第五章:三十三話 試験外の戦い
合計七本の閃光が巨大な影を貫く。大人の拳ほどもある風穴が開けられてなお、黒い獣は僅かたりとも動きを止めない。黒い獣の全身が蠕動するかのように蠢き、次々と体の穴を埋めていく。最後の穴が埋まる寸前、風穴の内側に水球が生じ、一気に膨れ上がった。巨大な影をも内側から破裂させる、強力な水の魔法だ。
リズ・ヘンドリクソンが息を切らせながらも両の足で立つ。額に浮かんだ汗を拭う、と手の甲に汗がべっとりとつき、リズは大きく手を振って汗を飛ばした。
「状況はわかる?」
閃光魔法を放った生徒が戸惑いながら答える。
「い、いぃえ、なにも。いきなり出てきたんです。仲間たちをフッ飛ばして、な、なんとか応戦したんですが」
「そう」
リズは視線の向きを変え、剣を持つ生徒に質問した。
「そっちはどう? なにかわかる?」
「わかるもんか! 感知する限りでは、これと同じようなのがアチコチに出てきてる!」
生徒の爆発した声に他の生徒たちも反応する。
「試験の一貫じゃないのか!」
「飛び入りでこんなのが出てくるなんて聞いたことねえぞ!」
「わけわかんない! けが人も出てる。重症者よ」
「くっそ! こんなのってありかよっ」
喚く同級生たちに、リズは乱れた呼吸を整える努力をしながら言葉を続ける。
「試験じゃないと思う。試験にしては難度が高すぎ……避けて!」
悲鳴めいたリズの合図に、生徒たちが飛び退く。上手く体勢を維持できたものよりも、バランスを崩して倒れてしまった生徒のほうが多い。中には足首を挫いて呻き声を出すものもいる。
黒獣は全身をバラバラに吹き飛ばされながらも、いまだ絶命することもなく活動を続けている。それどころか、黒獣を覆う黒いタールのような皮膚が網のように広がり、散らばった他の肉片とつなぎ合わさり、元の形を取り戻していく。一騎の知識でいうなら、さながらアメーバが食事をしているかのようだ。
生徒の一人が呻く。
「む、無理だ……こんなの、俺たちがどうにかできるレベルじゃない」
「じゃ、じゃあさっさっと逃げちまおうぜ。俺たちはまだ学生だぞ? こんなの聞いてない! 勝てるわけがない!」
「そそそうよね。正魔法士が出てくる案件でしょ、これは。学生のわたしたちじゃ足手まといになるだけだわ」
「俺たちは貴族だ。この国を導く責務がある。平民共を指導する役目がある。こんなところで俺たちになにかあったら国家の損失だ!」
「ぁ、ああ。帝国の未来のためにも、俺たちは生き延びないと
戦うなどあり得ない。この場から逃げ出す。それが彼ら、魔法士候補の導き出した結論だった。自分たちの行動が他人の目からどう映るかになど考えも及ばず、他者の手本になることなど考えもせず、自らが生き延びることだけを最優先する。
未だ候補生という身分であることを考えれば、敵いようのない敵を前にしての彼らの姿勢は間違っていないかもしれない。だがもちろん正解などであるはずもない。魔法士の前に立ったことを後悔させてやる、なんて矜持を示すこともなく、逃げることを選ぶのだ。
「ルオオオオオオォォッ!」
「ひ、ひぃっ!?」
「うわぁっ」
黒獣が吠える。地響きを立てて、国を守る魔法士の候補たちとの間合いを詰める。黒獣の体躯はネコ科やイヌ科よりも、偶蹄目、それも足の短いタイプの獣ようだ。その鈍重そうな体躯からは信じられないほどのスピードで獣は間合いを詰めてきた。
一般の兵士たちならあるいは決着していたかもしれない。曲がりなりにも魔法士候補だから対処できたと言える。
黒獣が腕を振り上げ、その腕に四発の火球が着弾する。痛みを感じたのか、声を上げようと口を開け、今度は頭部に閃光が炸裂した。
「ゴオオオ」
空気を吐き出しているだけなのか、それとも声なのか、黒獣が唸りを吐き出す。
自分たちの攻撃がなんらの成果を上げるどころか、火に油を注いだだけの結果になっているらしき事実に、魔法士候補生たちは息を飲んで竦み上がる。
「う、嘘だろ……全然効いてないじゃねえか」
「おいおい、本気でやばいぞこれは」
「まずいね」
「ばば化け物だ!」
逃げる生徒もいれば踏み止まる生徒もいる。逃げる生徒たちは転んだり、木や岩にぶつかったりして出血していた。
「こ、の」
踏み止まった生徒、というのは一人だけだ。リズ・ヘンドリクソン。
彼女の両目には決して戦意が漲っているわけではない。割合でいうなら恐怖が過半数以上を占めている。黒獣の動き次第では、戦意も勇気も掻き消されるだろう。
踏み止まるのは、あるいは魔法士になるという強い気持ち故か、もしくは格好悪いところを見せたくない相手でもいるのか、はたまた一緒に試験に合格したい相手でもいるのか。
なんにせよリズは自分よりも遥かに巨大で、強大な黒獣に向けて手を構える。リズとて貴族として高い魔法の才能を持ち、訓練も受けている。小さな水球が生まれ、一秒ごとに巨大化していく。水球は渦巻き、円錐状へと形を変えていく。
脅威度はともかく、黒獣も攻撃は不愉快なのだろう、危険から身を遠ざけるかのように全身を捩ろうとし、
「ガガ!」
何十もの火球に叩かれた。形状は火球の他に槍状のものもあり、炎槍は黒獣を貫いただけでなく、地面に縫い付けてもいた。
「よぉし、止めたぞ!」
「まさか! あんたの作戦が成功した!?」
「やればできるじゃないか!」
「もっと素直に褒めて!?」
森の奥から出てきた生徒たちの姿に、リズは驚く。男女二人は一次試験でリズとチームを組んでいたメンバーだ。とは言っても、一次試験ではリズが一騎を倒すために早々に単独行動を採ったため、チームメンバーとはほぼ名ばかりだ。もう一人は同じクラスの男子生徒であり、個人戦となる二次試験においては宝玉を争うライバルでもある。
「貴方たち、どうしてここに!?」
偶然だ、と三人は異口同音に口をそろえた。宝玉を探し回っていたが結果は思わしくなく、協力することにしたのだという。手に入れた宝玉は、後に三人でクジをして持ち主を決める。まずは宝玉を確保することを優先したのだ。
三人で森を彷徨っていると、獣の咆哮と戦闘音が響いてきた。逃げることも戦うことも決めかねた三人は、近くに行って情報を集めてから逃げるか戦うかを決める、という中途半端な結論を出し、ここまで来たのである。
「そうしたら得体の知れない魔物とリズ嬢が戦っていましたので」
「しかも旗色が悪いときたら、助けに入らないなどという選択肢はありません」
「あの亜人だって、リズ嬢の魔法を前に逃げずに立ち向かい、遂には撃破したのです。貴族たるわたくしが、敵が強大であるからというだけで逃げるわけにはいきません!」
「貴方たち……」
リズは感動したように、
「足が震えてるわよ」
呆れたように言った。
「さすがに怖いんです!」
「初めての実戦なんだぞ!」
「震えぐらいは見逃して!?」
震えているのはお互い様なので、リズもそれ以上の指摘はしなかった。
「わかったわ。炎槍の拘束だけど、あの獣相手じゃそう長くはもたない。拘束が破られる前に、一気に片付けるわよ。続いて」
「任せて!」
「全員、一斉攻撃!」
「吹き飛びな!」
生徒たちの両手から魔法が打ち出される。魔法の威力や精度はバラバラだが、中には十分な威力を持っているものもある。轟音と共に魔法は黒獣を飲み込み、最後に残されたのは黒獣の、やはり黒い足だけだった。
「やった!」
「やったか!?」
安堵と歓喜の呼気と声が吐き出される。この場に一騎のような立場の人間がいれば「それはやってないフラグだ」と声を上げたに違いない。その通りだった。
残っていた黒い足から噴水のように黒い靄が噴き出し、一瞬で元の獣の姿を取り戻す。踏み止まった生徒も逃げ出していた生徒も、揃って動きを失う。
獣の口が笑う形に奇怪に歪み、しかし次の瞬間には地面の裂け目に吸い込まれるようにして消え失せた。
生徒たちの顔色が一瞬で青くなる。如何に未熟でも、あの状態で倒せたと思えるような楽観的な生徒たちはいない。自分たちの足元に、自分たちが察知できない地面の下に、敵がいることを悟る。
――――ルアアアアアアアアアアアアアアァァァァァッッ
地中全体から咆哮が響く。
「くそぉ! なんなんだよこれは!」
「逃げられねえ!」
「リズ嬢、どうするの!?」
「地面の中なら自由に逃げられない筈よ。直接、地面に火の魔法を撃ち込むわ。地面ごと焼き尽くす!」
威勢のいいセリフは、内側に満ちる不安と恐怖を必死になって振り払うためのものだ。逃げることもないと無理だと悟った他の生徒たちも、ここに来て腹を括る。ありったけの魔力を絞り出した。




