幕間:その二十八 とある勇者(妹)と魔物(兄)の話 ~第八話~
威勢の良い町長とは対照的に、悲鳴めいた声を上げた人物がいた。
「勇者ぁっ!? ちょ、どういうことですか、町長! 勇者だなんて聞いてませんよ!? 教会と事を構えるなんて冗談じゃない! わわわ私は抜けさせてもらいますよ!」
「お、おい! ここまできて俺を裏切るのか」
「教会に逆らってやっていけるわけないだろ! こ、ここからはあんただけでやってくれ!」
商人の動きは素早かった。二度三度と由宇たちに視線を送り、送る度に顔色を青くして、一目散に駆け出す。まるで猿のような機敏さだ。沈没船から逃げ出すネズミみたいだ、と評してもいいかもしれない。
「ええい、役に立たん奴め! おい、お前ら、こうなったら俺たちだけでやるぞ!」
「で、ですが相手は勇者様なんですよね?」
「怖気づくな、バカどもが! 二倍、いや三倍の報酬を出す!」
「三倍!? 本当かよ!」
「それに女も殺す前に楽しんでしまえ! 勇者はお前らも初めてだろ!」
町長の焚き付けは効果抜群だった。いつの時代も金と女は、チンピラたちの意欲を引き出すということだろうか。
カボチャ頭の中で夏樹の奥歯がギリ、と鳴った。
「落ち着いてください、兄さん」
「無理。大事な妹をあんな風に言われて落ち着いていられるか」
「兄さん」
由宇の表情は微かに綻んだ。そんな場合ではないとわかっているので、すぐに目に力を入れて町長たちを見据えていたが。
「スーリアさんとケビンさんは後ろに下がっていてください」
「ゆうサン、デモソレハ……」
「せっかくケビンさんと再会できたのでしょう? 二度と悪者に攫われたりしないよう、スーリアさんがしっかりと守ってあげてください」
「! ワカリマシタ。けびん、ワタシノ近クニイテネ」
「ああ、てキツイ! キツイからスーリア!?」
スーリアの蛇体がケビンを巻き取る。近く、どころじゃなくて完全にくっついている。ケビンには戦闘力がなさそうだから、これが一番安全だろう。力加減を間違えたスーリアが、ケビンの背骨を折らないかだけが心配だ。
位置的には、後方にスーリアとケビンを置き、前衛には夏樹と由宇。町長たちをスーリアまで届かせずに撃破することが勝利条件だ。わかりやすい話である。
由宇はここまで一度も抜かなかった長剣を抜き放つ。装飾のない、実用一辺倒の剣でありながら、刀身を青白い炎が躍っていて、幻想的な美しさと恐ろしさを否応なしに書き立てる。
底知れない恐怖を感じたのは男たちも同じだったのだろう、男の一人が恐怖を振り払うべく大声を上げて斬りかかってきた。男の渾身の斬り下ろしと、涼しい顔をした由宇の軽い横薙ぎが衝突する。
「へっ」
男は口角を歪ませる。大したことがない、とでも判断したのか。その判断が過ちであったことを悟るのには、一瞬で十分だった。
振り下ろした剣を握る男の腕に四本の切傷が生じる。男は絶叫と共に地面に倒れた。
「あの、由宇さん? なんですか、その武器は?」
思わず敬語になって腰まで低くなる夏樹である。
「わたしの宝装です。一度の斬撃で、他に三から七本の斬撃を生み出します。基本的には同じ方向の斬撃ですが、わたしの操作次第でいくらでも軌道を変えることができます」
「それって防ぐのに最大八本の腕が必要ってことですか?」
「射程距離は十メートルほど。体内に直接、斬撃を作ることもできます」
防ぎようがないという事実が判明しました。
「戦力としての俺は必要なさそうだな」
「でも、怒ってくれたことはとても嬉しかったです」
「ぉ、おう」
町長の舌打ちが響く。切っ先を何度も地面に突き刺し、全身で苛立ちを表現する。
「ちぃっ! ガキでも勇者は勇者か! おい、そこの従魔をひっ捕らえろ。人質にできるかもしれねえだろうが!」
「くっそ、俺かよ」
勇者一行を前にしても、町長たちの意思伝達力はまだ十分に維持されていた。手下の一人が懐から数本のナイフを取り出し、素早い動作で投げる。
黒く塗られたナイフは、闇夜の中で放たれこそ最大の効果を発揮するものだ。昼間の太陽の下には程遠いとはいえ、十分な明度のある室内では、単なるナイフでしかない。
夏樹なら回避するのは簡単だ。町長と手下たちも投擲を回避されると想定しているのは、追撃の構えをしていることからも明白。
夏樹はどうするか。夏樹の実戦経験が浅くとも、相手が追撃してくることくらいは姿勢を見ればわかることだ。由宇のフォローがある以上、手下たちの攻撃など恐るるに足らないが、ケビンを助ける戦いに身を投じることは夏樹自身の意思も多分に混じっている。
由宇に頼りっぱなしというのは、どうにも格好が悪い。回避にしろ防御にしろ、相手の意表を突くことを選ぶ。
「となれば、これだ! くらえ!」
カボチャ頭の目が輝いたかと思うと、目から光線が発射されナイフを焼き消した。
「フフフのフ」
「な、なんだそりゃあぁっ!?」
「そんな魔法あるのかよ!」
少なくとも生粋のジャック・オー・ランタンには目からビームを放つようなスキルはあるまい。
浮足立った男たちを由宇の斬撃が襲う。宝装による攻撃は市販の鉄剣や皮鎧で対処できるようなものではない。
二回振られた宝装で生じた斬撃は実に九本。鉄剣諸共に男の腕を斬り、皮鎧で覆われた内側だけを斬り、肩と足を同時に斬り、明らかに間合いの外にいる男も斬る。
始まった戦いは、あっという間に決着がついた。
如何に元冒険者といえど、現役を退いて長い時間の経っている町長と、町長に金で雇われただけの傭兵たち。
それなりの修羅場を潜ってきていたとしても、勇者の由宇、魔族の勇者の夏樹、魔物のスーリア――ケビンだけは戦力外――をまとめて敵に回して勝ちの目などあるはずもない。結局、スーリアが戦いに参加しなかったことなど、何の慰めにもなるまい。
「これが紅玉鱗ですね」
「ひ、ひぃっ!」
町長のポケットから零れ落ちた真っ赤な鱗を由宇が拾う。すっかり負け犬が板についた町長は、由宇が近付くだけで身を遠ざけようともがく。もがくだけなら良かったのに、背中を見せて逃げようとしたのが悪かった。
空気を勢いよく弾く音が響く。ラミアの尾の一撃は魔獣の骨すら一撃で砕くが、そのラミアの尾が町長の背中を強かに打つ。
「うげぶっ!?」
町長の口から出たのは叫び声ではなく、肺の中の空気を一瞬ですべて吐き出しただけの、単なる音だ。高い威力に町長の内臓は損傷し、空気に混じって血も吐き出す。地面にぶつかった町長は自分が吐き出した血の中に顔を浸していることにも気付かず、そのまま意識を失った。
「夢の世界に逃げたようだぞ」
「気楽なものですね」
相手を殺さずに決着させるだけの余裕があった戦いを終え、夏樹はスーリアとケビンに話しかけた。
「この後はどうするんだ?」
「人間の町では暮らせません。森に帰ろうとは思っていますが」
「森ニハ人間タチガ多ク入ッテキテルカラ、別ノ場所ニシナイト」
「うちの兄が考えなしですみません」
由宇が謝罪し、妹に頭を下げさせた兄は、とてつもなくいたたまれない気持ちになった。
「待ってくれ、由宇。一応は考えがあるから」
「伺いましょう」
「このランタンを使う」
「召喚機能の付いた兄さんの本体ですね」
「断じて違うから」
ケビンはともかく、魔物のスーリアは町の中を移動することはできない。使い魔扱いすることも可能だが、高値で売れるラミアを連れ歩くこと自体がリスクになり得る。また勇者として活動する由宇が魔物を使い魔にした場合、教会や王国にスーリアがマークされないとも限らない。
夏樹の考えは、スーリアがこれ以上、人目につくことを避けるための一手だった。
「ランタンの火種を森に残してきたんだ」
「兄さんが言っていた、念のため、というものですね」
「ああ」
夏樹がランタンを持ち上げる。オレンジ色の光が強くなっていく。由宇に向けて空いている左手を差し出す。掴まれ、という意味であることを由宇は瞬時に悟る。
「なにを召喚するのですか、兄さん?」
「逆召喚だ。向こうに火種を残してきた」
ジャック・オー・ランタンは虚空から溶けるようにして出現するケースがある。この場合、まず中空に灯りが揺らめき、次いでランタンが現れ、最後に魔物の姿が輪郭を帯びていく。その応用で、遠く離れた位置に自らを転移させることも可能。
「その際、近くにいる相手も一緒に移動することができるんだ」
「なるほど。それで手を握っているのですね。スーリアさん、ケビンさんもこちらへ」
「ハ、ハイ」
「お任せします」
更に二人が掴まり、夏樹はカボチャ頭の中で目を閉じる。森に置いてきた火種を強くイメージし、オレンジ色の光が大きくなり、染み入るようにして消えていった。
発禁スレスーレさんのことがわかる人が、
果たしてどれだけいるだろうか。




