第六章:三話 教皇と剣鬼の朝の会話
ルージュの金色の瞳は微かに細められている。幼くも白く秀麗な顔に聖女と呼ぶにふさわしい、優しく穏やかな陽だまりのような笑顔が浮かぶ。にもかかわらず、宗兵衛にはルージュの手元にある骨製の料理ナイフが、極めて恐ろしい凶器に見えて仕方がなかった。
「卵焼きに極僅かだけどニンジンの香りがするわ。以前は野菜オムレツの中に混ぜていたわね。あたしは貴方の卵料理は大好きだけど、大好きだからこそ、こんな形で台無しにされることが耐えられないの。聖騎士候補の身でありながら、どうしてこんなひどい裏切りをするのかしら?」
裏切った気など更々ない宗兵衛である。もちろん聖騎士候補なんてものに名前を連ねた記憶もない。お察しの方も多くおられるだろう、ルージュはニンジンが嫌いである。ニンジンだけでなく野菜全般を苦手にしている。
「ねえ、ソウベエ?」
「いやあの、その、ですね」
「うん?」
「……私が頼みました」
「アーニャ」「アーニャさん」
食堂の入り口には、目を擦りつつ『剣鬼』アーニャが立っていた。
「……ルージュ、またソウベエを持って行きましたね。今日は私の番のはずですが?」
頭蓋骨だけとなった宗兵衛は、自力では移動することができない。不便さを主張しようとした宗兵衛であったが、主張するよりもずっと早いタイミングで扱いが決まっていた。
交代でルージュとアーニャに持ち歩かれるようになっていたのである。時々はラビニアに持ち運ばれることも。
とびきりの美少女二人に取り合いされる状況には異論のない宗兵衛も、首から上だけの扱いには不満を持っていた。やはり自分の体が欲しいと考え、全身骨体を作ったことも――今となってはいい思い出になりつつあるのは秘密だ。
どれだけ頑丈な骨体を作っても、ルージュとアーニャにかかるとあっさり破壊されるのである。対抗なのか面白がっているのか、ラビニアも骨体破壊に混ざってくることもあって、骨体破壊件数が三十を超えたあたりで、宗兵衛の心が開放性にへし折れたのだ。諦めともいう。
おかげでスケルトンの遠隔操作技術が向上したのだから、世の中なにが功を奏するかわからないものである。
ちなみに張り切っているのがリディルだ。ルージュにもアーニャにも破壊されない骨体を作成することに、並々ならぬ情熱を注ぎ込んでいることは公然の秘密となっていた。
宗兵衛としては頑丈な骨体よりも、肉体を手に入れることを優先したい――と発言していた時期がある。生身になれば首を斬り落とされるリスクが減るのでは、と夢想したわけだ。
夢が砕け散ったのは、真正聖教会における最高刑が死罪ではないと知ったときであった。
世間的には死刑が最高刑だと認識されているが、教皇の裁可により死刑以上の刑罰を下されることがある、とルージュとアーニャから聞かされたのだ。
曰く、斬首した上で延々と生き続ける。
意思はある。魔素を介して話すこともできる。食事はできない。自分では移動することもできない。眠ることも気絶することもできない。魔法の行使もできない。生命維持を魔素で行っているため、再生力も高い上、精神も保護されていることから発狂することも不可能。
刑罰であるが故、刑の執行後は他者との接触などできるはずもなく、光も音もない狭く冷たい空間に置きっ放しにされ、死にたくとも死ねない状態がずっと続くのだ。
考え事に没入する、という逃げ道も潰されている。あえて効果を減弱させた思考阻害の魔法をかけられ、深く物事を考えることができないようされていることに加えて、延々と教会教義が頭の中に直接、響いてくるとあっては思索に逃げることなどできようはずもない。
――――……ソウベエは生身の肉体が欲しいのですか?
――――協力したげるわよ。
――――いえ、猛烈に嫌な予感がしますのでお断りさせていただきます。
嫌な予感がするのではなく、嫌な予感しかしなかったわけなので、断ったのは当然である。
過去にこの刑罰を受けたものは一人だけ。時の枢機卿が教皇の地位を狙ったことで、刑を科された。科された後は死ぬことも狂うこと思考の放棄もできず、その想像を絶する苦痛は三代後の教皇から恩赦を受けて死ねるまで続いたという。
二人目になる名誉を逃れることに力を尽くした判断は正しかったものと、宗兵衛は確信している。
テーブルに近付いたアーニャは、細い手を宗兵衛に伸ばす。遮ったのは、同じく細いルージュの手だ。アーニャがムッと眉根を寄せる。
「……それ、私のです」
「なによ、ちょっと持って行っただけでしょ。あんた寝てたし」
「……朝起きたとき、腕の中にあるはずの感触がないことがどれだけ寂しいか、わかりませんか? とにかく返してもらいます」
「嫌よ。ペナルティとして今日はあたしが持つわ」
「……ペナルティを受ける理由がありません。返してください」
この扱いにもすっかり慣れてしまった宗兵衛である。
「どうしても返してほしかったら質問に答えなさい」
「……下らない質問のような気がしますが、どうぞ」
「下らなくなんてないわよ。カレーだったわね。あれならちゃんと食べたじゃない。なのにどうして余計なことを頼むのよ」
「……確かに、カレーと鍋物にした場合は、ルージュも野菜を食べられていますから、宗兵衛の努力と知識には感謝しています」
異世界転生もので日本の料理を紹介する場合、カレーが喜ばれるのはかなりしっかりとした鉄板と言えよう。ルージュとアーニャも例に漏れず、カレーの魅力には抗えなかった。
次いで日本の冬の定番、鍋料理も随分と高評価を得ていて、集落に来て以降、ルージュの野菜摂取量はかなり増えていた。
魔の森で採取可能な野菜は少なく、輸入に頼らざるを得ない点は財政的にきつかったりするが、それはまた別の話しであり、ルージュには関係のない話でもある。むしろアーニャが「ふんす」と張り切って野菜の手配をしていた。
「……でもまだ偏食なのは変わりありません。これもすべては敬愛する教皇聖下の健康のためですよ?」
「忠実な信徒の存在に、感動して涙が出るわ」
愛らしい双子の姉妹が笑顔で火花を散らし合う。宗兵衛は教会で出されていたメニューを、アーニャを通じて入手。平均的高校生と比較して多少は勝る料理知識を動員して、ルージュの好き嫌いの改善に協力していたのだ。
その結果が、このいたたまれない立ち位置なのだから、世界の不平等を身をもって実感する。頭蓋骨で転がっているだけだから、立っているわけではないが。
「……それじゃ、質問には答えましたよ」
「え?」
体術面でいうと、アーニャはルージュよりも遥か格上だ。もちろん宗兵衛にも勝っていて、二人が気付いたときには、宗兵衛は既にアーニャの腕に抱かれていた。
「おろ!?」
「ちょ、アーニャ!?」
「……ソウベエ、私も卵がいいです。今日は目玉焼き」
『わたくしも目玉焼きをお願いしますよ~。半熟で』
ふわふわと飛んできたラビニアが宗兵衛の上に着地、欠伸交じりに朝食のリクエストを出してきた。
《主は料理人ではありません》
「そう言ってくれるのは貴方だけですよ、リディルさん」
リディルの至極当然の指摘に、不覚にも宗兵衛は感動の涙を流した。
卵を中心とした朝食のリクエストが一段落すると、朝食中にもかかわらず昼食をどうするのかという話になるのは、宗兵衛としてはちょっと勘弁してほしいと思う。
――――! ――――! ――――!
食堂の外から種類の違う魔物の子供たちが一緒にはしゃぐ声が聞こえる。見ると骨で作られたジャングルジムに魔物の子供たちがよじ登ったりウルフの背に乗ったりして遊んでいる。
「随分大きな遊具よね」
「個人的にはウォータースライダーを作りたかったのですが」
「……楽しそう。絶対に作って」
「もちろんです」
ウォータースライダー → 水場 → 水着
までの連想が立て板を流れる水のように宗兵衛の脳裏に生まれる。さすがは名誉嫉妬仮面と言えよう。
「ふむ、となると次は、誰に水着を用意しましょうか。ゴブリンやギルマンは論外ですなので、例えばハーピーやマンドラゴラのような女性型の魔物なら」
→ ルージュとアーニャの水着姿
垂直に落下する滝のような勢いで、美しくも危険な映像が浮かび上がった。
《主……後で話があります》
「べべべ弁解の余地は!?」
《機会を要求するのは自由です》




