第二章:二話 雑魚魔物、宙を舞う
山狩り。一般的に、山中に逃げ込んだ相手――大概は犯罪者だが――を追って、大勢で山中を探すことだ。人々が分け入っているのは、魔の森と呼ばれる場所だが、山狩りと表現しても構わないだろう。
ただし目的は犯罪者などではない。むしろ犯罪者のほうがまだ可愛げがある。相手が魔物とあっては説得は通じず、追い詰めたとしても反撃に転じられると被害が大きくなるからだ。
「そっちはどうだ!?」
「いねえ! おめえらは?」
「まだ見つからねえ!」
「諦めんじゃねえぞ? 女房子供を守らにゃならんのだからな!」
だからといって手を休めるわけにはいかない。かかっているのは自分たちの生活であり命であり、家族や友人たちのそれなのだ。
山中に入っている男たちの手には剣や斧、弓に銃が握られている。手入れは不十分なりに、皮の鎧や胸当てを着用しているものもいる。この山狩りの目的は捜索ではない。捜索して発見したならば、対象を殺害することこそが目的だ。人里近くに降りてきた魔物など、生かしておく理由はない。根絶も撲滅も無理だとしても、少しでも数を減らすことは安心に繋がる。
山狩りの中心人物は狩人のジョンだ。一般人はほとんど入らない、冒険者が好んで入る魔の森を狩場とする、村でも指折りの名手である。同時に家族を魔物に奪われた過去から、魔物を殺すことへの執念も強い。まだ年若い、二十代前半にもかかわらず、顔付きや纏う空気からは強い殺意が漏れていた。
山狩りに参加している人間たちで、実際に戦闘の経験があるものは数人。大半は村を脅かす魔物の出現に、決死の覚悟で武器を握っただけの素人たちである。
自らに命の危険があることはわかった上で、彼らは逃げるなどしなかった。教会や冒険者組合に頼んで、魔物討伐が果たされるまで家に潜んでいるなんて真似もしなかった。教会に依頼を出しても、討伐がいつになるかはわからない。討伐を待ち続けている間に、被害が出ないとも言い切れないのだ。
彼らは、自分たちの家族や生活を守るのは、あくまでも自分たち自身であると思い定めて、魔の森と恐れられるこの場所へと踏み入ったのである。それだけに彼らの戦意は高い。魔物は必ず殺してやるとの決意が全身から立ち昇っている。
ジョンの目が細まる。深い森の、常人には判別できないポイントを、狩人としての勘と経験で見つけ出す。立てた人差し指を唇にあて、周囲に沈黙を促す。十人を超える村人たちは、息をするのも憚られるかのように、一斉に口を閉じた。
ジョンは森でも使いやすいようにと作った小型の弓を持ち、軽く矢筒を叩く。矢筒には毒矢を入れている。気付かれないよう慎重に、迅速に目標に向けて移動を始めるジョン。仲間たちもあるものは両手で武器を握りしめ、あるものは右手に武器を持って左手を口にあて、だが全員が頭と腰を低くして、ジョンの後に続く。
決して長くない距離でも、強い緊張を伴えば千里に勝る距離となる。狩人のジョンはともかく、主に農業で生計を立てる村人たちがこの移動に耐えられたのは、強い目的意識によるものだ。
近付くにつれて、目的の姿がはっきりとしてくる。木々の隙間からは三体のグリーンゴブリンが確認できた。三体ともケガを負っている。最下級の魔物であるゴブリンは他の魔物から狙われやすく、また、同じ群れの中でも順位付けのために頻繁に争うことで知られている。ケガをしたゴブリンなど珍しくはない。
山狩りの目的を考えると好都合でしかなかった。小弓の射程距離の内側に入り、ジョンが仲間たちにゴブリンを包囲するよう指示を出す。数分後、仲間が回り込んだのを確認すると、手慣れた動きで矢筒から毒矢を取り出し、弓につがえる。狙いを定め、矢を放つ。短い風切り音。毒矢は一体のゴブリンの肩に命中した。
悲鳴を上げるゴブリンと、ゴブリンの悲鳴を合図に全員がゴブリンに襲いかかった。ゴブリンたちも襲撃に武器を構えるが、決定的に遅い。ケガの影響か、動き自体が鈍く、素人でも十分以上に戦えた。
振るわれた剣はゴブリンのナイフを弾き飛ばす。鎌の先端がゴブリンの脇腹に突き刺さる。手製の槍がゴブリンの喉を突き抜いた。毒矢を受けて動きが鈍くなっていたゴブリンは、頭を斧でかち割られる。
残った最後のゴブリンは武器を捨てて逃げ出したが、村人が懸命に伸ばした錆びた剣で足を斬られて転ぶ。体勢を立て直したゴブリンの視界に映ったのは、自分を取り囲む殺意に塗れた集団だった。ゴブリンは立ち上がれないままに後退る。生に縋りつこうとするゴブリンの様子を見て、村人たちの頭は怒りで沸騰した。
「魔物のくせに人里に出てくるんじゃねえ!」
「てめえらのせいで俺たちは安心できねえんだ!」
「死ね! クソ魔物、死ね!」
「てめえらなんざ一匹だって生かしちゃおかねえ!」
感情のままに吐き出される怒号と罵声。剣が、鎌が、斧が、槍が、棍棒が、ゴブリンに降り注ぐ。肉がひしゃげ、骨が砕け、血が飛び散る。折れた骨が内側から皮膚を突き破る。砕けた頭蓋からは脳漿が漏れていた。一分もしないうちにゴブリンは動かなくなったが、感情に突き動かされる村人たちは、そのまま五分近くもゴブリンを殴り続けた。
生きた心地がしなかったのは、遠くから現場を隠れ見ていた一騎たちだ。特に、殺害された魔物たちと同じ種族、ゴブリンの一騎は言葉もない。
思わず口を押える一騎。ゴブリンの無残な死に様が網膜の奥にまでこびりついた感覚がある。心は人間、の一騎も、彼らとわかり合うことができるとは到底思えなかった。仮に人間の姿をしていても、よそ者扱いで排除されかねない。
「ここから離れますよ、常盤平。接触は戦闘になってしまいます。負けるとは思いませんけど、君としては人殺しはしたくないのでしょう?」
「お、おお」
一騎とて無抵抗平和主義などではない。襲ってくるのなら戦う程度の覚悟は、洞窟の中で既にできている。だからといって積極的に人間を殺したいかと問われると、決してそんなことはない。このあたりの踏ん切りはまだついていない。相手が魔物ならまだしも、人間が相手となると心理的な抵抗感が強いのだ。
一騎たちは身を低くして走り出した。
走り出しはしても真っすぐに走れたわけではない。追っ手から逃れるために見晴らしの良い場所は避ける、森の奥に行けば行くほど道は消えていく。土地勘皆無の場所を適当に走り回り、一騎は木の根っこに引っかかって転び、宗兵衛は川の流れに足をとられて水浸しになり、ラビニアだけは綺麗に木も水も避けていた。
どれだけ走ったのか、どこに向かって、どう走ったのか、一騎らの目の前には崩れかけの廃墟があった。人の気配はなく、中庭には地下水が湧き出たと思しき小さな泉があり、石造りで一般家屋よりも大きい建物だ。一騎の知識では、民家とは違った雰囲気がある、としか理解できない。
『なるほど、ユリス神の教会ですかー』
ラビニアは憎々しげに呟く。
「ユリス神?」
一騎の問いにラビニアは答える様子がないので、宗兵衛が『導き手』に問う。
ユリス神とはかなり昔に信仰されていた女神で、融和を説く心優しい女神だったが魔族との戦いに敗れたと伝えられており、そのために民衆からの支持を失ったとされている。今でも優しさに縋ろうと信仰する者もわずかながら残っているが、多くは敗北した弱神として忌避の対象としており、ユリス信仰の教会は打ち壊されることもあるのだという。
「なるほど、女神か。そりゃ魔族側のラビニアにとっては敵だもんな」
「打ち壊されるって誰が壊すのですか、『導き手』? まさか魔族が親切に壊して回っているわけではないでしょう?」
《肯定。破壊しているのは教会の人間です》
教会とは真正聖教会のことで、大神アルクエーデンを中心に据えて信仰している。この世を遍く光で照らし、迷える人々を導き、終末の日にはあらゆる邪悪を焼き払い、世のすべてを救済するとされている。
正しく世界を導く使命を大神から授かったと考える真正聖教会からすれば、ユリス神のような敗北者は唾棄すべき存在でしかない。強硬な高位聖職者の中には、ユリス神を神の座から追放すべき、との主張を唱える者もいるほどだ。そしてその主張は信者らの間に一定以上の広がりを見せていて、ユリス神信者らへの迫害に繋がっているのだという。
ユリス神信者への暴力やユリス神関係の建物へ火を放つ、エスカレートした場合には殺害事件まで起きるほどであるらしい。
「信じる神や教義で相手を差別したり攻撃したりするのは、僕たちの世界でも珍しくはありませんでしたが……異世界の人間に初めて接触したと思ったら攻撃されて、今度は宗教対立を見せつけられるとか、夢も希望もありませんね、まったく」
「宗兵衛はついでに友人もないだろ」
「まるで自分には友達がいるような口ぶりじゃないですか」
「いるわ! 友達くらい。お前と一緒にするな」
「エア友達ですか。常盤平は時々、虚空に向かって談笑していると評判でしたね。確か五人分の食器を並べて一人で楽しそうに鍋をつついていたとかどうとか」
『うわぁ。悲惨な人生ですね』
「話を作るなよ! さっさと入るぞ。ボロボロだけど外よりかはマシだろ」
会話を強引に打ち切って教会敷地内に入る一騎。生垣はとうに枯れ果てていて、壁も花壇もあちこちが崩れている。建物の壁も窓もドアなども似たような有様で、一騎の位置からは見えないが恐らく屋根も崩れていると思われた。
一騎の後ろを歩く宗兵衛は、不審げに周囲を見回しながら自分の頭の上に座っているラビニアに話しかける。
「おかしくないですか、ラビニアさん」
『宗兵衛さんもそう思われますかー? わたくしもなんですよ。建物の特徴からして相当な築年数が経過しているはずなんですけど、その割には建物の崩壊が進んでいないんですよねー』
《警告。廃屋内部に小さいながらも気配があります》
「ふむん?」
『小さい、というのが気になりますねー』
「なにしてるんだよ、お前ら。早く行くぞ!」
『……ときに宗兵衛さん、一騎さんと『導き手』とのリンクは』
「もちろん切っています」
自分の真後ろで微妙に物騒なやり取りをされていることなど気付くことなく、一騎はゴブリンの狭い歩幅を目いっぱい広げる。今にも崩れそうな建物の中で比較的、まともな形の残っている木製のドアを押し開く、と同時
『怨敵退散っ!』
「げぶらぼっ!?」
凄まじい衝撃が一騎を襲う。フライパンの一撃が一騎の顔面を直撃した。
見事に不意を突いた、至近距離からの物理攻撃。破壊的な金属音が鳴り響き、美しい放物線を描いて一騎が宙を舞う。宗兵衛もラビニアも思わず見とれてしまうほどだ。
一騎は頭から地面に落下した。衝撃に驚いて、近くの草むらにいたウサギが逃げ出し、木に止まっていた鳥も飛び立つ。
『綺麗に頭から落ちましたねー』
「あれだけ熱烈だと……受け止める地面こそがいい迷惑だったに違いありません」
『うるさい! また来たのね。人間だろうと魔物だろうと、ここを壊そうとする奴らはわたしが絶対に許さない。何度でも吹っ飛ばしてやるんだから!』
宙に浮いてフライパンを突き付けてくる妖精の少女は、鼻息も荒く宣言するのだった。




