第五章:二十七話 雑魚魔物は不安に苛まれる
翌朝、一騎は天蓋つきのフカフカのベッドの上で目覚めた。一騎の最後の記憶ではリズに殴り倒されたところまでなので、誰かがベッドに運んでくれたのだろうとはわかる。最初はあれほど落ち着かなかったというのに、ひとたび眠りに落ちると、〈黄金の草原亭〉の硬いベッドでは得られない、上質の寝心地だった。
「……俺、今日から店のベッドで寝れるのか?」
集落にあるベッドでも同じ懸念があり、一抹の不安に駆られる一騎だった。
ドアが叩かれる音がした。朝早くに誰だろうか。ラッカならドアを蹴り破ってくるだろうし、エストはノックなんかせずに侵入してくる。自分の周囲の常識に合わせて考えていると結論が出ないので、
「どうぞ」
とりあえず部屋に招くことにした。
「失礼致します」
「げ」
一礼と共に入ってきたのは伯爵家のメイド、ユファだ。昨日と変わらぬ無表情さと落ち着いた仕草である。
「おはようございます、イッキ様。パンツを脱いでください」
「なんでだよ!?」
「げ、などと奇怪な声を出されるものですから、きっと女性には見られたくないものが、股間のあたりにあるのではないかと愚考いたしました」
「盛大に勘違いだ! あんたが来ると、きっとこんなやり取りになるだろうから、げ、とか言っちまったんだろうが!」
「人のせいにするとは見苦しい限りだと思います。仮にも伯爵家に婿入りするのですから、洗練された所作というものを身に着けていただかないと困ります」
「いつそんな話になったんだ!?」
「朝食の用意ができております。どうぞこちらへ」
「唐突に会話しなくなるの止めろよ!」
生まれて初めてメイドに起こされる体験は、随分とテンションの高いものになってしまった。現実に打ちのめされている一騎を気にすることもなく、ユファは学院の制服を差し出してくる。綺麗に洗われ、糊まできいている。
「あ、ありがと」
「お礼は後でお願いします」
言うが否や、ユファの繊手が伸びる。
「へ? て、いっ、ちょ、ま、のおおおおおおぉぉぉっ!?」
生まれて初めてメイドに起こされた一騎は、生まれて初めてメイドに着替えさせられる。ちょっぴり恥辱に塗れた体験であった。
ユファの襲撃から数分後、一騎は疲れきった顔でテーブルに着く。食堂には既にオルタスとリズが座っており、テーブルの上には鮮やかな花と食器が用意されている。食事は一騎が揃ってから運ぶ手筈だったらしい。
「どうだね? 昨日は寝れたかね、イッキ君?」
「ええ、生まれて初めての寝心地でしたよ」
「ほっほっほ」
右フックで昏倒したことや、ユファのしたことについては意図的に触れない。一騎自身のプライドを守るために必要なことだった。
「そうかそうか。そうれはよかった。我が家との相性もよさそうでなによりだ。これはもう我が家の婿になるべし、との天の啓示じゃないかと我輩は思うのだが、どうだね、イッキ君、リズの婿にならんか?」
「一日一回は言わないと気がすまないらしいな」
一騎の皮肉はオルタスに通用しなかった。リズとの顔合わせもすんだ以上、一日に十回は口にすると宣言するような人物だ。そんなオルタスの顔面に炸裂したのは、またもやアイアンクローである。
「お父様?」
「ぐにゃああああああぁぁっ! 待って、待ってリズ! ミキとかミシとかいう音が聞こえてきてるんだけぐぺっ!?」
オルタスは意識を失いぐったりとなる。
「お嬢様」
「なによ、ユファ」
「ドレスはこちらのものをお薦めします」
オルタスは仮にもユファの主だ。その主人が気を失っても少しも動じることなく、ユファはウェディングドレスのカタログを提示している。リズは顔を真っ赤にしたままカタログを取り上げ、一気に引き裂き、床に投げつけた。息を荒くしながら、一騎を睨みつける。
「いい!? 助けてくれたことには感謝してるし、これまでのことは悪かったと思っているわ。見直したのも本当よ。け、けどね? けけけ結婚なんて話が別よ。別過ぎるわ、全然、別なんだからね!?」
「お、おう、わかってるって」
「簡単にわかるんじゃないわよ!」
「どうすりゃいいんだよ!?」
リズの怒り方は少しばかり理不尽ではあるまいか。机を挟んで視線を衝突させる二人の間に割り込んだのはユファだった。
「お二人とも、早く食事をなさいませんと遅刻してしまいますよ」
どこか嬉しそうな、かつ面白がっていそうなユファの言葉に、一騎とリズは大慌てで朝食を終えたのだった。
「おはよう、生徒諸君。こうして試験二日目を迎えた君たちだ。さぞ素晴らしい成果を残してくれるものと信じている」
学院内の講堂において、学院長は本日も挨拶をしている。当然のことながら、周囲には観客も来賓もメディアも入っていない。手元に分厚い原稿用紙が置かれていることから、今日のためにわざわざ用意したのであろう。
例年、魔法士試験二日目には試験内容を説明するだけであるのに、学院長は教職員らの顰蹙にもめげることはないらしい。試験の担当官が説明に入ることができたのは、実に半時間後のことだった。モチベーションを維持できる生徒たちことを、本当に凄いと思う一騎である。
そこはかとない疲労感を漂わせた担当官がマイクを握る。試験後半も前半同様にサバイバル形式で行なわれるとのことだ。
参加者は宝玉を持ってゴールすれば構わない。宝玉はこの後試験スタッフから配布されるが、配られる宝玉は試験前半の成績によって左右される。前半の点数が八十点以上で二つ、六十点以上で一つ、それ以下だと宝玉は与えられない。
つまり、一騎は宝玉を一つも持っていないのだ。ゴールに必要な宝玉は一つだけで十分だと説明されている。ようするにこの試験は宝玉の奪い合いだ。
一つないしは二つ持っている側は、最低限、宝玉を守り抜いてゴールすればよい。宝玉を持たない側は、誰かから奪うことでしかゴールの目はない。
「へ、一つで満足なんかしやしねえよ」
「お前は宝玉を持っている相手を探せるかどうかよね」
「はう!」
意気込む一騎と冷静なリズ。一騎とリズの二人が並んで立っているのは。昨日の時点からは信じられない光景だ。エストとクレアが一騎の傍にいないことよりも、信じられない光景かもしれない。
宝玉は二つ持っているとほぼ確実に合格できる。一つだけの場合、試験中の行動や試験前半での様子も参考にした上で合否判定が下されるため、一騎の場合は一つだけしか入手できないと、多分に不安が残る。
加えて、この手の試験では、獲得した宝玉の数が多ければ多いほど評価は高くなるらしく、過去の例では一人で七つを手に入れたケースもあったという。
「うん? あれは……魔法士、か? なんか服装が違うけど」
「え? ウソ。あれって魔猟部隊じゃない」
「聞いたことがあるな」
「当たり前でしょ」
周囲を見て怪訝に呟く一騎に、リズが驚きながら答える。二人の視線の先には見慣れない黒い制服の人間たちがいる。
不勉強な一騎でも魔猟部隊のことは知っている。魔法士の中でも腕利きが集められたエリート集団だ。王族の護衛、他国への侵入や工作などを行なっている。表沙汰にできないような任務に従事することもあり、本来ならば魔法士試験などに出張ってくる連中ではない。
「なんかあったのか?」
「知らないわよ。カイン様が参加しているから、その護衛関係なんじゃないの」
リズのセリフに深い意味はない。
「可能性はある……のか?」
二人して首を傾げ、結局は結論など出なかった。魔猟部隊のことは気になるが、とりあえずこの場で優先するべきは試験のことだ。
「それでイッキ。今日の試験……勝算はあるの?」
「うぇ」
意味不明な呻きだけを残して一騎は黙り込む。さて、思い返してみると、一騎は今日に備えてなにかしただろうか。
ラッカにこき使もとい〈黄金の草原亭〉を手伝った。
ヘンドリクソン伯爵家へとお邪魔し、豪華な食事をした。
夜はリズと話し合い、多少なりとも分かり合えたと思う。
そして気付けば朝を迎え、メイドに着替えさせられて、朝食をリズらと共にした。
「…………どうしてこうなった?」
「なぜ泣き崩れる?」
生涯初の貴族の屋敷に舞い上がったこともあって、ようやく手に入れることができた自分の魔法? についても、一切がわかっていない。調べておくと言ってくれた宗兵衛からも連絡は来ず仕舞いだ。起床したときは気合が乗っていた気もしたのに、リズの言葉によって現実を思い知らされた感じがする。
自業自得以外の何物でもない。
――――後半の試験はチーム戦ではないから、イッキだけの力で合格してもらわないとダメなんだけど。
「!?」
――――我が祝福を受けしイッキなら問題なく合格できると確信しているがな。
一騎の脳内に声が響いた。酷く冷たく、冷たさ以上に剣呑さが漂っている。
「エェ、エスト……さん? クレアさん?」
――――イッキが不合格になるとリズは責任を感じてしまうだろうから、是が非でも合格するようにね。
「ちょ、大精霊様! だ、誰が、何であたしが平民の試験のことなんかで責任を感じるのですか!」
――――感じるであろう?
「クレア様まで……っ~~~~知りません!」
言葉に詰まったリズは、赤い顔を隠すようにして走り去ってしまった。一騎は自分一人だけが取り残される形になったことで、得も言われぬ不安感に包まれる。
「あ、あの、エストさん? クレアさん? えっと、昨日はですね」
――――今は試験に集中することが一番大事。だから、朝帰りすらしなかった件については、後でゆっくりじっくりたっぷり話し合いましょう?
――――もちろんその場には我も同席させてもらう。
「っっ!?」
参加者諸君は次代の国家を担う魔法士候補として正々堂々と戦い、栄冠を勝ち取るように、などというありがたいお言葉は一騎の耳には届かなかった。




