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第五章:十四話 雑魚魔物たちを見る目

 会場には複数の部屋がある。学院長専用の部屋もあれば、皇族やシャトレーのような上級貴族だけの部屋もだ。


 もちろんのこと、賓客用の部屋もある。もし世話係がその部屋の近くを通りかかったら、室内から響いてきて調子っぱずれの笑い声に驚いたに違いない。


 賓客用でもっともグレードの高い一室の中では、常盤平天馬が腹を抱えて笑っていた。笑いすぎて横隔膜が痙攣してしまったほどだ。


 荒くなった呼吸を整えることに努力するなど、この世界に来てからは初めての経験だった。それも戦闘によるものではないとなると、二重の意味で笑いが止まらなくなる。魔法士試験に付きまとう、いわばお祭りとでも表現すべき空気が天馬を笑わせたわけでは、残念ながら、ない。


「見事なスタートだったじゃないか、ゴブリンのくせに」


 学生たちに混じって走り出した唯一の異物。貴族以外に平民も一緒に参加する試験であっても、さすがに魔物が参加するなど、滑稽にも程がある。


 亜人という括りにも驚いた。今の常盤平一騎は魔族側に召喚され転生した、正真正銘の魔物だ。種族を偽るなんて危険を冒してまでどうして試験に参加しているのか。理由が気になった天馬だが、すぐに切り捨てた。どうでもいいことだ。


 自分は勇者。


 一騎は魔物。


 勇者は魔物を殺す。


 魔物は勇者に殺される。


 殺す相手が血を分けた双子の兄弟であっても、そんなことは勇者の役目を放棄する理由にはならない。


 天馬は勇者として数多くの魔物や反逆者を殺している。その中には同じ高校出身者も三人いた。


 一人は理性を失った完全な魔物となっていた相手で、死体が持っていた所持品から同胞だとわかったのだ。


 もう一人は助けを求めてきた。人としての理性を保ったままの、人の側で勇者として扱われている天馬を唯一の救いだと縋ってきた相手を、その場で殺してのけたのである。


 魔物になったものを元に戻す方法はない。殺してやるのがせめてもの情けだ。なによりも、魔物が仲間や友人呼ばわりして近付いてくるなど、勇者としての己の名誉名声に傷がつくではないか。


 最後の一人は、同じ勇者だった。精神だけではなく姿形も立場も紛れもなく人間だ。今更、兄弟という事実は手を緩める理由にはなりえない。


「いや、魔族の企みにより魔物に変えられた兄弟を殺さざるを得なかった、てのは物語の主人公に相応しい悲劇性かもな」


 天馬にとって一騎は、血が繋がっているというだけの他人だ。親しいどころか、同じ血が流れていることが不愉快で仕方ない。


 優秀な両親と、良好な環境。同じものを与えられていながら、圧倒的に劣る兄を心底から軽蔑していた。劣っている状況にありながら、勉学に励むよりもゲームや漫画に熱中する様には、殺意すら沸いたものだ。


 この世界だと魔物を殺しても罪にはならない。今、この場で殺すべきか。鎌首をもたげた考えを、頭を振って追い出す。魔法士試験は帝国にとっても一大イベントだ。亜人――本当は魔物だが――の参加は常以上の注目を集めるものと考えられる。


 下手な介入は天馬が本拠とする王国、あるいは勇者を管理する教会と、試験主催者の帝国との関係を悪化させかねない。残念なことだが、このタイミングで手を出すことはできそうになかった。会場を走り出て行く小鬼の背中を憎々しげに見やり、本当に残念極まりない、と呟いた。


 ドアがノックされる。簡潔なやり取りの末に入室してきたのは、帝国軍務大臣シャトレー・パルス・シルファリオだ。


「楽しんでもらえておりますかな、勇者テンマ様」

「もちろんです。これほどの数の才能が一つの試験に取り組む光景は初めて見ました」


 元の世界では高校生が一斉に受ける大学入学共通テストを思い出す。あれも見ようによっては異様な光景だ。


 当初、レメディオス王国が勇者を召喚したことは秘密にされてはいた。しかし勇者を成長させるために魔物の討伐をはじめとする複数の作戦に投入したことで、王国が強力な武力を有していることが知られるようになる。


 国際社会からの矢面に立たされることを懸念した王国は教会に泣きつき、教会は天馬を含む何人かの召喚者を勇者として認定したのだった。数にして七人が勇者として公表され、その中でも天馬は勇者の筆頭として紹介されている。


「ご子息のスタートも凄かったですね。最初からトップ集団だ」


 天馬の言葉にシャトレーは微かに口角を持ち上げただけだ。穏やか笑みではなく、自信と威厳に満ちた笑み。シルファリオの血を引いているのだから、できて当然のことに過ぎない。賛辞を受けるには及ばないということだ。


 軍務大臣閣下の細められた目は下方に、恐らくは息子たちに向けられているのだろう。整った表情に僅かに苦みばしった感があるのは、息子がクラス内で繰り広げた諍いに起因していたが、知る由のない天馬は関心の長続きしない疑問を覚えただけだった。


 シャトレーにとってもカインの起こしたトラブルは、意識を割くのも煩わしい些事でしかない。なにしろ今年の試験は勇者テンマが見学に来ているというだけでも、国際的な注目を集める。国内的には公爵家子息のカインと、史上初の亜人であるイッキが参加している事実が重い。ここ最近で、もっとも政治的な意義を持つ試験と言っていいだろう。


 軍務大臣のような政治家たちにとって魔法士試験そのものは大して重大なことではない。事前の資料などから、合格するであろう生徒たちは予想されているからだ。


 コンディート市の大部分の人間とは違い、シャトレー達は魔法士試験を楽しむことを目的とはしていない。


 試験を見に来るものたち、諸外国の使者たちにこそ最大の関心があった。試験に乗じて帝国を訪れる各国要人たちとの会合こそが目的である。


 使者の立場や格は帝国への注目度を表し、同時に帝国とどのような関係を望むかをも表しているのだ。勇者テンマだけではなく、ウィスランド皇国からは第三皇子、エルタス王国からも第二王女が帝国に来ている。


 帝国全体が厳戒態勢に入っていた。



                    

 男の細い目は獲物を見据えていた。公爵家の当主であり軍務大臣のことだ。厳密には最終的な目標を睨みつける男の視線は、濃厚な憎しみと激しい怒りによってのみ彩られている。男は祈りを囁く。周囲の誰にも聞き取れない声量で行なわれた祈りが、ゼーリッシュ教のものであるとは悟られなかった。


 六十年前の戦争で祖国を滅ぼされたことを、男は父母や祖父母から聞かされて知っている。父母らの言葉は帝国への怒りに満ちており、同時にゼーリッシュ神への信仰に溢れていた。


 男はいつしか、王国内の各所に作られたゼーリッシュ教の地下教会へと出入りするようになる。帝国の官憲の目を逃れて地下教会へ通い、通う度に帝国への怒りと憎しみは増し、男の胸中には、男にとっての正義の炎が激しく燃え上がるようになった。


 男の人生は憎悪と怒りに塗れ、かつ、駆り立てられるように走ってきた。


 帝国人からすれば珍しい生き方かもしれないが、ゼーリッシュ人にとっては特筆するような生き方ではない。


 祖国を滅ぼされた彼らが望むのは祖国復興と、祖国を滅ぼした帝国への報復であることが大半だ。


 壮年の段階になった男はしっかりと未来を見据えていた。ただし、血塗られた未来だ。六十年前にゼーリッシュ人の血が多く流された。今度は帝国人の血が多く流される。もちろん、かつて流されたゼーリッシュ人の血と比較して、十倍以上になることを目論んでいる。


「そうでなければ釣り合いが取れない」


 本気で男は確信していた。男の細い目は毒の鑢のような眼光を放っている。向けられる先は軍務大臣だけではなく、無邪気に試験を楽しんでいる観客たちも含まれていたが、この瞬間、ようやく今回の作戦目標たちに向けられた。


 一斉にスタートを切った魔法士候補たちである。


 夢と希望とやらを抱いて走り出した彼らの顔を男は知っている。一人残らず、だ。何年もの間、学院の中で教鞭を執ってきたのは、正にこれが目的だった。


 丁寧に後ろに撫で付けられた髪をさする男――王国史を教えるベルカンプ講師の口元が薄い笑みで引き結ばれる。


 ベルカンプにしても、叶うならば皇帝家の人間や四大公爵家の当主たちを真っ先に殺してやりたい衝動はある。実のところ、この衝動を抑えるのにはベルカンプ自身も相当な苦労を強いられ、現実を前にしてようやく抑えることができたのだ。


 すなわち、皇族や公爵家当主たちの暗殺は極めて困難である、との現実だ。


 警備も厳重であることに加え、皇族や四大貴族たちは皆が高い実力を持つ魔法士だ。残念ながらベルカンプの抱える戦力では相手にもならない。


 だからといって引き下がることはできない。脳髄を焼き焦がすかの怒りは、ままならない現実を前に一層、激しく燃え上がる。どうにしかして帝国と、帝国を牛耳る連中に痛撃を与えることはできないか。


 ある。


 この魔法士試験こそが彼の導き出した結論だった。


 公爵家の血筋を、跡取りを殺す。小面憎い帝国人共の心身に与えるダメージは計り知れず、同時に連中の未来を絶つこともできる。実に素晴らしい考えじゃないか。


 それからのベルカンプはひたすらにチャンスを待った。公爵家の子供が入学してくるまで待った。学院内外では警備の目があったので行動を控えてきた。登下校時も同様の理由で見送ってきた。歯がゆさに頭の血管が切れそうになりつつも、志を同じくする仲間を集め、数年がかりで計画を進めてきた。


 いよいよ結実のときを迎える。ベルカンプの心中は積年の怒りと歓喜とが複雑に混じり合い、何色を示しているのかは遂に本人にも分かることはなかった。

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