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第一章:十二話 弟は勇者に ~中編~

 ボストークは温和な表情と目付きのまま言葉を切り、一同を見回す。生徒たちはざわつきながら隣席の級友たちと言葉を交わしている。例外は三人。常盤平天馬、市川瑛士、修学旅行へ随行する教員の田名部で、彼女は抗議の声を上げた。


「生徒たちに戦争をさせようってことですか! 冗談じゃありません。魔族だとかどうとか頭のおかしいことを言ってないで、早く私たちを帰して下さい!」


 田名部の発言にボストークの目が一瞬だけ細くなる。彼女の発言が大神アルクエーデンや教義への侮辱になっていることに、彼女自身は気付いていなかった。気付いたのは隣に座る出口である。


「た、田名部先生、お、落ち着いて下さい」


 顔を青くした出口教諭が声を潜ませてなだめる。


「これが落ち着いていられますか! 出口先生こそなにをしているんですか。先生が一番年上なんですからもっとしっかりしていただかないと!」

「い、いや、しかしですね、そんな頭ごなしに相手の言い分を否定するのもですね」

「確認したいことがあるんだが、いいか?」


 教員どうしの口喧嘩を無視したのは市川瑛士だ。市川はボストークに視線を向け、てはいるが同時に、上座に座る二人の美少女に頻繁に視線を送っていた。人生経験の浅い若造でも気づく不自然さを、ボストークは薄い笑みの中に飲み込んだ。


「わたくしめにお答えできることならば」

「簡単さ。おれはどうやったら元の世界に帰れるんだ? その方法をあんたらは知っているのか?」

「申し訳ありません、勇者様。戻りたいとのお気持ちはお察しますが、現状では帰還することは不可能です。現状の技術では呼び出すことはできても、帰すことはできないのです」


 恐らくは全員がしたがっていた質問と、質問への返答に大広間が凍り付く。


「嘘、だろ……」


 どこからともなく呟きが響き、呟きは周囲に伝播し、困惑と不如意に耐えてきた彼ら彼女らの我慢は決壊する。


「帰れないってどういうことだ!」

「そっちの都合なんか知るか! なんでもいいから帰せよ!」

「そうだそうだ!」


 大広間に感情が爆発する中、常盤平天馬と市川瑛士だけは違った。内面は必ずしもそうではないかもしれないが、少なくとも天馬の表面上は落ち着いて見える。


 市川は喜色が広がる顔を俯いて隠そうとしていた。天馬はおろか、市川の両親たちですら知りようもない事実として、市川が慣れ親しんでいるものに、『なんらかの理由で異世界に移動した主人公が活躍する』といったジャンルの小説やゲームがある。今まさに手に取り続けてきた物語と同じ展開になったことで、市川はこんなことを考えていた。


(ぷ、ぷくくく、ぷっほ。いやいや落ち着け、市川瑛士、笑っている場合じゃないぞ。これは最高のチャンスが目の前に転がってきたと考えるべきだ。勇者って立場と、無理やり連れてこられた被害者って立場を最大限に利用してやるのも当然だよな。場合によっては勇者が敵に回ることになるぞとか言えば、好き勝手にできるだろうさ。ここまでテンプレなんだからこの後も似たような展開だろうし、それに王女様たちも可愛かったよな。くひひ、勇者様に見合う女っつったら、王族か上位貴族と相場が決まってる。ハーレムとかもできるといいが……くひ、くひひ、まさかこんなおいしい事態が舞い込んでくるとは。待っててね、王女様たち、お前らは二人ともおれの前で股を開くことになるんだからな、くひひひ)


 人の心を読むことのできない天馬でも、市川がこの状況を受け入れ愉しんでいることが容易に見てとれる。ならば、と市川が展開を動かすだろうと天馬は考えた。


 事実、市川は早々に動いた。大袈裟に机を叩いて立ち上がる。場が静かになるのを見計らってから、俯けていた顔をボストークに向けた。


「話はわかった。けどな、そちらの事情だけを押し付けられても困る。こっちにはこっちの事情がある。話を聞いた限りだと魔族とやらとの戦いには危険が伴うんだろ? おたくらが勝手に呼び出して、勇者だとかに祭り上げて、それでおれたちに命がけの戦いをしろってか? 随分と都合のいい話じゃねえかよ」


 せっかくの糾弾めいたセリフも、市川の顔がこれからのことについて期待に紅潮しているとあっては意味がない。


「そもそも勇者になることを了承した覚えもない。そっちが勝手におれたちを勇者だと呼んでいるだけだ。滅びがどうとかいうのも勝手にすればいい。おれたちにはどうでもいい話だ。違うか?」


 天馬は市川の事情を概ね把握した。市川はこの状況を喜んでいる、嬉しがっている。口先はどうであれ、内心では大喜びなのだと結論付けた。


 同時に今まで大した接点のなかった市川なる人物の評価も定める。


 まず初対面の相手に『俺』なんて一人称を使っている時点でダメだ。豪快な人物か、豪快さを装うだけの小心者か、単なるアホか。いずれにせよ、国王や上位貴族に上位聖職者、つまり社会的地位の高い人物たちに対してそういった言葉遣いをしているのだから、市川瑛士は極めつけのドアホでしかなかった。


 ましてや喜色を隠し果せることもできていないとあっては、呆れてしまうほかない。


 天馬の知る市川は実兄の一騎同様にオタクだ。学校にタブレットゲーム機を持ってきて没収されたこともあれば、アニメキャラのプリントされたシャツを着て得意気にしていたこともある。


(なるほど、ゲーム好きのオタクにとって、この状況は夢が叶ったというところか)


 大広間中の視線が市川に集中する。学校での姿からは想像もできないほど、市川は堂々としていた。根拠があってのことではなく、単に自分の知る状況に酷似していることから、気が大きくなって舌がよく回るようになっているだけだ。


 市川の大して鋭くもない視線を受けたボストークが深々と頭を下げる。


「まことにもって勇者様の仰る通りです。この世界の住人ではない勇者様方にこのようなことをお願いするのは、甚だ見当違いであることは承知しております。ですが、ですがお願いしたいのです。いや我々にはお願いするしか他に道がないのです。何卒この世界と我らをお救いいだだけませんでしょうか?」

「余からも頼む、勇者たちよ」


 ほとんど沈黙を守ってきた国王が口を開く。


「魔族との戦いが本格化すれば、罪なき多くの民が傷つき、あるいは命を落とすだろう。勝手であることは重々理解している。国王として貴公らには十分に報いることを約束する。どうか力を貸してほしい」

「勇者様方、どうか我々をお救い下さい」


 レティシア王女も頭を下げる。


「お願いします。我々には、世界には勇者様方のお力が必要なのです」


 次いでリュシエラ王女も頭を下げた。


「むう」


 市川が言葉に詰まる。眉根を寄せ、一見すると渋面めいた表情からは、交渉しようとの考えが丸わかりだ。


「しかしだな、おれたちはこの場に呼び出されただけだろう? 勇者かどうかは知らないが、魔族と戦えるような力なんて持っていない」


 市川の言葉に他の生徒たちも頷く。彼ら彼女らはあくまでも一般生徒でしかない。


「歴代の勇者様方は召喚に際して、大神アルクエーデン様より膨大な魔力と、宝装と呼ばれる武具が下賜されていました。その力は絶大で、魔族を焼き払い、闇を切り裂き、人々の導きの光となったと言われております。今代の勇者様方にも同様の力がおありでしょう」


 ボストークの説明に天馬は得心がいく。この世界に来てからというもの、妙に力が漲っている感覚があったのだ。我知らずテンションが上がっているせいかとも考えていたのだが、どうやら別の理由、膨大な魔力とやらによるものらしい。


 市川も実感しているのか、拳を開いては握りしめる行動を何度も繰り返している。


「確かに力は感じるがな……だからといって戦わなければならない理由にはならんだろ。あくまでもそっちの問題であって、おれたちには関係のない話だ」


 物怖じせずに主張する市川を、天馬は冷めた目で見ている。


 天馬には市川の求めているものが大体わかっていた。自分をより高く売りつけようとしている。相手方がお願いしている立場ということを必要以上に弁え、最終的には特権やら報酬やらを引き出した上で、勇者を引き受けるつもりなのが透けて見えていた。


 当然、国王やボストーク、貴族連中にもバレバレだろう。ただ一人、市川本人だけが自分の滑稽さに気付いていない。


 溜息を噛み殺した天馬が立ち上がる。ゆっくりとした所作に生徒たちの注目が集まり、特に市川は目を丸くしていた。


「いつまでも話ばかり続けていても仕方がないでしょう。ボストーク大司教、私どもはこの世界の事情や常識に詳しくありません。加えてこの世界での生活基盤もありません。これらの点に関して、王国や教会から全面的な理解と協力を得られるのでしょうか?」


 天馬は事情も常識もまったく知らないくせに、詳しくない、と表現を置き換えている。全面的な理解と協力、という表現には、自分たちの社会的な立場や経済的な援助を、王国や教会が保証するのかという意味も含まれている。ボストークは鷹揚に頷いた。


「もちろんでございます、勇者様。魔族を打倒し世界を守るため、勇者様方への協力を惜しむものではございません。それは真正聖教会のみならず王国も同様にございます。また、帰還の方法についても必ず探し出します」

「そうですか……なら、私は勇者としての役目をお受けしようと思います。この世界の人々が困難に直面し、私にそれを打破する力があるのなら、放っておくなんて真似はできない。人々を、世界を救うために戦おうと思います」


 天馬はゆっくり且つはっきりと宣言した。別に勇者としての使命感に奮い立ったのではなく、この状況で王国や教会を敵に回すことになると、一番困るのは自分たちだと悟っているからだ。


「ただ、いくら勇者でも一人では心許ないからな。協力してほしい。頼めるか、みんな?」


 天馬は近くに座る神月たちに、困ったような微笑を浮かべた顔を向ける。父親の教育なのかなんなのか、常盤平天馬はカリスマ性と、カリスマ性を利用する術を心得ていた。


「はぁ、それしかないわね……天馬一人だと危なっかしいし、手伝ってあげるわよ」

「ありがとう、瑞樹」


「瑞樹ちゃんがやるなら私も頑張るよ、うん」

「巴……助かるよ」


「色々と気に食わないけど、やるしかねえわな」

「頼りにしてるよ、公仁」


「しゃあねえな。いつもテスト勉強を手伝ってもらってるからな。涙をちょちょ切らせて感謝しろよ?」

「ああ、全員の荷物持ちをよろしくな、宗篤」

「おいぃ!」


 常盤平グループの四人が賛意を示したことが決定的な流れを作る。田名部教諭が最後まで抵抗するも効果はなく、他のクラスメイトたちを賛同の波が飲み込むのはあっという間だった。


 焦ったのは市川だ。


「ま、まあ勇者として力を貸すのは吝かじゃない。ただしだ、そちらも約束は守ってもらうぞ? あと、あんたらが間違っていると判断したらいつでも抜けるからな」


 主導権を根こそぎ持っていかれたことへの狼狽か、存在感を示そうとして締めの発言をしたのだが、声は明らかに上ずっていた。

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