第一章:十三話 雑魚魔物、吐く
「ぅむ?」
欠片も心地良くない揺れに一騎が目を覚ます。見覚えのある制服に背負われて移動している最中だった。
「ここ、は?」
「気付きましたか、常盤平。お互い無事でなによりです」
「うおぉう!」
自分を覗き見る骸骨に驚きの声を上げる一騎。
「どうしました?」
「どうしましたじゃねえだろ! 寝起きで目の前にガイコツがあったら誰でも驚くわ。ショックで死んだらどうしてくれるんだ。あっぶね、心臓麻痺を起こすと思」
一騎の頭を骨の手が鷲掴み、
「ん?」
野球のオーバースローの要領で投げられる。一騎は空中で回転しつつ体勢を直し、バランスを崩しながらも着地し、立っていることができず尻もちをついてしまう。
「いきなりなにしやがる、この野郎っ」
「わざわざ運んできてやった恩人に対する態度があまりにもなっていなかったものでつい。でも安心して下さい。死んだら僕の配下のアンデッドとしてこき使ってあげますから」
「安心できる要素がどこにもねえよ!? て、いや、でもそうか。気を失っていたはずだからな、運んでくれてありがとう」
「わかればいいのです」
「あれ? 結局、古木の奴はどうなったんだ? 物凄く頭にきたことまでは覚えているんだが、その後のことがまったく思い出せない。宗兵衛が助けてくれたとか?」
「ドアホ」
ここで初めて一騎は自分の身に起きたことを知るのだった。
種族の系統樹を無視したかの鬼への進化、人狼の古木を圧倒したこと、倒すなり意識を失って倒れてしまったこと。
丁寧に説明してくれたことは素直に助かった一騎だが、古木の死に様を聞くに至り、顔が青ざめる。
「っ」
宗兵衛の説明で急速に記憶の靄が晴れる。
自分の拳が古木の顔を吹き飛ばした映像を思い出し、思わず自分の手を見る。両手には一片の血のりもついていない。
視覚的には。
心理的には両手が血塗られている感覚がして、加えて古木の頭が砕けた場面が鮮明となって一騎の消化器官を刺激した。
「ぅぶっ!」
胃液が逆流する。
転生後からなにも食べていないのだから、吐き出されるのは精々、川に流された際に飲み込んだ水だ。二度三度と嘔吐するうちに水も尽き、それでも一騎は、地面に這いつくばって異臭のする空気を吐き出し続ける。
「ふむ?」
宗兵衛は疑問を感じた。古木のような例は特別だろうとしても、魔物化と、放り込まれた環境による影響で、自分たちの倫理観に多少の変化が生じていることを、宗兵衛は自覚している。自分を殺しにきた敵を返り討ちにした、程度のことで、ここまで衝撃を受けている一騎が信じられなかった。
「人間としての部分が濃く残っているのでしょうかね」
小声で推測すると、『導き手』からも可能性として同様の指摘がされた。
宗兵衛としては今後のことを考える必要がある。戦えない動けない相手を抱えていくことはリスクでしかない。リスクを取るつもりは宗兵衛にはない。宗兵衛としては早々に一騎に立ち直ってもらう必要があった。
コキコキと首を鳴らし、青白く揺らめく眼窩を、依然として嘔吐を続ける一騎に向ける。
「常盤平」
「ぅん? ちょっ、ぉと、ぇ後に……ぅげぇ」
「いえ、後にできる問題ではないので、今すぐはっきり言っておきます。まず、僕と君は友人ではありません。そんな僕たちが一緒に行動している理由は一つだけ、己が生き延びるために必要だからです。当然、僕が生きるにあたって君が邪魔になるようでしたら、切り捨てることも吝かではありません。足手まといと一緒に行動できるほどの余裕は持ち合わせていませんからね。君が最初の殺人でどれだけ衝撃を受けたかはわかりかねますが、ですが、その衝撃に負けて立ち上がることができないようでしたら、僕はこの場で君を切り捨てます」
冷たい声に、一騎は這いつくばったまま目を大きく開く。
「! 宗兵衛、お前……」
「どうしますか、常盤平?」
宗兵衛は近付かず、手を差し伸べず、一定の距離を保ったままだ。
一騎は嘔吐のために地面に向けていた顔を上げる。顔を上げたときには、決断のつかない困惑と冷淡な物言いへの反発が色濃い。
持ち上げた顔をゆっくりと宗兵衛に向ける。このときには、困惑は吹き飛び、反発がより強さを増し、反発には逡巡と決断とが半々で入り混じっていた。
顔だけでなく小さな体躯ごと宗兵衛に向いたときには、反発も逡巡も姿を消し、決意へと姿を変えていた。
「っ……立ち上がるに、決まってんだろうが!」
「それはなにより」
「けっ」
古木を殺した衝撃は消えていない。気を抜けば嘔気や四肢の震えが戻ってくる。それでも体が軽くなったように感じるのは、宗兵衛の冷淡な問いかけのおかげだろう。
過ぎたこと、と言うにはあまりに近すぎる。しかしより重要な、自分が生き延びるためにどう対処するかと投げかけられて、精神的衝撃で動揺していた意識が前を向くようになったのだから。
生き死にをどうこうしている状況で、腑抜けた自分に活を入れてくれたことには感謝する一騎だが、ドアホ、の意味が気になる。ほんの少し、ちょっぴり、非常に気になる。
「宗兵衛……お前、あまり俺を助ける気がなかっただろう?」
「少し違います」
「うん?」
「助ける気は微塵もありませんでした」
こいつとはいずれ決着をつけよう。心に決める一騎だった。
いつまでも尻もちをついたままというのも格好悪いので立ち上がる。
「?」
腰にぶら下がっている真っ白な日本刀に気付く。こんな物を拾った記憶はない。一騎の武器は錆びて折れてしまった剣――古木との戦いで紛失している――に、古木の目を突き刺したナイフ――川の流れの中で紛失している――だけだ。
つまり今は丸腰のはずなのに、
「宗兵衛?」
「僕の骨で作った武器です。軽くて丈夫、そこらの石とかで試した結果、鉄よりも硬いから武器としては上々だと思いますよ。いらないのなら返してもらいますが」
「いや、いるいるいる、超いります!」
骨刀を構える。骨でできているだけあって刀身も柄も真っ白で、ほれぼれするような美しさだ。死体から手に入れた錆びた剣と比べれば月とスッポンである。
時代劇ファンの祖父が通販で買った正宗の模造刀を思い出し、袈裟切りに骨刀を振るう。振り抜く前にバランスを崩して転倒してしまった。
「常盤平?」
「あ、あれ? 力が入らないんだが?」
《『進化』使用による急激な身体変化、鬼への変化及び鬼からゴブリンへの変化からくる負荷によるものと思われます》
「傍目で見ていても無茶な変化でしたしね。反動が来るのも仕方ありませんか」
「しみじみ言わないでくうおぉぅぉっ!?」
地響きどころではない。地震だ。一度や二度ではない。立て続けに洞窟が大きく揺さぶられる。
揺れた洞窟のあちこちで崩落が始まっていた。一騎たちのすぐ近くにも崩れ落ちた天井が落下する。足元の地面に何本もの亀裂が走る。
洞窟の破壊処分。
一騎は妖精の口にした言葉を思い出す。
「ま、ままままずい! 早く脱出しないと本気でまずい。宗兵衛!」
「僕もこんなところで死にたくはありません。遅れないように」
「いや、動けないから背負っていただきたく!?」
「……」
「待って! 骨の拳を握りこむのやめて! 魔力を無駄に込めて鉄より硬い拳を人に向けないで!? ゴブリンだから大丈夫なんて屁理屈並べな痛っ、ちょ、これ痛い、マジで痛いんだけどっ!」
紆余曲折を経て、複数のたんこぶを作り、顔を腫らした一騎は宗兵衛に背負われて移動を開始、洞窟脱出に向けて再び動き出した。
五分後。
一騎の顔色は青く変色し、目は既に虚ろになっていた。
断続的に襲ってくる洞窟の揺れに加えて、宗兵衛は背負っている一騎の安楽とか乗り心地なんてものを考慮してくれない。
一騎は急速に気分が悪くなっていく。小学生時分に知り合いの漁船に乗ったとき以来の感覚だ。
「うぷ」
「吐くんじゃありませんよ! 今、吐いたらなにがあっても捨てますからね!」
「も、もう少し安全運転で……ぅ」
「ちょっ、待、常盤」
「エロエロエロ」
「~~~~~っ!?」