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第五章:二十四話 勤勉・努力・正義

 コンディート市は交通の要衝ということもあり古くから商業が盛んな土地で、広がる市場は大陸全体で見てももっとも古い部類に入るものだ。規模は現在の帝国内にあってもトップクラスであり、魔法士試験の期間中は間違いなく最大規模となる。


 日中は試験に集中する人間が多いため、市場が最大の賑わいを見せるのはむしろ夕方以降だ。パーソナルスペースが踏み躙られることを覚悟しなければならないほどの人出は、同時に素晴らしい眺めを見せてくれる。


 通りに所狭しと並べられる豊富な商品の数々、衣料品や食料品はもとより、宝飾品や日用品、奇書、怪しげな呪具、テイクアウトのできる飲食店など、ありとあらゆる種類の店が軒を連ねている。中にはこの時期だけしか開店しない店もあって、店店を網羅したガイドブックは大人気だ。


 店がひしめき合い、人が洪水となっているともなれば、音もまた氾濫している。路上で音楽を奏でる芸術家もいれば、客を呼び込むべく大声を張り上げる店主もいる。観光客どうしの話し声も周囲にかき消されまいと声量は大きく、酔客どうしのケンカの音なども混じり合い、混沌の様相を呈していた。


 だがこの混沌を不快に思っている人間は少数派だ。無秩序な賑わいこそがこの時期のコンディート市の特徴であって、訪れる以上は混沌に呑まれる覚悟がいる。住んでいるものには、より強い覚悟が必要だ。もう覚悟とすら認識していないかもしれない。


 市場には何本もの細い道があり、観光客たちが異世界に迷い込んだ気持ちになるような路地も少なからず通っている。住人が生活に使う通りもそうで、試験開催中は人が入らない道はないほどだ。


 今も、小さな廃屋の前には数人の観光客らしき男女が歩いている。いずれも笑顔で、コンディート市を十分に楽しんでくれているのだとわかる。


 もっともっと楽しんでくれ。落差が大きければ大きいほど、絶望に転落したときの表情は素晴らしいものになるのだから。廃屋の中から、ベルカンプは真摯に祈った。


 ベルカンプは時間を有効に使うことに関しては抜け目がない。悲願を果たすためには時間を無駄にできないという、強迫観念めいた考えに縛られていた。怠けるということはなく、休憩をとることすらない。ただただひたすらに目的に向かって邁進し続ける。


 温め続けた計画のため、できることは可能な限り迅速に、手際よくこなしていく。控えめに表現しても、事務処理能力の高さについては否定する要素のない人物だ。学院で屈指の低評価を受けている授業とは明確に違う。授業の準備には努力など一欠けらも用いないくせに、計画に傾ける情熱は周囲の同志たちですら感嘆する他ないほどだ。


 ベルカンプの全身にはアドレナリンが隅々にまで行き渡り、精神的には眠る時間など必要なかった。


 疲れ果てていたのは肉体の方だ。


 これほどまでに休みなく動き続けたのは、ベルカンプにとっても間違いなく初めての経験で、裏返せば、そうしなければならないほど状況が切羽詰まっていることを示している。サゲスのことからもわかるように、いつ敵の手が自らに迫ってくるか知れたものではない。


「いや、サゲスは殺した。死体も始末した。いずれは見つかるだろうが、その頃には計画は終わっている。なにも問題はない」


 首を鳴らしたベルカンプは、疲れた目をこする。細い視界にあった靄は取り払われ、ついで鼻腔をくすぐるコーヒーの匂いに気付いた。同志の一人がマグカップを持って戻ってきたのだ。


 ベルカンプは熱いコーヒーを好まない。適度にぬるくなったコーヒーを一気に飲むのが好きだった。この同志はベルカンプとは付き合いも長く、好みも把握していたので、カップはほんのりと温かいだけだ。受け取ったカップを斜めにし、半分ほどを胃に流し込むと、ベルカンプは確認をした。


「状況は?」

「万端です、同志ベルカンプ」


 男は即座に、簡潔に返答をした。室内にいる他の同志たちも一様に頷く。皆の神経は張り詰め、合図があれば無形の強弓から解き放たれるだろう。


 広く暗い地下室は同時に神聖な教会でもあった。ゼーリッシュ神へ祈りを捧げる場だ。今となっては陰謀をめぐらす会議室でしかない場所であり、その事実は彼らをより深刻な憎しみへと駆り立てた。ここは聖戦を行うための拠点であり、滅多に使ってはならない場所へと変わっていた。


 本音を言うのなら、ここには毎日でも訪れたい。だが何人もの人間が頻繁に出入りするようになっては、周囲から怪しまれてしまう。官憲に通報されでもしたら、全てが水泡に帰す。偶に使う程度だからこそ、ここまで露見せずに済んだのだ。


「決行は明日だ。皆、今日までよく辛苦に耐えてきてくれた。必ずや偉大なるゼーリッシュ神の加護があるだろう」

「同志ベルカンプ、最後の確認を」

「ああ」


 決意を隠そうとしないのはわかる。だが今やベルカンプは、憎悪すらも隠していない。計画がここまで進んだ段階では、どれだけ隠そうと努力しても、抑えようもなく溢れてしまうのだ。


 ベルカンプはもはや、隠すことを諦めていた。どうせ明日にはすべて終わる。隠すのでも抑えつけるのでもなく、憎しみと怒りのままに全身を動かすのも悪くない。同時に、自分は絶対に正義だと信じる声でベルカンプは頷いた。


「デューリオは市内北部、ラルダは南部、チャタルは西部だ。それぞれ一体ずつ封印獣を持っていけ。ジャリレスは会場だ……意味は分かるな、ジャリレス?」

「承知しております。必ずや本懐を遂げてくださいますよう」


 ジャリレスと呼ばれた青年はいっそ爽やかな笑みを浮かべていた。ジャリレスの役目は会場内で封印獣を用いたテロだ。当然、会場には上位貴族をはじめとして、腕利きが警備の目を光らせているだろう。ジャリレスは混乱と引きかえに、自らの命を失うしかない。二十に届くかどうかの青年はしかし、ベルカンプの命令にむしろ感極まったかの涙を浮かべている。


 ベルカンプは満足気に微笑を浮かべて狂信の青年を抱擁した。君は勇敢な戦士だ、と可能な限り力を込めた口調で賞賛する。出すべき指示は多くはなかったが、どれをとっても重要なものだった。生徒たちからは眠気を誘うと評判の彼の声は、このときこの場所に限っては十分すぎる熱を持ち、周囲の同志を引き寄せるだけの魅力を持っていた。


 ベルカンプ個人の魅力ではなく、ゼーリッシュ神のもたらす教義による魅力を存分に振るい、半時間近くに及ぶ説明を、途切れることなく続ける。


「残る全員は魔法士候補のガキ共を始末する。最優先目標は公爵家の跡取りだ。カイン・シルファリオ、こいつを絶対に殺せ。取り逃がすようなことはあってはならない」


 まさしく彼らにとって外すことのできない目標たちだ。


「この地は帝国などという邪悪にして暴虐な国家が建っていていい場所ではない。薄汚い帝国を打倒し、我らの、我らが祖国をここに打ち立てるのだ。我らが長年に亘り受けてきた苦痛と無念と怒りの万分の一でも、胸糞悪い帝国の連中に思い知らせてやる。連中を一人残らず地獄に叩き込んでこそ、父祖の無念を晴らすことができる。連中を一掃してこそ父祖の悲願である、約束の地を手に入れることができるのだ。我らが悲願を必ずや達成する。そのための明日だ」


 熱病に侵されたかのベルカンプの声は同志たちの皮膚を通り抜け、心臓や脳髄にまで到達する。信仰と感情が血液に成り代わったような錯覚を全員が共有し、ゼーリッシュ教の戦士たちは散らばっていく。


 見送ったベルカンプは、しかし地下にある別室で横になって一休みするような真似はしなった。疲労は既に限界を超えている。だが万が一にも明日、失敗するわけにもいかない。いいや、必ず成功する。成功させて見せる。


 固く心に誓ってベルカンプは眠りに誘う手を振り払い、まだやるべきことがある、と重くなっている足を踏み出した。

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