幕間:その二十三 とある勇者(妹)と魔物(兄)の話 ~第三話~
「無事でなによりです、兄さん」
「一時間前まではもうちょっと無事だったんだけどな」
つぎはぎだらけになったカボチャ頭をさすりながら返答する夏樹には、素敵な笑顔が返された。
「兄さん?」
「会えて嬉しいよ、由宇」
「わたしもですよ、兄さん。それじゃあ、王都に行きましょうか」
「待ってくれ妹よ! 話題の展開が急すぎてお兄ちゃんはついていけないんだけど!? せめて理由を説明していただきたく存じます!」
「人間に戻る方法、元の世界に戻る方法を探すため以外になにがあるのですか? それともここで一人で暮らして見つけられるとでも? 教会か王国に保護してもらったほうが有意義だと思いますけど?」
「一理はあるが、やめておく」
「どうしてですか?」
「人間怖い」
「兄さん……どれだけ人間不信になっているんですか」
まあ、由宇としても夏樹の気持ちはわかる。魔物生活の中で、人間からはひたすら追いかけ回される日々を送っていたのだ。最近では命まで狙われ、住処は薄暗くてジメジメしていて、地面にはコウモリのフンが山と積まれた洞窟ときている。
「教会も王国も、自分とこの都合と利益を求めて動いてるに決まってる」
「信用できない、と?」
「する方法があったら教えてくれ」
全面的に信用できない気持ちは由宇にも理解できるものだ。
王国は自己都合で異世界の人間を大量誘拐した。誘拐した上で勇者としての役目を押し付けてくる。
由宇は教会との接点が少ないが、教義に則って勇者を支配下に置いて動かしていることは知っている。教会も王国も全幅の信頼を寄せるにはまるで足りないのは、動かせない事実だ。
「でもここよりはいい環境ですよ、兄さん。個人レベルなら信用できる人間がいるかもしれませんし、金銭的な余裕もできますし、食生活も間違いなく改善できます」
「うぐ」
それは文明的で最低限度の生活すら送れていなかった夏樹にとって、とてつもなく魅力的な提案だった。
「一日三食におやつも出ます」
「う」
「この世界にはありませんけど、わたしが兄さんの好きな牛丼も作ります」
「はうっ」
「何なら夜食にラーメンを作ります。醤油でも味噌でも塩でも豚骨でも牛骨でも」
「うぅっ!」
「王都で日本にはない食材を見つけました。油で揚げても、焼いても、煮込んでも絶品」
「おふうぅっ!」
食欲は人間不信に勝るらしい。もう一押しで落とせる、と刑事みたいな確信を由宇が抱き、止めの一言を放とうとしたまさにその瞬間、洞窟の奥からなにかを引きずったような音が響いてきた。
「誰ですか!?」
「! 待ってくれ、由宇!」
由宇が宝装のレイピアを音の方向に向け、鋭く誰何の声を出す。一方の夏樹はうろたえっ放しだ。
「兄さん? なにか知っているのですか?」
怪訝の声を夏樹に、厳しい視線は変わらず音の方向に、由宇の切っ先の向こう側から現れたのは、一体の魔物だった。
「……兄さん?」
一体の、蛇の下半身、女の上半身の魔物――特に上半身は二次元で表現される踊り子のように露出が多く、僅かな布地も肌が透けて見えるほどに薄い――つまりはラミアだった。
すぅっ、とレイピアの切っ先が動く。
ラミアに向いていた切っ先は夏樹の鼻先に突きつけられていた。夏樹はさながら、銃口を前にした一般人のように震えながら両手を上げている。
「ゆゆゆ、由宇、待て、落ち着くんだ、これは違う、違うんだ」
「どう違うのですか、兄さん? これはどういうことですか? わたしは必死になって兄さんを探していたというのに、兄さんはこんな人里離れた場所で幸せな家庭を築くことに注力していたと、そういうわけですか? 同級生たちが諦めろとか、兄さんはもう死んでいるとかの言葉を必死に振り払ってようやく会えたと思っていたのに、まさか兄さんがわたしとの再会よりも優先していることがあったとは予想だにしませんでした」
夏樹には由宇の全身から立ち昇る青白いオーラが見てとれた。口元にはうっすらと笑みがあり、眼光は殺人鬼ですら裸足で逃げ出しそうなくらいに鋭い。夏樹は断言する。魔物人生で一番、生きた心地がしないのはまさに今この瞬間だと。
「違うんだ、話を聞いてくれ。これにはワケがあるんだ」
「以前にも言いましたよね、兄さん。兄さんのように性格が後ろ向きで掃除炊事といった基本的な生活力に欠けていて学業成績も決してよくない、異性から見て決して魅力的でない男に近付いてくる女はいません。仮にいたとしたらそれは」
「デート商法」
「その通りですよ、兄さん。ちゃんと覚えているのに、どうして女の子と一緒にいるのですか? 兄さんを心配する妹の心は届いていなかったのですか? だとしたらわたしはとても悲しいです」
由宇の目がスッと細くなり、夏樹はそれが彼女の攻撃態勢だと思い出す。
夏樹も気遣いにしろ、心配にしろ、自分を気に掛けてくれることは素直に嬉しい。時々、「やたらと重たくないか?」とか「さすがに行き過ぎなんじゃないか?」と思わないでもないが、拒絶するようなものではない。
子供の頃から野球一筋で恋愛の経験のない身としては、不甲斐ない兄を女性という立場から色々と意見をして守ってくれているものと認識している。
「まさか異世界に来てまで心配されるとは思わなかったけどな」
「なにか?」
「いえ、なにも」
「それで兄さん、頭を冷やす準備はできましたか?」
「頭を冷やす準備って聞き慣れない表現だ」
「それと、色々なものとお別れをする覚悟はできましたか?」
「待て待て待て! 落ち着け、由宇! 彼女はそんなんじゃない。俺に女っ気なんかあるわけないだろ! はぅっ!」
「自分で言って自分で落ち込まないでください」
悲しい事実は常に男心を苛むものだ。
「それで貴女は誰ですか? わたしたちの言葉を話せますか?」
「エット、アノ、ワタシ、すーりあ、言イマス」
ラミアは転生者ではなく純粋な魔物だった。名前はスーリア。スーリアは人間の行商人の男と恋に落ち、結婚の約束までしたという。
「結婚? 本当ですか?」
「ハイ。証トシテ、ワタシノ紅玉鱗ヲけびんニ渡シマシタ」
「ケビンというのが相手の名前なのですね。紅玉鱗というのは?」
繁殖期の度にパートナーを変える魔物が大半の中、ラミアは一生を番で暮らすタイプの魔物だ。
パートナーを見つけると鱗の一枚が紅玉鱗という鮮紅色の鱗に変わり、それを相手に渡すという習性がある。スーリアも一族の習性に従い、ケビンに紅玉鱗を渡したと言う。
「けびんカラハ、コノ指輪ヲ結婚ノ証トシテ受ケ取リマシタ。婚約指輪トイウノデスネ」
スーリアは愛おしそうに左手薬指にはめられた指輪を撫でる。魔物になった夏樹はともかく、勇者の由宇も今まで知らなかったが、この世界の左手薬指にも元の世界と同じ意味があるらしい。
「けびんハ人間ダケド、身寄リハイナイッテ言ッテタ。魔物ノワタシト一緒ニナルタメニ、人ノ世界ト縁ヲ切ッテモ構ワナイッテ言ッテクレタ」
「兄さん、彼女の言っていることは本当なのですか? 魔物と人が一緒になるなんて、俄かには信じられないのですが」
「おれは本当だと思ってる。嘘をついても仕方ないし」
「それは、そうですけど……」
「納得してくれたんなら、この刃物を下げてくれると嬉しいなあ」
「いえ、兄さんが恋人を失って傷ついているスーリアさんをこれ幸いと狙わないとも限りませんから、まだ下げるわけにはいきません」
「おれの信用度ってどんなレベル!?」
「聞きたいですか?」
「精神衛生上よろしくなさそうなので遠慮させていただきます」
「さすが兄さん、賢明な判断です」
ケビンはスーリアと一緒になるにあたり、町に残してきた多少の財産を処分して現金化すると言い出す。魔物の世界に現金はないが、現金を所持しておけば万が一の事態にも役立つだろうから、と戻ったっきり、帰ってこなかったのだ。




