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第四章:九話 精霊契約

「(ガブリ)」

「ぐおわぁっ! 犬ぅぅぅぅううっ!」


 ウルフの子供を撫でようとして差し出した手は、いつも通り噛みつかれていた。


 大誓堂と呼ばれる建物がある。かつての礼拝堂のことだ。教会が集落にとって重大拠点となったことで、ただでさえ乏しかった礼拝堂としての役割は、完全に消え失せることになった。


 代わりに生まれた役割が大誓堂だ。大聖堂ではなく大誓堂である。


 神を祀るのではなく、主たる一騎に忠誠を誓う場であり、自らの誓いを心に刻み付ける場でもある。現在では特別な儀式に使用されることが多く、大人というか成体になった魔物たちは畏敬の念もあってあまり近付こうとはしない。にもかかわらず大誓堂内にゴミが落ちていたり、大誓堂から笑い声が聞こえてきたりするのは、集落に増えつつある子供たちの影響だろう。


 近いうちにエストの雷が降るだろうことは容易に予想できるし、雷の矛先が自分にも向くだろうことも一騎は予測していた。予測していても有効な手立てがこれといって思い浮かばないのが一騎である。


 子供に注意するべきか、注意してもあまり効果はないだろうから放っておくべきか、悩みつつも、本日、この場に一騎たちが集まっているのは掃除などが理由ではない。ガチガチに緊張している一騎と、俯いてもじもじしている顔の赤いエストを中心に、宗兵衛やクレアたちも集まっている。


「では二人とも、今から精霊契約を行いますが、準備はいいですね?」


 宗兵衛の問いかけに一騎とエストは頷いた。精霊契約。その名の通り、精霊と契約を交わすことである。竜の場合は成竜になるために必要な儀式であり、ゴブリンの場合では単に強力な力を得ることに繋がる儀式だ。ゴブリンのような最底辺の魔物が精霊と契約する事態というのは、恐らく有史以来なかったことだとリディルは言う。


「じゃ、じゃあ、エスト……その……いい、か?」

「え、ええ……わたしは大丈夫、よ」


 向かい合う二人は結婚式にでも挑むかのような緊張感を漂わせている。事実、結婚と表現することもできるのがこの精霊契約だ。一度、交わされた精霊契約は、まず破棄されることがない。死が二人を分かつまで続くだけでなく、両者の関係が深ければ、死んだ後までも続くのである。それだけに精霊にとっては重要な契約で、易々と交わされるものではない。


『うー! うー!』


 クレアは身悶えながら唸っていて、


「(ギリギリギリ)常盤平殺す……」

「(ギリギリギリ)常盤平すり潰す……」


 もっと直接的な殺意に身を焦がしているのが嫉妬仮面たちだ。


「具体的にはどうやれば契約できるんだ、宗兵衛?」

「そうね。わたしもしたことがないから知らないし」

「なに、簡単ですよ。まずエストさんが煮えたぎるマグマを作って、その中に生身の常盤平を投げ入れて、常盤平が茹で上がれば契約完了です」

『画期的な契約方法ですねー』

「わかりやすい嘘をつくなあああぁぁぁぁああっっ!」


 叫んだ瞬間だった。一騎の両肩が重さを感じたのは。一騎が振り向いた先には、予想通りに嫉妬仮面が白い歯をギラギラさせながらサムズアップをしていた。


「ははは、仕方ねえな。ここは友人として我ら嫉妬仮面が全面的に協力しやうじゃないか」

「遠慮することはないぞ? 友の幸せを願うのは当然のことぢゃないか」


 他人の幸福を絶対に許さない、ことを目的に活動する嫉妬仮面たちの両目からは光が消え失せている。一騎の肩を掴む手にもまるで万力のような力が込められていた。ゴキン、バキンと骨が砕けるような音が一騎の鼓膜にまで届いてくるが、それよりも嫉妬仮面たちの歯軋りの音のほうが大きのはどういうことなのだろうか。


「まあ、高原を駆け抜ける爽やかな春風のような冗談はともかく」


 どうやら宗兵衛の目には、血の涙を流す嫉妬仮面と、痛みに悶える一騎の姿は映っていないようだ。


《こういうものを考えるのは常盤平一騎のほうが得意であるかと》


 リディルの説明と共に宗兵衛が取り出したのは一枚の紙だ。契約に必要な文言の候補がいくつも書き出されている。流し読み程度しかしなかった一騎は、思わず口の端から血が漏れてきそうな感覚を覚えた。


「おい宗兵衛、これは」

「で、こちらがエストさんのものです」

「お願い聞いて!?」


 集落の長の言葉をガン無視して宗兵衛は話を進める。エストも宗兵衛から渡された紙を見ながらコクコクと頷いていた。


「わかったわ。いくわよ」

「え?」


 一騎の疑問などどこ吹く風、突如として現れた紅蓮の炎が逆巻き、大誓堂を中心とした地面が大きく鳴動する。灼熱の劫火を纏うエストは大精霊らしく非常に美しいが、このままだと極短時間で大誓堂が消し炭になってしまうだろうこと請け合いだ。震える地面はまるで巨大な獣の咆哮を思わせ、集落自体が潰れてしまうかもしれない。


「なにをしているのですか。さっさと契約してしまいなさい!」

「お、おう!」


 精霊契約の儀式は、契約を望む側が精霊のすべてを受け止められるかどうかかかっている。吹き荒れる精霊の魔力――ときには殺意の混じった攻撃――を踏破し、契約文言を献上するのだ。踏破の姿勢を精霊が気に入り、契約文言を受け入れた場合のみ、両者の間で契約が成立するのである。つまり、


「うおおおおぉぉぉっ! エストっさぁぁぁぁん! 結婚を前提とした契約を申し込みたぶげがびゃびほうひぇあああっ!?」

「それが無理なら子供を産んでくれるだけでいいぎょうはぴほるはりょぉぉぉおおっ!?」


 失敗した場合は吹き飛んだ挙句炎に焼かれて、割れた地面に落下して押し潰されるという結末が待っている。


 吹き飛ばした嫉妬仮面たちに一瞥もくれず、エストの視線と意識は一騎だけに固定されていた。強大な魔力を身に纏う、人の形をした台風のような少女がゆっくりと一騎に向けて手を伸ばす。


 彼女がなにを望んでいるかは明らかだった。一騎は一歩を踏み出す。二歩、三歩と歩みを積み重ね、少しずつエストに近付いていく。本来ならエストの炎に焼き殺されるところなのに、最初から全面的な受け入れ態勢が整っているため、一騎がケガを負うことはない。


 一騎はエストの手に向けて両掌を差し出した。


 ――――古き森にあって目覚めし気高き大精霊よ。

 ――――我、ここに汝との契約を望まん。汝、我を主として認め契約せよ。


 契約の文言が紡がれる度、エストの相好が崩れる。嬉しくて仕方ないのだと誰の目にも明らかだ。精霊契約は死と隣り合わせの危険なもの。熟練の魔法使いや騎士をして、成功率は十万回に一回が精々。竜種であっても確実に精霊契約が成せるわけでもないというのに、一騎とエストほど危険性のない精霊契約も珍しいだろう。


 ――――我は望む! 強く望む!

 ――――汝、我と契りを結びたまえ!


 凄まじいばかりの炎と熱と轟音が、大誓堂はおろか集落中に響き渡る。津波のような魔力の奔流に意識までもが流されそうになり、唐突にそれら一切が消え失せた。大誓堂の中、一体のゴブリンが差し出した掌に、一体の大精霊が掌を合わせている。


 ――――望むを受諾する。我は汝と、ここに永遠の契りを結ぶ。


 一騎とエストの魔力が互いを行き来し、混じり合う。両者の顔には共に不満などはなく、ここにゴブリンと大精霊の間という、前代未聞の契約が交わされたのであった。


「うお!? なんか紋様が!?」


 一騎の両前腕には、炎と土をかたどったような紋様が浮かび上がっている。精霊契約が初めての未熟者にだって、これが契約の証だということくらいはわかった。エストはエストで、自分の左手甲に浮き出た紋様を愛おしげに撫でている。


「それがエストの契約の証か? 俺のとは随分違うんだな」

「そこは問題じゃないわ。大事なのは、わたしとイッキの契約の証という事実」


 エストの目は潤み、喜びに細められ、頬は紅潮し、口元はほころんでいる。漂う雰囲気も柔らかく、慈愛に満ちていて、そこまで嬉しいことなのか、と一騎も照れてしまう。


 過去の歴史を振り返ってみても、ゴブリンが精霊契約を交わした例はない。だが他の例から見て、どうなるかくらいは想像がつく。精霊魔法と呼ばれる強力な魔法を行使することができるようになり、精霊の属性に沿った攻撃や防御手段が増える。二重属性の大精霊と契約を交わしたとあれば、周囲からの羨望とやっかみも凄いことになるだろうが、それも含めて精霊契約というものだ。


「あれ? 永遠の契りとか言ってませんでしたか?」


 常盤平一騎が提供した文言と、受け入れ側の文言に微妙な差があることに宗兵衛は気付く。


「どうした宗兵衛? なにかあったか?」

「いえ。よく考えれば、僕も君の幸せは許せないので、このままで特に問題はないと判断します」

「今なんか物凄く聞き捨てならないセリフを口走らなかった!?」




 昼。


「えへへ」


 エストは尚も上機嫌だ。はめたばかりの婚約指輪を熱っぽい視線で見るように左手甲の紋様を眺めてはニマニマし、撫でて、頬ずり、まさに幸せの絶頂にいる。料理を作っている最中も、事あるごとに左手を意識しているので、いつもよりも食事の時間が後ろにずれこんでいるのだが、エスト本人が気付く様子はない。


「エストさんが幸せの真っ只中にいるのはよくわかりますけど、どうして君はそんなに落ち着かないのですか?」

「仕方ないだろう!? 猛烈に恥ずかしいんだよ!」


 もう何十往復したのか、食堂をウロウロする一騎の顔は真っ赤だ。女子になにかプレゼントした経験もない一騎である。言葉と気持ちを伝え、契約を交わす。それだけであそこまで喜んでもらえるとは完全に予想外であった。一騎としてはエストを見ているだけで恥ずかしいやら落ち着かないやら、まるで檻の中に閉じられたばかりの動物のようで、見ようによっては単なる不審者だ。


『うー……』


 クレアは相変わらず不機嫌に唸っていた。宗兵衛が思わず、邪妖精になったりしないだろうか、と危惧するほど機嫌が悪い。


「いい加減、クレアも機嫌を直してくれないか?」

『ふ、ふん! 別に我は怒ったりしているわけではない!』


 恐る恐る、といった態で一騎が話しかけると、クレアはそっぽを向いて鼻息を荒くする。エストとの契約終了後から何度も繰り返されている光景だ。


『怒っているわけでは決してないが、確認しておきたいことがある。我と下僕との契約はいつになったら行われるのだ?』

「いや、いつって言われても、それは……」

『い・つ・だ?』


 完全に腰の引けている一騎の鼻先にまで迫るクレア。


「大丈夫ですよ、クレアさん。君も精霊化すれば常盤平と契約できるようになりますから」

『本当にそう思うか? 我が第二の下僕よ』

《主が貴女の下僕なった事実は存在しません》


 クレアの中では宗兵衛も下僕扱いである。特段、宗兵衛が否定しないので徐々に定着しつつあった。


「まずは今のボディで安定することが先です。下手に焦って常盤平に心配をかけるわけにはいかないでしょう?」

『うー……うん』


 唸りながらもちゃんと頷くのだから、クレアは物わかりがいい。『絶対だからね』と一騎に念押しをして、キッチンに飛んでいく。


『ちょっとエスト、準備が遅れてるわよ』

「え? そうだった?」


 キッチンは彼女たちの主戦場だ。クレアが加わることで、動きは加速していく。料理をしないラビニアは宗兵衛の頭の上から、意地悪く一騎に向けて笑う。


『一騎さんは手伝わないんですかー? 初めての共同作業になると思いますけど』

「やめて! クリスマスとかバレンタインとかの単語を聞くだけで発狂する奴が近くにいるんだから!」


 思わず周囲を警戒する一騎。


「…………あれ?」


 一騎は首をかしげる。幸福を想起させる単語やセリフが出た時点で出現するバーサーカーが、今日に限っては出てこない。疑問はラビニアも同様だったようで、


『エストとの永遠の契り、とか言ってましたっけ』

「!?」


 更にロクでもないセリフを付け加えた。なるほど、契約途中で嫉妬仮面たちは吹き飛んだために最後まで聞いてはいないが、今後、なにかの拍子に契約文言を知るようなことになれば、間違いなく一騎を殺しにかかってくる。ラビニアはどうあっても嫉妬仮面を召喚したいらしい。一騎と嫉妬仮面の血みどろの戦いをエンターテインメントとして捉える気満々だ。


「? どうしたんだ、嫉妬仮面の連中は? いつもなら嬉々として襲ってくるのに」


 表現に疑問を感じなくもない一騎である。


「あいつらなら庭に埋めましたから、しばらくは出てこないと思いますよ」

「え?」


 集落には一騎と宗兵衛が掘っておいたゴミ捨て用の穴がある。深さも五メートルばかりあったはず。契約終了後、宗兵衛は気絶している嫉妬仮面たちをそこに捨てたのだった。


「土砂の重さも合わさって、いかに嫉妬仮面といえども、易々とは出てこれないでしょう」

「え? それって大丈夫なの? 死んだんじゃね?」

「生命感知をする限りでは死ぬ様子はありませんね。そのうち這い出して、襲いかかって来ますよ」


 一騎が思い浮かべたのは、墓の下から湧き出てくるゾンビの大群である。まあ、嫉妬仮面については、フリードから仕入れたエロ本を提供すれば大概のことは水に流すだろう。


「イッキ、ご飯、できたわよ」

『運ぶの手伝って』


 女性陣の声が聞こえてくる。今日は朝から色々と大変だったので、箸もいつもより進むだろうとの確信が一騎にはあった。

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