第四章:十二話 ゴブリンロードとベート
山砦のガラスのはめられていない大きな窓からゴブリンロードが睥睨するのは、自分が率いている部下たちだ。
部下たちと、部下たちが虜囚を嬲り殺しにしている場面が広がっている。
ゴブリンたちがけたたましい哄笑を上げながら追いかけまわすのは、他のゴブリンであり、ウルフであり、他の魔物であり、人間だ。魔物たちはゴブリンロードの傘下に入ることを拒否した元敵対者たちで、人間はゴブリンロードの支配下に入り込んだ不運な村人たちだ。
種族の違う彼らだが、今は共通した感情を全身で表現している。
すなわち恐怖を。
顔は引きつりながらも個々のパーツは別の動きだ。涙に濡れる目は見開かれ、口はだらしなく開けられて悲鳴すら漏れ出さない。全身からは汗と血と体液、個体によっては腹にできた隙間から臓物が流れ、土と草の多い地面を赤黒く汚している。
獲物を取り囲むゴブリンたちの顔には、いずれも強い優越感が満ちていた。最下層の魔物として常に他者から奪われる側だった彼らが、過去に例のない規模で徒党を組んだことで、奪う側に回ったのだ。
滅多に得られない快楽に酩酊しているゴブリンたちは、各々が好きな得物を振り回す。剣、槍、弓矢、斧、鎌、鞭、棍棒、農機具、投石器、大きめの石、素手の個体もいる。
投擲された石が逃げるゴブリンの頭を強かに打ち、ゴブリンは短い呻き声を上げて地面に転がった。瞬く間に狩人たちがゴブリンに群がり、様々な形の暴力を嵐と浴びせる。
振り下ろされたピッケルが人間の腹に食い込む。ピッケルの先端には引き摺り出された腸が伸びている。ゴブリンたちは噴き上がる人間の血で喉を潤し、引き摺り出した腸を咀嚼し、飲み下す。腹を裂かれた人間は、恐怖と絶望と血液に塗れた体を立たせておくことができなかった。自分の血の池に沈み、群がるゴブリンに食い散らかされ、五分の後に残ったのは僅かな肉片だけ。
本能に突き動かされるままに繰り広げられる狂態に、ゴブリンロードは大きく何度も頷く。力あるものに相応しい行い、力ある己の部下に相応しい所業である。
『王様』
ベートの静かな声がゴブリンロードの鼓膜を震わせた。
『どうした、我が右腕、ベートよ?』
『は。知らせておくべきことが』
ベートが話したことは部下のゴブリンから上がってきた報告によるものだ。勢力拡大を図って方々に出された隊の一つが逃げかえってきたというのである。
この報告はゴブリンロードを激怒させた。ゴブリンロードが群れを掌握して以来、順調に拡大してきた勢力が、初めて受けた挫折だからだ。
『ギルマンだとぉ!?』
『は、ははぁっ!』
怒れるゴブリンロードの前に引っ張り出された隊長の顔色は悪い。隊長はゴブリンロードのことをよく知っている。短慮で、我慢ができず、非常に怒りっぽい上に、持て余した感情を即座に暴力へと変化させる。隊長が元から所属していた群れも、ゴブリンロードの怒りと癇癪を受けてかなりの数を減らしているのだ。忠誠心などは持っていない。ただただ大きな暴力に屈する形で従っているに過ぎない。
『ギルマン如きに、追い払われて逃げてきたのか!』
不本意不愉快な事実だった。ギルマンは大して強い魔物ではない。陸上ではゴブリンにすら後れを取りかねない雑魚、しかし水場においてはゴブリンを遥かに凌駕する。
だからといって甘受するだけの度量をゴブリンロードは持ち合わせていない。
固く拳を握り込み、空気を吐き出すだけの乱暴な咆哮と共に報告に来た部下を殴りつけた。部下の鼻は折れ、何本もの歯を飛ばしながら床を転がる。怒りに荒れる呼吸を整えることも諦めたゴブリンロードが大声を張り上げた。
『ギルマン如きに狼狽えるな! より多くの兵を投入して捻り潰してこい!』
『ひゃ、ひゃいっ!』
真っ赤になった顔の下半分を抑えながら部下ゴブリンは転がり出て行った。その無様な姿が一層、ゴブリンロードの苛立ちを掻き立てる。
自分は苦難を乗り越えた末に、ゴブリンとしてはあり得ない大勢力を築き上げたのではなかったのか。圧倒的な数による、これまでの苦渋の一切を覆せるだけの。
ゴブリンロードも元を辿れば、トロウルに追い立てられて森南部に逃げてきた敗北者だ。それがいくつかの偶然と時流が味方したことで、他の群れを多く吸収することに成功、一大勢力を築き上げた。ゴブリン単体や、従来程度の規模の群れでは手に負えない相手をも、数で圧倒できるようになったのだ。
ゴブリン種だけでも数は五千を超え、傘下の魔物も含めると総数は一万に上る。これまで、ゴブリンといえば狩られるだけの弱者でしかなかったが、今なら自分たちを雑魚と見くびっていた人間共の村や拠点を平らげることも、他の魔物を踏みにじることも容易い。
ゴブリンロードはいずれ、空前の戦力をもってしてトロウルに反撃、これを駆逐して魔の森に覇を唱えることを目論んでいる。
新時代の魔の森の支配者に相応しい拠点として、山砦を手にれるところまではほぼ順調に物事は進んでいたが、ここ最近は従来の勢いに陰りが見られ始めていた。
間抜けな部下が報告してきた、水場確保失敗もその一つだ。一万の兵の喉を潤すだけの水は重要なのに、狙っていた水場にまさかギルマンが現れようとは。ゴブリン同様に下級魔物のギルマンは、水場に限るとゴブリンに大きく勝る戦闘力を発揮する。
それでも、これまでは相手を凌ぐ兵力を出せばあらゆる物事は片付いていた。しかしこのギルマンたちは、ゴブリンロードも知らないほどに狡猾で執拗だった。こちらが数で攻めるとさっさと逃げ出し、水場を手に入れたと油断したところに奇襲を仕掛けてきた。それも水中からの攻撃だったのでゴブリンたちは有効な反撃をできず、体力と士気を削られていったのだ。
そもそもどうしてこんな場所にギルマンがいるのか。
ゴブリンロードの知る限り、ギルマンの生息地は湖のはずだ。森南部の、こんな場所に生息しているなど聞いたことがない。いや、湖ではリザードマンが攻勢を強めているというから、もしかすると逃げ出してきた群れであるのかもしれない。
ゴブリンも魔物の常として、他者から略奪する。だが雑魚であるが故、襲いやすそうな相手を見つけることに力を割く。湖というギルマンにとっての最大のアドバンテージを捨てて、森の中を歩いているような連中を見逃すとは。斥候の連中は見せしめに殺してやる。
煮えくり返るはらわたに誓うゴブリンロードの視界、砦の窓から覗く切り取られた空に、魔物が浮かんでいる姿が飛び込んできた。
ハーピーだ。
あの鳥魔物の姿もゴブリンロードには不愉快だった。空を飛ぶハーピーの生息範囲は広く、砦周辺に現れても不思議ではない。だからゴブリンロードを不愉快にさせているのは別の理由だ。
ハーピーのあの目。狩りをする前に得物を見定めているのに似ている、しかし決定的に違う目には覚えがある。
あれは偵察だ。砦周囲を飛行し、こちらの情報をいろいろと集めているのだ。ハーピーがゴブリンを襲うことはよくあるが、あそこまで慎重に情報を収集することは考えられない。あれではまるで、狩りではなくこの砦を攻め落とそうとしているようではないか。
上空に姿を見せるハーピーが少しずつ数を増やしていることも気になる。不安に晒されたのかなんなのか、ゴブリンロードが強固な支配を築いたと確信していた群れから、特に植物系の魔物が逃げ出している事実も神経を逆なでしてきた。
『鬱陶しい』
なにかが起こっていることをゴブリンロードは悟る。具体的になにが起こっているかまでは見当がつかない。ただ魔物の本能として、空気中に争いの匂いが漂っていることだけは感じ取れた。
『気にすることはございませんよ』
生前なら多くの信者に向けて十分な効果を発揮してきたベートの声と表情も、顔を隠した襤褸の下からでは誰の心も打たないだろう。だからゴブリンロードがベートの言葉に耳を傾けるのは、これまでの実績によるものだ。小さな躓きはあっても、次の瞬間には克服してきた。しかも今ではローリングストーンという強力な戦力が追加されている。
『なにかが起きているというのなら、これまで通り、平らげてしまえばよろしいのです。王様ならばそれができます』
根拠のある言葉だ。二人三脚とまではいかないまでも、ゴブリンロードとベートは組むことで初めて、ここまでの成功を掴み取ってきたのである。
万の兵を統率するゴブリンロードと、作戦を提供してきたベートのコンビは、少なくともここまでは破綻を認めていない。ベートの口だけでなく襤褸から覗く表情と全身からも、黒く濁った笑みが浮かび上がる。
『私は奴らの正体を知っております。森の中を這いずり回っているときに知ったことですが、あれはゴブリンとスケルトンが作った勢力です』
黒く濁った笑み、は表面に出てきた分だけだ。かつて緑川と呼ばれていた肉体の内側では、強い怒りが渦巻いていた。自分から成功を奪ったあの魔物たちと、恐らくは一緒にいるだろうブラウニーに対する、身勝手な怒りだ。
『ゴブリンはともかく、スケルトンが群れを作るのか?』
『特異種とうやつでしょうな。一部のゴーストのように喋ることもできる個体とのことですが。ゴブリンのほうも、並のゴブリンよりかは強力らしいです。予想外に勢力が強くなったので、このまま次は王様も倒してしまおうとでも増長したのでございましょう』
転生者という事実は伏せておく。ゴブリンロードがいらぬ考えを抱いて、転生者を傘下につけたいと言い出されてはたまったものではない。
ベートにとって、あの二体は憎い憎い仇だ。長い間、魔の森を彷徨うことしかできなかった自分を救い出してくれた、救い出してくれるはずだった菫を殺した仇。そして、転生者である緑川の肉体を手にするきっかけともなった連中だ。
自分が抱いた夢を砕いた報いを受けさせる。同時に転生者の肉体を得た今の実力をはっきりと実感したい。
二つの意味において、必ず殺さなければならない相手だ。あのときよりも戦力は増えているだろうが、ゴブリンロードが築き上げた勢力ほどだとは考えにくい。それほどの勢力になっていれば、今までに耳に入らないはずがないからだ。十分に駆逐できる今のうちに、きっちり片付けておく。
『小癪な連中め。森の覇者たる我に挑むというのなら、目にものを見せてくれる。ゴブリンは首を刎ねる。スケルトンは砕いて川にでも捨ててくれるわ』
自信と確信に満ちたゴブリンロードの言動だ。魔の森南部に一大勢力こそ築いているものの、トロウルが暴れまわる北部には手を出せていない。にもかかわらず、己が森の覇者であると宣言するのは、ゴブリンロードの持つ野心の大きさを表している。
ゴブリンロードの思考が思い通りに進んだことに、ベートは満足した。




