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第五章:三十四話 聖戦の布告

 リズたちが必死になって魔力を振り絞るも、魔力が魔法となる前に、黒獣は咆哮を上げて腕を大きく振りかぶった。黒い腕の長さは瞬時に三倍以上となり、そのあまりの急激な変化に腕自身が耐えられずにブチブチと数か所が千切れる。断裂した端から再生された黒腕が力任せに振り下ろされた。


 大きく振るわれた腕は鞭のようにしなり、強かに大地を打つ。木々が薙ぎ払われ、男子生徒が一人、避けきれずに下敷きになる。


「ベリド!」


 リズが叫ぶ。助けに行こうとして再び振るわれた腕によって遮られた。リズたちの眼前に入るのは獣の腕だ。否、腕だった、それは別の獣のように見える。蛇のような、あるいは環形動物のような、いずれにしても巨大な黒い影だ。


 黒獣はリズの五倍はある巨体で、体幹よりも長く太い腕を振り回す。リズたちには十分な脅威になる攻撃が唸りを上げて迫る。


 異音と共に攻撃を防いだのは、急激にせり上がった土壁だ。


「大丈夫か!?」

「助けに来たぞ!」


 援護に駆け付けてきた他の生徒たちの魔法だ。派手な戦闘音と地響きなどから見当をつけ、確認も兼ねてきたという。どうやら同じ考えをした生徒たちは多くいたようで、次々に生徒たちが集まってくる。


 多数の生徒が杖を、剣を、槍を、各々の武器を構え、一体の魔物の周囲を取り囲む。数的有利を確保し、位置的にも黒獣より高い位置を取る生徒たちも複数いる。三六〇度、どこにも黒獣の逃げ場はない。


 知らず、生徒たちの顔には勝利への意識が浮かび上がっている。


 絶対的に不利の中、黒獣は大きな唸り声を上げ、体を震わせた。生物が見せる振るわせ方ではなく、身体各部の筋肉が個別に蠕動しているようだ。黒獣の全身を覆う黒いタールのような泥が地面に落ちる度に、大地からは異臭と異音が立ち昇る。


「な!?」


 リズが驚きの声を上げるの無理はない。黒い泥がちょっとした水溜りくらいのサイズにまで広がると、水溜りから一本の腕が生えてきた。腕は土に這い、腕に引きずり上げられるように頭部が、次いでもう一本の腕が、体幹が黒い水溜りの中から這い出てくる。


 異常な光景。だが光景以上にリズと、その場の他の生徒たちを驚かせたのは、這い出てきた影が学院講師のベルカンプの成り形をしていたことだ。


「せ、先生……?」

「え? これってどういう」

「先生が出てきたってことは、これってやっぱ試験なのか……」


 戸惑う生徒たちに、教え導く立場のベルカンプは、口の両端を吊り上げ、両目の目尻を大きく下げる笑みで応じてきた。普段の授業姿勢からは想像もつかない、あまりに異様な表情と、なによりも雰囲気が「実はこれは試験」などという淡い期待を吹き飛ばす。


 二歩、三歩と生徒たちは後退る。リズもそれは同様で、ようやく五歩目で後退する足を止め、ベルカンプを睨み付けた。


「これはどういうことですか、ベルカンプ先生!」

「ふん」


 糾弾の声はしかし、正しく報われることはなかった。学院教職員に支給されるスーツ姿のまま、ベルカンプは煩わしげに頭を振り、指を鳴らす。黒獣の腕が振り下ろされ、激しい衝撃と音と共に、地面に巨大な穴が開く。


 咄嗟にリズは回避したものの、他の生徒の中には衝撃で吹き飛ばされるものもいた。


「ダメージを負ったものは下がるのよ! 風の派閥はケガ人を連れて戦域から脱出。水と土の派閥は支援を、それ以外は近付かずに遠距離から攻撃しなさい!」


 リズは声を張り上げる。彼女の周囲には何人もの魔法士候補がいるが、腰を抜かしているもの、意識を失っているもの、ケガで戦闘不能になっているもの、など既に十人近くになっている。


 救援に来た多数の生徒たち、その中で実際に戦意を持ち、戦っているのはリズを含めて五人ほどだ。


 リズの指揮の下、五種類の魔法が放たれた。石の槍が黒獣の腹を突き上げ、二本の風の刃が黒獣の首を切り裂き、水の鞭が黒獣の右腕を叩き砕き、火球が黒獣の肩を穿つ。


 総攻撃を前に黒獣は空気を震わせて倒れ、だが僅か数秒で立ち上がった。腹のキズは既に半分ほどに癒え、切断されたはずの首は瞬時に繋がり、砕かれた右腕は音を立ててゆっくりと修復され、穴の開いた肩は炭化した部分を内側から削りながら塞がっていく。


「どういう状況なのよ、これは」


 わけが分からないリズだ。試験開始早々に、水辺近くにいた相手から宝玉を奪取し、確実を期するためと、ついでに、いざというときに一騎にわけるための分の宝玉を手に入れようと、他の生徒を探し回っていると、不意に咆哮と共に巨大な黒い獣が現われたのである。


 しかも、獣の近くには学院講師のベルカンプまでいた。いや、出現した。


「ベルカンプ先生、これは試験なのですかっ?」


 絶対に違うと分かっていて、リズは問う。ベルカンプが何者なのか、目的はなんなのか、学院を裏切ったのか、いくつも質問し、その全てにベルカンプは答えなかった。吐き気がするような薄笑いを顔に張り付かせただけだ。愚かな質問をあえて投げかけることで、ベルカンプの発言を引き出そうとする。


「これが試験に見えるのですか、愚かですねえ、君たちは」


 果たして目論見は成功した。初めてまともにベルカンプが口を開いたのだ。


「これは試験などではありませんよ。いや、我らにとっては試験かもしれない。あるいは試練かな」

「試練? 一体なにを……」

「この身は今の今まで耐えてきた。耐え忍んできたんだ。忠実なる神の僕としてはこれまでの雌伏の歳月こそがまさに試練であった。教師などに身をやつし、貴様らなどを導く真似事をするのは、神経を引きずり出されるような苦行だった。バカな貴族のガキ共を褒めそやし、へつらった日などは、酒を飲まずにいられたことはなかった。それが何年続いたことか。貴様らへの怒りと憎しみだけを糧にし、貴様らの腸ををこの目にすること、貴様らの悲鳴を耳にすること、貴様らが無様に死んでいく様を脳に刻み付けること。それらだけを支えにし、今日までを耐え忍んできたのだ! これは試練だ。我らが神が! 我らが正義を地上に成せと! 試練をお与えになったのだ! つまり! これは聖戦だ!」


 聖戦、の二文字がリズは違和感を覚えた。


 その言葉を口にするものは帝国には数多くいる。帝国の版図拡大の犠牲になった民族や遺臣たちが決起の際によく口にする。決起の人出を集めるための大義なり看板なりに使用する。


 民族と聖戦なら多くいる。帝国に飲み込まれ、一族の土地や宝を奪われた民族が取り戻すために、聖戦を叫ぶ。


 遺臣と聖戦なら少なくない。力づくで併合された国々の威信や旧王族らが、この戦いが正当なものであると主張するために聖戦の言葉を使用する。


 精霊と聖戦を結び付ける例は少ない。だが農地拡大や都市開発の犠牲になった森や土地を守るために叫ばれたことはある。


 だが神と聖戦を結び付けるとなると、極めて限られる。帝国と、とある宗教とが激しく衝突して以来、神の名を使って聖戦を叫ぶような連中を帝国は徹底的に叩いてきたからだ。今の帝国で、神の名の下に聖戦を布告するのは、大神アルクエーデンを奉ずる真正聖教会と、そうでなければ、


「ゼーリッシュ!」


 リズは思わず叫び、


「正解だよ、貴族のクソガキ!」


 ベルカンプは哄笑で報いた。


 リズだけではない。帝国に住むほとんどの人間にとって、これは寝耳に水だ。ゼーリッシュ教徒の数は減少の一途を辿っていた。世代を跨ぐ執拗なまでの工作によって資金源は潰し、もはや再起する力はないものと考えられていたからだ。


 よもや魔法士試験に合わせて仕掛けてくるだけの力があるとは。


「我らが偉大なる神に! 貴様ら邪教徒の命を捧げてくれる!」

「好きにはっ、させない!」


 リズが五発の水弾を放つ。ベルカンプは汚らしい笑みのまま、防御の姿勢すら採らず直撃を受け、倒れるのではなく砕け散った。


 黒い泥が周囲に飛び散る。分身体であると悟ったリズの耳には、ベルカンプの笑い声が染みついていた。

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