第五章:二十三話 雑魚魔物式安眠法
先週一杯は風邪で満足に動けませんでした。
一騎は上を見ていた。天井ではなく、ベッドの天蓋だ。食事が終わると、オルタスから宿泊を促され、貴族のベッドに好奇心を刺激されて了承したのだ。
「失敗だった……寝れねえよ……」
試験前日も徹夜だった一騎だ。肉体には疲労がこれでもかと蓄積している。ここが集落にある自室だったなら、とうに睡魔に負けていたに違いない。
試験中に起きた初めての魔法らしきもの、初めての貴族の屋敷、なにより、一騎の脳を強制的に覚醒させているのはリズの白い肌だ。
エストもこの上なくはっきりとした好意を寄せてくれているが、裸を見たことはない。着替え中の女子の裸を見る、なんてラッキースケベ体験など漫画の中だけのことだと羨ましく思っていたものだ。
「あああああああ、ったく!」
いざ我が身に降りかかってくると、網膜に焼き付いた映像のせいでまったくもって眠れる気がしない。
一騎はベッドから降りた。部屋の目に広がる庭に出る。夜天には雲も少なく、月と星の光が池に落ちて不規則に揺れている。食事と食事に付属していたバカ騒ぎがなくなると、ここが貴族の屋敷だと強烈に意識してしまい、途端に落ち着かなくなる一騎だった。
「眠れないの?」
夜風に乗ってきた声はリズのものだった。寝間着ではなく、随分と動きやすそうな格好をしている。
「貴族のベッドは落ち着かなくてな。そっちはどうしたんだ?」
「ふ、ふん、気になることがあって寝れなかっただけよ」
オルタスが自分と一騎を結婚させようとしていた。それ以前に、着替え中のあられもない姿を目撃された場面が何度も何度も脳内で繰り返されて眠れなかった、とは口が裂けても言えない。気分転換に庭に出たところ、当の一騎がいて眠気が吹き飛んでしまったこともだ。
二人はどこか気まずく感じながらも、庭池を前に隣どうしに並ぶ。沈黙は庭に落ちる月光に溶かされてしまったのか、おずおずといった感じでリズが口を開く。
「あ、改めてお礼を言うわ……助けてくれてありがとう」
何度目のことか。これまででもっとも落ち着いた礼だった。
「で? どうして助けたのか、て続くんだろ?」
「わかるの?」
「そんな気がしたんだよ」
目は口ほどに物を言う。感謝もあれば、解決していない疑問ある。リズの目は雄弁にそう物語っていた。隣に立つリズは一騎を見ないまま続ける。
「あたしは伯爵家の人間よ。昔から自分の力を磨き、自分の力を頼りにしてきたの。それが貴族の誇りだとも教えられてきて、事実、誇らしかったわ。修練の末に身に着けた技倆の数々で成果を修めるのは。これからもそうしていくものだとずっと思っていた」
でも、と一旦言葉を切るリズ。言葉を選んでいるのか。ややあって出てきたのは、
「あたしはお前に負けたわ」
飾り気のない言葉だった。悪意も敵意も排除した、事実を事実として受け止めている。
「敗北には意味も価値もないの。当然、敗北したものも同様よ。少なくともあたしたちはそう教えられてきたわ」
「おいおい」
無茶苦茶な暴言としか一騎には思えない。二十年も生きていない一騎は、既にして敗北と失敗の大家でもある。敗者に価値がないのだとしたら、常盤平一騎の価値はゼロどころかマイナス圏になっていよう。
「別にお前が思っているほど極端ではないわ。誰だって失敗などはあるものだし。けど、敗北や失敗を繰り返し、なにも学ばない人間へは価値を見出さないのは本当よ」
だからこそ、リズは一騎を卑下していた。亜人、それも魔法適性のない一騎が魔法士を目指すことは間違いだと指摘して、にもかかわらずのうのうと学園に居続けることが許せなかった。何度も何度も課題に挑み、結果として一度も魔法に使うことができなった一騎は、最大限に卑下する対象だ。
「なのに、どうしてあたしを助けたの? あんな風に身を挺して助けてくれたことには本当に驚いたのよ。あたしはあんなにもお前を悪く言ったのに、お前にはあたしを見捨てるだけの正当な理由があったのに、どうしてあたしを助けたの?」
「あのな……」
真剣な目付きで聞いてくるリズに、一騎は呆れたとばかりにため息をついた。つかざるを得なかった。魔法士たるもの、仲間を助けるのは当然のこと。
一騎としてはリズのことは友人ではないにしろ、仲間だとは捉えている。あれだけ悪しざまに罵られながらなにを呑気なことを、言いたくなるが、一騎にとって帝国は本当に久しぶりの人間社会なのだ。
魔法士学院は日本での学校時代を思い出させることも多く、決して居心地がいいわけではない。しかしカインやリズのように、正面からくる衝突はどこか懐かしく感じている。
一騎は嫌な気分になると同時に、久しぶりの感覚から、嫌うということがどうにもできないでいた。嫌えないだけであって友人と捉えることはさすがに不可能であるので、あくまでも仲間だとの認識に辿り着いていた。
もちろん一騎は未だ魔法士ではなく、魔法士として活動することもないだろうと受け止めている。だから魔法士としての立場でものを話すことは相応しくない。
リズはずっと一騎を侮辱してきた。そのことは一騎も忘れてはいない。軽々に許すこともできないと思っている。だけどそれは、
「それは俺の問題なんだよな。個人としての問題なんだよ、うん」
「え?」
魔法を使えないのは残念ながらはっきりとした事実だ。魔法の使えない異世界転生、魔法を使えない魔物など、なんの冗談かと言いたくなるが、現実に使えない以上は仕方ない。一騎が魔法を使えないから、リズをはじめとする他の生徒たちから責められるのだ。
だが今回の衝突は、厳密には一騎とリズの間の問題であって、両者が解決するべきものである。問題が解決したわけでもないのに、個人的な感情に左右されて仲間を見捨てるなどもっての外。
少なくとも今の一騎はそう思っている。
日本にいたままなら、こんな少年漫画のような結論には辿り着かなかったろう。こっちの世界に来て、魔物として生き、多くの仲間たちができたからこその考えであった。
言葉を失ったリズは顔を下げてしまう。恥ずかしさと情けなさからだ。
貴族としての立ち居振る舞いを習得し、実践してきた。その上で魔法士の名誉を守るため、亜人の一騎を排しようとしてきた。
魔法が使えないにもかかわらず、何度も魔法にチャレンジしては同じ失敗を繰り返す一騎が見苦しく、取り除こうとしてきた。落ちこぼれのくせにカイン相手に一歩も引かずに衝突することがガマンできず、ことあるごとに罵声と冷淡な態度を採ってきた。
間違っていないと考えて行なってきたのに、今となってはたまらなく恥ずかしい。自分のしてきたことがどうにも子供っぽく、一騎の方が大人だと感じてしまう。
黙りこむリズに、今度は一騎が落ち着かなくなってしまった。
またまずいことでも口走ってしまったのだろうか。もしリズに泣かれでもしたらどうなるか。間違いなくラッカに怒られる。こってりと怒られた上でしこたま殴られる。ラッカは女の子の扱いにうるさい。上客相手にも容赦しないのに、相手が一騎とあっては手加減など期待できそうもない。エストとクレアは、リズをはじめとする貴族生徒たちにいい印象を持っていないから大丈夫だろうか。いや、立場を越えて連携する可能性も否定できない。
「え~と、まあ、その、あれだよあれ」
「あれってなによ?」
「ようするにだ、俺がリズを助けるのは当たり前って話なんだよ」
「!」
「だから気にすることなんかないって。な?」
一瞬だけ目を見開いたかに感じたリズだったが、一騎が覗き込んだときには両目は硬く瞑られていた。代わりと言えるかどうか、リズの耳は夜でも分かるくらいに真っ赤だった。
「ど」
「ど?」
「どうして帝国に来たの?」
リズの声はまだ若干、上ずっている。話を変えようとしているのは明らかで、だがこのあたりの機微に疎い一騎は気付かなかった。
「亜人への偏見は確かに少ないけど、お前が住んでいたという里には人間はいないんでしょ? 里に比べればまだ暮らしにくいはずよ。それに学院は貴族が圧倒的に多いわ。伯爵家のあたしが言えた義理じゃないけど、平民で亜人のお前には厳しいとこ」
「その里のためだ」
最後まで言わせずに一騎は断言した。
魔石ビジネスを展開する上で、亜人への偏見が少ない帝国は限られた販路だ。農業を確立するにも魔の森の開拓開墾が必要。しかし切り開いたところで、集落を発展させることができるだけの収穫があるかどうかはわからない。
産業の多角化とその成功は、一騎たち集落上層部の至上命題と断言できる。魔の森と魔石ビジネスを外しながら集落のためであるとの説明――宗兵衛たちが事前に用意したテキストによる――に、リズは納得したように首肯して見せた。
「それが……理由?」
「ああ」
「でも魔法士にこだわる必要はない」
「俺は最弱と名高いゴブリン種だからな」
ゴブリン種どころか、はっきりとゴブリンである。
「集落の皆を守るためにも力が欲しい」
骨刀をはじめとする装備はある。使い勝手がやたらと悪いが『進化』という力もある。エストや宗兵衛といった頼りになる――一部、背中から刺してくるような奴もいるが――仲間もいる。ルージュとアーニャによって教会勢力との接点もできた。
しかし魔の森は常に不安定で、争いの種はそこかしこに転がっている。集落の規模が大きくなったことで、衝突自体が大規模になると危惧される。教会と接点ができたとはいえ、和解しているわけではなく、この先も勇者との戦いが生じると考えられる。
最大の問題として、一騎は弱い、こと。
骨刀を持っていても剣術に長けているわけではない。『進化』は使い勝手悪いだけでなく、使いこなせてもいない。仲間は強力だが頼りっぱなしというわけにもいかない。勇者を管理する教会を全面的に信用することは不可能だ。
一騎が魔法を覚えること、強くなることは自分自身や仲間たち、集落の有益な未来に繋がる。
「真剣に魔法士を目指しているお前らには悪いと思うけど、俺には他に守りたいものがあるんだ」
「それのどこが悪いの? 帝国貴族は帝国を守るために魔法士を目指すけど、帝国人民以外にも帝国を守ることを強要したりはしないわ」
「そう言ってくれると助かるよ。あと、この学院には貴族が多いからな。将来のパイプ作りにも役立つ」
「パイプは既に破裂してると思うけど」
至極もっともな指摘と冷静な言葉とは裏腹に、リズの頬は熱くなっていた。
「ま、まあ? もし魔法士になれなくても、我が家の使用人としてなら雇ってあげてもいいわよ。見習いからだけどね」
「縁起でもないこというなよ!」
「ふん……お前は学院でも言うだけ言って結局」
「だあっ! 俺には一騎って名前がある。いい加減にお前呼ばわりは止めろ!」
「ぅ」
唐突に言葉に詰まるリズ。名前で呼ぶのは気恥ずかしかったため、ずっとお前と呼んでいたのだ。
リズの感情など推し量ることもできない一騎だが、どうやら反撃が成功したらしいことを悟る。一騎が距離を詰める。リズが一歩下がると、その分だけ一騎は踏み込んでくる。
「……イ……ィッ…………」
「ん~? 聞~こ~えんなあ~?」
どこのウイグル獄長なんだか。貴族相手にここまで攻守がはっきりしたことは初めてのことで、一騎は随分と調子に乗っていた。わざとらしく掌を耳に当てたりしている。
「イイッ、イ……イッッ」
「ん~~~?」
すっかり勝ち誇った体でにじり寄る。一騎が勝者として振舞えたのはここまでだった。
「~~~~っイッキのバカが!」
素晴らしい威力の右フックが一騎のこめかみを撃ち抜いた。ともあれ、意識を失った一騎は、そのまま眠りの坂を転がり落ちていく。こうして徹夜に陥ることなく睡眠をとれたのであった。




