第一章:十九話 外へ
「ようやくの、外ですか」
《肯定。大気組成も魔人たちが脱出した際の外部のものと一致します》
光を浴びているのは宗兵衛だけだ。荒巻たちとは既に道を別にしている。しばらくは一緒だったのだが、途中で分かれ道に差しかかったとき、どっちを選んでも恨みっこなしとの判断で別々になったのだ。
「ぅぉおお~~ぃぃい、待ってくれええ~~~ぇぇえ」
光の届かない洞窟の奥から、なにかを引きずるような音と、そこはかとなく生命力に欠ける嘆願の声が響いてきた。一騎の声だ。ぼろ雑巾のような体を引きずって歩いている。杖代わりの骨刀はその切れ味を遺憾無く発揮し、地面に向けられるたびに切っ先が深々と突き刺さっていて、非常に使い勝手が悪そうだ。
骨刀を杖の形に変化させればいいのに、とは考えるなかれ。今の一騎は骨刀の形状変化ができない。理由は簡単、宗兵衛が一騎と『導き手』の接続を解除したからだ。制作者である宗兵衛自身ならともかく、一騎が形状変化を成すには『導き手』のサポートが欠かせない。『導き手』なしでは、伸ばすことも棘を出すことも、もちろん杖にすることもできないのである。暗闇の奥から声がした。
「おぉぉい、宗兵衛……頼むから『導き手』さんを接続してくれぇ~~ぇえ」
「却下。僕の大事な『導き手』が君の手垢で汚れるのは耐えられません」
「なんじゃそりゃあぁ~~」
一騎の返しにもいつものキレがない。ようやく光が届く距離にまで出てこれた一騎の顔は、控えめに言ってもボコボコになっていた。別れ際、荒巻たちから五発ずつ殴られたからだ。最後にオイシイところを奪っていたことへのささやかな報復は、血祭りに挙げられるのを回避できたのだから良しとするべきだろう。
「そ、外! だああぁぁぁああっ!」
溢れる光を全身で受け、一騎は心から叫ぶ。肺の奥底にある酸素の一滴まで絞りつくした後、疲労と達成感からその場に座り込む一騎。
ついに出た洞窟の先には、深く広大な森が広がっていた。
一騎は周囲を見渡す。森はどこまで続いているのかわからず、遥か先にそびえ立つ山の頂上付近は雪で覆われている。
『いやいや、実に素晴らしいですねー、お二方は』
聞き覚えのある声がした。頭上に例の妖精が浮かんでいた。可愛らしい顔に浮かべられたにこやかな微笑みは、逆に一騎を不安にさせる。
『そんな顔しないで下さいよー。わたくしはだた、あの子を倒した強者の顔を見に来ただけですから』
ペットが負けるとは思っていなかったのだと言う。どこまで本気はわからない声音だ。一騎は思う。ペットは確かに恐ろしい敵だった。だが安直なまでの暴力と破壊の化身だったペットと、穏やかに冷たい笑みを浮かべ続けるこの妖精とでは、恐ろしさの種類が根本的に違う。妖精に比べればペットの恐怖は単純で底が浅い。
「ゴブリンとスケルトンが生き残ったらマズいのか?」
『そんなことはありませんよー。強力な魔物が生まれたことは実に実に喜ばしいことですから。振るいわけに手抜かりがあったことは事実ですけど』
妖精によると転生者の半数以上が生き残ってしまったらしい。ペットでかなりの転生者を間引く予定であったのに、一騎たちが予想よりも早く出口に向かっていたため、ペットを件の広間に向かわさざるを得なかったのだ。おかげで想定よりも多くの転生者を逃がしてしまった、と笑いながら話す。
「顔を見たのだからもう用は済んだと? 僕としてはせめて拠点にできそうな洞窟とか廃村を教えてもらいたいのですが」
『この辺の地理にはわたくしも詳しくはないんですよー』
「なんだよ。じゃあ本当に俺たちの顔を見に来ただけかよ。宗兵衛の顔なんか洞窟の中に転がってるガイコツを見たらそれで済む話じゃねえか」
『もう一つ、一騎さんの『進化』を見せていただきたいと思いまして』
妖精の言葉に一騎は思わず黙り込む。鬼へと『進化』した現場に妖精はいなかったような気がするのだが、どこかで目撃されていたのだろうか。
『洞窟内部での皆様の動きは把握しておりましたよ。転生させた皆様方がきちんと洞窟の外に出られるか、心配で心配で仕方ありませんでしたから』
後半は間違いなく嘘で、前半は間違いなく真実だろう。背筋を伝う汗の冷たさを感じながら、一騎は妖精に魔力が足りなくて『進化』が使えないことを告げる。これで諦めてどこかへ行くのかと思いきや、妖精は一騎の言葉を否定すべく、小さな種を取りだした。
『一騎さんはペットを倒したときに大量の魔力を得ておりますから、『進化』するだけでしたら十分、足りてますよ。この種は一騎さんが『進化』するのを手助けするためのアイテムでして』
「え? 『進化』できるの? マジで? 嘘ついてない?」
妖精の言葉に食いつく一騎。チョロイと思われようとも、一騎は『進化』を使う気満々だった。なにしろ鬼へと『進化』した際は自分の意識が欠片も残っていなかったため、後から宗兵衛に教えてもらっただけ。自分を保ったまま『進化』できるのなら、喜び勇んで『進化』を使いたいのである。
『もちろん本当ですよ。一騎さんは、一度は鬼にまで『進化』されておりますし、あるいはその超進化を目の前で見ることができるかも、とわたくしの心は期待に打ち震えているのですから』
「そそ、そそそれで!? その『進化』はどうやって使うんだ!?」
『わたくしにわかるわけないじゃないですかー。『進化』は他ならぬ一騎さんの特異能力なのですから』
あっさり返されると二の句が告げなくなる一騎だ。なにしろどう『進化』したのかが不明なのである。困ったときはどうすればいいのか。決まっている。一騎は勢いよく首を宗兵衛に向けた。
「僕の『導き手』ですよ。君のための便利スキルじゃないと理解していますか?」
「十分、理解しているよ。でもほら、困ったときはお互い様っていうか、そういうのって必要な精神だと思うんだ」
「……はぁ、こっちにも利のあることですし『導き手』、頼めますか?」
《了承。常盤平一騎は既に一度『進化』を使用しているため、なりたい自分を明確にイメージでき、かつ魔力量が足りるならすぐにでも『進化』可能です》
「そうなの!?」
一騎は目と口を開けて驚く。使い勝手の悪い能力だと思っていたら、実はそんなことはないではないか。妖精から種を受け取ると、唾で飲み込む。
「なんと言ってもやっぱ王道は押さえておきたい。身長は高く足は長くイケメンで莫大な魔力とあらゆるスキルを習得した世界最強クラスいやいや間違いなく疑いようもなく世界最強の実力者。圧倒的なカリスマを持ち、町を歩けばそれだけで女たちが寄ってきてハーレムが自然にできる。そしていずれは大魔王としてこの世界に君臨する。これだ!」
「『……』」
一騎の中でイメージが固まる。魔王ロールプレイを楽しんでいるバラ色の未来を夢見て『進化』の準備に入る。人間だった頃の自分の姿も、今のゴブリンの姿もきれいさっぱり忘れ去る。漫画やアニメで接してきた格好いい魔王の姿を思い浮かべる。宗兵衛と妖精が沈黙を守っているが気にしない。
体が内側から熱くなる。体内の魔力が活性化し始めたのだと魔物の本能が教えてくれる。死闘の果てに得た魔力が自分を強くする。熱い展開に一騎の精神もかつてなく燃焼、より強く『進化』した自分をイメージした。
「ところで妖精さん。あの種には具体的にどのような効果があるのですか?」
『一騎さんの魔力は今、肉体的精神的疲労の回復が優先されておりまして、このままでは『進化』に魔力が供給できませんからね。あの種は生命維持活動に回されている魔力を強制的にカットするための道具なんですよー』
ロクでもないセリフは、幸いなことに一騎には聞こえなかったようだ。
「行くぜ、『進化』あああぁぁあ!」
ヒーローよろしく、左手を腰の位置に、右手を高々と突き上げる。ゴブリンの肉体が光に覆われる。循環する魔力が加速する。肉体が拡張し収縮する。流れる魔力の圧力が骨格にも向けられる。不思議なことに痛みはない。新たな力、新たな存在。一騎は数秒後に生まれるであろう魔王の存在を信じて疑わなかった。
「……『導き手』、解説をお願いできますか?」
《イメージした『進化』に足る魔力がなかったためです》
『宗兵衛さんのほうは非常に使い勝手がよさそうですねー。一騎さんとは違って』
「俺から目を背けないでお願いしぐぶはっ!?」
「吐血しましたよ、このゴブリン」
『生命維持に使っていた分の魔力も『進化』に回しちゃいましたからねー』
宗兵衛と妖精の言葉は一騎の心を唐竹割りに叩き斬る。希望に胸を高鳴らせ、喜び勇んで行った『進化』。肉体を覆う光が失われ後に現れたのは、緑色の体をしたゴブリンだった。ようするに微塵の変化もない。
「なんでどうしてなんで!? 『進化』できてないじゃん! 俺の魔王化計画はどうなっちゃうんだよ。第一歩から躓いてるじゃないか!」
相変わらず緑色の手を見てもだえる一騎。「ふんぬ」「とあっ」などの妙な気合と共に珍妙なポーズをとり続けている。失敗を受け入れられずに、どうにかして『進化』しようと無駄な悪あがきを試みては、ときに吐血している。
『最下級のゴブリンの分際で一足飛びに魔王になろうだなんて、分際を弁えないことをイメージするから、途中で魔力切れを起こして『進化』自体がキャンセルされたのでしょうねー』
「つまり妖精ペットを倒して得た魔力を無駄に吐き出した挙句、常盤平は何一つ得ることはなかったというわけですね」
《否定。常盤平一騎は『進化』使用による結果を得ています》
淡々とした『導き手』の指摘に宗兵衛と妖精が目を凝らす。顔付きや体形に目立った変化は見受けられない。妖精は首を傾げ、宗兵衛も同様だ。
「ん? あれ? 常盤平の腰にぶら下がっているのは……矢筒ですか?」
《肯定。常盤平一騎はゴブリンからゴブリンアーチャーになっています》
「それって『進化』とは関係ないような」
『そうですねー。クラスチェンジとか転職ではないでしょうか』
「お前ら、しみじみ言ってんじゃねえよ!」
一通りのポーズと掛け声を試したのか、息を切らせた一騎が噛みついてくる。
「せっかくの魔力を無駄なことに使ったものです。感心しますよ」
『本当、無駄でしたねー』
「無駄無駄言うなあっ! ちくしょう、もう一度、魔力を溜めて今度こそ魔王とか竜王とか英雄とかに『進化』してみせるからな!」
選択肢が複数ある時点で明確なイメージにならないことに、一騎は気付いていない。イメージを膨らませた結果、ゲームなどの創作物から得た理想の姿が次々に浮かび、一騎自身も自分にもっとも相応しいのがどれかをわかっていない。
「そうですか。常盤平の意気込みはよくわかりました。君の望みが正しく叶えられるだろうことを心から願っていますよ。それじゃあ僕はこの辺で失礼しますが、縁があって気が向いたらまた会うことを前向きに善処する方向で検討しつつ調整しようと思います」
「お前、完全に縁を切るつもりだろう! 待ってくれ、見捨てないで!?」
骨の足にしがみつくゴブリンの図は端から見ても醜悪に違いない。妖精は『うわぁ』とでも言いたげに顔をしかめていた。
「ほら、ゴブリンもスケルトンも下級モンスターだろ? そんな奴らが単独で行動するのは危ないと思うんだよ。他の魔物や人間に襲われる危険だってあるんだし、十分に力を蓄えたり情報を集めたりするまでは一緒に行動したほうがいいと思うんだが、もちろん異論反論抗議抗弁はないよな!?」
あっても全力で受け付けないと一騎は決めている。右も左もわからない世界に一人で放り出されるのは、遠まわしな殺害と一緒だ。
「僕には『導き手』がいるからある程度はなんとかなると思いますが……わかりました。申し出を受けようではありませんか」
「本当か?」
「もちろん。生贄とか囮とか肉の壁とか、色々と協力してやっていきましょう」
「そうだな。アンデッドのお前なら腹にダイナマイト巻いて突撃しても大丈夫そうだもんな。お互いの利害が一致して、利用価値がある間は鉄より硬い友情で結ばれていると確信しているぜ」
緑色の手と白い骨の手ががっちりと握手をする。一騎はにこにこと微笑み、宗兵衛もカタカタと口を揺らす。
『でしたらわたくしもご一緒させていただきますよー?』
妖精の言葉に一騎は目を剥き、宗兵衛も首を妖精に向ける。
『実はですね、わたくしの仕事は皆様方の転生と洞窟の破壊の二点だけでして、両方が終わった今、結構、暇なんですよー。足手まといにはなりませんので一緒について行ってもいいですかー? もちろん教えられないことも山ほどありますけど』
「反対に決まっているだろう! なあ、宗兵衛?」
「僕は賛成ですよ。戦力としては僕たちよりずっと上でしょうしね」
「あれ!? あっさり!?」
『さすが。宗兵衛さんは器が広いです。ではでは、改めまして。風の妖精ラビニアと申します。良しなにお願いしますねー』
空中で優雅に一礼するラビニア。
「小暮坂宗兵衛です。よろしくお願いします」
「ちょ! 俺の意見は全無視かこら!」
「不満でしたらここからは骨刀を回収した上で別行動を」
「待ってくれ!? 賛成賛成! 賛成するから!?」
ゴブリンにスケルトンに妖精。あまり見かけない組み合わせのパーティができあがる。最も凶悪な妖精が紅一点という時点でいろいろと間違っている気がしないでもない。
一騎は落ちている枯れ枝を拾って、立てる。ややあって枝は倒れた。
「よし、とりあえずはこっちに行ってみようぜ」
『随分と適当なんですねー』
「地理がわからない以上、仕方ありませんね」
三人は枝が指し示した方向に歩きだす。一騎が先頭、少し遅れて宗兵衛、飛ぶのが面倒になったのか、ラビニアは宗兵衛の頭の上だ。数歩も歩かないうちに一騎の腹の虫が鳴る。
「飢え死にする前になんとかしたいなあ」
「スケルトンは魔力で動くから飢え死にはしません」
『わたくしも魔素の吸収で済むから大丈夫ですよー』
「ぅえ!? 俺だけ!?」
ようやく第一章終了です。
ここまでお付き合いくださり、
ありがとうございました。
第二章も、よろしくお願いします。
更新ペースは週一、二回を予定しています。




