第五章:三十八話 会場にて
混乱と恐慌とによって逃げ惑う人々が大半だ。
会場に配置されている兵士たちも浮足立っていて、組織だった対応はまだできないでいる。人望と職業意識に優れた一部の兵らの指揮の下で、散発的に当たっているだけだ。招待されているVIPたちの避難誘導と護衛を優先していることも関係しているだろう。
天を衝くかの巨大な火柱は黒獣を炭すら残さずに焼き尽くした。魔法士試験会場とその周辺に出現した三体の黒獣たちは、大きな混乱を撒き散らしはしたものの、破壊や殺戮を起こすことはできなかった。
「鬱陶しいわね、なんなの、こいつらは」
髪を払いながら、衝突で生まれた瓦礫を踏み砕きながら、疑問の視線を周辺に向けながら、エストは傍らに浮くクレアに問いかける。
『我が眷属とは関係なさそうだな。森の魔物とも違うようだし……混沌の従者といったところか。ところで、我が結界はもう解除していいの?』
エストの炎は熱だけでも十分に人を殺傷せしめる。クレアは会場全体を風の盾で覆い、観客たちを守ったのだ。
「混沌の従者というのがなんなのかはともかく、我が眷属、ていうのは誰のこと?」
『ふ、もちろんイッキのことよ。決まってるじゃない』
「へえ?」
『異論でも?』
エストとクレアが笑顔で睨み合う。もしここに一騎がいたなら、全速で逃げ出したはずだ。そして宗兵衛や嫉妬仮面に邪魔されたはずだ。
両者の衝突を防いだのは、皮肉にも四体目の黒獣だった。莫大な空気を吐き出しながら振り下ろされた黒い拳は、遥かに小さい白く華奢な手で押し留められ、肉体諸共に爆発四散する。
「イッキは大丈夫かしら。向こうの映像は見えなくなっちゃったし」
『宗兵衛から通信玉を貰ってるんじゃないの?』
「あー、あれね」
クレアの指摘に、エストはあらぬ方向に視線を逸らす。
実際、集落を出る前に一騎とエストは通信玉を受け取って――クレアだけはサイズの問題で受け取ってはいない――いる。テストを兼ねて通信を行っている場面を、クレアは何度も見ていた。距離が離れていても良好に話ができると、結果も上々だ。
『まさか、失ったの?』
「紛失はしていない。破損しただけ」
『は? 破損ですって?』
破損時期は明確だ。前の試験中、一騎とリズとの衝突に際。
通信玉は宗兵衛の骨で作られているため、かなり頑丈ではある。一騎では『進化』の力を利用しない限り破壊はできないが、エストは違う。何と言ってもエストは一騎や宗兵衛よりも強いのだ。試験会場でのリズの行動に怒りを爆発させた結果、通信玉は消し飛んでしまう。
『それで非常時なのにイッキと連絡が取れないってわけね。どうする? 森に入る?』
「試験中に入ったらイッキが失格になるじゃない。平気、イッキなら絶対に合格するもの」
『その通りだな』
エストとクレアが一騎に寄せる信頼は、まさに全幅と言ってよい。最下層の雑魚魔物が試験に合格すると信じて疑わない。向けられる一騎からすると、超重量級と言い表せるかもしれないが。
「た、助かりました、大精霊様方」
一瞬にして複数の黒獣を焼き殺したエストたちに、会場警備の担当主任がわざわざ近寄ってきて礼を述べる。礼を言うことが目的なのだろうが、大精霊に近付くことのほうが比率としては大きいに違いない。エストは面倒臭げに応えた。
「構わないわ。他の状況はどうなっているの?」
「は。この黒い獣は試験会場を含むコンディート市全域に出現しております。数は正確には分かっておりませんが、最大で三十程度。うち二十体は魔法士候補生たちを襲撃しております」
『候補生? ということは森のほうにも出現しているというわけね? 犯人の手掛かりとかはないの?』
「学院宛に先ほど届いたとのことです」
「内容は?」
「は、こちらが写しになりますが」
恭しく一枚の書類を警備主任が差し出す。鷹揚な仕草で受け取ったエスト、と横から覗き込んだクレアは内容を一読し、眉を寄せた。帝国民であれば理解できたろうことも、二人にとっては理解困難なことであった。
『愚かなる邪教の奴隷共よ。これは正当な復讐である。お前たちは我らがゼーリッシュの神より賜りし土地を不当かつ不法に占拠し、あまつさえ、これを取り戻さんとする我らの当然の権利を力でもって踏み躙った。失われた同胞の命と流された同胞の血に報いるための、これは極めて正当な復讐である。偉大なるゼーリッシュ神の信徒に祝福あれ! 蒙昧なる邪教徒共に滅びあれ!』
面白みも独創性もない声明文だ。エストもクレアも途中で読む気を失い、一騎に危険があるかもしれないから、とやっと最後まで読めたのである。警備主任が怒りを込めて吐き捨てた。
「いつものことながらゼーリッシュの連中の言うことは常軌を逸しています」
「ゼーリッシュ、というのがこの事件を引き起こしたの?」
エストにとって帝国内の事情など問題ではない。ゼーリッシュという単語にも聞き覚えがない。権力争いも内乱も好きにすればいいものだ。重要なのは、一騎が巻き込まれているという点。これに尽きる。クレアも同様だ。
ピリ、と空気が帯電し、警備主任の全身から汗が噴き出てきた。
「て、てて帝国の問題に大精霊様方を巻き込んでしまったことは痛恨の極みであります! これ以上、奴らに好き勝手はさせませんので、大精霊様方はどうか非難をっ」
「いいわ。こっちも手伝うから」
『当然、我も手を貸してやろうぞ』
「は? へ、よ、よろしいのですか!?」
「イッキが合格して戻ってくるまでの間だけだけど」
「それでも助かります! ま、まさか大精霊様と共に戦うことができるだなんて、よろしくお願いします!」
警備主任は魔法士ではない。元魔法士だ。前線で長く勤務していたが、精神的にきつくなってきたため、二年前に転職した。給料は下がっても勤務は規則的になり、家族との時間も取れるようになったと喜ぶ反面、かつての皮膚がひりつくような仕事から遠ざかったことを少し寂しくも思っていたのだ。久しぶりの荒事、それも大精霊と仕事ができるとあって、警備主任はむしろ警戒よりも喜びが勝っていた。
妙に張り切っている警備主任を尻目に、エストは微かに残った消し炭を手に取る。
「ソウベエがここにいたら、この炭からも情報を読み取れたかな」
『多分。まったく、どうしてこんな大事なときにいないのか。帰ったら眷属に相応しくなれるよう説教せねば』
「もちろん手伝おう」
偶々、帝国にいないだけで説教の対象になる宗兵衛の耳には、「逃げて。早くそこから逃げて!」という幻聴が響いたとか響かなかったとか。
市内各所で魔法士団の展開が始まっていても、会場ではまだまだ動きは遅れている。ゼーリッシュ教とかいう宗教がかかわっていることはわかっても、この黒い獣がなんなのかはわからない。
わかろうとわかるまいと関係ない。一体残らず吹き飛ばす。そう決めたエストの視界の端を、走り抜ける影があった。
「魔猟部隊!?」
警備主任が声を上げた。
『む? 格好いい名前だな。集落に戻ったらイッキの親衛隊を作ってみないか』
「一考の価値はあるわね。それで、魔猟部隊というのは?」
「魔法士の中でも腕利きが集められたエリート集団です。要人警護にも回されるだけあって実力は折り紙付きの連中なんですが、一人ってのはおかしいですね」
魔猟部隊は魔法士で構成されているから、基本はチームで動くことが求められる。特に要人警護を務めるようなケースでは尚更だ。各国の重要人物が集まるこの試験、魔猟部隊の役目は治安維持ではない。あくまでも警護が最優先の筈だ。
「なのにここに出てきたということは、要人たちの安全を確保できたということでしょうかね?」
「どうでもいい。邪魔さえしなければそれでいい」
帝国屈指のエリート部隊であっても、大精霊エストから見れば単なる邪魔者でしかない。射線上に入れば、一欠片の躊躇いもなく黒獣ごと吹き飛ばす。
エストは大精霊であり、人間の考え方や価値観とはずれている。ずれてはいてもわかることはあった。テロリストだろうと狂信者だろうと、犯人の目的は見え透いている。
この程度の戦力ではコンディート市を落とすことも、重要人物たちの首を取ることも不可能だ。できるのは混乱を撒きこすことぐらいであり、すなわち、混乱に乗じて成すべき目的があるということだ。二十体もの黒獣を魔法士候補生にぶつけていることから、王国を担う次代こそが狙いだとは容易にわかる。
『ではエスト、行こうか。湧いている獣共をすべて始末するとしよう』
魔の森製の小さな体の腰に両手を当て、クレアは鼻息も荒い。クレアの体が風に包まれ、渦巻く風の速度が急激に上昇していく。
「なんで指示を出すわけ?」
エストはクレアにジト目を向けた。エストの右手に炎が生まれ、鳥が翼を開いたかのように炎が巨大化する。
『正妻だから?』
「誰が正妻!?」
一騎がメインターゲットというわけではないだろうが、狙われることは間違いない。通信玉が壊れているので連絡がつく手段はない。
それでも一騎が強く望むなら、その声が自分に届かないはずがない、とエストは考えている。声が届いてこないからには、当然に無事なのだと確信していた。




