第五章:三十六話 黒獣の隣に立つものは
毒やら衰弱やらのバッドステータス付与といったの効果がないのなら、カインの攻撃は今までと大差ないと考える。
攻撃の威力が上がって、攻撃範囲も広がって、攻撃の回転速度もやたらと向上して、情けとか容赦がなくなって、魔力はこれまでと比較にならないくらいに増えて、
「て、大差あるじゃん!」
骨刀の切れ味を考えると、寧ろ的がでかくなっただけ、と受け止めるしかない。黒獣の攻撃は威力も大きく、範囲も広く、速度も速い。ただし狙いは滅茶苦茶だ。腕を振り回し、腕から千切れ飛ぶ黒礫を撃ちまくる。
一騎は黒獣に向かって走り出し、同時に斬り下ろす。魔力を乗せ、巨大化させた斬撃を、飛び道具として放つ。黒礫は斬撃にのまれて消え、出現した広い空間を一騎は一息で走り抜ける。
「せぇええぇいっ!」
逆袈裟の斬り上げは、黒獣の一部にしか届かなかった。大声を上げて暴れまわるだけだと考えていた黒獣は、一騎の予想外に俊敏だった。
骨刀で切り裂かれた黒い肉体の一部がボトリ、と地面に落ちたかと思うと、黒い雫を滴らせながら宙に浮く。黒い球体は口を開けるようにボコン、と穴が開き、穴からは大量の黒い槍が撃ちだされる。
「おおおぉぉおお!?」
一騎は魔物転生により向上した動体視力と剣術を最大限に活用、要は目蔵滅法に骨刀を振り回した。迫る黒槍は数本ずつをまとめて斬り落とされる。もう少し黒槍の数が多ければ、一騎も無傷では済まなかったろう。この事実は一騎にとって嬉しいものではない。
一騎が思い浮かべるのはヤマアラシだ。外敵に対して全身の棘でもって立ち向かう。その棘は大型肉食獣ですら絶命させ得る。ヤマアラシと違うのは、黒獣は身を守るためではなく、積極的に一騎を殺そうとしている点だ。
唸り声と共に黒獣が迫る。振り下ろされた拳を避けるが、距離をあけるとすぐに黒い球体から槍、鞭、礫の攻撃が次々に放たれる。
「っああ、もう!」
骨刀を振り切った後、一騎の周囲には黒い泥が散らばっていた。一騎は中遠距離攻撃手段の乏しい自分を呪う。
黒い球体の攻撃が厄介であり、斬り落とそうにも一騎の攻撃では届きにくい。骨刀を伸ばせば届くが、一騎には骨刀を伸縮させての戦闘に関する経験が乏しい。また球体を一つ斬っても、次々に生み出されてはたまったものではない。黒球が一つしかない状況なら、鬱陶しくはあっても致命的ではない。
「てことは、だ」
一騎は黒球を無視してもカイン本体を斬ることに集中する。一騎は一息に踏み込み、横薙ぎに骨刀を振るう。骨刀の斬れ味が鋭いのか、黒獣の肉体が脆いのか、刃は易々と黒獣の肉体を裂き、あるいは背骨にまで達する。
『ガアアアァァッァアア!?』
黒獣は苦痛と怒りの宙に向かって吠え、同時に斬りわかたれた肉体から黒い触手が伸び、一瞬で繋ぎ合わさった。ダメージの有無は図りようがないが、見た目については数秒で元に戻る。
『この! クソ雑魚野郎がぁぁっぁぁぁああああっ!』
灼熱の感情に晒され、黒獣は太い腕を振り回す。
腕だけだ。腰の回転はなく、足は地面を捕まえていない。体幹や足を使わない、しかも感情任せで狙いすら中途半端な攻撃など、魔の森で数々の戦いを潜り抜けてきた一騎に通じるはずがなかった。一騎は黒獣の攻撃をわけなく回避し、三度の斬撃を腹部、肩、右大腿に叩き込む。
『くぁぁぁああああ!?』
黒獣は狼狽と苦悶の叫びを上げて地面に崩れ、腕の力で倒れるのを防ぐ。表情も覆いつくす黒泥が奇怪に蠢き、怒りの形を作ったように一騎には思えた。
『ぅ、ぅぐあ。こ、こんな、こんな……ちくしょうがぁ! なにが力だ! おれに相応しい力だと? こんなクソ亜人如きを踏み潰せない程度の役立たずの力を持ってきやがって! ベルカンプの奴、あの無能も後で必ず処分してやる!』
――――それはたまらんなぁ。
ドロリ、と再びベルカンプが黒泥の内側から現れる。
『お。ぉぉお、、ベ、ベルカンプ、貴様、なんだこの役に立たない力は。こんなものでどうやって大精霊様を取り戻せと言うんだ!』
「おやおや、役に立っていないのは君でしょう、クソ貴族」
『な、なに……っ!?』
かつて聞いたことのないベルカンプからの侮蔑。カインは明らかに狼狽した。
「偉大なるゼーリッシュ神の供物として使ってやっているのに、こんな亜人一匹殺せないなんて」
『ゼーリッシュ!? ば、ばかな! 貴様はっ、貴様は!?』
「大丈夫ですよ。君にはまだできることがある。大事な大事な役割を、君には用意していますから。そうでしょう?」
『なに、を……』
黒泥で作られたベルカンプの影は、優しさと期待、侮蔑と怒りを複雑にブレンドした右手で黒獣に触れる。ベルカンプは笑みを浮かべ、冷徹で陰湿な声を発した。
「精製……」
ベルカンプの言葉の意味が一騎にもカインにもわからなかった。わかったのは直後だ。
『ぎゅごけあばはうなようあねざえああぁぁっぁぁっっ!?』
黒獣の肉体が激しく脈打つ。カインが獣に変じたときのようなものではなく、内側からカインを食い破ろうとしている。
一か所だけではなく、数か所で。
軽妙な破裂音がする。ブチブチと肉と皮が千切れる音がする。ズルリ、と肉体がこそげ落ちる。黒獣は苦悶の方向を上げ全身を掻き毟る。掻き傷から流れた黒泥は、ビチャビチャと落ちて池を作る。
「……五つ」
黒獣から離れた黒泥はベルカンプの声に反応、ふわり、宙に浮かび、五つの黒球となる。ベルカンプは満足気に笑みを浮かべ、
『いいいぃぃいぃぃっっ痛い痛いいだいいだいだいだいいぃひゃぁぁぁぃいぃあぁっぁぁああげやひいぎいぃぃっっ!? なななん、だあぁ、こ、ごんなごと、おれはははぁっぁっぁはぁぁああっ』
カインは絶叫し、
「えげつないことするじゃねえかよ、ベルカンプ先生?」
一騎は嫌悪に眉をしかめた。
「見解の相違だね。魔法を使うには魔力を使う。これは極めて基本的な知識だ。これも同じですよ。ただ一つ、違う点がある。使うのは魔力ではなく、生命力というだけのこと」
「もう一つあるだろ」
「そうかね?」
「使うのはてめえの生命じゃなく、他人の生命だろうが!」
「おお!」
ベルカンプは生徒を褒める教師のように拍手をする。
「醜い亜人にしては素晴らしい理解だ。異教徒の命など消耗品も同然。使い潰すことが当然だと認識していたから、その視点はなかったよ。実に素晴らしい。君の成績には不可以外をつけるつもりはなかったが、今回に関しては可をつけてあげよう」
「余計なお世話だ!」
教師としては最低の姿勢だ。一騎は骨刀の切っ先をベルカンプに向けたまま腰を落とし、そのまま骨刀を突きだした。骨刀が一直線に伸び、ベルカンプの額を正確に貫く。伸長はあまりにも速く、例えベルカンプに回避の考えがあったにしても、目的を達することはできなかっただろう。
額から後頭部に至るまでを貫かれたベルカンプは泥となって砕け、直後に元の姿を取り戻す。どうやらこの戦いを見物するつもりらしい。どこまでも性格の悪い男だ。
『うう、ぅぅうううぅぅごぉ』
「唸ってる暇があるなら、さっさとこの亜人を片付けなさい、道具風情が」
「!」
一騎が骨刀を縦に構えた、が黒獣の姿が揺らぐ。背後に回った黒獣の巨大な腕が一騎を叩き潰そうと振り下ろされる。さっきまでとは、そしてもちろん、学院内で見てきたカインの動きとはまるで違う。だが一騎の意識を強く引き付けたのは、
『ああぁぁぁぁあひゃあああぁぁぁぃぃいひゃいいひゃっっいぃぃ!?』
容赦ない攻撃を繰り出しながらも、痛みを叫び散らす様だ。




