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第五章:二十一話 さて、貴族の館

 圧倒される一騎だった。広大な敷地を囲う壁も、重厚と歴史とを調和させる門も、それ以前に、貴族たち上流階級が邸宅を構えるこのエリアの空気自体に、一騎は得も言われぬプレッシャーを感じるのである。


 貧乏人の僻みか、と問われれば、まさにその通りであるとしか答えようがない。


 しかも一騎は貴族の館に相応しい衣類など持ち合わせていない。辛うじて制服に身を包むだけだ。制服そのものはエストの手入れがあってパリッとしている。しているが、場にそぐわないことには変わりがない。


 一騎を不審がる門番に、リズから渡された招待状を見せる。確認すること約五分。屋敷の中から老年の執事が現われて、ようやく一騎は門をくぐることができたのであった。


「守衛が大変失礼をいたしました、イッキ様。ここよりはわたくし、ヘンドリクソン家家令のメグリアが案内いたします。ささ、こちらへ。お嬢様と旦那様がお待ちしております」

「し、失礼しまーす」


 挙動不審な態度のまま、家令の後をついていく一騎。敷かれた石畳も、手入れの行き届いた庭も、目に映る全てが洗練されている。学院も同レベルの調度なのだが、公共施設である学院と、個人の――女子の家ともなれば、受ける印象が違ってくる。すっかり足場を失っている一騎の耳に、


「おっほ、ようやく来おったか」


 やたらと聞きなれた声が響いた。一騎の視線の先にいたのは、〈黄金の草原亭〉に毎日のように訪れるお得意様、小太りの中年、オルタスだった。オルタスはいつもと同じ感じで手を振っている。いつもと違うのは豪奢な服やら宝石やらで着飾っていることだ。正直、あまり似合っているようには見えない。


「なにやってんだ、オルタスさん?」

「ふっふっふ。我輩がヘンドリクソン伯爵だ。遠慮なく尊敬し、問答無用で敬いたまえ」

「ラッカ姉ちゃんに出入り禁止にしてもらえばいいんだな?」

「やめて! 死んじゃう!」


 即座に手を合わせるヘンドリクソン伯爵であった。仮にも伯爵が平民の酒場に出入りしていいのか。一騎の内心の声が聞こえたのか、「ラッカちゃんのメシはうちのコックよりも美味いからな」と意に介しない様子で大笑いをしている。伯爵の隣では家令のメグリアがこめかみに手を当てていた。


 通された食堂は〈黄金の草原亭〉とは比べるのもおこがましいほどの空間だった。天井は高く、ふんだんに明かりを採用している。テーブルは結晶性石灰岩で作られており、飾られている花も花瓶も豪奢で、平民の一騎は敬遠を表情に出さないようにするだけでも苦労した。


 これから運ばれてくるであろう食事は、学院で一騎が密かに憧れて――学院の生徒たちが大精霊エストの手作り弁当に憧れていたとは露知らず――横目で見ていた「貴族の食事」に他ならない。エストとクレアが作る弁当に欠片ほどの不満もないが、貴族たちが笑いながら口にしている品々に興味が尽きなかったのも事実である。


「あれ? リズは?」


 見回してもリズの姿が見えない。


「俺、リズに招待されたんだけど?」


 よもや招待するだけで感謝はオシマイなどというオチではあるまいか。リズに対する印象が完全には好転していない一騎の考えを、オルタスが首を振って否定した。


「リズだったら部屋におるぞ。君が中々、来ないもんだから引っ込んでしまった。悪いが呼んできてくれないか?」


 オルタスの提案に一騎は元より、使用人たちも顔色を変える。


「お、俺が?」

「君が遅かったのが原因だし?」

「ぐ」


 二の句が告げない。せっかくリズから直々に招待状を受けておきながら、懐に入れたまま忘れていたのである。弁解のしようもなく一騎が悪い。リズの私室にまでメイドに案内される一騎であった。


 前を歩くメイドの背は日本人女性の平均身長より頭一つ分ほど高い。年齢は一騎より一つ二つ上だろうか。背筋は伸びていて、歩き方もしっかりしている。怜悧で冷たい印象は、彫刻のように微動だにしない表情のせいだろう。


 リズの部屋に到着するまでの間は居心地が悪い時間を過ごしそうだ、との一騎の予想はあっさりと覆される。メイドが話しかけてきたのだ。


「つかぬ事をお伺いいたしますが、イッキ様がお嬢様を押し倒したというのは本当でございますか?」

「どういうことなの!?」


 内容は予想もつかないものだった。メイドはやはり無表情のまま、抑揚のない声で先を続ける。


「いえ、同僚に聞いたところによりますと、イッキ様は魔法士試験中にお嬢様と一騎打ちを行なったとか?」

「そこは合ってるよ! で!? なんで俺が犯罪者みたいになってるの!?」

「お嬢様の魔法を打ち砕いたイッキ様は、ライブ中継なのをいいことに、勝利の暁にとお嬢様の純潔を散らさんと押し倒した、と館の中で噂になっております」

「途中でおかしくなってるからな! 魔法を吹っ飛ばしたのは合ってるけど、押し倒したことなんかねえよ! 道が崩れ落ちそうだったから助けようとして突き飛ばしただけだ。押し倒してなんかいねえっ。それと人がさも生中継を悪用したかの表現はやめろ! 人聞きが悪いにも程があるわ!?」

「そうだったのですか」


 肩でいい気をしつつも一騎は大きく頷く。どこをどう曲解すればここまで悪意に満ちた表現になるのか。


「コンディート市民百万人が視聴する前でお嬢様に辱めを与え、イッキ様と結婚するしかないように追い込もうと画策していたのではなかったのですね」

「俺、最悪の極悪人だな!?」

「ゆくゆくは伯爵家乗っ取りを企んでいるものとばかり思っておりました。もしそうなら全力でイッキ様をお支えしようと心に決めておりましたのに、勿体ないことをなさいましたね?」

「あんたはここのメイドだよな!? そんなに鬱屈した不満があるの!?」

「申し送れました。ヘンドリクソン家の使用人、ユファと申します」


 会話のキャッチボールが成立しない。いや、部分的には成立するくせに、相手が意図的に逸らしている。


「あの」

「こちらがお嬢様の部屋になります」


 せめて一言でも反論しようとした瞬間、リズの部屋に到着したことを告げられた。移動に要した長くはない時間、その全てをユファにコントロールされていた気がしてきた一騎だった。


 リズの部屋の扉は豪奢でないものの、貴族らしく金で装飾が施されている。使用されている木材も〈黄金の草原亭〉の物とは比較にならないほど高価に違いない。無学な一騎には確かめる術はないが。


「どうぞイッキ様。ノックを」

「え? あんたがするんじゃねえの……ですか?」

「お嬢様をお連れするよう、旦那様に頼まれたのはイッキ様だったと記憶しております」


 反論の余地などなかった。


 扉の前に立つ一騎はふと思い出した。女の子の部屋の扉をノックするなんてこと自体、生まれて初めての経験だと。ちょっとした緊張と共にノックする。


「お嬢様、ユファでございます。よろしいでしょうか?」

「!?」


 一騎は目を剥いた。


 ――――ユファ? ちょうどいいところにきてくれたわ。入って。


 一騎の目がさらに大きく見開かれる。反対にユファの態度は落ち着き払ったものである。では失礼致します、なんてさも礼儀を守ったかの言動を振りかざし、ジェスチャーで、さっさと部屋に入るよう一騎に促してくる。一騎が逡巡していると、こともあろうにユファは扉を開けてしまった。


「!」


 展開と驚きに体を硬くする一騎を室内に突き飛ばすユファ。


「「え?」」


 リズの長い髪の隙間から白い肌が見える。首筋から肩までが露わになり、一騎の視線が下に移動すると、腰や太ももが視界に入る。


 ようするにリズは着替え中だった。ユファに手伝いをさせる目的で部屋に入る許可を出したところ、入ってきたのはリズの予想もしない人物だったのだ。


 見つめあう形で立ちすくむ一騎とリズ。


 一騎の背筋を冷たい汗が伝う。一本だけでなく十本、二十本とまとめてだ。理性や危険からの逃走本能は、この場からの即時脱出を声高に主張し、だが肉体のほうがまったく動こうとしない。日頃から訓練で酷使しているからか、こんなときに限ってストライキでも起こしたかのようだ。


 硬直から立ち直ったのはリズが先だった。耳をつんざく悲鳴が上がる。


「ま、待て、これは」


 戸惑う一騎が弁解しようと一歩踏み出す。これがまずかった。リズは小さな悲鳴を喉の奥に飲み込むと、左手で何とか体を隠そうとしながら、右掌を一騎に向ける。両目は羞恥と敵意で爛々と輝いている。


「い、い、いい度胸ね」


 悲鳴の残響に続いたのは、学院でも聞いたことがないほどに震える声だ。顔が赤いのは当初こそ羞恥であったにせよ、今は怒りに取って代わられていることは容易に知れる。


「許さない……もはや……断じて……なにがあっても」

「誤解だ! 話せばわかる! 暴力はいけない、落ち着いて話し合おう!」

「お前の墓前で?」

「そう、俺の墓ぜうえぁぇぅぉ!?」


 水の魔力が集中していく。果たして刃として振るわれるのか、砲弾として打ち出されるのか。


「このっ変態がぁっ!」


 一騎の予想は両方とも外れた。リズは右手を握りこんだのだ。怒りに任せた魔力を贅沢に用いた渾身の右ストレートが放たれる。


 威力、速度、なにより迫力を前に、一騎は回避を諦めた。

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