幕間:その二十九 とある勇者(妹)と魔物(兄)の話 ~第九話~
夏樹とスーリアは経験があるが、由宇とケビンにとって転移は初めてのことだ。もちろんのこと、日本からの異世界転移については数えていないが、この点については特に異論はないだろう。
一瞬で景色が変わったことに二人は、ついでに経験者のスーリアも驚きの声を漏らす。
「凄い、ですね」
「一瞬デ森ニ戻リマシタ」
「さすがです、兄さん」
スーリアとケビンはまじまじと森を眺め、それから互いで見つめ合う。
「スーリア」
「けびん」
感情がどんどん昂って行っているのだろう、二人はジッと互いの目を覗き込み、両者の顔は少しずつ近付いていく。ケビンはスーリアの名を、スーリアはケビンの名を囁き合い、そして、二人の唇が重なった。
「「っっ!?」」
驚きに固まる夏樹と由宇のことなど、視界はおろか意識の片隅にも入っていない。間近でキスシーンを見せつけられた二人は思わず固まった。
「ぉ、おお」
「これは……っ」
夏樹と由宇の手が不意に触れ、思わず目が合ってしまう。と、それだけのことなのに、思春期真っ只中の二人としては、別に恋人でもなんでもないのに、どことなく気まずくなってしまう。
スーリアとケビンの濃厚で情熱的なキスは互いをどんなに深く想っているかがよくわかる。一分にも及ぶキスにもかかわらず、尚、離れることを惜しんでいることは上気した頬と潤んだ瞳を見れば明らかだ。
さすがに場所を弁えてか、それ以上の行為に発展することはなかったが、状況が一段落し、二人きりになれば間違いなく互いの熱い愛を確かめ合うだろう。その場合、特に拠点の定まっていない夏樹と由宇はどこで時間を潰すべきか、すぐに答えは出なかった。
「す、すみません」
「ツイ、燃エ上ガッテシマイマシタ」
「それ以上に燃え広がらなくてなによりだったよ」
夏樹の返答に由宇も頷く。ティーンエージャーには刺激が強い。
ここがクラブのように不特定多数が集まって騒ぐ場所なら、一緒になってテンションが上がっていくだろうが、傍観するしかないとあっては増していくのは只々気恥ずかしさだけだ。囃し立てるクラスメイトもいないことだし。
「どこか行く当てはありますか?」
「ソレハ」
「すぐにはわかりませんが、二人で考えていきたいと思います」
魔物のスーリアなら、森の中だろうと洞窟の中だろうと生きていける。人間のケビンにはかなり厳しいと言える。
「だったら魔の森に向かうという選択はどうでしょうか?」
「うげぇ」
勇者の由宇の提案に、魔物の筈の夏樹は電光石火の拒否感を示す。
「兄さん?」
「いやさ、おれ、あそこには嫌な思い出しかないんだけど」
夏樹の魔の森に対する感情はマイナス方向のものばかりだ。洞窟も森も、ひたすら夏樹の命を脅かし続けてきた環境だ。夏樹に限らず、数多くの転生者の命を奪ってきた場所である。
「あんな場所を勧めるなんて考えられないことだぞ。ああ、でも、確かにあそこは逃亡者には都合のいい場所かもな。人間はほとんど入ってこないみたいだし」
「兄さんの指摘もわかりますけど、他にも理由があります」
「え? 他にも、て二人に勧める理由が?」
「はい。隠れ住むことを選んでいた兄さんは知らないことでしょうが、最近、魔の森の環境が改善傾向にあるらしいのです」
改善というのはあくまでもある方向からの表現に過ぎないが、と由宇は付け加えた。
種類の違う魔物どうしが集まって群れを作っている、しかも部分的にだが人間との交流があることまで確認されている、との由宇の説明受けた夏樹の反応は、
「…………マ?」
どういう原理か、カボチャ頭のくりぬかれた目が一層大きく開かれていた。
「嘘を吐く理由はないでしょう」
「それはそうなんだが……え~? でも、それってつまり……」
「兄さんと同じ、転生者です。教会との仲はいいとは言い切れないですけど、寄る辺もなく彷徨い続けるくらいなら、行ってみてもいいのでは。兄さんは魔の森に火種を置いていますか?」
火種があれば転移魔法で即座に移動できる。このことを期待しての由宇の質問であったが、夏樹のカボチャ頭は大きく横方向に振られる。
「嫌な思い出しかない場所だぞ。置くわけがない」
「では歩いて行ってもらうしかないわけですが、どうでしょうか?」
由宇の提案に、スーリアとケビンは再び顔を見合わせた。小声での相談は短時間、二人は頷き合い、兄妹に向き直る。
「なつきト同ジ人タチ、ナノデスネ」
「ええ」
「そこに行けば幸せに暮らせるのですね?」
「さすがに幸せかどうかは、おれたちには保証できることじゃないぞ」
「イエ、二人一緒ナラ」
「絶対に幸せになります」
誓いあう二人の手は強く握りしめられていた。
ここから魔の森への移動はそれなりの日数を要する。整備された街道を使っても、魔の森近くの町に着くのは一日二日では済まない距離だ。ましてやラミアのスーリアと一緒に動く以上、人気のない道――あるいは道ですらない場所――を進むしかない。
夏樹と由宇が驚いたのは、ラミアの移動力が想像よりも低かったことだ。蛇体であることが理由なのかは定かではないが、ラミアが一日に移動できる距離は、行商人のケビンの三分の二程度であるという。
「本当に大丈夫か?」
「人気の少ない道には魔物や盗賊が出る可能性もありますよ?」
心配する兄妹に対し、ケビンとスーリアはむしろ上機嫌に返してきた。
「セッカクナノデ、移動時間モ楽シミマス」
「魔物とかは確かに怖いですけどね」
「大丈夫。全部、倒シマスカラ」
スーリアの尾が地面を叩く、と木の上に潜んでいた猿型の魔物が短い悲鳴を上げて逃げ去っていく。
「頼りにしているよ、スーリア。まあ、なんか、ちょっと不甲斐ない気もするけど」
「気ニシナクテイイデス。役割分担デスヨ」
「スーリア」
「けびん」
再び二人は見つめ合う。もう、互い以外はこの世界にはいないとでも叫びそうなほど。今にも熱い抱擁とキスへと突入しそうな状況とあっては、夏樹と由宇は明らかに邪魔者である。スーリアたちにその気はなくとも、兄妹が心身に感じる疎外感は果てしなく強いものであることは確かだ。邪魔は野暮と理解しつつ、由宇が小さく咳ばらいをした。延々とラブシーンを見続けるわけにはいかない。
「「す、すみません」」
「いえ」
なにが「いえ」なのか、口にした友人もよくわかっていなかった。
「とりあえず、そう、ですね。お二人はこれまで散々苦労されたのですから、魔の森へは新婚旅行のつもりで行くといいのではないでしょうか」
「「新婚!?」」
新婚、の単語に二人の気分は更に舞い上がってしまったようで、魔物の巣窟とされる魔の森へも、むしろ嬉々として旅立って行ったのだった。
夏樹は確信する。あの二人のことだ。魔の森への道のりは決して楽ではないにしろ、愛の力とやらで必ず乗り切っていくだろうと。むしろ魔の森に到着する頃には、愛の結晶ができているかもしれない。
繰り返し礼を言いながらも、いちゃつきながら森の奥へ姿を消した二人を見送った夏樹と由宇は、心持ち体重が減ったかのような気がした。兄妹の視線が空中で衝突する。二人の顔は妙に熱くなっていた。
「あ、はは、す、凄かったな、由宇」
「ええ、本当に。メロドラマってあんな感じなのですか」
「おれに聞かれても知んねえよ」
「ですか。とにかく、これであの二人のことは一先ずは解決です……兄さん、後のことも手伝ってもらえますか?」
「もちろんだ」
町長の件は概ね片付いている。残りは細々とした後始末だ。森から再び町に戻る兄妹の足取りは、幸せに中ったせいか、微妙に重かった。




