第五章:二十二話 殴りたい、その笑顔
「ぶわはっははハッははははははっはふっっおふぉおっほこほ」
ボロ雑巾のようになった一騎を見て、オルタスは盛大に笑い転げ、最後の方ではむせていた。不機嫌に頬を膨らませた娘を置いて、オルタスはユファを手招きする。
「首尾は上々といったところか、ユファよ?」
「極上でございます、旦那様。今からお孫様の名前を考えておくべきかと」
「ほほう!」
「お父様?」
そのふくよかな顔面にリズのアイアンクローが炸裂する。
「みぎゃああああぁぁっ!? 割れる割れる割れる割れる!」
食堂に伯爵の悲鳴が響いた後、ようやく一騎は椅子に座ることができた。向かいにはリズが未だ顔を赤く――一騎の観察力では、怒りのためなのか羞恥のためなのかの判断はつかない――したままで座り、元凶の片割れであるはずのユファは、何食わぬ顔でオルタスの後ろに立っている。
「それではイッキ殿。本日の試験において、身を挺して我が娘を助けてくれたことに改めて礼をいわせてもらうぞ。本当にありがとう」
オルタスは深々と頭を下げる。突き出た腹に邪魔されてかなり窮屈そうな姿勢だが、一騎は貴族がこうも簡単に頭を下げるとは思っていなかったので、少なからず驚く。
学院を通じて知っている貴族というものは、エストやクレアが傍にいるときを除き、亜人と侮る一騎に謝罪をするようなことはほとんどない。つまり一騎個人へ謝罪をした初めての貴族が、このオルタスだった。一騎が反応を示すより早く、リズが口をとがらせる。
「ふ、ふん。どうせ試験なんだから、最悪、先生たちが助けに来てくれるはずだったから、お前があたしを助ける必要なんてなかったんだけど」
「お嬢様?」
「う……ありがとう、とても……その、嬉し」
「嬉しかったのですね、お嬢様?」
「違う! 助かった、そう、助かったわ。あ、ありがとぅ」
無表情に、されど目の奥にからかいの光を宿したユファを前に、顔を真っ赤にしたリズは、しかし顔と目を逸らすことなく、真正面から一騎に頭を下げた。語尾がちょっぴり小さくなったのは愛嬌として受け止めるべきであろう。
一騎が謝罪を受け入れ、和解が成立したことと今後の互いの発展をオルタスが告げたところで、料理が運ばれてきた。はっきり言おう。一騎の語彙力と表現力では「フランス料理のような」程度のことしか出てこない。
「ささ、イッキ殿、遠慮せずに食べてくれ。ラッカちゃんの料理に比べると劣ることは間違いないが、うちの料理人たちが腕によりをかけて作ったものだ。お代わりも無料だぞ?」
「はっはっは」
乾いた笑いしか出てこない一騎である。料理長と思しき壮年男性の頬がわずかに引きつっているのを、一騎は見逃さなかった。
余談として、《黄金の草原亭》ではパンとスープのお代わりは有料だ。無料にした時期もあったようなのだが、お代わりをしない客から「不公平だ」との苦情があったらしい。自分が損をしていなくとも、他人が得しているような気がすることが不愉快だったのだろう。
生まれて初めて食べるコース料理、生まれてはじめて経験するテーブルマナー、加えて満面の笑みを浮かべて話しかけてくるオルタスへの対応と、まったく慣れない状況に悪戦苦闘しつつ、一騎は運ばれてくる料理を楽しむことができた。意外と図太いのか、転生してから肝が据わったのか。
大精霊様と妖精のこと、学院でのリズの様子、四大公爵家であるカインとの諍い、などオルタスの質問は多岐に亘った。
リズの予想に反して、一騎は質問に整然と答えている。テーブルマナーに苦労しているのとは反対に、受け答えはそつがない。ラッカと、〈黄金の草原亭〉を訪れる客たちに鍛えられた成果であることをリズは知らない。
さほど威厳はないにせよ、仮にも伯爵と話しているのだから緊張するだろう、とのリズの予想は裏切られた。父の質問に答える一騎の横顔をそれとなく眺めていると、耳にまで熱が帯びるのを覚えた。
「……んんっ」
かすかに頭を振るリズ。
学院での一騎は落ちこぼれで、分不相応に大精霊様と教会――教皇と『剣鬼』の紋章と、大司教扱いされている宗兵衛のこと――の庇護を受けながら、カインに迷惑をかけているだけの目障りな存在でしかなかったのに、今、こうして父と会話を交わしている一騎は不思議と凛々しく見える。
なにかの勘違いだ、と懸命に否定しようとする度に、いくつもの映像が頭の中に克明に浮かび上がる。魔法を弾き飛ばされたことも、助けられたことも。さらには招待状の文面を書いていた自分自身のことも。
あのときはどんな気持ちで筆を取っていたのか、なにを期待して封をしたのか。そこまで考えて頭の熱が限界を超えた。大きく振るのはマナーに反するので、グラスを傾ける。よく冷えていて心地良い。
「おお、忘れていたことがあったな」
一騎との会話を楽しんでいたオルタスが手を打つ。
「いやいや、我輩としたことがうっかりしていたよ。イッキ君」
「はい?」
「どうだ、うちの娘の婿にならんか?」
「はぁっ!?」
「げっほ、こほ、っは、っはぁっ!?」
大きくした目をオルタスに向ける一騎とは違い、リズはそれはもう盛大にむせてしまった。ユファが無駄のない動きでリズの後ろに移動して背中をさすっている。
「いやぁ、我輩は毎日、君に娘を勧めていただろ? いつもは素っ気なかったイッキ君も、今日こそは気が変わっただろうと思ってな。ほれ、リズもまんざらではなさそうだとは思わんか?」
「このタイミングでそれを言うか!?」
確かに店を訪れる度、オルタスは娘との結婚を一騎に勧めてきた。もちろん一騎は本気にはしていいなかった。なにを言ってるんだこのおっさんは。とばかりに適当にあしらっていたのだ。
だってそうだろう。オルタスは人間で、一騎は亜人(という扱い)だ。エルフのような見目麗しい種族であったり、ドワーフのような高い技術力を持っているというのならまだしも、一体どこの誰が好き好んでゴブリン種の嫁に娘を勧めてくるというのか。
ましてや《黄金の草原亭》にいるときのオルタスは酒精が入っていることが大半であることに加えて、ラッカに鼻の下を伸ばしている風でもあったので、本気で言っているとは思えなかったのである。
「お父様、勝手なことを言わないで下さい! け、けけ、けっ結婚などと」
戸惑う二人のことなどお構いなく、オルタスは続ける。料理に使われている脂が、オルタスの舌の回転をより滑らかにしたようだ。立て板に水を流すが如く、次々と言葉を吐き出し続ける。
「イッキ君は将来性があると思うぞ? 努力家で、仕事にも真剣に取り組むし、度量も広そうだ。人として好感が持てる。リズの婿にしても、息子としても、イッキ君なら文句なしなんだがな」
「種族が違うでしょうが!」
「旦那様の血を引いているお嬢様なら大丈夫です」
「ユファ!」
オルタスは貴族としては珍しく、種族の差を気にしない質だ。身分の差もさして気にしていない。なんでもかつて、慣れない商売に手を出して大失敗したときに助けてくれたのが平民で、戦争で逃げ回っているときに亜人に助けられたとのことだ。
不甲斐ない自分を恥じ、反面、自分を助けてくれた平民と亜人には深く感謝し、差別感情はさっぱりとなくなってしまったという。ユファから後になって聞いた話だ。
けれどこれはオルタスの性質も関係していると、一騎は思う。学院で接する貴族生徒を考えると、平民や亜人に助けられたとしても、素直に感謝するとは思えない。むしろ平民や亜人が貴族である自分を助けるのは当然のこと、とふんぞり返っているイメージがある。
「愛があれば種族の壁なんてすぐに乗り越えられるだろ?」
「愛とか言うな! それに、あたしには好きな人が」
「シルファリオ家の坊主のことを好きだっつうのは聞いてる。でも我輩、シルファリオ家のことは気に食わないし」
「子供ですか! いえ、そもそもお父様がどうしてそのことを」
「わたくしがお知らせしました」
「ユファ!」
この日の食事は、貴族とは思えないほど賑やかかつ騒々しく過ぎていくのだった。




