよ。僕たちの関係を言い表すとなると、水魚の交わり以外にはあり得ないでしょう。極めて重要な仲間です」
『う、胡散臭い……』
呆れるラビニアと使いものにならなくなった一騎を放っておいて、宗兵衛は作業を始めた、のだが、
「……」
半時間後、宗兵衛もすっかり気分を害していた。
《主、拗ねる必要を認めませんが》
「別に拗ねていませんから」
『創造主ができないのに被造物ができてしまって複雑なんですよねー?』
「意思のないスケルトンは道具と同じです。道具に感情を向けたりはしませんよ」
宗兵衛が創ったスケルトンによる作業効率が予想外に高かったのだ。
意思を持たず、主たる宗兵衛の指示通りに動くスケルトンたちは、魔力が続く限りは定められた位置からピクリとも動かず、鋸を引くスピードや力加減もほぼ一定。熟練の職人や機械には及ばないものの、かなり正確に木を切っていた。教会の性質――アンデッドには相性が悪い性質から、作業中に少しずつスケルトンが砕けていた以外はなんの問題もなかった。
翻って宗兵衛自身が切った木は、たき火にしか使えないような有様である。
「本当に……気になんかしていませんから」
「おーい宗兵衛、お前の骨たち凄いな。お前より仕事できるんじゃねおががが! 炸裂してる! 炸裂してるから! なぜかいきなりアイアンクローがっはふぁっ!?」
『あ、ソウベエ、仮にも教会でスケルトンが活発に活動するなんて光景、シュールにもほどがあるから、役目が終わったら片付けときなさいよ』
最終的に節の有無にひび割れや曲がり具合などによって品質が定められ、値段が決められるのが本来の製材だ。その意味では、一騎たちが作ったものはとても値段がつけられるような代物ではない。
『ま、仕方ないか』
依頼主であるブラウニーさんが頷いてくれただけ、一騎はありがたいと思うのだった。