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第六章:十六話 闖入者

 投擲、と表現したが、より正確には眼下に向けて投げ落としたのだ。


 真っ黒な斧が一直線に、鳥の魔物に襲いかかる。この鳥が同級生であることは想像できている宗兵衛は、もはやその程度の事実では心が乱されることはない。同情することもなければ、日本にいた頃の恨み事を思い出すことすらない。


 単なる敵、あるいは障害物として排除するだけ。


「――――っっ!?」


 安達は人間だった頃も魔物になってからも、実戦をほとんど経験していない。バトル物の漫画を見て、自分が活躍する妄想をしたことがある程度だ。ケンカなどしたくないし、巻き込まれたくもない。


 日々これ平穏であれば最高だ。魔物化し、洞窟から命からがら逃げだしただけで、一生分の災難を潜り抜けたと考えている。これ以上の災難はごめんだと考えている。


 こんな酷い目に遭ったのだから、この後の人生は軍師として活躍して、穏やかに過ごすだけだと軽く決めていた。


 こんな妄想が簡単に現実になるだろうと夢想するあたり、魔物化以後の経験があっても尚、安達が向き合っているのは現実ではなく己の妄想が相手なのだろう。


 だからこそ強烈なまでに鮮明な死に直面して初めて、この世界に来て初めて、安達は現実と向き合った。


 現実のほうから問答無用で迫ってきたのだから、嫌でも向き合わざるを得ない。目と口を張り裂けんばかりに開き、身を捩り、思い切り翼を動かす。悲しいかな、生来の鳥型魔物ではないことが災いして、無様な羽ばたきでは満足する速度が出ない。


 翻って漆黒の斧の攻撃範囲は恐ろしく巨大だ。


 投擲されたことによって生じる風圧と衝撃波と、もちろん刃の部分は当然。黒く巨大な刃を覆う魔力がそれこそ翼を広げるように巨大化し、殺傷しうる範囲を最大にまで広げている。


 完全に動転してしまっている安達では逃げられる筈もない。どうにか体を反転させることに成功した直後、ゾン、と安達の背後から聞いたことのない音がした。


 斬撃ではありえない音。爆発では起こりえない音。空間ごと根こそぎ削り取ったかの音が、安達の真後ろから、それも極めて至近から聞こえてきた。


 安達は後ろなど向きたくなかった。向きたくなかったのに、衝撃で体が泳いだ拍子に、絶望的な現実が飛び込んできた。


 安達の体幹全体の四分の三が消失している。足も胴も、当然、翼もない。


 早い話、安達は首から上だけになっていた。飛行しているのではなく、慣性の法則に則って宙を漂っているだけの状態。


 安達の首にかかる横方向への力が弱まり、代わりに重力の捕縛力が強くなる。安達の首が下を向いたとき、目いっぱいの視界に飛び込んできたのは、広大な大地に作られた巨大な風穴だ。


 圧倒的なまでの彼我の実力差。


 十面埋伏の計? 二虎競食の計? 軍師としての成り上がるために思い出していた計略など、対人を目的にしたものに過ぎない。桁違いに強大な、それこそ大量破壊兵器のような暴力を前にしては、古典の計略など何の役にも立たない。


 役立てるように運用する方法もあるが、頭の中で考えていただけの安達には思いもつかない。思い知ったのは一つ。どうしようもない、ということだけだ。


「ああアぁぁっァぁああぁぁぁぁァアあぁぁぁぁぁあアあああぁァぁッ!」


 肺のない状態で生物は叫ぶことなどできるはずもない。だが安達は叫んだ。魔素と魔力を本能的に介して、あらん限りの力を振り絞って絶叫した。


 死にたくない。死ぬのは嫌だ。生きていたい。情けないことに、あるいはここまで一度も追い込まれなかったことを幸運に恵まれて、安達は心底からなにかを願うことはなかった。


 初めて願う。神でも悪魔でも誰でも何でもいい。自分に差し出さるものなら全部くれてやる。だから頼む。俺を助けてくれ。


 魔物として意識せず蓄え続け、碌に使われることのなかった魔素が心からの願いに応える。


 安達の頭部に瘤が生まれ、不気味に膨れ上がる。瘤は一つだけではない。次々に生まれ続け、遂には安達全体が瘤に取って代わられた。


 場違いに軽妙な破裂音を立てて瘤の一つが裂ける。赤色と灰色の混じった粘性の液体が空中に飛び散り、連鎖して他の瘤も破裂していく。


 最後の瘤が破裂した内側から姿を見せたのは、胴も翼も再生させた魔物の姿だった。


 再生前と違う点は二つ。一つはサイズだ。大人と同程度の大きさだった安達の肉体は、熊と表現するに足るほどの大きさを得ていた。


 もう一つは形状だ。元が人間で、鳥の肉体を正確にイメージすることができなかったせいなのか、再生体は歪な出来だ。翼の左右の大きさはおかしいし、腹も餓鬼のように突き出ている。


 安達には自分自身の身になにが起きたのかを知る由はない。だが本能的にわかったことがある。


 自分は生まれ変わった。失った翼も無事に取り戻した。戦う力についてどうかは知らずとも、この場から逃げおおせる程度の力は取り戻したはずだ。


 これで。これなら。安達は僅かに芽生えた希望を、全力全速で握りしめた。


 次はもう、絶対になにもしない。軍師とか計略なんてものからは距離を置く。翼があればどこにだって行ける。魔の森の中にいる必要はない。どこか遠くに行って、人も魔物も遠ざけてひっそりと生きていく。


 活躍だとか知識を活用するだとか、そんな夢物語は投げ捨てる。誰も来ないような場所で、のんびりと過ごして、美味い食事やスイーツなんかも諦めよう。


「げぶぎゃっっ!?」


 転生から初めて生まれた安達の心底からの願いは、唐突な形で断ち切られる。いや、掴み千切られた。


 如何に落下中であったにせよ、飛行中の安達が巨大な腕に掴まれたのだ。ブヂィ、という友好的からは程遠い音が響き、安達の右翼が毟り取られる。


「ごげぢ、ぢぎじょうっが!」


 もがく安達が見たものは、骨でもなければ他の魔物の姿でもなかった。


 超再生を経てグリズリーよりも巨大な体躯を誇る安達の翼は、最大長で十メートルほどにはなるだろうか。巨大な翼を一掴みで千切るとなると、そんな腕の持ち主は巨人でしかありえない。


 だが見えるのは、森から唐突に生えたかのような巨大な腕だけだ。前腕なのか上腕なのかわからない腕が、まさしく大蛇のように伸び、巨大な手が鎌首めいて振るわれる。


「げきゃぁっ!」


 血反吐交じりの叫びとともに再びの超速再生が安達の翼を作る。一度目よりも成形の崩れた、出来損ないの翼を思い切り動かす。


 反撃などではなく脱出のためにより高くに舞い上がり、相手の姿を確認しようと旋回したのが間違いだった。


 安達の眼前には無数の巨大な手が迫り、避けても、避けた先に更に巨大な手が次々に現れ、安達に迫る。安達は冷静さをかなぐり捨てて暴れ回る。それはそうだろう。だって迫る腕の掌には、巨大な口が開かれているのだから。


 腕の意図はわかりやすい。安達を握り潰すのでも引き千切るのでもなく、食い殺す気だ。いくつかの腕を吹き飛ばし、引き裂き、燃やし落とした安達だがついに巨大な腕に巻き付かれてしまう。


「クソ、放ぐぶ!」


 腕の中で大暴れする安達を締め上げたまま、巨大な掌が動く。開かれた掌の中央部分は真一文字に裂け、ゆっくりと裂け目が大きくなる。巨大な、牙が並び、涎が溢れる巨大な口だ。


「ひ、ひぃいいぃいぁぁぁあぁぁぁあ!」


 己が食われると悟った安達は半狂乱となって炎を吐き出した。安達の生涯で初めての行動だ。火球を連続で放ち、直撃を受けた口は爆炎の向こうから平然と迫り続ける。


 絶叫を上げた安達がうるさかったのか、巨大な口はまず安達の首から上だけを食い千切り、咀嚼し、嚥下する。まだビクビクと動いている安達の残りの肉体を無造作に飲み込んだ。


 掌が舌なめずりをする様は、一部始終を目撃することになった宗兵衛をして、気色の悪いものであった。

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