第四章:十話 戦い
魔の森と呼ばれる場所、鬱蒼と茂る木々の下を何本もの足が駆け抜けていく。年若い男女が二人ずつ、いずれも武装した彼らは、少なくとも森に立ち入る前よりも明らかに顔色が悪い。安くない金を払って手に入れた武器も、有効に使えていないと見てとれる。
冒険者組合で受注した依頼書によると、この仕事の危険度は下から数えたほうが早かったはずだ。魔の森南部で蠢動しているゴブリンを片付けるだけの、絶対安全ではないにしろ、まだ楽な仕事だったはず。
四人組は冒険者登録して二年ばかりになるパーティだ。去年一年間は他にベテラン冒険者が二人、指導員的な役割を持って加入していたが、先々月に契約を終了している。今回の仕事は四人だけで受けた初めての仕事だった。
森に入るまではなんらの問題もなかった。森までの道中にもトラブルらしいトラブルは存在せず、おしゃべりによる和気藹々な――新しく買った武器を見せびらかしたり、食堂で異性に迫られたことを自慢げに話したり―――空気を纏いながら歩いてきたのだ。
ペイジもマルチナもザックもメーガンも初心者ではない。英雄的な活躍こそしていないにしろ、いくつもの依頼をこなしてきた。その中には魔物退治ももちろん含まれる。ゴブリン程度の雑魚魔物なら何度も追い払ったし、未熟なペイジの剣でも首を切り飛ばすことに成功している。
そんな駆け出し時代に、ある依頼を受けたことがあった。このときはまだメーガンはパーティに参加していなかったが、それぞれに訓練を重ねてきていたペイジ、マルチナ、ザックの三人には自信があった。
冒険者になった最初の頃に特有の、根拠のない自信に溢れていて、駆け出しも駆け出し、実戦経験のないままにゴブリン退治を引き受けてしまったのである。いや、ゴブリン程度の雑魚に後れを取ることはない、ゴブリンを斬ることで実戦経験を積んでいこう、と付け上がっていると叩かれても仕方のない考えを持っていたのだ。
魔物と戦う前から、油断と慢心という大敵に負けていたペイジたちは、草むらに潜んでいたゴブリンに気付かず、不意打ちを受けてしまう。実戦への高揚よりも、初めての戦闘、それも総崩れによる敗北と死に直面したことでペイジたちは強いパニックに叩き落とされる。
偶然、近くにC級冒険者がいなければ、少なくとも仲間の半分を失っていたことだろう。
このことでペイジたちは楽観の危険性を覚え、以後は、ときに駆け出し仲間から臆病と謗られるくらいに慎重になる。メーガンが加わり、ベテランに教えを請い、同行を頼み込み、安全を担保に取って、コツコツと仕事に取り組んできたのだ。
慎重に、しかし確実な結果を残してきた彼らにとって今回の仕事は、助っ人のいない、四人だけで行う久しぶりの仕事だった。決して油断はしないと思いつつも、いくつもの依頼をこなしてきた自信と、ようやく一人前になったという思いとによって、知らず知らずのうちに、ペイジたちは弛緩していたのである。
悪名高い魔の森に入ってからは少しばかり警戒の水準が上がり、それにしたところで相手がゴブリンだという事実から、油断は抜けきっていなかった。
そこを襲われたのだ。
人間は親からの影響を受けやすい。概ね、もっとも傍にいるのが親だからだ。ペイジも親の影響を色濃く受けた。冒険者の道を決めたのも、未だ現役冒険者を続けている父親の姿に憧れたからに他ならない。
得物も父親と同じ長剣を選び、幼い頃から父親の手ほどきを受けてきた。実戦経験こそ乏しいものの、技倆は先輩冒険者である父親のお墨付き、D級程度の冒険者となら互角以上に戦える。憧れの父親から、冒険者としても十分にやっていけると許しを得て、友人と共に心躍らせて冒険者組合の扉をくぐった日のことは、今もって鮮明な出来事だ。
文句はただ一つ。
登録をした冒険者組合が地元だったので、周囲には父親のことを知っている人物ばかり。父親を通じてペイジのことも知っていて、散々にからかわれたことだ。むず痒く、赤面もしたが、無事に冒険者になり、故郷を出ることもできた。
雑用のような仕事も片付け、偶発的な戦闘も切り抜け、自信も経験も身に着け、遂に今回の依頼を受けるに至る。相手がゴブリンのような雑魚魔物であるならば、五体以上を同時に相手取っても斬り伏せられると考えてのことだ。
ペイジの自信は概ね正しい。ペイジが身に着けた剣術を使いこなせれば、ゴブリン程度の魔物は五体どころか十体を一人で倒すことも可能だろう。
ただしそれは、相手が近接戦闘を行うことが前提だ。弓矢や魔法で攻撃をしてくる手合いがいると、この計算は容易に狂う。無秩序に集団で襲いかかってこられた場合も同様。更には森のように長剣を振り回すのにふさわしくない地形とくれば、ゴブリン以外の魔物も襲撃してくるとなれば、ペイジが頭に思い描いていた自分勝手な計算が崩壊するのは当然だ。
助っ人のいない初めての依頼ということで張り切っていた。
いつか自分たちだけの仕事のときには、と決めて溜めていた金をはたいて装備も整えたのだ。刃こぼれも目立つ鉄剣から、鍛えられた鋼の剣に買い替える。重さも長さもしっくりくると受け止め、これならばこの仕事を満足に終えられると思った。
その思いは最初のうちは十分に応えてくれる。気合と共に振り下ろされた斬撃は、防具など着けていないゴブリンの頭を見事にかち割った。続く横薙ぎでナイフを持っていたゴブリンの右手を斬り飛ばし、鋼の剣はそのまま木の幹に食い込んでしまう。なまじ威力のある斬撃だったことが災いして、ペイジが力任せに引き抜こうとすると、ペイジの手は柄から離れてしまった。
勢いあまって地面に倒れ込むペイジの右肩に木の矢が突き刺さり、ペイジの口から短い悲鳴が溢れる。咄嗟に立ち上がれないペイジに向けて、手入れのされていない棍棒が襲いかかってきた。
まさにペイジの頭を砕こうと棍棒を振り上げるゴブリンの顎が掌底で歪む。
人に話してもあまり信じられないが、マルチナとザックは同門だ。二人ともが真正聖教会に所属している。真正聖教会の持つ力は、大きく分けて二つ。神官と教会騎士だ。もちろん信仰に寄る権力が最大の武器であるが、有形の力としてはこの二つが代表である。
神官も騎士も共に教会の顔として人々に慕われ、親しまれ、特に貧困層からは貴重な仕事先として認識もされている。騎士にはなれなくても教会付きの兵士になることはでき、神官にはなれなくても教会付きの職員になれる可能性もあるからだ。
他にも教会には武僧という戦闘を担う部署のものたちもいる。素手の戦いを旨とし、武器を持ち込めない場所での高位聖職者たちの護衛が主な仕事だ。
ザックが神官となるために教会に行った日、暇つぶしで同行していたマルチナは、偶然、出会った武僧に衝撃を受け、その道を歩むことをその場で決めたのだった。騎士ならまだしも、武僧なんて選択に親は仰天し、当然のこと強く反対したが、マルチナは親の言葉に耳を傾けなかった。逆に親を熱心に説得して、二週間をかけて遂に許可を勝ち取ったのだ。
武僧としての訓練を開始したマルチナは才能があったようで、順調に実力をつけていく。大人にも勝つようになり、対武器の戦いでも成績は良かった。それでも失敗することはあり、そのときは剣の練習をしていたペイジに相談し、逆に落ち込んでいたペイジを慰めることもあった。
カリキュラムを平均よりも半年も早く終えたマルチナは、互いに励まし合うようになっていたペイジと共に冒険者として出発する。
元々の性格が勝ち気で、武僧としての才能もあった彼女は冒険者としての成長も早かった。もちろん失敗もあったが、その度に乗り越え、成長してきたマルチナは、冒険者としても自信を深めていく。
実力としてはペイジを凌ぐことさえあり、仕事の内容によってはペイジに代わってパーティリーダーを務めることもあった。
ゴブリン如きに後れは取るはずがないと高を括り、四方からの襲撃によって甘い夢から叩き起こされたのだ。即座に反応して襲い来る魔物たちを打ち倒していくマルチナ。
止めを刺すことよりも戦闘力を奪う方向で対処したことが奏功し、序盤はまだ有利に戦いを進めることができたが、それもペイジが矢を受けるまで。
受傷したペイジに駆け寄り、その命を救うことができたまではよかった。
陣形が乱れたことで、マルチナの後ろに声にならない戸惑いが広がったのだ。
ザックは教会の人間としてごく真っ当な道を選び、神官となった。
今でこそペイジと共にパーティを組んで冒険者をしているが、最初から冒険者業に就こうと考えていたわけではない。小さいときからの友人であるペイジに誘われること六回目にして、ようやく首を縦に振ったほどだ。
ザックとペイジは住んでいる村こそ違えど、幼い頃から農作物のやり取りなどを通じて交流はあった。当然、互いの村の生活環境も詳しく知っていたのだ。
さして裕福ではなく、これといった産業もない。稼業として行われている農業や狩猟を受け継ぐか、でなければ村の外に出るか。出たところで生活が保障されるわけではない。ペイジの父のように冒険者になるか、あるいは教会に入るか、でなければ犯罪組織に組み込まれるか、最悪は野垂れ死ぬかだ。
ザックの家は農業を営んではいても、その生活水準は五人きょうだいの末息子であるザックまでを飢えずに育てきれるかどうかは、かなり怪しい。年齢が二桁になる前にザックは教会の門を叩き、神官としての道を踏み出した。
基本的に外部との接触はかなり制限される中、武僧としての修業を開始したマルチナが唯一の外との接点だ。戦闘訓練のある武僧は外に出ることも多いからである。
マルチナからペイジが剣の練習をしていることや、将来的に冒険者になりたがっていることも聞いた。ペイジのことを嬉しそうに話すマルチナの姿に、ちくりとした胸の痛みを感じたことは意図的に無視している。
十五歳になり、神官としての一応の修業を終えたザックは、他の同期のように教会に残ったり、別の教会に移ったりはせず、ペイジとマルチナの二人に誘われて冒険者という職業を選ぶ。
神官の道を志したものの、成績は中の下程度だったので教会組織内での栄達が望めないことも関係しているが、マルチナに誘われた点が理由としては一番大きい。ペイジと話しているマルチナの嬉しそうな横顔を見ているだけで、または守ることができるのならそれで構わないと決めての判断だった。
マルチナのためにはペイジが必要だ。
ザックは力任せにメイスを振り回す。一体のゴブリンの腹にメイスがめり込み、胃液を吐いて悶絶する。
剣術も棍棒術も修めていないザックは、必死にメイスを振り回すことしかできない。側頭部を強かに打たれて、地面に倒れ込んで大きく痙攣しているゴブリンには見向きもせず、ペイジに駆け寄るザック。
まだ強力な魔法は使えないが、ペイジの受けた矢傷ならなんとかなる。不安そうな顔のマルチナに頷き返し、魔法を唱えるべく集中する。
その耳元を、鋭い風切り音が通り抜けた。
メーガンの放った矢が正確にゴブリンの額を撃ち抜く。
今回の仕事におけるメーガンの意気込みは強い。このパーティのメンバーのうち、繋がりがもっとも薄く乏しいのが彼女だ。まあ、他の三人と比較してのことであって、パーティとしての絆の強さや深さについては何の問題もないのだが。
ペイジとマルチナとザックは幼馴染の枠内に入る。メーガンだけが少し違う。ペイジの父親がパーティを組んでいたハンター、その娘だ。
修行中のペイジと何度かあったことがある程度の薄い縁であり、メーガン自身もペイジたちとパーティを組むことになるとは思っていなかった。
メーガンの冒険者としてのキャリアはペイジたちよりも半年だけ早く、同じく駆け出しどうしでパーティを組んでいた。構成は剣士と槍使いと魔法使い。後衛職がいなかったことから誘われたのだ。そうして彼女らは最初の仕事を受け、メーガン以外の三人は帰らぬ人となる。
受けた仕事は今回と同じゴブリン討伐で、本来は楽な仕事のはずだった。彼女らは意気揚々と出発したのだが、一番張り切っていた槍使いが道を間違えたこともあって日没までに目的の村に辿り着くことができず、野営する羽目になる。
おりしも雲行きが怪しくなっていて、彼女らは大慌てで準備を――木陰に大きめの布を立てただけの――整えた。まずいと評判の携帯糧食を取り出し、道を間違えた槍使いを冗談交じりに責め、槍使いもまた怒る振りをして反論する。
そこを襲撃された。
ゴブリンと、ゴブリンと同じく彼女らを狙っていたウルフに。剣士も含めたメンバーたちは、単なる力自慢や村の乱暴者などではなく、それなりに訓練を積んできていた。これが昼間の戦闘なら、晴天での戦いなら、相手のほうが多数であっても切り抜けることもできたに違いない。
しかしそうはならなかった。ゴブリンもウルフも、総じて魔物は人間よりも夜目がきく。更に狩りという行動にも慣れている。
メーガンたちは満足な抵抗もできなかった。暗闇の中で襲われて混乱していた。雨と闇のせいで敵の姿を視認することも難しく、濡れた地面に足をとられては本来の威力の攻撃を繰り出せるはずもない。個々がバラバラに戦い、気が付けば、メーガンだけが生き残っていたのだ。
ショックからしばらく立ち直れなかった彼女の前に現れたのがペイジたちだった。メーガンは悩んだ末、冒険者として身を立てるという最初の気持ちを思い出し、ペイジたちのパーティに加わったのである。
そして今回の仕事だ。かつて全滅させられたことへの意趣返しをしてやろうと、メーガンは決めていた。一度しか仕事を共にすることのできなかった彼らの墓に、この仕事の話をしてやろうと考えていたのだ。
メーガンの放つ矢がゴブリンの眼球と、眼球の奥にある脳を貫く。
無限に湧き出るかのような魔物の群れは、彼ら四人に絶望を与えるだけの力を持っていた。
強引に心を奮い立たせ、気力を絞り出し、眼光に力と意思を込め、雄叫びを上げても、届かないという事実を思い知るくらいには。




