第一章:十四話 洞窟を走る魔物たち
6月13日、誤字脱字、脱セリフを修正しました。
崩落から頭を守りながら、身を寄せ合うように三体のゾンビが走っていた。
制服を着ていることから転生者だとわかる。彼らは全員がアニメ研究会の会員で、今回の修学旅行でもいくつかの聖地を巡礼する行動計画を立てていた。いまや聖地巡礼どころではない。自分たちの身を守ることすらおぼつかない。
どうせ生まれ変わるなら俊足と飛行能力が欲しかったが彼らだが、まだ個人の識別がつくことが可能なだけでも恵まれていた。
緑川、赤木、黄瀬のゾンビ三人組は混乱の渦に振り回されながらも、洞窟内を進み続ける。ひと際大きな揺れと、崩れ落ちる音がした。
「なんつー音だ。崩れて道が塞がったのか、それとも逆に崩れて道ができたのか……見に行って、みる?」
緑川の提案に赤木と黄瀬も頷いた。
そこは土砂の山だった。ひょっとしたら土砂の向こうに道があったかもしれないが、そんなものは淡い期待ごと埋め潰されている。
これ以上の崩落に巻き込まれるのを警戒して引き返そうとしたそのとき、か細い呻き声が聞こえてきた。緑川と赤木が声の出どころを求めて首を回していると、
「おい、あれだ!」
黄瀬が腐った指を土砂の一部分に向けた。そこには胸部近くまでを土砂と岩石に飲み込まれた、人型の魔物の姿があった。
右腕だけが異常に長い異形で、皮膚は両生類のように滑っていて、魔物というよりも人間が邪悪化したかのような姿だ。原型に近いことから顔で誰かと判別できる。
「おいおい、こいつ、横山じゃねえか」
赤木の指摘は正解だった。アニメ好きの緑川たちをオタクと呼んでバカにしていた横山だ。図体がでかいのもあって、緑川たちを手下のように扱っていた。
「ぅ、うぅ……お前ら、は……ああ、オタクーズかよ、くそ」
横山は緑川らを名前で呼ばず、三人をオタクーズと一括りにしていた。
「づぅ、まあ……いいか……さっさと俺を、助けろ……よ、オタク共」
横山は認識が薄かった。ここがどんな場所なのか。自分がどれだけ相手を傷つけてきていたのか。自分は命令できる状況にいるのか。とことん認識が薄く、考えが甘く、現実検討ができていなかった。
「こらオタクーズ、早」
横山の目が見開かれた。緑川たちの手には、サスペンスドラマよろしく大きな石が持たれていたからだ。
「なんでお前なんかを助けなきゃなんねえんだよ」
「殺せば殺すほど強くなるんだってな。お前で試してやるさ」
「これがカルネアデスの板ってやつなのかもな」
三体のゾンビは石を持った両腕を振り上げる。横山の両目は恐怖に、口は命乞いに開かれ、緑川らは意に介さずに思い切り振り下ろした。
横山が一度では死ななかったので、何度も何度も繰り返す。回数が七回目になって、横山はピクリとも動かなくなった。
岩が高速で落下してくる。トンボのような羽を生やした妖精の少女目がけて。
「ふん!」
少女にあたる直前、岩は巨大な猿人の拳で砕かれた。
「大丈夫か、奥野!」
「小田切君!」
トンボの羽、つまりピクシーに生まれ変わった奥野撫子という少女は、猿人に生まれ変わった小田切大輔に抱き着いた。サイズにかなり差があるので、猿人は恐る恐るといった態でピクシーの頭を撫でる。
この二人、前は屈指のバカップルとして有名だった。
二人の実家がある商店街には縁結びのパワーがあるとまで噂され、地元のケーブルテレビにも紹介されている。魔物化しても気持ちに変化は生じなかったようで、見た目の変わった互いをあっさりと見つけ合い、手に手を取って逃げ出したのである。
「ケガはないか、奥野?」
「小田切君が守ってくれたから。小田切君のほうこそ」
「バカ言え、俺だって大丈夫だ。大事な人がいるってのに、ケガなんかしてられるかよ」
「小田切君」
「奥野」
漫画やドラマなら盛り上がってキスシーンが挿入されるかもしれない状況で、
「ぐらぁっ! 砕け散れよ、リア充共がぁっ!」
「憎しみで人を殺せたらっ!」
爆発したのは二体の魔物だった。犬型の黒い魔獣と羽を広げると三メートルになる巨大コウモリ、小田切たちと行動を共にする転生者、山本憲治と渡辺和彦だ。
いずれも男、生涯において彼女のいた例なし。
「あ、ご、ごめんね。そんな場合じゃなかったよね、水原君、小松君」
「誰だよそれは!? 見た目がわからないからって適当な名前で呼ばないで! いや、違うんだ、奥野さんはこれっぽっちも悪くないんだ」
「すべての原因は小田切だから気にしなくていいよ」
「意味の分からないことを言ってるな、お前ら。まあいい、早く行くぞ。奥野、俺に掴まって。君は必ず、オレが守り抜くから」
「……うん」
小田切の強い決意に、奥野は頬を染めて小さく頷いたのだった。
「「くわあああっ! 春の交通安全運動なんかいらねえから、オールシーズンカップル撲滅運動とか立ち上げろよ警視庁おおぉぉっ!」」
妖精ペットの移動時ほどではないにしろ、山本と渡辺の魂からの咆哮もまた、この洞窟を揺るがしたのであった。
打ち出される火球が魔物を次々に火に包んでいく。振るわれる風の刃は防御を固めた魔物を難なく切り裂いた。
一方は火に包まれた女性、他方は風に包まれた女性だ。
「うん、これってなかなかいけるわね」
「うまくいきすぎて反って不安があるんだけど」
纏う炎と風が徐々に弱くなると、制服姿の女子が現れる。バレー部の安曇夏帆と宮崎愛衣だ。
人型であっても完全ではなく、安曇の体のあちこちからは火が現れ、宮崎の腕の一部が気流になっている。
ファイアエレメンタルとエアエレメンタルという精霊の一種だ。精霊といっても自然界の精霊ではなく、魔族の影響で邪悪化した、堕精霊というべき存在で、本来の精霊が持つ自然の運行をつかさどるような能力はない。
それでも十分に強力な魔法を行使できるのだが。
「うちらはまだラッキーってことでしょうね。力も強いみたいだし、なによりあんまり見た目も変わってない!」
「そ、そうだね。ねえ、夏帆、あのゴブリンの人、大丈夫かな」
「ゴブリンって、最初にいた? 愛衣の好きな天馬君のお兄さんだったっけ?」
「ふぇ!? べ、別にそれは関係なくて」
「はいはい、愛衣はカワイイなあ」
「夏帆!」
安曇は、顔を真っ赤にして怒る相方の肩に炎のチラつく手を回す。
「か、夏帆?」
「でもね、愛衣……今は気にしてもどうしようもない。そんな余裕もない。他人のことを気にするのは、まず自分たちをちゃんと助けきることができてからだよ?」
「それは……そう、だね。うん」
「よっし! それじゃ、アレ、いっちゃおっか?」
頼もしい安曇の提案に、宮崎の顔が少しだけ引くつく。
「え? ちょっと待って夏帆、あれは威力が大きすぎるって夏帆が自分で」
「景気付け景気付け。沈んだ気持ちを吹き飛ばすには、派手にぶちまけるのが一番だって」
相方の返事を待つことなく、安曇は巨大な火球を作り始める。目標は手前に転がっている岩塊だ。岩塊の向こうに道があるかどうかは不明なのに、安曇はとりあえず吹き飛ばすことに決めたのだった。
「もう、わかったわよ」
宮崎の呆れの混じった首肯の後、安曇の生み出した火球に風が供給され始める。風で煽られることで威力の増す炎。
単純な原理を実践した合体魔法は、解き放たれると同時に大きな破壊をもたらした。
なんとも形容しがたい、骨の砕ける音がする。一匹の巨大な蛇が魔物を絞め上げているのだ。
締め上げられているのは屈強な肉体を持つオーガという鬼の一種だ。異常に発達した筋肉に破られているが、着衣の残滓から転生者だとわかる。強大な魔力を持つはずの転生者を襲っているこの蛇も、もちろん転生者だ。
「ぐが、がっはぁ、南條、て、めぇ」
「おいおい、これだけ締め付けてんのにまだ生きてんのか。見た目通りに頑丈だな、内田」
「て、め……友達じ、ゃ……」
「悪いな。自分が生き残るのが優先だ。こんな状況で、友人だってことがわかっただけでのこのこ近付いてくるほうが悪い」
酷薄無情に切り捨てる蛇。南條自身は気付いていないが、南條が転生したのは蛇ではなく竜である。地竜の一種で、四肢と翼を持たない。頑強な鱗は身を守る鎧であり、土中を潜行する際にも大いに役立つ。
地響きが二体の魔物を揺らし、隙をついて内田が渾身の力を入れ、巻き付きからの脱出に成功した。
「ぐ、づぅっ、がっは! は、はぁ、はああぁ」
「ほぉう、やるじゃねえか。さっすが転生者、すげえすげえ」
「ぶぅ、てめ、え!」
内田は満身創痍だ。両腕は折れていて、特に右腕の骨は粉砕されている。足は折れてこそいないだけで、筋肉や腱へのダメージは大きい。吐血から内蔵が損傷していることもわかる。左肩には噛みつきによる牙の痕が痛々しい。
仮にも友人のボロボロの姿を見て、加害者である南條は愉悦に顔を歪めた。友人を殺すことをなんとも思っていない。むしろ殺すだけの力がある自分を誇ってすらいる。転生で得た力をどうやって試すかを考え、南條の顔がますます歪む。
「逃げてみるか? 二、三分程度なら待っといてやるぜ」
「っ、ふ、ざっ! けるなああぁぁっ!」
内田が跳躍する。腕が使えなくとも両足が残っている。ダメージがあろうと、なにがなんでも南條を蹴り砕くと決めて蹴りを放つ。
特撮ヒーローものの主人公めいた跳び蹴りが南條に炸裂し、しかし南條の巨大な体は一メートルほど後退しただけだった。
「な!?」
岩でも蹴り砕く内田の蹴りで、南條が受けた被害は数枚の鱗が砕け飛んだだけだ。その鱗もすさまじい速度で生え変わった。
戸惑いつつも次の攻撃に移ろうとした矢先、内田の視界が歪み、音を立てて地面に崩れ落ちる。
「ひゃははは! 毒だよ毒。噛んだときについでにな。毒にさえ侵されてなかったら俺を吹き飛ばすこともできたろうになあ、残念無念……て、マジで洞窟が崩れそうだな、さっさと済ませちまうか」
南條は大きく口を開け、まだ息のある内田を頭からの見込んだ。
ずぶ濡れで、顔が二倍ぐらいに膨れ上がった一騎――宗兵衛の頭の上に吐いた後、しこたま殴られたせいである。濡れているのは宗兵衛が「胃液臭いのは嫌だ」と途中の川に飛び込んだからだ――は、宗兵衛の非常に乗り心地の悪い背中の上で拳を開け閉めする。
力が入りにくい状態は続いている。力が入りにくいだけでなく感覚も鈍っているようで、頭の中での動きと実際の体の動きに微妙なずれが生じていた。
ゴブリンになってから初めての経験なので、回復の目途がさっぱりわからない。宗兵衛を通じて『導き手』に質問しても、『進化』の特異能力自体が初めてなので見当もつかないとのことだった。
「っ」
激しい揺れに襲われる。揺れは大きく激しくなり、頻度も増している。妖精のペットが近付いている証拠であり、活発に活動している証拠でもあった。
「『導き手』、探査の結果はどうですか?」
《明確な出口は発見できません》
「出口の可能性はある道はどうです?」
《風の流れが他よりも早い通路があります。魔人と吸血鬼が洞窟の天井を崩した際に確認した外部の空気と組成が同じで、外部に繋がっている可能性は高いと思われます。なお、探知できる限りの進行方向から推測すると、妖精のペットと接触する危険性が極めて高いと》
「宗兵衛!」
「わかっています」
宗兵衛が加速する。
筋肉がない分、魔力の操作でしか動けないスケルトンの本来の動きは鈍い。意思なく徘徊するだけの怪物なので、工夫することがないからだ。宗兵衛のように自我を持ち、目的をもって工夫し、成長するようなスケルトンは珍種に分類される。
「ちょ、速い速い。安全運転で! 気分が悪くならないように安全運転で!」
宗兵衛からの返事はなかった。代わりに更に速度が上がる。さっさと目的地に着き、到着すると即座に投げ捨てるつもりだろう。
《警告。妖精のペットが速度を上げました。この先で接触します》
「踏んだり蹴ったりですね。方向を変えましょうかね?」
「このまま行くんだ宗兵衛。ここまで接近された時点で、妖精のペットから逃れられる可能性はないに等しい。あと、ペットが現れたってことは出口に近いって可能性も考えられるとは思わないか?」
「隙を見て出口へ、ですか」
「そうだ。外に出さえすればこっちのもんだ」
一騎は自信ありげに頷いた。一欠けらの根拠もない自信ではあったが。